王太子の呼び出しと治癒魔法 後編
「私、倒れてしまったのね」
目覚めて視界に入った見慣れない天蓋に、自室ではない場所にいると判断できた。
「リーナ様、ご気分は・・・お身体は大丈夫ですか?」
「レニ?」
良かったと、安堵するレニはベッドの傍の椅子に腰かけていた。
「良かった、レニが居てくれて」
安心する私にレニが小声で教えてくれた。
倒れた私をアルフレッド王太子殿下が受け止めて抱き上げると、同じ建物内にあるロナルドお兄様が使っている部屋まで運んでくれたのだと。
「王太子殿下が?!」
一番傍に居たのは王太子殿下だけど、後ろにはレインもいた筈。まさか、王太子殿下にご迷惑をおかけしてしまうとは。
「リーナ様がお目覚めになられたこと、王太子殿下にお知らせしてきます」
嬉しそうに出て行くレニを見送りつつ、起きようとベッドに手をついたけど力が入らない。
「あれ、力が‥‥」
「無理をしてはいけないよ。ここ数日、君の心身は休まる間もなかったのだろう」
入って来た王太子殿下に寝ているように言われてしまった。
「まさか、君があんな無茶をするとは思っていなかったからね。傷は治癒魔法で塞がったとしても、失った血液を補うような高度な魔法をかけられる者は少ない」
諭すように言われて、自分の行動が軽率だったと反省した。
「反省しているのなら、その経験は君の良い糧となるだろう。手を私の手の上に乗せてもらっても?」
「2人から聞いたのですか?」
「聞いてはいない。聞いたとしても君に誓いを立てている近衛騎士や魔法士は喋らない。主の許可なく主の事を話すことは無いからね」
そうなのかと一瞬納得しそうになったけれど、王太子殿下はどうやって私が自死しかけた事を知ったのか不思議に思った。
「私だよ、リーナ嬢」
「アルフレッド王太子殿下、あまりリーナ様に不安を与えないでください」
不意にドア付近から声がした。
「リリアンヌ様、レイン!」
「2人ともそこで待っておいで。リーナ嬢を動ける状態にしてから、ロナルドを含めて話そう」
王太子殿下の手の上に重ねた手から、温かい聖属性の光のエネルギーが伝わって体が温かくなった。その光が消える前に、王太子殿下は水属性の治癒魔法で造血の魔法を行使して下さった。
「っ!」
いきなり造血された血液が親和していくように、王太子殿下の光のエネルギーが中和の働きをしてくれたので、息苦しさと眩暈が緩和されて意識がハッキリして視界がクリーンになった。
空いている片方の手に力を入れると、しっかり握れたので今度はちゃんと起き上がれる気がした。
「王太子殿下、ありがとうございます。私は貧血だったのでしょうか?」
「自分では少しの血が流れたと思っていても、説得する間ずっと血は流れ続けていたからね。それを知るためにも客観的に観る必要はあるね。そろそろ回復したかな」
「動けると思います。」
ゆっくりとベッドから出て歩きだそうとしたら、王太子殿下の手が目の前に差し出された。
「私の執務室までエスコートしよう」
お礼を言いながら手を重ねると、優しいエネルギーが手から伝わって来た。先に歩き出した王太子殿下を後ろから見上げると、プラチナで象られた蔦の髪留めに小さな宝石が幾つも付いている銀糸が垂れて、銀髪と交じり合ってキラキラと光っていた。
ふと、王太子殿下は会った時にこの様な髪留めをされていただろうか?と、どれだけの時間を眠ってしまったのかと不安になった。直ぐ後ろを歩いてくるレインとリリアンヌ様に聞いてみたい気もするけれど、王太子殿下に手を引かれたまま聞くわけにもいかない。
「5時間ほど経っているよ。そうやって、気もそぞろだと危ないね。」
王太子殿下には何もかも分かっている様で、注意されてしまった。
2階にいたのか、転移陣のある場所で1階まで降りて真っすぐ歩くと、左側に見覚えのある執務室のドアがあった。どうやら、執務室の手前に転移ゲートへ行く廊下があったようだ。
私達がドアの前まで来ると、転移ゲートへ続く廊下は壁になってしまった。
口に出して良いのか分からないから黙ってしまったけど、これは侵入者対策の幻影魔法の一種かもしれない。
「リーナ、身体は大丈夫かい?」
ドアを開けて入った瞬間、ロナルドお兄様に抱きしめられてしまった。普段冷静な兄が少し涙ぐんで私を心配している。
「すまなかった、リーナ嬢。騎士団への勧誘が追い詰めていたのだな」
「こんなにもリーナを追い詰めていたとは思わなかった。そして、お前の思慮深さと勇気を兄として誇りに思う。けど、命を絶つなどやめてくれ」
オースティン殿下とレイモンドお兄様が深刻そうな顔で心配してきたけれど、会話の違和感に思考が数秒止まった。
命を絶つ・・・?そう言えば、王太子殿下も血を流してとか言っていた。
まるで寮の部屋でのやり取りを知っているかのような言葉だった。
「リーナ嬢、そしてこの場にいる全員の名誉の為に言っておくが、護衛の彼らは何も話していない。ただ、私の権限でリリアンヌのハチ精霊様の力を使わせてもらった」
「ハチ精霊様の力?」
王太子殿下は類まれな魔法の才があり、私が倒れた時に治癒魔法で治そうと試みて、状態異常に気が付いたらしく、レインとレニにその辺りを聞こうと思ったらしい。
だけど、誓いを立てている私が秘密にして欲しいとお願いした部分に触れてしまうため、ロナルドお兄様がアッシュ様やリア様を呼ぼうとしたらしい。
そこまでの説明を王太子殿下が説明して下さった。
アッシュ様とリア様が居ないけど?
「私が説明するよ。私のハチ精霊様はね、居場所を知らせたり伝達をしたりする他に、見たもの全てを記憶できる優秀な精霊様達なんだ。
ちゃんとプライバシーの侵害をしないように、見たもの聞いたもの記憶を見る為の鍵や権限は、エリク国王とアルフレッド王太子殿下に預けて、私は持っていない」
なるほど、それでハチ精霊様の記憶を見たと。
ん?それって、誰のハチ精霊様の記憶を見たの?レニのだと、かなり視角的に良くないのでは?
まさか、皆様で見た?!
「リーナ様、私のハチ精霊様の記憶を見て頂けるようにお願いしました。レニのハチ精霊様だと、その、いろいろと‥‥」
赤くなって説明してくれたレインに、心から感謝した。レインのハチ精霊様の記憶であれば、ブリジット様や私の着替えている姿は映らないからだ。朝の支度の件にしても、怪我の時もいろいろと見られてはお嫁に行けなくなってしまう。
「配慮して下さってありがとう、レイン」
けれど、一番の懸念が消えていない。
「リリアンヌ、その言い方では肝心な部分が曖昧だね」
王太子殿下は肩を竦めて私に耳打ちした。
記憶を映写するのは、鍵を持っている者の脳内だけだと。
「私が見たものの内容を、皆にかいつまんで説明しただけだからね」
良かった。
ホッとしたけど、よく考えてみれば、王太子殿下の様な清廉潔白の方が、人のプライバシーに踏み込む事は嫌だったのでは?と逆に思ってしまった。
「王太子殿下、ご配慮頂きありがとうございます」
人が嫌がるような事を、特権を使行する事自体を嫌悪されていたのではと。
「レイン、レニ、誓いがあっても、これからは王太子殿下に尋ねられたらお答えして」
「分かりました」
話す範囲は質問された彼らの裁量に任せることにした。自分だったら、全部聞かれても無い事まで話してしまうと思ったから。
兄達が話しているのを聞いていると、騎士団の様に治癒魔法の凄さに気が付いたリア様が私に魔法士団への入団を強要し、私が自死しかけたという話になっている。レインやアッシュ様が止めて、その後、王の許可印を見たリア様が、オースティン殿下とお兄様がしたように悔い改めた。
その話の流れで、傷つけた首からの出血で貧血が起こったとアルフレッド王太子殿下は説明したようだった。
「流石よね、誰から?何で?と質問されないように、事実に沿った感じで説明されているから、納得しかできない。それに、反省を促しているのも凄いわ」
こそっとレインとレニに呟いたら、笑顔が返って来た。
彼らは王太子殿下の近衛騎士と魔法士団に所属しているのだから、その人柄を良く知っていて敬愛しているのね。
そんな2人に合って間もなく、誓ってもらえた事はとても有難い気持ちもあるけれど、本来の主の問いかけに応えられない状況を生み出してしまっては、本末転倒というか、私自身の忠誠心に反している気がした。
だから、彼らを信頼して、王太子殿下への報告は変わらずしてもらう方が良いと思った。
たとえ自分の能力変化が起きた秘密を知られても。ただ、その時は自分で報告したいから、相談してみるけど。
「また何か考えています?」
「レイン、レニ、よろしくね」
心配するレインとレニに、笑顔で応えてみた。
「私が言うのも何だが、リア嬢はどうするつもりですか、兄上」
「リーナ嬢が不問としたのであれば、ハチ精霊様の記憶を垣間見たというだけですからね。咎める場合は、記憶の開示をしなくてはならない。しかし、それは禁忌だと私は思っている。」
やはり、王太子殿下は人のプライバシー保護を考えている。それに、ハチ精霊様の能力の秘匿もあるのではないかと思った。
そしてそれは、オースティン殿下と兄レイモンドには伝わっていない気がする。
「リア様の思いは深いと思いましたが、彼女を信じる事にしました。それに、ハチ精霊様が記憶を見られる能力が公にされたら、それこそ騒ぎになりますし、変な憶測で騒ぎ出す貴族もいるかもしれません」
「また秘匿か。だが、この能力は摘発に使えそうじゃないか?」
「確かに、これは画期的だと思いますよ、オースティン殿下」
オースティン殿下やレイモンドお兄様は合理的というか、便利な人や物を見つけると直ぐに使おうと考える。生活品の改善や武具などの改良といった“改良”には功を奏しそうな判断力でも、政治的、倫理的な分野においては、残念な結果を出してしまう。
まだ17歳のオースティン殿下だから仕方ないのかもしれないけれど。でも、20歳のレイモンドお兄様はもう少し考えても良いのではないかと思ってしまう。
「王太子殿下、意見してもよろしいですか?」
「ふふ、そうだね、頼むとしようか」
まだ18歳のアルフレッド王太子殿下は、歳以上に思慮深さと聡明さがある。こうやって、発言を許して下さる寛容さも30歳くらいの熟練さを感じるのよね。
先ほどの発言は、話の延長線の補足だったけど、今からの発言は“意義あり!”的な発言だから許可を取った、いわば保険。王太子殿下にお辞儀してから、オースティン殿下と兄レイモンドに向き合った。
「お許しを頂いたので、意見を述べさせていただきます。
まず、このハチ精霊様の記憶の件ですが、この能力が露見すれば、倫理的に学院生徒からの抗議が後を絶たないですし、王族や六公爵の意義を軽視するような不穏な貴族達に付け入る隙を与えてしまいます。
よって、倫理的にも政治的にも禁忌だということです」
「そこまで良く考えられるな、リーナ嬢は」
「リーナ、ただ便利だと思っただけで、欲しいなんて言ってないぞ」
何を言っているのか、この兄は。
「お兄様、20歳にもなってそんな言い訳をしないで下さい。それに、大切な事を失念しています。」
顔が引き攣っている兄レイモンド。私がこんなに怒るとは思っていなかったのだろう。
「精霊様はエリク国王が定めた法、精霊様に関する精霊法で保護されています。
『個人的な利便性や利己的な考えなどで精霊の行使をしてはならない。また、精霊の安全性を損なう行使は、“精霊を傷つけない”という範疇に入る為、その行使を禁ず。』
お兄様達は、“摘発に使えそう”“画期的”“便利そうだ”などと仰っていましたが、その考え自体がこの法に触れます。精霊契約は、大儀の元に成される。だから、精霊契約は秘匿扱いなのです」
唖然とする兄とオースティン殿下。
「ちなみに、知らなかったとはいえ、精霊契約した守り人を襲撃した挙句、精霊様に傷を負わせるなんて極刑ものです!」
私の剣幕に圧されて、兄レイモンドが尻餅をついてしまった。
「変わりなく聡明だな、リーナ嬢は。私の言いたい事を全て代弁してくれた」
私の頭を撫でながら、王太子殿下は嬉しそうだ。
「分かったかな。自分のやったことが自身に返ってくるのは当たり前のことだ。
そして、上に立つ者には責任が付きまとうし、自分のやった事が国全体を揺るがす事態になるかもしれない。
隙を見せず善良であるよう努めよと前王が残している。2人はもう少し法と倫理を学ぶように。
武に秀でているだけでは、人の心に寄り添えないからね」
王太子殿下が2人を諭すように何が足りないのかを付け加えてくれた。
オースティン殿下は王太子殿下を見て黙って頷いている。その目は、憧れや尊敬のようなキラキラしたものだった。
きっと殿下は、言われた事をしっかりと学ばれるのだろうと思った。
「‥‥‥‥」
レイモンドお兄様は逆に、悔しそうな顔で項垂れていた。この学院で必修科目として選択しなかった“倫理”。そして苦手だった“法”。
“出来ない・分からない・知らない”は、小さな子供だけが許されること。
貴族社会でも人としても成熟した心を持ち合わせないといけない。次兄にはキツイ言葉だったのかも。
でも、レイモンド・パステルは克服すると、家族だからこそ信じている。オースティン殿下を支える者として、しっかり自分に足りないものを補える素養はあるのだから。
そして王家に仕える者の覚悟は出来ていると。
「リーナ様、レイモンド様は大丈夫でしょうか」
レニが兄の雰囲気を察して聞いてきた。
「大丈夫よ。ほら、やっぱりね」
徐に立ち上がったレイモンドお兄様が、意を決したようにリリアンヌ様の元に歩み出て膝をついた。
「すまなかった、リリアンヌ嬢。私の軽率な行動で貴女と精霊様に怪我を負わせてしまった。あの頃の私は剣技を磨きたい一心で大勢の者に迷惑をかけた。
リーナに言われるまで、精霊様が居たことにも気付かず、今日まで謝罪せずにきてしまった。本当に申し訳ない」
できることなら、ハチ精霊様に謝りたいと懇願している。
「良くも悪くも直球。レイモンドの馬鹿正直な性格、良い方に転べば化けるかもしれないね、リーナ」
「ロナルドお兄様。その辺の導きはお兄様にお願いします」
そう頼んだら、怖い笑みを浮かべている。
思い出してしまった。演習場で起こせと言われて雷魔法を使った長兄だったことを。
「オースティン殿下と共に学んでいってもらいましょう!王太子殿下のお話だからこそ、心に刺さったのでしょうから」
せっかく改心しようとしているレイモンドお兄様を闇落ちさせる訳にはいかない。
とは言っても、レイモンドお兄様を陰ながらに見守っていたのは、ロナルドお兄様なのだから。
「一体、“法”なんて難しいものを、いつ勉強したのかな?」
ロナルドお兄様が聞いてきたけど、答えようが無かった。
子供の頃から本を読むのは好きだった。それでも読み終えてしまうと、味気ない気がした。ロマンス物よりも歴史書の方が人物の偉業も含めて面白味があったから読んでいたし、法典などの書物は、解説もあるので面白かったと記憶している。
「お兄様の館で見つけた精霊法は、子供心にも物語みたいで楽しかったですよ」
「やはり、騎士団との一件がリーナの心の負担になっていたのだろうか。12歳や13歳で精霊法を読んで、物語の様に楽しいなんて」
大げさに嘆くロナルドお兄様の仕草に、オースティン殿下がビクビクしている。
体は大きくても、ロナルドお兄様を怖がるところは17歳なのだと、可愛く思ってしまった。
「ロナルドお兄様、歴史や法は私の好きな分野なのです。あまり誇張して言わないでください」
文武両道の眉目秀麗を人にしたような長兄にも、社交界に出て、笑顔で腹の探り合いをする術を身につけてから、ブラックさに磨きがかかった。特に騎士団の事件で矢面に立ってからは。
私は2人の兄を素敵だと思う。ロナルドお兄様は、蒼色の髪にファイアアゲートのような瞳。レイモンドお兄様は、水色の髪に赤い琥珀のような瞳。整った顔で、傍から見ても美しい2人だ。
そして容姿だけでなく、素直に過ちを正せる次兄。そして、妹を守るために鉄槌を下した主役として、噂の的になった勇気と優しさのある長兄。少しブラック気味なのは、人の裏の顔を見ているから対処が辛口なのかもしれない。
「リーナ嬢、ありがとう」
「え?リリアンヌ様?!」
あれこれ考えていたら、リリアンヌ様がお礼を言って抱きしめてきた。
少し身体が震えているのは、レイモンドお兄様が過ちに気付いて謝罪したから、気持ちが高ぶっているのかもしれない。
「体調は大丈夫なのだろうか?私が無理を‥‥」
「いいえ、ただの貧血です。それも王太子殿下のお力で治癒して頂きました」
それでも、今の状態でハチ精霊様に治癒魔法を行使するのは、万全ではない気がする。
「夜、伺う件ですが、今日はレイモンドお兄様が謝罪しに行くと思うので、三日後の夜伺っても?」
「本当に良いのか。自分のことばかりで申し訳ない」
「精霊契約では、戦闘系精霊ではない場合だと身の安全を保障するのですよね?
精霊様があの状態で契約者のリリアンヌ様が何事も無く過ごされているのは、リリアンヌ様の気持ちが通じているからだと思います。真っ先に精霊様の事を考えるのは、契約者なら当然だと思います」
気にしないで欲しいと伝えたら、リリアンヌ様は泣きながら頷いてくれた。
リリアンヌ様とレイモンドお兄様が一緒に守衛室に行くことになった。その話を聞いていたオースティン殿下が自分も行くと言い出したので、3人で執務室を出て行った。
物事は単純だ。過ちの後には、挽回できるチャンスがやってくる。
そのチャンスは望もうと望まなくても、良くも悪くも結果を背負ってやってくるから。
しっかりと反省できて誠実に生きることが出来ていれば、どんな状況でも自分を磨く転機となるのかもしれない。
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