004 ザ・ファースト 二話
ドミニクが客間に着くと、苛立ちと混乱、困惑、そして恐怖を抱いた男達が座っていた。
バルバラはその男たちの間をぬけて、なんの迷いもなく上座へと座る。
「逃がしたか」
一言。
バルバラはそれだけ言った。ただそれだけだったが、この場が凍りつくには十分だった。中には震えている者もいた。
震えている者の中には、ドミニクですら見たことの無い顔がいた。おそらく新人なのだろう。親の仕事を継ぐ為に見学しているのだろうが、タイミングが悪かったらしい。
初めの仕事が説教なのだ。しかも、魔女の始祖であり、世界一強い魔女からの説教だ。
九月六日。
本日から一日前、昨日。さくじつ。
それは、魔女専門の刑務所から、一人の男が刑期を終えて出所する日だった。
――彼の刑期は二百年。
同族に対しても人間に対しても害を成す、超極悪犯罪者と形容すべきか。本来ならば死刑に処すべきだという話もあったが、当時の裁判は彼に甘くそれを許さなかった。
彼が名門一族の出身だったからという理由もある。入所させられて数十年で、一族からは縁を切られたようだが、それでも裁判当初はまだ一族の一人だったのだ。
「出所と同時に行方をくらましまして……」
「出迎えのメンバーは誰が選ん――いや、私が最初から選ぶべきだったな」
「い、いえ。こちらもバルバラ様に指示を仰ぐべきでした」
誰もその目線をバルバラに合わせようとしていない。見ようとは努力しているようだが、その鋭く黄色い瞳の威圧に耐えられずすぐに目をそらしている。
それにただ睨んでいるわけではない。
ドミニクは窓ガラスがピシリと悲鳴を上げるのを聞いた。部屋の温度が徐々に下がっていっているのにも気付いている。もちろんエアコンを始めとする空調機器は効いていない。昼頃暑さを見せたらつけようと思っていただけで、まだスイッチは押していないのだ。
続いてローテーブルに置いてあった客用のティーセット達が割れる。砂糖の入っていたガラスの瓶は粉々になり、中にあった角砂糖もすべて形を保てずサラサラと崩れていく。
金属製のおぼんの上は、割れたティーセットとガラス、砂糖まみれだ。
――あとで片付けるのは俺なんだがな……とドミニクは心の中で嘆息する。
宇宙すらも滅ぼせるこの魔女の怒りを浴びて、生きた心地が出来るものなどいない。確信を持って「自分には危害はない」といえるドミニクは別として、この場にやって来ていた魔女連盟共の年寄りには効いている。
「看守は」
「い、一応、生きて……おります……」
「植物人間は生きていると言えるのか?」
「……」
流石は連盟を取り仕切る者か。威圧的な質問にもなんとか答えている。
新入りは涙を流して小さな声で神に祈り命乞いをしているほどで、それを咎められぬほど他の幹部達も心が参っているようだ。
彼らが魔女とはいえ流石に同情する。
ドミニクがバルバラの肩に、大きく肉厚な手を置く。未だに続いていたポルターガイスト現象や、ラップ音は一瞬で消えた。
ポンポンと叩いてバルバラを落ち着ける。常人の腕が三本束ねてあるほどの、太ましい腕からは考えられぬほど優しい。その手はそのまま不躾に頭を撫でる。魔女共から見れば自殺願望者かというほどだが、バルバラとドミニクの関係性を知ればそんな言葉は出てこないはずだ。
「落ち着け。ビビってんだろ」
「…………」
「コーヒー?」
「……砂糖は二つ。チョコレートも……」
「朝食もあるから菓子はなしだ。用意するからちゃんと相手してやれ」
「……ん、分かった」
魔女達は小さく内心で感謝する。人間風情に感謝することなどプライドが許さないが、彼は別だ。確かに人間と同じで下に見ている存在だが、それでも唯一あのバルバラに見初められた男なのだから。
客間を出ていくドミニクを見送ると、バルバラは魔女連盟の男達を見た。バルバラが落ち着いたとは言え、緊張が解けるわけではない。
バルバラの機嫌が少し戻れど、自分達がおかした失態が消えるわけではないのだ。しかもその失態は世界を揺るがすほどの重大事件。
「看守は後で私が診る」
「お待ち下さい! 彼は人間です。それでは規定に反します!」
「黙れ。三百歳程度のガキの分際で私に口出しするな。そもそもあの男が人間に手を出した時点で、規定などあってないようなものだろ。このまま殺して家族になんと告げる? ほれ、言ってみろ」
魔女連盟と魔女狩り協会の規定では、魔女が人間に対して魔術を使うことは固く禁じられている。それを利用して魔女専門刑務所では、看守は大抵が人間のする仕事なのだ。
もちろん強く望めば魔女も看守になりえる。しかしそれでは収容されている魔女共から「同族の裏切り者」というレッテルを貼られ、報復の対象もしくは人間に媚びへつらうイヌとして軽蔑・攻撃の対象にされやすい。
それを避けるためにも基本的には人間以外は配属されない。
魔女が魔術を使えぬよう設備も整えられているので危険はないのだが、今回のように出所の時に枷も外され檻から出た状態――完全に普通の魔術を使える魔女となった状態での攻撃は避けられない。
攻撃を受けた看守は人間の病院で治療を受けているものの、魔術による外傷は科学でどうにかするには難しい。
それに必ずしも外傷だけとも限らないのだ。
「魔女狩りには言ったのか」
「それが……その……」
「ったく使えん連中め。何故躊躇するのだ? あれも私の組織だと言っただろう」
目が泳ぐ。協力関係にあろうとも、やはり相手は人間だ。プライドの高い魔女共は協力を促すだなんて嫌だろう。たとえそれが同族の失敗であっても。
そのタイミングでコーヒーを持ったドミニクが戻ってくる。出来たてのコーヒーのいい匂いが部屋に充満した。トレーに乗っていたのはこの場にいる人数分だった。
そのことに少しだけバルバラは不機嫌になりつつも、ドミニクからコーヒーを受け取って一口。
――やはりうまい。それだけで気分がよくなる。
一応魔女連盟の男達の前にも置いたが、飲むことはないだろう。新人が少しだけ飲みたそうにして年寄りの顔色を伺っているが、それを許してくれないようで。
「何だお前達。私のドミニクが入れたコーヒーを飲めないのか」
「い、いいいいいえ! 頂きます!」
そこまでして飲んでほしいわけじゃないけど……、とドミニクは少し呆れる。だが残ったものは捨てざるを得ないから飲んでもらったほうがいいのだ。
「調査も始末も全て、この件は私とドミニクが担当する。助力は頼むだろうが、口出しはするな」
「……了解しました」
誰が大魔女に口出し出来ようか。後ろに立っているボディーガードのような大男だ、というド正論は置いといて。
魔女連盟の魔女はそんな芸当出来ない。怒りを買って殺されるのがオチだ。
それに魔女連盟ではもうどうしようもない案件だった。二百年も収容された男といえば、魔女界隈では相当だ。
魔女の寿命は長いものだが、それでも人間との確執が終わりを告げて五百年。その半分近くを収容所で過ごした男。
名前を、ヴラジスラフ・レーシン。
未だに歴史が続く魔女一族の一人だった。もう一族は「縁を切った」と言っているようだが、彼がその姓を言う限りその認識は消えない。
――一族に汚名を与えた、大犯罪者。
掟を破り一族に伝わる魔術を悪用し、死傷者を多数出した二百年弱前のあの事件。
当時は魔女狩り協会や魔女連盟が発足して三百年余り経過していたのにも関わらず、人間達は魔女狩りを続け火炙りに処していた。
「裁判も弁論もなしに裁くことは許されない」
そう魔女狩り協会も再三再四伝えているのに関わらず、人々は魔女を見つけては殺しを繰り返した。それも無害な魔女を、何人も。
中には純粋な人間だって存在した。
もちろん魔女達がそのことをよく思うはずがない。
だが人に仇なしてしまえば、連盟と協会の規定を破ったことになり、それこそ裁かれる対象となる。
魔女達は耐えに耐えて、必死に沈黙を続け、隠れて過ごすしかなかった。
それとは別に――いや、その状況を利用して。
ヴラジスラフは自分の殺人衝動や快楽、魔術を使うことによる喜びを得るために力を使った。
取り押さえられたときは狂気に満ちていた。頭を押さえつけられ、地面に伏していたというのに、両手は次の命を奪おうともがいていた。
バルバラが現場に素早く到着しなければ、もっと命が奪われていただろう。とはいえ犠牲者は都市一つ分はゆうに達していた。重罪は免れないと誰もが言っていた。
彼のせいで魔女達の立場はさらに危うくなったのだ。ようやく落ち着きを見せ始めていた魔女への偏見。裁判官達を含む知識を有する人間達が、魔女に対する考え方を変え始めたこともあって、無実の命が救われる機会が増えてきていた。
だがそれを崩すように起こったヴラジスラフの大量殺人事件。
魔女も人間も関係なく人を殺し練り歩いた。
当時は著名魔女一族の息子の一人だったこともあって、裁判は難航した。
人間は極刑を望み、魔女はまだ考える余地があるとして裁判を引き伸ばした。
大魔女であるバルバラですら、彼には甘い罰を与えるなどということはして欲しくないと願った。だが口出し出来なかったのは、連盟と協会とで決めた裁判のもと裁くという決め事があったからだ。
それに彼女の中にも少しだけ「有名一族なのだから、少しは待遇を考えてやったほうがいい」という思考も残っていたのかもしれない。
結局ヴラジスラフは二百年という、人間では考えられない時間を刑務所で過ごすことになるという結果になった。
刑務所は日々バルバラの魔術で強化され、彼女並みの力を持っていないと突破など出来ない。中では魔術を使うことが出来ない上に、更に強く魔術を抑制する枷すら付けられる。
だから行動を起こすとすれば、出所のタイミング。
その瞬間で今までの培ってきた怒りと憎しみを、すべてぶつける。
「ドミニク、準備しろ」
「あぁ」
魔女達が去った部屋のコーヒーを片付けると、ドミニクは自室へ向かう。
バルバラの部屋とは違いよく片付けられている。十二分に広いその部屋には、トレーニング用の機材もちらほら見受けられる。
195cmの巨体を包み込める巨大なベッド、モダンでシックなクローゼットやキャビネット。全体的に黒などの上品な色で纏められた部屋は、正に現代人と言っても相応しい。
バルバラほどではないが、紙の本も幾つか持っている。最近では専らタブレットやスマートフォンで電子書籍を買って読みがちだが、ドミニクも古い人間なのだ。稀に紙の本を読みたくなるときがあるのだ。
キャビネットの上には、十冊程度が収納できる小さな棚がある。そこにあるのは話題になった小説だったり、有名人の自伝小説だったり様々だ。
そしてその横には、アクセサリートレイが一つ。
赤い平らな石がはめ込まれた指輪、十字の描かれたシルバーの指輪。どれもドミニクのゴツゴツした指に見合った指輪だ。
そして一番目立つのは、ゴールドのチェーンネックレス。
慣れた動作でそれらを身につけていく。
おしゃれということもあるが、これらは全てバルバラからもらったものだ。
バルバラは魔女で、人間に危害を加えることは許されない。だがドミニクは“一応”人間だ。これらは有事の際にドミニクを助ける魔術アイテム。攻撃力を上げたり防御力を上げたり、その程度であるもののドミニクの、ひいてはバルバラを助けるものなのだ。
着替えを終えたドミニクが廊下に出ると、珍しくバルバラも支度を終えていたようだ。いつもならば二度寝をしたり遊んでいたり本を読んでいたりと、遅れる彼女だったが今回は違うようだ。
事件の内容が内容だけあって、彼女も彼女なりに焦っているのだろう。
先程連盟の年寄り達に見せたカジュアルなものではなく、現在の趣味全開の衣服へと着替えている。
黒のライダースジャケット、赤いシャツ、黒い細身のパンツ。ドミニクが長身でガタイも良いこともあって、ヒールも惜しまない。コツコツと高鳴る赤いセパレートパンプスは彼女のお気に入りだ。
「まずは病院だな。起こせば証言を聞ける」
「直行する気か? 何も食ってないだろ」
「……じゃあ、下のカフェでフルーツサンドを買う」
「はいよ」
彼らの住むマンションの一番下には、万人受けする洒落たカフェがある。個人営業だがマンションの住民を始めとする人々に人気だ。それに何より一番受けているのは、店主とそのスタッフが行う魔術でのパフォーマンス。
もちろん人間に対して魔術は扱っていけないということもあって、店内で光が揺らめいたり花が舞ったりする観賞用だ。
最上階にはバルバラ達も住んでいることもあって、連盟も協会も口出しはしていない。
当然だがコーヒーや食べ物諸々に魔術を練り込んだ時点で摘発対象なのは、他の魔術を取り扱う店と変わりはない。
連盟の魔女達と話をしたせいで時間は昼前、時間からして十一時すぎ。
人によっては早めの昼食を取り始めているらしく、元々コーヒーのうまいカフェということもあって繁盛している。
営業回りの労働者もパソコン仕事がてら寄ることがあるようで、昼前だろうとなかろうと繁盛しているのは同じだった。
ドアベルが鳴って二人の入室を知らせる。魔女であればバルバラの気配に気付くことなど容易い。たとえドアベルがなくとも、偉大なる大魔女の入店は入る前から分かりきっている。
若い女スタッフが一人寄ってきて、トレイを小脇に抱えて伝票を書きながら困り顔を向けてくる。
「すみません、バルバラさん。今はどこも空いてなくて」
「そうみたいだね。繁盛していていいじゃないか。すぐ出ていくよ。ただコーヒー二つとフルーツサンドだけ貰いたいんだけど」
「あ、はい! それならすぐ! 立ってお待ちいただくことになりますけど……」
「年寄りだって、立って待つことくらいできるよ」
「ふふ、じゃあ少し待っててください!」
彼女は半年前に入ったまだまだ新人だ。昼時のラッシュに半年も耐えている、この店にとっては優秀な人材。
それになんと言っても人間だ。
この店では店主をはじめ、ほとんどが魔女だ。そういう店で人間が働くことは、バルバラの見てきた歴史ではここ数十年でようやく見せ始めた変化だ。
プライドも高ければ頭も固い長く生きる魔女にとって、変化に対応していくのは難しいこと。
だがそれを可能にしたのは、どこかの魔女が人間と恋に落ちて、子供をなしたことから始まる。禁忌を破ったと揶揄されたが、バルバラとしては――今の、バルバラとしては素晴らしい変化で、思い切りだと思っている。
その魔女の恋が世界を世間を全てを変えた。
だからバルバラも今こうして、ドミニクと横に立っていられる。
「俺は別にコーヒー要らないが……」
「これからの仕事はきついから。奢らせなさい」
「そりゃあどうも」