魔力喪失とパステル家の治癒魔法
悪意ある思惑はどこにあるか分からない。リーナの導き出す答えは?
白い大理石のような磨かれた床に、弾力のある絨毯が敷かれていて良かったと実感しつつ、私の胸で泣きじゃくるブリジット様を抱きとめていた。
「私はルーバン子爵令嬢の外護衛をしている王立近衛騎士のアッシュ・バロウと申します」
「私は王立魔法士のリア・ブラウンと申します」
絨毯に倒れ込んだままの私にしゃがみこんで挨拶をして下さったバロウ様とブラウン様。護衛を辞退したといっても護衛が居なくなるわけではないのね。ドアの外で待機していると言っていたし。
「ご紹介ありがとうございます。私はグラン・パステル伯爵の娘、ルーナ・パステルと申します」
ちゃんとしたカテーシーで挨拶ができないのは残念だけれど、ブリジット様が落ち着くまでは仕方ないわね。レニ様はこの2人と一緒に来て、私に飛びついたブリジット様にオロオロしているけれど。
「あの、ルーバン嬢を止めることが出来ず、すみません」
「対応が遅れました。申し訳ございません」
リア様とレニ様が謝っている横で、レイン様とバロウ様は目を見合わせて苦笑い。この場合は仕方がない。騎士が女生徒を抱きとめることは、危機的状況以外は基本的にしないから。
「ブリジット様、皆さん授業に出ていらっしゃるとはいえ、このままだとお話も出来ないので、皆さんでお部屋に入りませんか」
「私・・・リーナ様に謝りたくて・・・」
宥めるように、髪の毛を撫でてハンカチで涙を拭うと、ブリジット様はそっと私の手を取って謝ってきた。どれだけ心細かっただろう。自身の魔力喪失のことを考えれば、怖くて仕方がなかった筈なのに私の身体の心配をしている。早く心の憂いを取り除いてあげたい。
「以前、ブリジット様は紅茶が好きだと仰っていたでしょう?今日はいろいろと用意していますから、楽しみにしてね。でも、その前に貴女が安心できるように証明しますから」
そっと立ち上がり、ブリジット様に手を差し伸べる。彼女は吸い込まれるように、私の手を取って立ち上がった。ドアを開けて、どうぞと5人を招き入れた。
「我々も同席して良かったのですか?」
「アッシュ、そういうのは入ってから言っても仕方ないと思うけどね?」
「レイン、砕けすぎてないか。我々は近衛騎士でマナーを・・・」
「良いかも知れません。誰が聞くわけでもないので、皆様が嫌でなければ、名前呼びにしませんか?レイン様とレニ様はご兄妹なのでファミリーネームが一緒ですから、最初から名前で呼んでいるので」
合わせましょうと提案したら、アッシュ様もリア様も承諾して、ブリジット様も小さく頷いていた。その様子を見て、名前を呼びあうのは良かったのだと思えた。他人行儀にしない方が、気分的に和めるしレイン様のことだから、和やかな雰囲気を作ってくれる気がした。
広めの円卓にアンティーク調のサロンチェアを配置していたので、アッシュ様とリア様に挟まれるようにブリジット様が座ったので、私もレイン様とレニ様に挟まれるように座ってみたら、直ぐにレイン様が席を立ってしまう。
「紅茶は私が入れましょう。合いそうなお菓子もあるから」
そうね、昨日の淹れて下さった紅茶はとても美味しかったもの。
「昨日も思ったのですが、そのお菓子は何処から出したのでしょう?」
不思議に思った事を尋ねたら、“近衛騎士の七不思議”と言われてしまった。これは教える気がないのだと小さくお道化る仕草をしてみた。ハンカチで口を隠しながらクスッと笑っているブリジット様を見て、気持ちが落ち着いたのだと感じられた。
レイン様がティーセットを運んで席に着いた。紅茶を飲むと素敵な香りが鼻腔を抜けていく。彼の淹れ方は一流かもしれない。方々で溜息交じりの感嘆が聞こえた。リラックスに近い良い雰囲気だわ。
「お茶を飲みながら、私に少しお付き合いくださいませ」
そう言いながら、テーブルの中央に被せていた布を取った。
「これは!!」
アッシュ様が驚いた様に声を上げたけれど、それ以上は突っ込まないでと言わんばかりに遮った。
「私の兄、ロナルド・パステルから譲り受けた、簡易魔力測定装置です。」
「あの、どうして持ち込まれたかお聞きしても?」
一同が目の前の装置に驚いて、レニ様が疑問をぶつけてきた。そうなってしまうわよね。
「これは私の身を護る術として、兄が持たせてくれた物なのです」
「測定装置が護身用って、理解が・・・」
リア様、御尤もです。
「3年前に“騎士団の悪夢”と呼ばれた、若い騎士たちによる治癒魔法を使った訓練をご存じですか?」
「確か負傷しても治癒魔法で回復し、治癒魔法士が魔力枯渇するまで永遠と続けられた、演習以上の強硬訓練だったって話かな」
「レイン、事は重大だったのだ。上層部が気付かなかったために、長く続けられたため騎士の心に闇を落としたとか」
「アッシュ、騎士だけじゃないわ。犠牲になったのは治癒魔法士よ。とても横暴だと、魔法士の皆が抗議した案件よね、レニ」
「ええ。でも何故そのことをパス・・・リーナ様が?」
一様に良い反応をしてもらい、ブリジット様を見ると騎士の実情に驚かれている。ここでもう一つ爆弾投下になる説明をしなければならない。
「皆様にはそう伝わっていたのですね。事実と2つ違うので訂正を」
“は?”と聞こえそうな顔をしているレイン様とアッシュ様。
「どうして、リーナ様が?」
「レニ様、どうして知っているかと?実際には治癒魔法士ではなく、治癒魔法を行使したのは12歳の私だったからです」
「なんですと?!」
アッシュ様の素っ頓狂な声が上がり、その横でレイン様が咽て咳き込んでいる。
「そして、“長く続けられた”とありますが、ロナルドお兄様が気づくまでの1年間。ずっと治癒魔法と魔力枯渇を繰り返したのです」
「あの話、リーナ様が被害者だったのですか。ああ、なんてこと!12歳のご令嬢になんて仕打ち!」
レニ様の悲痛な声に、リア様も頷いている。ブリジット様に至っては、あまりのことに涙目になっている。
「あれは5歳離れた次兄のレイモンドお兄様が、騎士団に入って浮かれて羽目を外した事なのです。あの事件から“いつでも自分の状況を確認するように”と、ロナルドお兄様が魔力測定装置をプレゼントして下さったのです」
何だか、レイモンドお兄様が鬼畜な人に見られているような気がしますが、あの時の仕返しということでご容赦くださいねと、心で謝りつつ自分の魔力を装置に込めていく。
「ブリジット様、どうぞご覧ください」
起動した装置に、雷・木・土・水の属性が発光して魔力量18000という表示が出ている。
「ああ!本当にご無事で!」
良かったと泣き崩れるブリジット様に、“貴女に非はありません”と伝えた。
「それにしても、15歳で魔力量が18000は凄い。あの“騎士団の悪夢”の副産物だったり」
「レイン様、良くお分かりですね。
あの事件をそう名付けたのは、王太子殿下とオースティン第二王子殿下の許可を取ったロナルドお兄様が王太子殿下監修の元、レイモンドお兄様と騎士団に対して“二度と間違いは許さない”という意味で、魔力枯渇がどのようなものなのかを実地訓練した件をそう呼んでいるようです」
「確か、多くの屍化した騎士団員が通常に戻るまでに数日を要したと伝説にまでなっている」
アッシュ様が少し青ざめた表情で仰っている横で、ブリジット様が震えている。怖がらせるつもりは無かったのに、悪いことをしてしまったわ。
「無知は罪になる。そういう意味でも、魔力枯渇するまで治癒魔法を繰り返し行使させられていたのに、それに気がつかなかった私も未熟でしたし、療養を兼ねてロナルドお兄様の別邸で数カ月過ごす羽目になり、騎士団とはそれ以後、直接会うことは禁じられていますの。レイン様とアッシュ様が近衛騎士で良かったですわ」
冗談めかしに笑顔で言ったら、前世風に言う・・・ドン引き状態になっている5人。物凄く気まずいような沈黙なのは何故かしら?
「でも、私、リーナ様のとても高い魔力値が損なわれなかったことに救われた気持ちです」
ブリジット様の安堵した声に、“本当にそうです!”とレニ様とリア様までも頷いている。
「リーナ嬢、これで被弾による変化が無かったと、今の時点で言えることができます」
「アッシュ様、今の時点って・・・?」
「ブリジット嬢がせっかく安心できたのに、そこを話しちゃうかな。気にしなくても大丈夫だと私は考えているよ。今まで魔力値や属性が変化した方々は、最初の時点で数値が少し下がったりして、おかしい兆候がでていましたからね。変化期間が3カ月あった方でさえも、初期の段階で500値ほど少なくなる変化があったそうです」
ニッコリと微笑んで、考えだけ述べて言い切らない説明の仕方は流石レイン様だと思った。アッシュ様はとても生真面目なのか、リア様が少し怒ったように彼の腕を抓っている。近衛騎士には痛くも痒くも無いでしょうけど、この光景は微笑ましいと思えてしまう。
でも今は、本題に入らないといけない。
「ブリジット様、今回の件でどうしても確かめたいことがあります」
「はい。私で協力できることならば、何なりとお申し付けください」
おそらく、ブリジット様のこの反応は、仕方が無いのかもしれない。私はブリジット様の場所まで移動し、その手を取った。
「ブリジット様の状態を診させて頂きたいのです」
ビクリと身体が硬直したようになったのを見て、自分の魔力値が極端に下がったことを思い出させてしまったのだと心が痛んだ。でも、ブリジット様の状態を診ない事には、手立てが考えられない。
「パステル家は治癒に特化した者が生まれる家系なのです。私も治癒術に長けているからこそ、騎士団との一件があったわけです。ブリジット様、怖いかもしれませんが、私に診る事をお許し願いませんか?装置は使いませんので」
少しの沈黙の後、ブリジット様は了承して下さった。
「ここから先は、他言無用でお願いします。私の治癒術は少し特殊なので。無理な方は、お部屋を退出願います」
ここにそんな人間はいないと思った。でも、敢えて言葉に出すのは、それが大切な“秘密の共有”なのだと理解してもらうため。
「では、失礼します」
ブリジット様の周りに水魔法の魔力の輪が浮かぶと、体内を巡る魔力回路が浮き出て観えた。とは言っても、観えるのは私だけなのだけれど。
それで分かったのが、風属性の回路が細くなっている。ブリジット様は火・風・土の属性と聞いたことがある。
「ブリジット様、主になる属性は‥‥」
「風ですわ。」
困ったことに、私に風属性は無い。
「すみません。私は風属性を持っていないので、この中に風属性を主属性でお持ちの方、そして、主ではなくても風属性を持っている方はいらっしゃいます?」
直ぐに、アッシュ様が主属性で持っていると挙手して下さり、レイン様とリア様が通常属性で持っていると挙手して下さった。
「アッシュ様、レイン様、リア様、参考までに魔力を観ても良いでしょうか?」
「構わない」
「私達も構わない。どうぞ」
了承を得たので、3人に水魔法をかけて魔力回路を観させてもらい、主になる属性の魔力回路は太いのだと分かりとても参考になった。
「治癒魔法をかけて行きますね」
細くなった魔力回路に、癒しの魔力を注いで本来の太さへ戻るように働きかける。ブリジット様の身体への反動が無い様に、徐々に広がっていく回路が2倍の太さになった時点で中断した。
「ブリジット様、今日はここまでにしましょう。皆様、ご協力ありがとうございました」
少し血色が良くなったブリジット様は、自身の掌を見て驚いている。
「私、魔力が多くなった気がします」
「え?!」
反応が早かったのはリア様だった。それだけ心配されていたのだろうと、ブリジット様に魔力測定装置で確認することを促した。
「魔力とはかなり感覚に依存する部分がありますから、途中経過という意味合いで試してください。ブリジット様が今感じている、その感覚はとても本能的で大切な部分ですから」
おそらく、魔力量は増えている。魔力が2倍に増えれば身体が反応する。リセットした魔力測定装置をブリジット様の方へ向けた。
酷な事を言ったのかもしれない。恐る恐る、魔力測定装置に手を翳して魔力を通す手が震えている。やはり、測定は今度にした方が良いのかもしれないと、止めに入ろうとしたら、測定装置が作動し始めてしまった。
装置の値は火・風・土の属性で、魔力値が5000と表示されていた。
「増えています!リーナ様、見て下さいませ、私の魔力値が増えています!」
「魔法士団の治癒士でも治せなかったのに‥‥レニ、夢じゃないわよね」
「奇跡、そう言っても過言ではないだろうな」
リア様とアッシュ様の驚きようが凄く、リア様は泣きながら喜んでいた。
「ブリジット様、先ずは魔力値を正常に戻しましょう。そのためにも、明日も来て頂けますか?
そしてもし、元の魔力値まで戻ったら、お泊りでお祝いしましょうね!」
笑顔で“はい“と答えるブリジット様も、喜びで泣いてしまっている。
「では、今日はこれで」
ブリジット様、アッシュ様、リア様を見送った。
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