五週目
――病室。
「……また来たな。一体何周するんだ……」
ユウキは目を覚ますと、すぐに紙を探す。予想通り、ベッドサイドにそれは置かれていた。
《後悔メモ:母の葬式に行かなかった》
「……あー、これは……」
ユウキは苦笑する。
今まで見て見ぬふりをしてきた後悔。その最たるものだった。
母が亡くなったのは8年前。連絡は姉からあった。
「母さんが倒れた。もう、危ない」
そのときユウキは、場外馬券場にいた。
「今、無理。馬が走ってんだよ」
それが、ユウキの返事だった。
母の死に目には間に合わず、葬式にも顔を出さなかった。
理由は山ほどあった。金がない、顔を合わせづらい、逃げたい……でも一番の理由は、ただ“面倒だった”からだ。
「……ちゃんと行くよ。今度こそ」
その日、ユウキは実家へ向かった。
扉の前で深呼吸してインターホンを鳴らすと、姉が出てきた。
「……ユウキ?」
「久しぶり」
姉は戸惑いの表情のまま、しばらく沈黙し、やがてドアを開けた。
居間には遺影が飾ってあった。笑顔の母。小さな花と、古びた線香立て。
ユウキは自然と、正座して頭を下げた。
「母さん……来るの、遅れてごめん」
急に目頭が熱くなった。
姉がぽつりとつぶやく。
「母さんな、最後まであんたのこと気にしてたんだよ」
「何回も言ってた。『ユウキは大丈夫かな』『ちゃんと食べてるかな』って」
「……そうか」
姉は言葉を続けた。
「母さんね。最後まであんたのこと信じてたんだよ。『あの子は優しい子だから』って」
「……優しい、か」
「嘘みたいでしょ?」
「……いや。たぶん、あの頃の俺は、少しだけ……そうだったかもな」
姉はユウキに、そっと黒い小箱を渡した。
「母さんが亡くなる前に、預かってた」
中には、小さな紙切れが数枚入っていた。ユウキが小学生の頃に描いた、母への手紙だった。
『おかあさん だいすき』
折り紙に書いた、下手くそな文字。
「……こんなの、まだ持ってたのかよ」
「母さん、ずっと財布に入れてたよ。ボロボロになっても、ずっと」
ユウキは、何も言えずに黙って泣いた。
幼いころ、風邪を引いたユウキに、母は徹夜で看病してくれた。
「熱、下がってきたねぇ」
額に当てた手のひらは、優しくてぬくもりがあった。
誕生日に作ってくれた唐揚げ。
父親が荒れた夜。
ユウキをおんぶして外に出ては、ユウキが眠るまで子守唄を歌ってくれた。
いつも怒られてばかりだったけど、本当はその何倍も愛されていた。
それを、すべて無視して生きてきた。
「……最低だよ、オレ……」
姉がそっと隣に座る。
「母さんね、あんたがまた帰ってきてくれるって、ずっと思ってたんだよ。だから……遺影、ここに置いてるの」
ユウキは線香に火をつけ、静かに目を閉じた。
「母さん……バカ息子でごめん。……母さんの想いを何もわかってなかった。本当にごめん」
五週目、最終日。
例の通り、蝉仙人がぬっと現れる。
「おーおー、涙腺にきたね〜今回は。“親孝行したかったときには親はなし”ってやつぅ〜?」
「……うるせぇな……」
「にしてもさ〜……葬式スルーはなかなかの大罪だよ? オレ、今までいろんなヤツ見てきたけど、お前のスルーっぷり、なかなかレジェンド級だったぜ?」
「……黙ってろよ……」
「黙れんわ~。オレ、“蝉仙人”だし。人の後悔に土足で踏み込むのが仕事みたいなもんなんで〜」
蝉仙人は煙草に火をつけながら、くっくっと肩を揺らして笑う。
「ま、今回はギリギリ赤点回避ってとこか。“やっと人間らしくなった”って感じ〜?」
「…………」
「でもまぁ、前進じゃねぇか。お前、逃げることしか知らねぇと思ってたから」
ユウキは小さくため息をついた。
「確かにな……俺は逃げる事しか知らなかった……やらかした分、返していくしかねぇ、どうせ一週間で死ぬんだ」
「その意気だ! でもな〜、来週はどうかなぁ?お前の人生、地雷原だらけだからな」
「……構わねぇよ。もう逃げねぇ、俺と俺がやったことに向き合っていく……」
「お、カッコイイ〜。でもそれ、毎週聞いてる気がする〜」
ユウキは苦笑しながら、目を閉じる。
ジィ……ジィィィ……ジィィ……