王太子の呼び出しと治癒魔法 中編2
ブン・ブン・ブン!
殿下のハチ精霊様が起きて衝立の中から飛び出し、殿下の目の前でクルクルと飛び回った。しかも赤く光って、危険信号のように点滅までしている。
プラチナの輝くようなハチ精霊様の変貌に、首を傾げて見入ってしまった。
「緊急で何か連絡が入ったようだね。しかも悪い案件の方か」
「殿下、退出しましょうか?」
大丈夫だと言われ、そのまま座っていると聞きなれた声がした。
「殿下、オースティン殿下と私の弟レイモンドが面会に訪れたようです」
「ロナルドお兄様、オースティン殿下って‥‥」
「さて、困ったな。リーナ嬢とオースティンを今は会わせたくないのだが。仕方がない、護衛の兄妹をこちらに。」
程なくして、レインとレニが通されて入って来た。良かった、何処かで待機してくれていたのね。
「君たちは誓いを立てたのだったな。しっかりと守るように」
マントを翻して平伏したレインとレニが応えると、王太子殿下は私の傍で控えるように指示して下さった。
この建物の廊下は一本道で、“面会に来た”ということは、ゲートで待っているのかもしれない。もしくは、この執務室近くの部屋に通されているのかもしれない。
実はあの騎士団の事件以来、オースティン殿下から騎士団への勧誘が毎年来ている。父も母もロナルドお兄様も無神経な誘いに怒りを募らせているけど、レイモンドお兄様もオースティン殿下も気付く様子は無かった。いや、気付かないから誘えるのよね。
苦手意識を一度持つと人は中々克服し難いと言うけれど、私も例外なくオースティン殿下に持っている。これはどうしようもない事だけど。
今回の魔力被弾の件で、私が王太子殿下の建物で検査をしている事を知って来てしまったらしい。前世を思い出した時に、ブラック企業や社畜といったような事も思い出し、騎士団での扱いはブラック企業以上のものだったと認識してしまったため、毛嫌いしている状態なのは仕方がないと思う。
「殿下にお話しできたようですね」
「レイン‥‥レニ‥‥」
彼らのマントとコートを掴み、その後ろに隠れるように立った。
「私とロナルドの弟は、未だにリーナ嬢の騎士団入りを諦めていない愚か者だからね」
「騎士団入り?!」
私の様子を2人は心配していたけど、殿下の言葉で納得したようだった。
「そう、君らも驚くよね。あの件以来、レイモンドはリーナを守る事に徹していたのに、敬愛するオースティン殿下の一言で、リーナに騎士団へ入るように勧誘している脳筋愚弟だからね」
ロナルドお兄様もうんざりした様に脳筋認定している。そして、私はオースティン殿下にはここ3年ほど会っていない。ずっとロナルドお兄様が対応してくれたからだ。
「リーナ嬢、埒が明かないだろうから、出しておくと良い」
王太子殿下に王の許可印を出しておくように言われて、レイン達の後ろで王の許可印を出して内ポケットにしまった。できる事なら王族相手に使いたくはないけれど。
「アルフレッド兄上、ここにリーナ嬢が来ていませんでしたか?」
「挨拶も無しに、開口一番が女性探しとは。礼儀がなっていないようだね、オースティン」
「あ、いえ。兄上、急ぎの件でしたので、礼を欠いてしまったことは謝罪します。でも、私がリーナ嬢を欲しがっているのはご存じですよね」
その言い方は何?!ああ‥‥本当にもう!
ガシガシと頭を掻いて照れたように言っている。
余程身体を鍛えているのか、細マッチョ風のがっしりした体格に、髪は銀髪で横髪の一部分に深緑色が混ざって、瞳は琥珀色に金色の縁取りの瞳という美しい美丈夫。
この体形での仕草が熊っぽく何となく愛嬌すら感じてしまう第二王子のオースティン殿下。
騎士団団長として魔物と戦う時は、思慮深く頭脳戦略で勝利を勝ち取る強者なのに、平常時では脳筋のようなポンコツさを出しまくっている。それは、レイモンドお兄様にも言えることだけれど。
あまりの言い様に、レインもレニもドン引きしている。
「聞き捨てならないね。自分の婚約者が今の言葉を聞いたら悲しむとは思わないのかい?」
本当に。この熊殿下の婚約者は、あのアンジェリーナ様なのだ。私も第二王子に熊なんて不敬だけれど、もうポンコツ王子には『熊殿下』で良いと思う。心の中だし。
「別に騎士団に欲しい者を欲しいと言って何が変なのです?」
うっ‥‥質問を質問で返してきた。しかも開き直っているような言い方で始末が悪い。
アルフレッド王太子殿下の深い溜息が聞こえた。
「リーナ!こんなところに居たのか、心配したぞ!大丈夫だったのか?怪我は?」
「レイモンドお兄様?!」
いきなり真横から覗き込まれ、驚いてしまった。ここは王太子殿下の執務室なのに、勝手に歩き回るなんて非常識過ぎる。近くでロナルドお兄様の深い溜息が聞こえた。
「魔力被弾で寝込んだと聞いたが、リーナ嬢、身体や魔力値はどうだったのか?」
熊殿下の心配するところ、そこですよね。
「ご心配頂き、恐れ入ります。変わりなく息災ですので、お気になさらずに」
本当は魔力が無いと言いたいけれど、王族に嘘は不敬になってしまう。残念ながら、真実しか話せないので、端的に伝えた。
直訳すると、心配いらないくらい健康ですので、どうぞ構わないでください!と遠回しに言っているのだけれど、熊殿下には真意が伝わらない。
「ならば、騎士団への入団をお願いしたい。貴女は騎士団でその能力を揮って欲しい」
「お断りします」
きっぱり跳ね除けると、オースティン殿下は意味が分からないといった表情を浮かべた。
「自分の能力を揮える場所があるのに、リーナ嬢は何を頑なに拒むのか?魔力枯渇の件なら、枯渇する前に魔力回復薬を渡そう。無理はさせない」
「オースティン殿下、私は騎士団との一件で勉強しました。あの一年間は苦痛の日々だったのです。その苦痛を与えた騎士団に誰が好んで入ると思いますか。あの扱いは人以下の扱いだったと思います。
そして今の言葉の中にも、まるっきり反省した余地がない事が分かりました。
魔力枯渇寸前で魔力回復薬を使用すれば体に負荷がかかります。乱用しても副作用が出ます」
私の言葉に、レイモンドお兄様の表情が曇った。言えば思い出すけど、訓練になれば治癒魔法を術者の身体を考えないで使い果たす。やってしまってから後悔する。これの繰り返しだから。
「アルフレッド王太子殿下、あの件以来、騎士団には治癒魔法士が数人常駐していた筈です。それなのになぜ、私が入団を迫られるのでしょうか」
「そうだね。君は正しい。そして、その主張は最もだ」
笑顔で頷いてから、王太子殿下はオースティン殿下に尋ねた。
「オースティン、答えなさい」
「魔法士達が使えないからだ。君ほどの治癒魔法を行使できるものがいない。訓練には怪我人が出る。魔獣討伐にも。君が必要だ」
「そんな理由で・・・リーナ様を危険に晒すのですか!リーナ様を回復薬と勘違いなさっているような言い様で酷いです!」
非難の声はレニから上がった。女性から非難されたのは初めての様で、熊殿下も次兄もその勢いに圧されて顔が引き攣っている。
「正にレニの反応が、魔法士団全員の答えだ、オースティン。君は今リーナに無理をさせないと言いながら、魔力回復薬を使って永続的な魔法行使をさせることを口にした。試したことが有るかい?」
「何を試すと‥‥」
「ふふ、魔力回復薬を枯渇寸前で服用した時の身体への反動と、服用し過ぎによる中毒症状を体験したことはあるかと聞いているのだけどね」
すっかり失念していたけれど、アルフレッド王太子殿下は王立魔法士団団長でもある。その魔法士団団長の前で、魔法士も嫌がる魔力回復薬の乱用を口にしたこと自体を気付いているのか。
しかも、派遣された魔法士達を使えない発言をしてしまった。これはもう、残念すぎる結果になると誰もが思っただろう。
「そうか。オースティンの言い分も最も。では、しっかり君らが魔法士の有難みを分かるようにしてあげよう」
「リーナ様、失礼します」
アルフレッド王太子殿下の笑顔が消えた瞬間、床に転移魔法陣が浮かび上がった。気が付いたレインとレニが私を抱きしめて倒れないようにしてくれた。目を開けると、コロッセオのような演習場のような場所に転移していた。
「ここ‥‥は?」
「リーナ嬢は初めてだったね。ここは学院の演習場だ。あまりにも君に対しての暴言が過ぎるのでね、自分たちがどれだけの難題を言っているのか実地で教えようと思う」
演習場に転がされたオースティン殿下とレイモンドお兄様が受け身をとって直ぐに立ち上がると、アルフレッド王太子殿下を見て、かなり狼狽えた様子で周囲を見ている。
「見覚えがあるだろう、実に3年ぶりだ。あの時はロナルドと私で魔力枯渇の恐ろしさを、十分に教えてあげたのに。そうそう、あの時は騎士団の面々はどれぐらいで音を上げた、ロナルド?」
「リーナは一年も我慢したのに、オースティン殿下、レイモンド、隊長クラスも3週間しか続けられなかったと記憶していますアルフレッド殿下。12歳のリーナは音を上げたくても強要されて続けたのに」
「先に君らを保護しないとね」
空気感が氷点下に感じてしまうほど、アルフレッド王太子殿下とロナルドお兄様の言葉が怖く感じた。
私達に笑顔で魔法を行使する王太子殿下の姿は、神々しい大天使のような姿。その魔法は光に包まれたような温かさも感じる結界だった。
「さて、次は君達だね。理解に乏しい者には、体験させれば学だろう」
「ありがとうございますアルフレッド殿下。これで愚弟もしっかりと理解できるでしょう」
兄の言葉と共に、殿下が魔法を発動させた。巻き起こる嵐のような空気の流れ。
何よりも、アルフレッド王太子殿下の纏う魔力が大きく、聖属性魔法と無属性魔法を組み合わせているのか、ブラックホールのような物が熊殿下と次兄の上にのしかかり、渦の様に何かを吸っていく。
辺り一面に風の渦が起こっているため、王太子殿下とロナルドお兄様の束ねている髪が靡いて、その風の強さが分かるくらいだ。
「あのオースティン殿下が防戦することも出来ずにされたままだとは」
「レイン、熊殿下ってそんなに強いの?」
「熊?」
「あ、オースティン殿下って‥‥」
何気なく質問したつもりだったのに、熊殿下と言ってしまった。慌てて言い直ししたけれど、レインもレニも肩を震わせている。やだ、不敬になっちゃう!
「ふふ、素敵な呼び方だね。私もこれから脳筋熊と呼ぼうか」
私の傍に来た殿下は、とても楽しそうに提案してくる。
「アルフレッド王太子殿下、すみません」
「なぜ不敬を気にするのかな?こんなにピッタリなニックネームなのに」
脳内で変換しているから楽しいだけで、ニックネームにしたら気の毒過ぎる。満面な笑みの麗人アルフレッド王太子殿下に、慌ててお詫びと訂正をいれた。
「楽しそうですねアルフレッド殿下。お茶を用意しました」
「ああ、ロナルドは何をやらせても卒なくこなすね」
ロナルドお兄様が入れたお茶をアルフレッド王太子殿下とロナルドお兄様と私で優雅に飲んでいるその傍らで、オースティン殿下とレイモンドお兄様は、魔力枯渇寸前まで魔力を吸われ、魔力回復薬を飲むように言われて飲んでいる。
シュール過ぎる状況に、これは何時まで続くのかと不安になった。なぜなら、気持ち悪さと目が回るような感覚に、だんだん耐えられなくなった2人が5回目の魔力回復薬の投与で意識を失ってしまったからだ。
「おや?ロナルド、2人を起こしてくれないか」
「畏まりました」
王太子殿下とロナルドお兄様は、笑顔で会話をしている筈なのに恐怖心が沸き起こるのは何故だろうか。空が曇り、肌寒さがそう錯覚させたのかと考えた瞬間、稲光と落雷の音が辺りに反響した。
「に・・・さま・・・」
恐怖で舌が回らない。落雷が落ちる前にレインが素早く傍に来てくれたけど、近くの落雷の怖さは尋常では無かった。そう言えば、落ちたあそこにはレイモンドお兄様が・・・。
「!」
悲鳴をかろうじて抑えたものの、身体の震えが止まらない。お父様はロナルドお兄様を怒らせるなとレイモンドお兄様に言っていた事があった。このことを言っていたのだ。
膝と手を地面についてピクリともしない。まさか・・・。
「死んだ真似なんかしても魔獣は待ってくれない。そうは思わないか?」
王太子殿下の容赦無い指摘に、オースティン殿下とレイモンドお兄様が慌てて此方へやって来た。
美しい銀髪が少し焦げて、擦り傷が所々にできている。それはレイモンドお兄様にも同じで、綺麗な水色の髪が焦げていた。傷も酷かったけれど、兄の赤い琥珀の瞳が虚ろになって生気が無い事に焦った。
「オースティン殿下、レイモンドお兄様、大丈夫ですか。今、治しますから」
「リーナ、オースティン殿下は土属性を持っているし、レイモンドは雷属性を持っている。耐性があるから死にはしないよ」
「死ななければ良いという問題ではありません!やり過ぎです」
王太子殿下とロナルドお兄様が教えようとしている事は分かるけれど、こんな体罰に等しい事をしては身体がもたない気がした。それに、この事が公になれば悪評が立ってしまう。どちらにも弊害しか生まれないなら、しない方がマシだと思った。
焦げだらけの2人の前に立って、治癒魔法を使った。
「リーナ嬢、すまない。魔力回復薬の件は、騎士団では非常時の場合のみに使用することにする」
「リーナ、悪かった。こんなに魔力回復薬の副作用が酷いなんて思わなかった」
2人とも分かってもらえたという事は、王太子殿下とロナルドお兄様の弟に対する躾は正しかったのだろうか?
いやいや、そもそもあれを躾とは呼べない。
「リーナ嬢、これ以上誘われない為にも、アレを見せれば納得してもらえるよ」
今、この状況で追い打ちをかけろと?!
断る雰囲気では無い、絶対に断れない提案だと観念して、2人に王の許可印のペンダントトップを見せた。表と裏に彫られた許可印が2人の前でクルクルと回っている。
「二度と勧誘はしない。申し訳なかった」
「国王の許可印?!」
真っ青になったオースティン殿下が平伏して、約束してくれた。レイモンドお兄様は許可印に圧倒されて固まっていたけれど、上司であるオースティン殿下が理解してくれれば大丈夫ね。
「オースティン殿下、魔法士も頑張っています。無体を強いない様に、どうか、治癒魔法に頼った訓練ではなく、頼らなくても良いような鍛錬をして下さい。『どうせ治せる』と考え違いをしてしまうと、依存してしまう事になりますから。」
ハッとしたようにオースティン殿下の眼が見開かれ、無言のまま頷いてくれた。
「リーナ嬢は優しいね。オースティンだけでなくアンジェリーナ嬢が悲しまないように騎士団の治癒魔法に依存崩壊の可能性まで指摘してあげるなんて」
「アンジェが?」
「アンジェリーナ嬢はオースティンが惚れ込んで婚約に至ったとはいえ、嫌われていたら婚約成立など難しいとは思わないのかい?婚約者が怪我でもしたら悲しむだろう」
そうなのよ、アンジェリーナ様はアルフレッド王太子殿下の婚約者候補だったのに、オースティン殿下から熱烈なアプローチを受けて、あっさり承諾していたのよね。それも、物凄く嬉しそうに!
王太子殿下は知っていたのね。
ああ、兄弟の心温まる話の筈なのに、先ほどの出来事が心にダメージを残しているわ。
「リーナ嬢、納得して貰えたようだから戻ろうか」
先ほどと同じ転移魔法陣が現れて、アルフレッド王太子殿下が私の手を取った瞬間に転移した。
「戻って‥‥きた」
先ほどと同じ位置に全員転移し終わり、オースティン殿下とレイモンドお兄様だけが疲れ切った顔をしている。ロナルドお兄様は終始笑顔だ。
幻でも見たのではないかと思ってしまうのは、体のいい現実逃避なのだと思った。そんな思いを抱えつつ殿下の執務机を眺めていた。ハチ精霊様は小さな部屋のベッドに寝転んでいる。
ハチ‥‥ハチ精霊様!
大切な事を失念していたわ。
「レイモンドお兄様、お聞きしたいことがあります」
唐突に声を上げたものだから、全員の視線を集めてしまった。今更、ですよね。
この際、真実をハッキリさせておかないと。
「レイモンドお兄様は学生の頃、守衛室の守り人達に“腕試し”と称して、戦いを挑むことをしていませんか?」
「レイモンド、そんな遊びをしていたのか?」
呆れた口調でオースティン殿下がツッコミを入れ、それに対してレイモンドお兄様は『しましたよ、守衛室の守り人は強いですから』なんて返している。
「お兄様お1人で?」
「いや。スティーブンやエルヴィスとケリーのいつものメンバーだ。ああ、グレンもたまにいたな」
未だ悪戯っ子のような無邪気な笑顔で思い出に浸るレイモンドお兄様に、どうしようもない怒りが沸き起こった。
今や20歳の兄は、学院生時代の15歳から18歳までの間で様々な事をやらかした。その度、学院から報告という名の抗議の手紙を受け取った父が胃痛に苦しんでいた。
この守衛室の守り人に戦いを挑んだのは、厳しいロナルドお兄様が卒業してからと考えれば、16歳くらいからやっているのだと推測できる。
私の事件は次兄が17歳の時だから1年間の治癒魔法行使の間で、数回ほど演習や騎士団訓練にしては異常な怪我をしている者がいた。そこまで考えて、私は気付いてしまった。
「リーナ?何故お前が泣くのだ?!」
その中に精霊に傷を負わせた犯人がいたのだ!
なぜなら、精霊に故意に傷を負わせた者は、神獣や精霊王の怒りに触れ罪に問われる。その罪は、深い傷となってその身に背負うから。これは授業の最初に“禁忌”として勉強した。
私の治癒魔法を利用して、犯人は故意に精霊達を傷つけていった。信じられない非道な行為!
「レイモンドお兄様の属性は火・木・土・水の4属性ですよね?」
ダメ、今泣いても始まらない。解決にもならない。兄に八つ当たりしても仕方がない。
私は自分に言い聞かせた。淑女なら冷静に平静を保たないといけないと。
「おい、リーナ嬢どうした大丈夫か?」
オースティン殿下が覗き込んできた、淑女らしい対応をしないと‥‥。
「守り人が強かったから守衛室で力試しをしたのですか?それによって、今もずっと怪我で苦しんでいる方がいるのに?」
感情のままに話してはいけない。そう思っていても、口から出てしまった言葉は続いている。
「3年も病んでいる怪我人が出たなんて聞いてないぞ?剣技の衝突で部屋は少し破壊してしまったが」
「怪我で苦しんでいるのは、人ではありません」
レイモンドお兄様は単純で子供っぽいところがあっても、馬鹿ではない。快活で後先省みなくても、非道な事をするような悪人ではない。
「お兄様、なぜハチ精霊様に傷を負わせるような者を伴ったのですか?」
ハチ精霊様の羽は、ボロボロだった。剣技の衝突の余波で傷がつくようなものではない。精霊に怪我を負わせるのは、明確な意志を持った魔法の行使のみだ。
「まさか、俺達が傷を負わせたと?!するはずがない!」
「リリアンヌ様に謝ってください。数体のハチ精霊様が傷つき、羽はボロボロで動くのもやっとだったのです。目の前に出された星の飴を必死に転がす姿を見ました。
あの羽に残されていたのは雷と風の複合属性。羽自体は治癒しましたが今は飛べません」
「リーナ嬢、複合属性ということは、その非道な者は精霊様で魔法の成果を試したということだね」
「殿下、そうであれば傷を負っている筈。なぜ、表沙汰にならなかったのかが‥‥」
アルフレッド王太子殿下が、私が言えなかった部分を代弁してくれた。ロナルドお兄様も私の考えを口にしてくれたけど、途中で口を噤んでしまった。きっと、お兄様も気付いてしまったのだ。
「私の治癒魔法が利用されたのです。騎士団の訓練と称して」
知らない間に、非道な行いの片棒を担がされていた。悔しくて悲しい。
あの傷ついたハチ精霊様を目にして、人の持つ暴力性と残虐性を突き付けられた気がした。
「俺の軽率な行動が、リーナの心に傷を負わせた」
余程ショックだったのかレイモンドお兄様は、自分の愚かさを嘆いた。
もっと慎重に。他人に利用されない思慮深さを持ってもらいたい。だからこれは私の役目。
「傷を負ったのはハチ精霊様です。リリアンヌ様は数年間、ハチ精霊様を癒そうと治癒魔法を願い出てはその結果に傷ついていました。苦しんだのは精霊様とリリアンヌ様です」
「兄上、リリアンヌが申し出を?」
オースティン殿下がアルフレッド王太子殿下に確認するように聞いている。
「リリアンヌ達からは精霊様を治癒してもらいたいと嘆願書が毎年出されている。魔法士団で研究を進めているが難しく、治癒魔法で生命維持をしている状態だった。
当時は西南側の守衛室の守り人だったが東南の守衛室に変更させた」
アルフレッド王太子殿下の説明を聞いて納得した。複数、被害が出ていて、魔法士団は研究しながら奮闘している。
最善を尽くしている人達がいるのに、非道な者を治癒してしまった私は属性が変化したこと秘密にしている。どういった魔法なのかが皆目見当もつかない手探り状況だからだと言い訳をして。
罪深いのは私だ。
もう利己的な部分は捨てないといけない。
だから、リリアンヌ様のハチ精霊様を治せた時は、潔くアルフレッド王太子殿下に全てを話そう。聖属性化した魔法は世間を騒がせてしまうかもしれない。自分が望む穏やかな生活が出来なくなるかもしれないけど。
それでも、あの苦しんでいた精霊様を癒せるのなら、前に出るしかない。
「アルフレッド王太子殿下、今日、ハチ精霊様に治癒魔法を試みました」
「良いのかい?せっかく、聞き逃してあげたのに」
アルフレッド王太子殿下が治癒魔法に沈黙してくれていたのは、その為だったのね。きっとそれはロナルドお兄様も同じだと思った。殿下の後ろで、私を見ないようにハチ精霊様にご飯をあげている。
「もし、治療が成功したら報告しに来ます。でも、今日はいろいろな事がありすぎて‥‥リリアンヌ様のところには行けそうも‥‥」
精一杯の笑顔で受け答えしていた筈なのに、視界が揺れて真っ暗になった。
「リーナ嬢!」
「リーナ!」
「リーナ様!」
誰だろう、意識が無くなりかけて傾いていく身体を受け止めてくれたのは。
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