004 ザ・ファースト 五話
――夕刻、ロシア・サンクトペテルブルク。
天候は晴天。今の彼らの気分と、世界の道行きを嘲笑うかのように晴れ晴れとしている。
気温はバルバラの現在の主な拠点であるニューヨークに比べると、十度近く下回る。バルバラにとって気温などということは、大して関係ない事柄だった。しかしTPOもとい周りに合わせるというていでは、服を着込んできている。
当然だが一応人間であるドミニクも、気温にならって衣服を変えた。
さて、ニューヨークからサンクトペテルブルクへ来るには、ほぼ半日と言ってもいいほどのフライト時間を要する。が、それをもゼロにするのが魔術である。
入国審査を踏まないため、不法入国の罪になってしまうのだが、外を出歩くことはない上に緊急事態だ。そう面倒事を何度も踏んでいられない。
バルバラがやって来たのはとある屋敷だ。古くからある美しい建物。その建物内に直接転移してくる。
内装は落ち着いていて、数十年から百数年前のアンティークがそこらかしこに飾ってある。これは現在もこの屋敷を守る家主が地道に集めたものだ。
この一族の能力はよく利用され、彼らが仕事を受けるたびに各国へと渡ることが多かった。そしてその合間に手に入れてきたのがこれらの骨董品達だ。
家主なりの息抜きだったようだが、戦争などが落ち着いた今でも趣味として続いているようで。バルバラが前にやってきた時よりも若干増えているように感じた。
「あの部屋だな」
そんなアンティークで溢れる廊下を歩きながら部屋を探す。家主のいる場所だ。玄関から入ったわけじゃない為、出迎えもない。だからこうして自身で場所を見つけねばならないのだ。
バルバラが言う部屋からは怒鳴り声に似た話し声が漏れ出している。扉の前には若い男が立っており、誰も入れぬようにと塞いでいるように見えた。
気だるそうに立つさまは若者特有のそれで、この男もバルバラの家に来た魔女連盟同様――親の仕事に付いてきたくちだろう。
違うところがあるとすれば、あの青年とは違いこの中に入れてもらえる能力を持っていないことだ。
バルバラの家にヴラジスラフが逃げた事実を魔女連盟が伝えに来たとき、若い男が一人混ざっていた。父親の仕事を見て引き継ぎを兼ねているのだろう。
外で待機させられていただけでなく、あの場に立ち会えたということは父親に実力を認められていたということだ。
だがここの外で待機している青年はどうだ。恐らくまだ父親には認められていないのだろう。それにこの態度を見れば、父親が何故認めないのかも分かる。
「どけ」
「……あの、誰も入れるなって言われてるんスけど」
「クククッ。おいおい、このガキもお前を知らないみたいだぜ」
「…………黙れ、ドミニク。さっさと仕事をしろ」
「へぇへぇ」
この青年は〈人間〉である。そう、魔女狩り協会の男なのだ。
魔女狩り協会は人間で構成される。魔女を狩るのだから当然のことだろう。しかし設立者は大魔女であるバルバラだという皮肉だ。
だがそれは、魔女でも人間でもバルバラを殺すことが出来ないということの表れでもある。
魔女狩りに所属する人間達は、つくづくバルバラが悪の魔女ではなくてよかったと思っていた。
そして魔女狩り協会とて、人間であることには変わりない。だからバルバラが手を下すことは出来ないのだ。だからそういった場合、ドミニクの仕事だ。
人間に攻撃や危害を加えられるのは人間の仕事。だからドミニクはバルバラのそばにいる。
もっとも、そばにいる理由は別にもあるのだが。
その巨体と筋肉を活かして扉から青年を引き剥がして、扉をバルバラに渡す。ドミニクの腕の中でジタバタともがく青年をよそにバルバラは扉を開けた。
「ヘンリー! 誰も入れるな、と――ば、バルバラ様!?」
「ウィルフレッド。お前の息子はドミニクはおろか、私の顔を知らないようだな」
「……っ! も、申し訳ありません……」
「継ぐ気がないなら無理にさせるな。次女はやる気があるのだろ?」
「あの子はまだ十歳にもならない幼子です!」
まだ一言も喋らない家主をよそに、魔女狩り協会のウィルフレッド・オーウェンズとバルバラが口論を始める。
口論というよりは諭すバルバラと抗議するウィルフレッドという形だが、そこはどうでもいいだろう。
そんな様子を見ながら、ドミニクは抱えていた青年を下ろした。青年はわざと当たるように腕から抜けると「ふん!」と鼻息荒く離れていく。
何も出来なかったことに憤慨しているのか、それともまた別のなにかか。
「まぁどうでもいい。今はウィルフレッドに用があるわけではないのだ」
「……はあ、では誰に」
「バカモノ。ここは誰の屋敷だと思ってる」
ロシアの地。今最も魔女狩りにも魔女連盟にも話題になっている人物。そしてその実家。
――ここは、レーシン一族の本邸。
そして口論のど真ん中で、静かにソファに座っているのも当主であるイヴァン・ネストロヴィチ・レーシンであった。
その表情は重い。特にバルバラが入室した時からだ。戦争に駆り出されることもほとんどない昨今で、バルバラがこの屋敷に赴くことは少ない。それに今の家の事情を鑑みれば、彼女が何を言いたいか聞きたいかが分かる。
バルバラはイヴァンの座るソファの前に立った。そして冷たい瞳で同志を見下ろしている。
対するイヴァンは動かず、どこか一点を見つめていた。うつろな瞳は、これから下されるであろう言葉を待っている。
同族とて、相手は凶悪な犯罪者。人間も魔女も多数殺してきた。今だってどこかで人を殺して回っているはずだ。そんな人間を野放しにしておけるはずがない。
だからバルバラには慈悲はない。ためらいなどなく言葉を刺す。
「私はヴラジスラフを殺す」
「……分かっております」
「フン。縁を切ってもやはり息子か」
「自分でも驚いてますよ……」
ヴラジスラフとレーシン一族の縁は、百年以上も前に切られている。
それでもイヴァンのもとへ、その命を奪うことを確認しに来たのは、イヴァンの息子への情を馬鹿にしていようがバルバラの中でも分かっていたからだ。
魔術を取り扱う魔女とて元は人間。心もある。情もある。世界に仇なす愚息とて、自分の血の繋がりのある家族であること。
とっくのとうに化け物になったバルバラだったが、そういった気持ちを汲み取れたのは誰のおかげだろうか。平和になった世の中か、それとも百数年連れ添っているドミニクか。はたまた。
「大変申し訳ありません、バルバラ様。我が馬鹿息子を、宜しくお願い致します」
ロシア訛りのその英語は威厳などなかった。ただただ震えて、奪われゆく家族の命に涙していた。頭を下げて鼻をすする。
バルバラはそんな彼に追って言うことなどなかった。
本来ならば当主が責任を取るだの言い出すだろうし、一族の責任という意味ではイヴァンが率先して動くべきなのだ。だがそれはしない。いや、出来ないのだ。
現在もヴラジスラフは魔女の力を奪ってその魔力を増強している。恐らく既にイヴァンの力では敵わないだろう。
それに元々回復を主とする立ち回りの一族だ。ヴラジスラフのように他者の魔力や生命力を奪って動くことも可能だが、それを禁忌として縛っていることもある。
この非常事態で禁忌だの言っている暇などない、というのももっともだが、息子を止めるに当たって別の人間や魔女を苦しめなければ対抗できないのも問題だ。
であればこの世で一番強い魔女が出向くべきなのだ。
それが、バルバラだ。
バルバラは静かに背を向けてドミニクに「帰るぞ」とだけ言った。
廊下に出て暫く歩く。転移魔術の展開は少し広い場所で行いたかった。ここはイヴァンの集めたアンティークがあふれている廊下だ。
下手に展開をして壊してしまえば、先程の威厳のあるバルバラも台無しになる。
庭にでも出ようと歩いていた時、後ろからパタパタと走る音が聞こえる。向かってくるのはもちろんバルバラ達の元。
庭までの出口を探しながらバルバラはその足音に耳を傾ける。しかしそれとて決して止まるわけではない。
「お待ち下さい、バルバラ様!」
追ってきていたのは二人。ウィルフレッドとその息子・ヘンリーだった。バルバラが止まる気配を見せなかったせいで、息は上がっている。
ウィルフレッドは息子にこうして現場を見せているだけあって、そろそろ引退時期なのだろう。人間というのは魔女に比べると圧倒的に寿命が短い。
前に会った時に聞いた年齢を考えると、現在は五十代あたりだろうか、とバルバラは考える。人間の五十というのは鍛えてなければ走れば息が上がるものだ。
最近は大きな魔女との戦いはなかったせいで、ほぼほぼ内勤のような仕事ばかりだっただろう。体力が落ちるのも無理はない。
「お前には用はないつもりだったんだが、ウィルフレッド」
「ハァ……う、うちの息子を、ハァ……連れて行ってくれませんか!」
「なぜ? 邪魔をさせる気か。そんなヴラジスラフ以下の馬鹿息子に何が出来る」
「俺はあんなヤツ以下じゃねぇ!」
叫ぶヘンリーに対して、バルバラは静かに目を向ける。
親に言われてか付いてくるだけの気力はあるようだ。あれだけ嫌そうにドアマンをしていたくせに。
「いいや。お前はヴラジスラフ以下だよ。ヴラジスラフは家の力を使えている。やり方は悪いがな。お前は家業を継ぐ気はあったか? 私とドミニクの顔すら知らずに、よく啖呵を切れたものだ」
「……ぐっ……」
「悔しいなら父親から学べ。ウィルフレッドはお前が思う以上に優秀だ」
「…………」
庭への扉を見つけたバルバラは、彼らを置いて問答無用でそこから出ていく。
転移魔術を展開すれば、渦巻く鏡のようなブラックホールのようなものが現れる。奥にはバルバラのマンションの一室が映っている。
ドミニクがそこに最初に足を踏み入れ、次にバルバラが続いた。
オーウェンズ親子はただ見送るしか出来なかった。
「……親父」
「なんだ」
「あの女を見返したい」
「はぁ……、見返すというかあの方は我々よりもずっと上の人というか……。まぁ、やる気があるのは良いことだ。今日からは厳しくするぞ」
「分かってる」
**
「おっ、連盟から連絡来てるぜ」
ニューヨークに戻ったドミニクは、携帯を見るとそう告げた。先程バルバラが連盟に頼んだ件だ。
魔女向けのクラブやバーを調べて死傷者がいないか確認してほしい、という旨だ。
場所も範囲も大雑把で、相当連盟は困惑しただろう。しかしこの短時間で確認出来たというのは良いことだ。それなりの人数を投入したのだろう。
「なんて言ってる?」
「あの近辺のバーやクラブは八割くらいがやられてたらしい」
「クソ……」
バルバラは自宅へと転移して来たが、すぐに部屋から出た。ドミニクもそれに続いてついていく。
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これで終わりです。
ぼんやりとした続きとしては、魔女の集まる各所で魔力をいっぱい手に入れたヴラジスラフは、バルバラに挑むんですが……。
魔女の始祖たる最強の魔女にかなうわけもなく、殺されます。
続編も考えてあり、「メキシコの王」としてちょっとだけ書いてありました。
メモによれば、麻薬カルテルと魔女がつるんでるよ、とのことです。