それぞれの誓い 後編
失われた魔力を回復できるのか?
大きな力は依存する人を作ってしまう‥‥
部屋に戻ると、レインとレニが私の傍に、アッシュ様とリア様がブリジット様の後ろに立った。誰もが無言なのは、これから行う事がブリジット様の未来を決める要因で、皆が緊張気味に見守っているからだ。
「では、ブリジット様、魔力測定装置に魔力を通して頂けますか。それを合図に私が治癒魔法をかけますから、リラックスしてらして」
頷いて素直に目を閉じるブリジット様。その魔力が装置に流れて6100値と数値が表示されたのを確認して、私は静かに治癒魔法をかけた。
循環している魔力回路を活性化させて太くしていくイメージで、従来の火・風・土の属性がしっかり巡り、その奥にか細く巡っていた聖属性も共に本流のような流れで巡るようにイメージで治癒していくように。
「魔力値が上がり始めました6500‥‥6800‥‥」
レニの読み上げに、私の脳裏に元の魔力値8000のブリジット様の残像が見え始めた。まるで今のブリジット様の姿が、その残像に呼応するかのように重なって光を放っていく。
「魔力値7200‥‥7500‥‥7800‥‥」
治癒魔法を少しずつ緩和させて、ブリジット様の魔力回路の循環を観てみた。魔力値7500を超えた辺りから、透明な光に変わったようだった。今は従来の属性を聖属性が包み込むように循環している。
「魔力値8000です」
スッと手を引くように治癒魔法を止めて、魔力回路を観る。しっかりと聖属性の光が巡って良い感じに思われた。
「治ったみたいね」
私の声に反応して目を開けたブリジット様は、魔力測定装置に表示された自分の数値に驚き、涙を流しながら抱きついて来た。なんとなく分かっていた反応だけど、こうやって喜んでいる姿を目の当たりにするのは私も嬉しい。
「あら?ブリジット様・・・髪の毛が?!」
何が起こってしまったの?
私は抱きとめている彼女の髪の一部が、一束ほど白くなっていることに気がついて動転した。
「本当だわ!髪の毛まで変化しているわ」
言われて自身の髪を見たブリジット様が、白い髪を手にして笑顔になっている。ん?笑顔?
「良かった。髪に現れた聖属性の証まで戻っています。リーナ様、ありがとうございます!」
「その白い髪の束が聖属性の証‥‥」
よく見れば、ブリジット様の栗色の髪の米神の傍の髪が白い束の様な髪になっていて、聖属性の魔法と同じような光の粒子をまとっていた。それを見て、アンジェリーナ様が白いレースに綺麗な銀の刺繍のある髪留めを選んだ理由を察した。知っていらしたのだ。
きっと私が治癒魔法で治療していたことも。ブリジット様が聖属性の魔法に目覚められてから、この綺麗な白い髪が現れたことも。
「きっとこの髪留めが似合うはずよ」
そう言って、綺麗な小物入れから銀刺繍のされた白いレースの髪留めを出して、ブリジット様の髪に付けてみた。レニがいつの間にか鏡を持ってきてくれて、それを見たブリジット様が嬉しそうにほほ笑んだ。
「嬉しいです」
聖女の微笑みはこういう感じなのだろうと、彼女の笑顔を美しいと思った。
「おめでとうございます。こういう時は祝杯を!と言いたいところですが、紅茶で乾杯でしょうか。」
レインも笑顔で早速用意している。レインを手伝うアッシュ様が涙目になっているのは、気がつかない振りをしておいた。そっとブリジット様を立たせて、椅子に座ってもらおうとした時だった。
「どうして、これだけの偉業を秘密にしなければならないのですか!」
「リア様?」
叫ぶような言葉に困惑している私の前に、レインとレニが立ちはだかり、アッシュ様がブリジット様を庇う様に立った。その様子を見たリア様の表情が、少し暗くなった気がした。
「私は魔法士団に報告を上げます。魔法士団団長はアルフレッド王太子様なのですよ。そうすれば、魔力被弾をした者を助ける手立てをリーナ様は隠しておけなくなる」
ああ、また同じことの繰り返しなのかな。
以前、次兄のレイモンドお兄様に騎士団の治療をお願いされた時にも同じことが起こった。
「リーナ、すまなかった。今まであんな酷い事を強いていたなんて。騎士たちには俺から話しておく。騎士団団長のオースティン殿下からも、パステル家への一切の介入を禁止する命令を出してリーナを守ってもらえる事になった。本当にすまない」
真摯に謝る次兄に私は、自分も事態を軽くみていて悪かったのだと告げた。第二王子からの命令が下されているので、私やレイモンドお兄様はこれ以上は何もないと高を括ってしまっていた。全てが、甘い考えだったことを後になって知った。
私の治癒魔法による訓練が無くなった後のこと。
レイモンドお兄様に資料を渡す目的で来た騎士が、私がいたサロンまでやって来て治癒魔法で身体を治して欲しいと懇願してきた。その騎士は探しに来たレイモンドお兄様に引きずられて退出していった。
そのまた数日後には、オースティン殿下からの書簡を携えた騎士が私の部屋に入っていくのを見かけた侍女が、図書室に居た私に知らせて隠れ部屋に逃げて事なきを得た。その騎士も腕の腱を治して欲しいという要望だった。
そんなある日、頻繁に起こる騎士たちの自分勝手な行動の件で、私は国王に呼び出された。1人では心許ないだろうとロナルドお兄様もレイモンドお兄様も私に付き添ってくれた。
兄2人と謁見の間に通され、赤い絨毯の先に居る国王の元に進み跪いた。5段ほど上がった王座に威厳溢れるエリク国王とステファニー王妃が座り、国王の横にアルフレッド王太子殿下とオースティン殿下が立たれていた。
驚いた事に、騎士団の隊長方と数十名の騎士、そして問題を起こした騎士が謁見室の片隅に直立で立っていた。
エリク王は私に笑顔で言った。
「若干12歳にして魔力枯渇を繰り返しながらも、騎士団の治癒をしてくれたことに感謝する。リーナ・パステル伯爵令嬢よ、その身にどれだけの苦痛を伴っての偉業であったか」
国王は私の身に起こったことを労ってくれた。
でも私は嬉しいと感じられなかった。偉業と言われても、ただ自分におかれた状況がそうさせただけだったから。だから、私は平伏するだけにした。
「しかしながら、リーナ嬢はまだ12歳。魔力を行使するには不十分で不安定な年齢よ。それを、治癒魔法が使えるから治せとは、どういった了見か」
「私が浅はかだったのです。自慢の大切な妹であったのに‥‥魔力の知識をしっかり持っていない状態で、妹に苦痛を強いるようなことを1年もさせて気づかなかった。全ては私の無知がいけないのです。」
国王の声はとても威厳を感じ、発せられる言葉に重みを感じた。すぐさま、レイモンドお兄様が謝罪を申し入れたけれど、王様の思惑は違ったところにあったみたい。
「レイモンド・パステル伯爵令息よ、其方は十分反省したからこそ、リーナ嬢を守るために屋敷に忍び込んだ愚かな騎士を捕まえたのであろう。其方はオースティンや騎士団隊長達と共にアルフレッド王太子から処罰を受けたのではなかったか。今回リーナ嬢を呼んだのは王として守るためだ」
謝ったけど済んだ事だと言われ、レイモンドお兄様は静かに後ろに下がった。ロナルドお兄様が罰したと思っていたけど‥‥私は王太子殿下の顔を見て納得した。
留守が多かったロナルドお兄様は王太子殿下の側近。そして、王太子殿下は魔法士団団長で魔法に長けた方。王太子殿下が私の症状に気がついて下さったのだと。
だからロナルドお兄様は素早く倒れた私の処置もしてくれたし、王族の協力があったからこそ、騎士団への根回しも出来たのだと。
そんなことを考えているうちに、目の前にエリク国王が立っていて、私を囲むように騎士団の隊長様方が跪いて謝罪してきた。
「オースティンよ、二度と王族が軽んじられることにないように、命令に対しては規律と秩序も守らせよ。如何なる理由があろうとも、王族の命令は絶対である。そして、今ここに私と王太子アルフレッドがリーナ・パステル伯爵令嬢を擁護することを宣言する。二度と間違いを犯すな」
宣言と共に、首にネックレスがかけられた。王と王太子の紋章が入った綺麗なペンダントトップに通されたチェーンが12歳の私には、とても長く重く感じられた。
「リーナ嬢、もし治癒魔法を強要してくる愚か者が居たのなら‥‥‥‥」
そこまで仰ってから、王様はその後の言葉を耳打ちしてくれた。
「それとな、パステル家に忍び込んだ騎士については、騎士団からの除名にしよう」
騎士の数人が項垂れ、涙している者がいる。騎士隊長の方々も何とも言えない顔だった。
ロナルドお兄様やレイモンドお兄様は頷いていらっしゃるけど、冗談ではないと思った。それが顔に出てしまったようで。
「何か不十分か?もし何かあるなら発言を許そう」
「国王陛下、恐れながら申し上げます。それでは、騎士団は責任をとっておりません。解決にもなっておりません」
騎士隊長方の息を呑むような気配がした。レイモンドお兄様は固まってしまっている。王太子殿下とロナルドお兄様だけが、驚きつつ見守ってくれている雰囲気だった。
「ほう、ではリーナ嬢はどう考えている?」
「命令違反をしたから、規律を守らなかったから除名では、その守らない者達が街に職を無くしたまま出てしまいます。今度は平民が被害に遭うかもしれない。素行は直せます。心も改心させれば良いことです。
私は除名ではなく、違反した騎士には規律と王命厳守の徹底をさせる為に、一番下の階級から勉強してもらった方が良いと思います。しっかりと学んだ者が上に上がっていく様にしてはどうでしょうか」
私の意見を聞き終わったエリク国王は、驚いた様に目を開き、いきなり声高らかに笑い出した。
「素晴らしい!素晴らしいぞ、リーナ嬢!そなたは3方へ救いの手を出した!」
急な事に目が回ってしまった。エリク国王は笑いながら私を抱き上げてクルクルと回りだしたからだ。
「し‥‥視界が‥‥」
降ろされた後に、挨拶をして去ろうとカテーシーをしたものの、目が回ってフラフラな状態で座り込んでしまった。兄たちが慌てて来ようとしたけれど、私を抱き上げたのはアルフレッド王太子殿下だった。
「大丈夫ですか、リーナ嬢。陛下、嬉しいとはいえ女性を乱暴に扱うなど、後で私がロナルドに怒られてしまいますよ。でも、貴女は騎士団に良い風穴を開けてくれました。私にとっても嬉しい驚きです」
「ありがとうございます、もう大丈夫ですので‥‥降ろして‥‥」
間近でアルフレッド王太子殿下を見たのは初めてだった。国王をたしなめるようなセリフを言いながら、軽々と私を運んでしまう王太子様。その容姿は、王族特有の綺麗な銀髪を後ろで1つに束ね、金色の瞳の整った美しい顔立ち。
魅入ってしまいそうなほど、アルフレッド王太子殿下は透明感ある雰囲気を醸し出していた。髪も瞳も白い肌もがキラキラしているので、妖精を見ているような感じだった。
「私が怖いですか?」
「怖いって、何がですか?妖精みたいに綺麗とは思いましたけど」
不躾にも質問を質問で返してしまった。そんな私の答えに、王太子殿下はクスクスと笑いながら、謁見の間を出て行く。2人の兄も王太子殿下の後ろに付いて来ている。
「そう言えば、国王陛下が3つ救ったと仰っていました。3人が救われたのでしょうか?」
何気に思い出したことを聞いてみた。
「“人も”ですが、あのまま除名していたら、貴女が指摘していた様になって陛下は国民から信頼を失っていたでしょう。
“罪を犯したら職を無くす”そういった前例を作ってしまうと、騎士団自体が殺伐として隠ぺい体質になっていたでしょう。最後に、職を無くした騎士は王族を恨み、自身の横暴さを反省する機会を失っていたでしょう。
貴女は自身が酷い目に遭ったのに、陛下に進言して3方へ救いの手立てを提案してくれた。12歳ながらに見事というしかない」
歩きながら説明してくれる王太子殿下の声は、とても優しく聞き心地の良い穏やかな声だった。
王城の何処を歩いているのか分からなかったけれど、不思議とホッとするような感覚があった。だから、謁見で緊張していた分、夢見心地になって眠ってしまった。
後日、謁見後に温室にあるサロンで、お菓子を用意していて下さって事を知り、その全てを手土産に頂いたことも含めて謝罪とお礼の手紙を書いた。それから数日経って、その謁見の件と騎士団の噂などが貴族内に飛び交い、理解不能な内容となって自分に返って来た。
貴族令嬢のお茶会で、騎士団に制裁を加えたのが兄ロナルドだと聞かされて驚愕した。騎士団が起こした事件の内容は、私の名は伏せられていたけれど、治癒魔法の強制行使で治癒魔法士がおかしくなったとか、どう返して良いのか分からずに曖昧に相槌するしかなかった。
でも、そう言った噂を真に受ける者は多く、治癒魔法士に対しても“無慈悲だ”とか“できる範囲で治してやれば良いものを”とか、“魔力枯渇は安静にしていれば治るのだから、気にし過ぎだ”など、憶測で好き勝手言われ続け、心はどんどん疲弊していった。
そんな時に、長兄のロナルドお兄様から別邸で暮らすことを勧められた。そこは、ロナルドお兄様が執務の為に建てた別邸で、王太子殿下の側近をしつつ領主代理の仕事をするために王城に近い場所に屋敷を建てたものだった。
王子の側近ということで、王城から近衛騎士の護衛が何人か住み込み、安全性は折り紙付き。また、別邸に居るのが公表されて居ないので、私は療養の為に領地に戻ったことにされた。
やっと、いろいろな事から解放されて心から安堵したのも束の間、屋敷の近衛騎士の元に公務で騎士の格好に扮した近衛騎士が立ち寄ったところを目撃し、私は悲鳴を上げて倒れた。
執務室に居たロナルドお兄様が駆けつけてくれたけど、私の脳裏には、断った騎士たちからの罵倒が蘇っていた。
沈んでいく意識の奥底で、私は自分に優先順位を課した。いや、科したのかもしれない。
ぼんやりと目の前のリア様を見て、私は自分の鼓動が静かになっていくような感覚に囚われた。そしてゆっくりと、彼女に告げる言葉を発した。
「おそらく、私のこの治療法の詳細を公にすれば、悪用する者が現れてしまうでしょう。この国の、魔法大国の根底を崩すような事件を引き起こしかねません」
「それでも!治す力があるのならば、助けられる力があるのなら、貴女は揮うべきです!私は稀有な力は魔法士団で管理し、公務として行えば助かる者が多くなると考えています」
「リア様、あんまりです!私を治して下さったリーナ様のお心を考えていないではないですか!」
理解させるように言ったつもりだったけれど、聞こうとしないリア様の言葉が突き刺さった。ブリジット様が泣きながら叫んでいるけれど、私は自分に科した優先順位を守るために身体が動いた。
「そう‥‥そう考えてしまうわよね」
「分かってくださいましたか、治して欲しい方がいるのです!」
やはり、皆のためと言いながら個人的に言い出してくるのね。私はレインが用意していたティーセットと果物を見て、リア様にニッコリと笑った。
「リーナ様!!」
レインが駆け寄り、レニが驚いて私を見ている。ブリジット様は悲鳴を上げている。なぜなら、傍にあった果物ナイフの切っ先を自分の首に向けていたから。
「私は自分意志を貫き通します。王族を守ること。六公爵を守ること。それは国を守ることになるのだから。国を守るためにあるのが貴族、王族に危害を及ぼしかねない立場に立つくらいなら、私は自分の知識ごと自分を消し去ります」
自分でも刃物を持っている手が震えているのが分かった。
でも怖いから震えているのではなく、自分の意志を曲げられそうになっていることを拒絶し、断固として屈しないと震えているのだ。それは怒りかもしれないし、人の身勝手な強要に対しての絶望なのかもしれない。
アンジェリーナ様がせっかく忠告して下さったのにこんな状況になってしまうなんて。
「やめて下さいませ!リア様、取り消して下さい!ああ、血が!リーナ様が!」
首に突き立てている切っ先が触れたのか、首に生暖かいものが流れている感じがする。痛みは何故か無かった。ただ、ブリジット様の悲痛そうな声が頭に、心に、痛く響き渡っている。
「どうして・・・人を助けるのがそんなに嫌な事ですか?」
どうしてと私の方が聞きたかった。論点を挿げ替えないで欲しい。
「あなたは先ほどから私の説明を聞いていない。やって欲しいことだけを押し付ける。そんな方に自分を託すことなど出来ません!」
そのままナイフを首に突き立てようとした。でも、ナイフは刺さらなかった。刺さらなかったのに、刃を伝って血が滴り落ちている。
「ご自分を犠牲にし過ぎです」
至近距離からレインの声が聞こえて我に返ると、後ろから前に回された腕が身体をホールドしている。もう片方の手が、ナイフの柄を握った私の手ごと握られていた。
しかも、ブリジット様を守っていたアッシュ様までもがナイフの切っ先を掴んで、私に刺さらないようにしていた。その上、2人は手から血を流して怪我を負ってしまっている。アッシュ様は切っ先の刃の部分を掴んでいるからで、レインは私の手が柄から刃の部分にずれないように刃と柄の両方を固定するように持っていたから。
「なぜ・・・」
ポタポタと落ちていく2人の血が衝撃過ぎて、涙が頬を伝った。
「私は貴女を守ると誓いを立てました。もっとご自分を大切にしてください」
「私にとっても、リーナ嬢は大切な方なのですよ」
レインとアッシュ様から言われ、身体から力が抜けていく。アッシュ様がナイフを手に握ったままレインに何か言った。そっと、レインが手を開かせるようにして、ナイフから私の指を離してくれた。そのまま、緊張と身体の硬直のせいで、身体の力が入らずにレインに凭れるようになってしまい、腕も上がらない状態に、少し頭が混乱した。
「無理に動かないでください。心も体もそれだけ追い詰めたのですから」
リア様を見ると、本気で死のうとしたのだと青ざめている。
「レニ、お願い。私の首にかけられたネックレスに付いたペンダントトップを出してくれる?」
私の言葉にレニが動いた。何故か、レインとアッシュ様もビクッと動いた。レニが私の蝶々結びされたリボンに手をかけた瞬間、アッシュ様は後ろを向いて、レインも出来るかぎり首を後ろの方へやっているような気配がした。
「お体に傷が・・・」
「心配かけてごめんなさい。でも手当は後にしたいの」
痛々しそうに見えているのか、レニは泣きながらボタンを二つ外して襟元を広げてからネックレスを取り出してくれた。少し長めのチェーンにコインのようなペンダントトップが付いているけど、私の血で汚れてしまっている。レニは素早く服を整えてくれた。
「レイン、もう少しだけ支えていてくれる?」
「大丈夫ですよ。レニ、ネックレスに血が付いているなら、洗浄魔法で・・・いや、そこにあるナプキンで拭こう。水差しの水で濡らせば綺麗になるだろうから」
レインが魔法の行使を止めたのは、ペンダントトップにある刻印が見えたのかもしれない。
「・・・リーナ様、清め終わりました」
私の手に握らすように渡されたペンダントトップ。レニも刻印を見たのか、少し手が震えていた。
最初に話しておけば良かったのかもしれない。そんな思いが過った。首の痛みより、このペンダントトップを使うことになってしまったことに胸が痛んだ。私の気持ちを汲んでくれたのか、レニがキュッと私の手を握ってからリア様に向き直った。
「リア、察してください。一個人の感情に流されて判断を出来る状況ではないとリーナ様は仰っておられるのです」
「リア本質を忘れるな。我々は王族を守るための近衛騎士であり魔法士であり騎士なのだ。先ほどのリーナ様が話されたことは、常にこの国の結界の均衡を保つ王族と六公爵が危険に晒される事態になることを指している」
同僚であるレニが、一緒に護衛を担当したアッシュ様がリア様の心に訴えかけた。
「・・・確かに私の意見は自分本位かもしれない。でも、どうしてもローラを助けたかったのよ」
長い沈黙の後にリア様は自分が無理を強要したことを認めた。項垂れたリア様に先ほどのような攻撃的な気配は見当たらない。ただ、そんなにも助けたかったローラという人物がいることは分かった。
「リア・・・あなた・・・」
レニが気の毒そうにリア様を見て涙ぐんでいる。レインとアッシュ様も目を伏せて何かに耐えているようだった。
何かこの4人に共通した出来事があったのかと思われるほどに。
「全員に事情があったのね」
私の言葉にリア様は静かに泣いた。ローラという人を助けたいために、無理を承知で私に話を切り出してしまったのだと。でも、このやり方は良くないと思った。
アッシュ様が言っていたように、近衛騎士・魔法士・騎士には絶対的な本分がある。それを破ることは本人にも、所属する団体にも良くない。
リア様を傷つけるかもしれないけれど、個人的な要望を容認しては、国が乱れる元になりかねない。私は伯爵令嬢として、この刻印を与る者として、厳しい対応をしなければならない。
それが貴族の地位をもらっている者の成すべきことなのだから。
「レイン、私をリア様のところへ」
無言のままレインは、私を支えてリア様の前まで連れていってくれた。
「リア・ブラウン、貴女の要求はのめません。なぜなら、私に命令できるのはこの刻印の持ち主であらせられる国王陛下、王太子殿下のみだからです」
シャラッと音を立てて手からペンダントトップが滑り落ちた。プラチナに輝くペンダントトップがクルクルと回転し、王の許可印と王太子の許可印が表と裏に彫られていることが見てとれる。
「!」
リア様が息をのんで平伏した。
「これで分かりましたか?私は自分自身の信念と、王命、もしくは王太子命にしか従えないのです」
秩序を保つことは大切だ。
でも人間は弱いから踏み間違える。誰しもが、自分だけなら、自分だけ特別と法の枠組みを逸脱してしまうと、その国自体の体制を壊す結果になる。何を大義に掲げようとも、手順を間違えれば国賊になる恐れさえある。
「ただ、何もしないとは言っていません」
「!!」
眼を見開いて驚くリア様と、レニとレイン、アッシュ様の視線が私に集まるのが分かった。
「全ては私の信念を曲げないで王族の安全と、それに準ずる六公爵の安全を守った上で、何ができるか考えること。それが、治癒魔法のパステル家が動ける絶対条件です」
なんて横柄な言葉だろうと、言っている自分でも思ってしまう。それでも、あの騎士団との一件以来、考えて考え抜いた王に仕える者としての正義だった。
強力な治癒能力を持つ者として、たとえ12歳であろうが15歳であろうが、悪用されないことは大前提。
騎士団の件は、私が社交界に出る前に起こった教訓のような出来事だった。無知では自衛することも巧みにいなすこともできない。
エリク国王が救済措置としてとったもの。大人が隠す利己的な言い訳に対し、12歳では判断基準の物差しもままならないと思い、対応できない場合に備えてこの王の許可印の刻まれたペンダントトップの付いたネックレスと言葉を授けて下さった。
おそらく、人の悪意ある思惑や無自覚な願望が相手では、大人になったとしても騙され、悪用されかねない。それらの全てを阻止する措置だと、前世の記憶が蘇った今だからこそ分かる。
「私が愚かでした。如何なる処分も受けます」
力なくへたり込んだリア様は覚悟したように処分を申し出たけど、罰する気は無かった。
「なら、ブリジット様を泣かせない様、誠心誠意仕えてください」
「わ・・私はリーナ様に酷い事を言いました。無礼を働いたのです」
「ほら、また頑なに決めつけて。人は間違いを正してやり直せるの。私は、そのチャンスを奪おうとは考えていないわ。だからこの件は終わり。皆、口外しないでね。」
これ以上はブリジット様が泣きだしてしまうから止めましょうと、話を変えた。
「レイン、アッシュ様、私のせいで怪我をさせてしまい、ごめんなさい。今、治癒魔法をかけますね」
傍に居るレインと、少し離れた場所のアッシュ様に治癒魔法をかけた。手の傷が塞がり、跡形も無く綺麗な肌に戻った。2人の視線が私の怪我に集中しているのがわかる。
「これも秘密ね。今の私は自分に治癒魔法がかけられないの」
実は昨夜の時点で治癒魔法の可能性を模索した時に、自分で自分に治癒魔法をかけてしまうと聖属性の状態に戻ってしまうことが分かった。
“今は”と弁明に入れてしまったのだけれど、全員“自分に治癒魔法がかけられない”の部分に驚いていて、気がついていないように見えた。
「もしかして、後遺症としてご自身に治癒魔法がかけられなくなられたのでは‥‥」
「ブリジット様、気になさらないで。治癒魔法が自分に使えない方は、結構いらっしゃるのですから。一時的なものかも知れませんし、気に病む必要は無いと思っています」
ブリジット様が気にすることは避けたいけれど、本当の事を話すにはリスクが多すぎるの。私は彼女の不安が消えるように笑顔で伝えた。レニがブリジット様に何か耳打ちして、瞬く間に安堵の表情になったのでホッと胸をなでおろした。
レニがゆっくりと私の前に来る。
「私で良ければ、治癒魔法と洗浄魔法の使用を許可くださいませ」
「ありがとう」
承諾の代わりにお礼を伝えると、レニが治癒魔法で私の傷を癒して洗浄魔法で全ての血痕を消してくれた。
「洗浄魔法って便利よね。私も覚えたいな」
洗いたての肌触りに、何気に思ったことを口にしてしまったけれど、レニが吹き出してブリジット様までもがクスクスと笑っている。
「リーナ様が場を和ませて下さったので、心にゆとりが出てきました。ありがとうございます」
真顔でブリジット様がお礼を言っている横で、レインとアッシュ様が肩を揺らしている。確かに、伯爵令嬢ともあろう者が、使用人達が使うような洗浄魔法を便利だと感心するなど、あまり見られない風景かもしれない。しかも、場を和ませた訳ではなく、“本音”を言ってしまったことがレインとアッシュ様にはバレバレだということも。
一応、一件落着したと考えて良いのかしらね。
ここまで読んで下さって、ありがとうございます。
貴重なお時間を使って頂き、心から感謝します。
ブックマークを付けて下さり、心から感謝します。
執筆活動の励みになります。
誤字脱字に関しては、優しく教えて頂けましたら幸いです。