004 ザ・ファースト 一話
魔女専門刑務所。
犯罪を犯した魔女達が収容される特別な刑務所だ。
囚人には設立者が生み出した特殊な枷をはめられる。それを用いればこの刑務所では魔術を使うことなど出来ない。もしも使えるものがいるとすれば、それは世界で一番強いとされる始祖・大魔女を凌駕する力の持ち主。
だが当然ながらそんなものは彼女以外に存在しないし、存在させない。
枷だけではなく檻にも加工を施されている。この刑務所は数百年と続く長い歴史がある。その中でその魔術を込められたアイテム達は、経年劣化をしていく。魔術とて万能ではない。
だから設立者はたまに顔を出してはそれらを強化していく。枷は最初のストッパーだ。そしてそれを補うように檻がある。
流石にどちらも同時に劣化することなんてありえないが、そんな事があった時にはこの世界は終わるだろう。
「バルバラ・ヨーナス・チェルマーク」
刑務所の奥、独房。この場所は更にそれを強化された場所。もちろんそれが意味するのは、凶悪な犯罪者が収容されているということだ。
そしてそこから聞こえる声。一定のリズムで告げるその言葉は、名前だ。
この刑務所を生み出した人物。世界の魔女の始まり。全ての頂点に立つ存在。
しかしどれだけ強大で偉大であろうとも、彼にとっては忌々しき存在。例えそれが彼の魔女の力の源、始祖だとしても。
「バルバラ・ヨーナス・チェルマーク」
忘れぬよう脳裏に刻む。体に、喉に、口に刻む。
顔などとうに忘れた。ここ数十年奴はこの独房に顔を出していない。警備強化で足を運ぶ際に刑務所自体に頻繁に立ち寄るが、この男が収容された場所までは姿すら見せない。
それほどしっかりとした警備なのだ。魔術が使えない今、力を強化することなど出来ない。バルバラと呼ばれた大魔女もそれを理解していて、だからこそ始めにこの場所に押し込んだ時に数百年は耐えられるよう何重にも強化を重ねた。
そして彼が押し込められている間。世界は平和になったようで、数十年も顔を見せないあたり、とうとうあの大魔女もボケたかと嘲笑った。
だが嘲笑っても彼の中の怒りと憎しみは消えることは無い。どれだけ世界が生ぬるくなろうと、魔女と人間が和解して平和になろうと、彼の中の誓いはひとつ。
「バルバラ・ヨーナス・チェルマーク」
この魔女の始まりの女を、殺すことだ。
――500年前。
長かった魔女と人類との確執が、形的に終わりを告げた。
人間らによる魔女狩りが過激になる一方で、それに耐えきれなくなった魔女達が直訴したのだ。人間達に危害を加えぬ、魔術を使わぬと。ただの直訴ならば受け入れられないだろう。
話してきた魔女たちを更に捕まえ、火炙りに処すだろう。
しかし人間側もそれを飲んだのは理由があった。
――バルバラ・ヨーナス・チェルマーク。
魔女、魔女と関わりのある人間、魔女のことを調べていた者ならば、その名前を知らぬものはいない。
いわゆる始祖と呼ばれる存在。
不老不死であり、初めて魔女となったもの。
そして何より。
彼女が魔女狩り協会を作り、魔女連盟を作り上げた。
魔女狩り協会は日々魔女を監視し、それはまるで魔女専門の警察組織のようなものだった。人々の作った組織との違いがあるとすれば、魔女達は法の下裁かれて、専用の刑務所へと拘束される。
これは人間側も同意した事柄である。
魔女連盟は、人間に危害を加えぬと誓った。そして今後一層の同族達の新たな知識を、力を得るために学会を開いたり教育したりしている。
古き文化を有した魔女達は淘汰されつつある。科学が発展した現代で淘汰される魔女達が、己の先祖の知識、知恵、能力、技術。それらを失わぬよう、保存するよう日々精進しているのだ。
この両者が力を合わせる時。否、合わせざるを得ない時。それは人類と魔女の存続に関わる、一大事を示すのだった。
***
――昼前、アメリカ・ニューヨーク。
ドアベルがけたましく鳴る。
3回ほど続け鳴らされたのを確認して、キッチンに立っていたスキンヘッドの大男は嘆息した。
皿を取り出し、慣れた手つきで綺麗に出来ていた焦げ目すらないオムレツをそこへ乗せる。出来たてだと教えるのはそれから発せられるいい匂いと柔らかな湯気だ。
出来たてをすぐに提供出来ないことを悔やみながら、完成したオムレツを見つめる。
そのまま彼はフライパンをコンロに戻した。片付けしておきたいところだが、おそらく玄関で待っているだろう人物達はそれを許さない。
玄関に向かう前に、男はヤカンを取り出してミネラルウォーターを入れ、火にかける。どうせ「要らない」と言われるだろうが、コーヒーなり紅茶なり用意するつもりではあるという気持ちだけでも表しておくべきだと思ったのだ。
キッチンを出るついでにインターホンのモニターで顔を確認すれば、その〈おそらく〉は〈絶対〉に変わった。
苛立ちを隠さぬ顔、英国紳士さながらビシリと決めたスーツ、嫌味を言ってきそうな表情。
「お偉いサンってのはどうも嫌なんだよ」
そう嘆きつつドタドタと大股で玄関へ向かった。
玄関までの道中、長い廊下で何度も何冊も放置されている辞書並みの厚さの本を拾いながら。一緒に住んでいる女の本だ。彼には到底理解の出来ない内容が書かれているのだが、それでも大切な彼女が愛読している本だ。雑に扱うことなんてしたくない。本人は廊下に放置するあたり雑に扱っているようだが。
それに今日は天気がいいと聞いたから、掃除をしようと思っていたのに予定が狂った。
この来客では今日は掃除どころか、数日家に帰れないかもしれない。それも彼が選んで歩んできた道だから仕方ないのだ。
そしてそんな彼を急かすようにドアベルが4回目の悲鳴をあげる。
「お待たせしました」
「チッ、ドミニク・ダンフォードか。バルバラ様はどうした」
ドミニクが玄関のドアを開けると、モニターでみた通りの男たちが立っている。高圧的で人間を下に見ている。
――魔女の一族だ。
さて、魔女なのに男なのか。という疑問についてだが。
それは近代化した魔女界隈でもここ数十年議題として上がって来ていることだ。
本来はその名の通り魔女は女しかいなかった。
しかしその魔女も年を経て、愛を知り、人と恋に落ちた。人間と魔女が和解したこともあって、所謂魔女とのハーフである男が生まれることはそう少なくはない。
寿命も長く頭も固い彼らは、呼び名を未だ「魔女」と呼ぶ。
それはここ百年近くは男の魔女も多数存在するというのに、変わらずだ。
最近では差別だと言って活動を起こす若者もいる。とくに近年では人間界隈でもそういった事はデリケートになっていて、「魔女呼び名運動」は人間も参加するほど過激派している。
「これから起こすつもりでした」
「これから? もう10時になるぞ」
「本当なら仕事のない日だったんですから、それくらいいいでしょ。アンタもしかして休みの日も早起きすんですか?」
高圧的な態度に苛立ちを隠さず、ドミニクは言いたいことを言う。本当ならばここで殴ってやりたいところだが、一応コレでも奥で眠る大切な女性の部下だ。
下手に傷つけられないだろう。
言われた魔女の男も腹が立ったようで、分かりやすく顔を歪める。
「客間で待つ、とっとと起こしてこい」
「へーへー」
ズカズカと入り込む男たちを見送りながら、彼――ドミニク・ダンフォードは寝室へと向かった。
都会にそびえ立つマンションの一箇所。部屋の数は多く、二人の男女が住むには広すぎる。しかしそれでも足りないと思えるのは、この家の主の女が書物や仕事道具を多く所有しているからだろう。
寝室を除けばほとんどの部屋は彼女の所有物でうまる。中には衣装部屋もあったりするが、大抵は本棚で埋め尽くされている。
寝室に着くと、とりあえず礼儀としてノックを三回。返事は無かったが、一言声を掛けて入る。
木製の落ち着いた扉を開けると、まず初めに刺激される五感は嗅覚。慣れるのは大変だったが、最初の一年苦しめばあとは楽だった。そしてこの匂いは百年近く嗅いでいる。
この部屋で眠る彼女にとっては必須で、彼女を安眠へ導く守りのお香なのだ。
そして次にキングサイズのベッドが飛び込んでくる。ベッドシーツやマットは全て特注で、金額を見た時は心臓が飛び出るのではと思うくらい驚いたものだ。
だがその金額はこのベッドで眠る彼女が出したわけではない。
彼女に救われた者たちが出したのだ。
「――バルバラ」
「起きてるよ」
「ジジイ共が来てる」
モゾモゾと動くベッドの膨らみ。高級布団から飛び出してしたのは、一人の女。
その容姿は人目見たら忘れられないだろう。
ウェーブのかかった黒髪。それに織り込まれるように灰色や赤青などのメッシュが数本。
瞳は黄色く、まるで狼のような鋭さを持っているように見えるが、全てを包み込む月のようにも見えた。この輝く美しい瞳に見つめられるときが、ドミニクにはどうも愛しく感じてしまう。
そして喉には十字のタトゥー。両手の甲にも太陽を象ったタトゥーが彫られている。魔術的に意味のある彫り物だそうだが、ドミニクは聞いてすぐ忘れてしまった。そういったことには疎いのだ。元々彼女からは「そういったセンスがない」と言われているからだろうか。
さて。彼女こそ、バルバラ・ヨーナス・チェルマークその人である。
「ドミニク、今日は何日?」
「今日は九月七日だ」
「はぁ……」
バルバラはあからさまにため息を吐いた。気だるそうにベッドから降りれば、その辺に投げてあったデニムのパンツを拾う。
昨日だか一昨日だかに脱ぎ捨てたものだった。ドミニクにとっても正直あの魔女共は気に入らないが、それでも上層部ということもあってちゃんと洗いたてのパリッとしたスーツなどを着てほしいものだ。
たとえバルバラがその上層部の上に立つ魔女だとしても、だ。
ドミニクはクローゼットに走り、適当なTシャツを掴んで彼女の元へ戻る。
着ていたブカブカのシャツを引き剥がして、用意したシャツを被せた。下着が見えるほどに明らかにブカブカのそのシャツは、誰がどう見てもドミニクの所有物だ。
あの固い脳みそのお偉方にこの姿を見せるわけにはいかない。
ただでさえ凝り固まったその思考は、共存を始めて数百年経っているというのに未だに人間を下に見ている。
「流石にそれは着ていくな」
「いいじゃない。アピールだよ。私達は種を越えて愛し合ってますよって、あの堅い頭に叩き込んでやる」
「黙って着替えろ……」
カーディガンを羽織らせて、シックなパンプスを履かせる。
まだ眠気が覚めやらぬ女を寝室から追い出し、客間へ急がせる。
ドミニクも散乱していた衣服や本を軽く片付け、バルバラの後を追った。