004 ザ・ファースト 三話
ドミニクの運転する黒のSUVが病院へ到着する。入り口でバルバラだけを下ろし、ドミニクはそのまま駐車場へと車を走らせた。
ここは人間向けの病院。魔術のまの字もなく、発展した科学で医療が進められている場所だ。
バルバラは薬品の臭いが充満するエントランスを突っ切って、受付へと足を進める。コツコツと響くヒールの音が彼女の存在を知らしめるようだ。
「昨日搬送されたレナード・ウォルシュはいるか」
「申し訳ありません。只今、面会は――」
「私はバルバラ・チェルマーク――バルバラ・ヨーナス・チェルマークだ」
「! お待ち下さい」
看護師がパソコンのキーボードを叩き出す。
彼女の名前を告げて突然態度を変える。その様子は名前に聞き覚えがあると見ていいだろう。
それにこんな事があったのに、最高責任者の名前を関係者に伝えなかったらそれこそバルバラは怒り狂う。
看護師がモニターとにらめっこしている最中、駐車場から戻ってきたドミニクがやって来る。病院でその体格は目立つのは当然で、入口の自動ドアをくぐる前から視線を浴びている。
「どうした?」
「部屋番号を聞いてる」
「ジジイども、教えてくれなかったもんな」
人間の看守だからという理由なのだろうか、単純にバルバラに対する恐怖から伝えるという行為が抜け落ちていたのか。ここまで来てしまった今となってはどうでもいいことだ。
病院の場所だけ教えてもらったことを考えて、良しとするべきだろう。
しばらくすると看護師はカウンターに貼られていたメモとモニターを交互に見て、再び口を開けた。
「おまたせしました、チェルマークさん。305号室です」
「分かった、助かる」
エレベーター、薬品で空気が充満した廊下を経て、二人は部屋にたどり着く。
305号室は個室だった。当然だろう。
呼吸器、点滴、様々な医療器具に包まれた男。ガラス越しに見る彼には、外傷はさして見受けられない。だが命の危険があるのは確かだ。それは、科学が解明できない理由で、だ。
バルバラとドミニクが、廊下から看守を眺めていると一人の白衣の男性が駆け寄ってくる。ドミニクがちらりと一瞥した名札には、医師であることと名前が書かれている。
「あー、バーバラさん?」
「バルバラ、だ。この国の読みではバーバラだがな」
「これは失礼。ウォルシュさんの担当医です」
「どうも」
医師が手を差し伸べたので、バルバラもそれに応じて握手する。じっとりと手汗で濡れていたことで、バルバラは眉をひそめた。恐らく目の前にいる人物が、かの大魔女だと聞いて焦っているのだろう。顔に出さないだけ偉いということで、手汗については触れないことにした。
「しかしあんな状態は初めてです。全ての機能が生きているのに、目を覚まそうとしない。ただの植物人間でもない……」
「あぁ、そうだな……」
バルバラはあの状態を知っている。
レーシン一族で使われる魔術だ。もちろん、今絶賛逃亡中の離縁者・ヴラジスラフも使うことが出来る。
レーシン一族は他者の力を吸い取る魔術を扱う。それを応用して、医療魔術と合わせて使うことでレーシン一族は著名な医療魔術一族として名を挙げていた。
仲間の体から毒素を抜き取り、医療を施す。一族が主として使う方法はそれだった。簡単に体得できる魔術ではなく、長い間修行を経て得られる魔術だ。その間で使い方だけではなく、倫理や掟も叩き込まれる。
もちろん敵や戦地に立てない仲間から魔力を取って、戦場に立つという方法もある。
だがその方法は美しくないとして、古くから一族では嫌われてきた方法だ。
そして人間から力を吸い取った場合。人間は魔力がないため生命力を優先的に搾り取られる。そして抜け殻となった人間は、目覚めることのないまま。
肉体としては生きている。しかし植物人間のように二度と起き上がることはない。
「仕事として尽力した君に悪いが、彼を起こしていいか」
「もちろんです」
「一応万全の状態へ戻すが、暫く入院させてやってくれ」
「えぇ。では、お願いします」
バルバラは眠る男と医療器具の音だけが響いている病室へと入っていく。
ドミニクは部屋の入り口に立ち、これから誰も入らぬようにと扉をその巨体で塞いだ。
バルバラが廊下から部屋を覗けるガラスのブラインドを下ろす。別に見られたところで減るものはないが、快く思わない人間も多いはずだ。それに一瞬で済む処置だ、どうせすぐにブラインドは上がる。
バルバラが男のそばへと近付いた。細かな切り傷擦り傷は見られるが、大事に至るような怪我はないようだ。
やはり眠りから覚めぬのは、ヴラジスラフから生命力を抜き取られたせいであろう。
レナードの頭にそっと手を置いた。じわじわと優しい暖かな光が彼女の手に集まり、そしてそれがレナードの体へと染み込んでいく。
全て入り込むと、レナードのまぶたが動いた。ゆっくりと開けられていく瞳。まだ何も認識できていない虚ろな瞳がバルバラを捉える。
「起きたか」
「バル……バラ……さま……?」
「あぁ」
同じタイミングでドミニクが入室する。ブラインドを容赦なく開ければ、廊下の光が差し込んでくる。
レナードはそれに眩しそうに目をつむった。
「自分は……」
「起きてすぐで悪いが、昨日の出来事を覚えているだけ教えてもらう」
「昨日……? そうだ、昨日はヴラジスラフの出所日で……、ハッ! バルバラ様! そうです、いててっ」
「おい、無理するな」
興奮したレナードが言葉を急ごうと飛び起きるが、体の激痛を覚えて再びベッドに伏せた。それに体には医療器具が呆れるほど付けられている。
そうすぐ起きれるものでもないのだ。
改めてゆっくりと体を起こしたレナードは、混乱する頭を冷静に戻していく。犯罪をおかした危険な魔女達を監視してきただけあって、その思考の切り替えは早い。
「あの日自分はヴラジスラフを出口まで送り届けていたのですが、迎えに予定されていた人数とは異なる人数が外で待機していたのです。人数――いえ、人物です。あれは恐らくツィリル・レフキーです」
「……何?」
「バルバラ、こりゃ不味いんじゃないのか」
ツィリル・レフキー。比較的新しい生まれで、魔女の血を引く男。
特段どこかの一族ということもなく、人間との間にできたいわゆるハーフであったが、その有する力を犯罪に使っては人間の警察や刑務所の世話になっている人物。
使っているのが魔術というだけで、あとは他の街のチンピラと何ら変わりはないのだ。
若造で、ヴラジスラフなどと比べれば小さな犯罪者だった。しかしどんな犯罪者であろうと名と顔を忘れないようにしているのは、魔女という名の格を下げる同族の面汚しだからだ。
ツィリルは窃盗や暴行罪で刑務所に入れられることが多い。恐らくヴラジスラフと接点を持ったのはそこだろう。
すぐに出所できるツィリルはヴラジスラフの出所日に合わせて、準備を施し、彼の迎えの連中をどうにかして足止めし、ヴラジスラフを迎えた。
そして二人はまんまと消えてしまったのだ。
「ツィリルに気付いた時には、既に自分はヴラジスラフにやられてしまっていて、その後の動きは見ていないんです」
「そうか……」
刑務所の徒歩圏内にはほとんど住宅も建造物もない。移動するには車が必須。
車の用意はツィリルがしたとしても、移動先は? 目的地は? 計画はなんだ?
新たな情報が増えたのに、それは問題が増えただけだった。
ツィリルのことだ。犯罪仲間がいるだろうし、それは魔女である可能性は高い。であればその辺りを探るのがベストなのだろう。
「とりあえず情報提供感謝する。十分療養してくれ。もし転職を望むなら掛け合ってやるから――」
「いえ。自分はまた看守になります。魔女と向き合うのは、自分にあってますので」
「…………そうか、ありがとう」
バルバラとドミニクが廊下に出ると、先程の医師と看護師数名が待機していた。目覚めたとなれば検査が始まるのだ。
魔女狩り協会からもしっかり言われているのだろう。彼を万全の状態へと戻すように、と。
バルバラは彼らを一瞥して、そのまま何も言うことなくその場を去った。あとは人間のことだ。人間が上手くやるはず。
エレベーターに乗り込んで階を指定しようとする。するとそこに、いそいそと誰かの見舞いに来ていたであろう若い男が走って来た。
バルバラが扉が閉まらぬようにとボタンを押すも、若い男はドミニクを見るなり踵を返した。
「お前は対人間の魔除けだねぇ」
「褒めてんのか、それは……」
エントランスの階についたエレベーターはその扉を開ける。待機していた看護師や患者、見舞いの人間がドミニクを見た途端あからさまに驚いて、サッと道を開けた。
クスクスと笑うのはバルバラだ。ドミニクは納得がいかないという表情を彼女に寄せた。