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明日、蝉  作者: あぶすま
4/4

四週目

――病室。


「……もう4回目か。どんだけやんだよ、あいつ……」


目を覚ましたユウキは、頭を抱えてうめいた。


ベッド脇のテーブルにはまた、1枚の紙。



《後悔メモ:トモカに借金返す》



「……うわ、きたよ……トモカ。いや無理だろ、アイツ絶対オレの顔見たくねぇし」


トモカ――ユウキがまだサラリーマンだった頃に付き合っていた彼女。

優しくて、真面目で、金にうるさくないのが救いだった。


一緒に安アパートに住んで、二人分の夕飯を作ってくれた。深夜帰りのユウキに風呂を沸かし、寝落ちしたソファに毛布をかけてくれた。


けれどユウキは、そんな彼女に平気で嘘をついた。

競馬に金をつぎ込み、生活費をごまかし、挙げ句の果てには「親が倒れた」などとデタラメを言って、金を借りた。


合計で借りた金額は――120万円。


全部返すことなんて、とっくに無理だった。


「……でもなぁ」


ユウキは封筒を取り出す。中には、5万円。

最後まで手をつけなかったトモカへの“けじめ”だった。


「どうしようもないクズだな、オレ……でも……返さなきゃ、前に進めねぇ」


蝉仙人の顔が浮かぶ。


『やりきらねぇと、一生蝉な〜』


「……やるしかねぇか」


駅前の商店街にある、小さなカフェ。


トモカが働いているという情報はSNSで探した。

ガラス越しに見えたトモカは、変わっていなかった。

肩までの髪。白いシャツと黒のエプロン。笑顔はそのまま、でも目の奥に少し疲れが見えた。


ユウキは店の前で5分以上立ちすくんでいた。


「……よし」


ガラン、と鈴の音が鳴った。


「いらっしゃ……」


トモカの声が止まる。

目が合う。完全に凍りついた。


「……久しぶり、トモカ」


「……なんでここにいんの」


「話が、あってさ……少しだけ、時間くれないか」


トモカは数秒沈黙したあと、厨房に声をかけ、空いた席に促した。


「……借りた金、今日返しに来た」


ユウキは封筒を差し出す。


中には、しわくちゃの一万円札が5枚。それだけなのに、指先が妙に震えていた。

トモカはそれを見て、何も言わず、ふっと目を伏せた。


「……これ、何年前の話か覚えてる?」


「……5年。いや……6年、かもな」


「6年よ」


声に刺があった。でもそれは怒りではなく、疲れと、哀しみの滲んだ音だった。


「こっちはその間、ずっと“バカだった”って自分責めてたんだから」


「……まだ全部を返せる訳じゃねぇ。でも……この5万だけは、最後まで残してた。どんなに金がなくても、これだけは使わないって……ずっと決めてたんだ」


「なんで?」


トモカは問い詰めるような目で、真正面から見た。


「今さら、5万だけ返して、何になるの?」


ユウキは視線を落とし、少しだけ口を開いたまま言葉を探した。


「……この金は、ずっと胸に引っかかってた。ちゃんとけじめつけなきゃいけないって、思ってた」


トモカは、じっとユウキの目を見据えた。


「他の借金は知らん顔でも、私のだけは返しに来たってわけ?」


「……違うよ。お前は、最後まで信じてくれてた。信じてくれてる人から奪ったものって……他と違って、ずっと消えねぇんだよ」



トモカの表情が一瞬だけ揺れた。


「……覚えてる? あの夜。私の誕生日だった日。あんた、帰ってこなかった。で、翌朝、私が泣きながら『どこ行ってたの?』って聞いたら、あんた、平気な顔して言ったの。“今日の10レースで取り返す”って」


ユウキは目を伏せたまま、わずかに苦笑いした。


「……うん。覚えてるよ」


「私ね、あの瞬間、心が折れた。『この人には、私のことなんて見えてない』って、思ったんだよ」


「……俺、最低だったな」


「最低だったよ。何度も何度も、信じるたびに裏切られた。でもね……」


トモカは言いかけて、喉元で止まった。

少し息を吸い、整えてから言葉を続けた。


「でも、今日のあんた……少しだけ、昔の“まだ夢見てた頃”のあんたに似てる気がした。私、あんたの“文章”が好きだったんだよ。あんたが居酒屋かどっかで何気なく紙に書いたポエム、それ写真で撮っててさ、それがスマホにまだ残ってる」


ユウキは目を見開いた。


「……残ってるのか?」


「削除できなかったんだと思う。腹立ってんのに忘れられなくてね」


しばらく沈黙が落ちた。


トモカは、テーブルの上に置かれた封筒にそっと手を伸ばし、ゆっくりとそれを胸元に引き寄せた。


「ありがとう。これで借りはチャラ。でも——」


「……?」


「もう、こっち見なくていいから。振り返らないで。自分の道、ちゃんと歩いて。あの時のあんたがやりたかったこと……今度こそ、大事にしなよ」


ユウキは、唇を噛みしめながら立ち上がった。

頭を深く下げ、ぽつりと呟いた。


「……ありがとう」


トモカは一度だけうなずいた。

それ以上、何も言わなかったが、その目にはかすかな潤みが浮かんでいた。




ユウキが背を向けて去ったあと、トモカはそっとスマホに目を落とす。


6年前から開いていなかった写真フォルダ、そこに数枚だけある写真。

水滴でにじんだペーパータオルに書かれた文章。


『すべてを失っても、最後に残るのは——君の笑い声であってほしい』


画面を見つめながら、トモカはふっと息を漏らすように笑った。


「……ほんと、バカだったね。お互いに」


外で、蝉が鳴いていた。




四週目、最終日。


また蝉仙人が現れる。


煙草をくわえ、火をつけると、わざとらしく大げさに拍手をする。


「おお〜!ユウキく〜ん!いや〜感動した!泣けた!元カノに5万返して、心の借金もちゃ〜んと返済♡ ……って思ってるぅ〜?」


「……うるせぇな」


「ってか、5万返したくらいでイイ話気取りか? お前が踏み倒したの120万だろ? 115万どこいった、あ〜?なめんなよカス」


「……あれは……このループが終わったら返す。わかってるよ」


「ピンポン!正解〜!蝉卒業しないと“人としての信用”ゼロだからね〜。ループ中はな〜んの価値もない。言うなれば、“信用力ゼロの借金野郎”が幻の中で土下座してるだけってやつ?」


「……チクチク刺してくんの、ホント得意だなお前は」


「ありがと♡ 誉め言葉として受け取っとくわ! でもな、ユウキ。お前のやらかしリスト、まだあるぞ〜。ってか、本当にクソだなお前ってやつは」


「……次は何だ」


「ふふっ、それは見てのお楽しみ〜!体あっためてアップしとけよ。ワンツー!ワンツー!」


「……ダリィ」


「お前の人生がな」


「……」


「じゃ、また来週~。ちゃんと“蝉として”鳴けよ〜。ジィィィ〜……」


そして、死の闇に包まれる。



ジィ……ジィィィ……ジィィ……


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