005 ダニエルとキャサリン 第二話
「行きましょう、ダニエル。彼は使えるわ」
「!」
キャサリンはテーブルにピッタリの金額を置いてダイナーを出る。
扉をくぐるとダニエルが駆け寄ってきて、キャサリンを抱き抱えた。まるで我が子を抱くように持ち上げれば、ただれた顔で嬉しそうに笑う。
「警察は向こうね」
「?」
ダニエルは《警察》と聞くと足を止めた。彼なりに自分達がしていることを理解しているのだ。
警察は《悪い》ところで、行ったら帰って来れないと。
「そうよ。彼は警官だから警察に行くの」
「………」
キャサリンが説明すると余計に不安になるダニエル。彼は自分が捕まることよりも、キャサリンと一緒にいれなくなることを心配していた。
それにキャサリンの境遇を知っているから尚更心配だった。キャサリンを怖いところに行かせられないと思っているのだ。
ダニエルにとってキャサリンは唯一の光で、女神で、愛する女性だ。男として惚れた女を守るのは、例えそれが望まれずに生まれた殺人鬼だとしても同じである。
「大丈夫捕まらないわ。私が守る」
「…………!」
「あらありがとう」
ダニエルはこのように口が上手くきけなかったが、キャサリンは超能力で心の声を聞いているお陰で会話が成り立つ。
逆にキャサリンでなければ彼と満足に会話する人間はいないだろう。(キャサリンは人間ではないが)
小さな町のおかげか、警察には10分も掛からずに到着した。入口前にキャサリンを下ろすと、ダニエルは帽子をさらに深くかぶる。
「あら?」
中に入ろうとした時、警察の横で一服しているジャックを見つけた。休憩時間なのか、先程の真面目そうな雰囲気は見られない。
制服も雑に脱いで、隣の柵に掛けてある。
「警官さん、お休み?」
「……ああ、キャサリン」
ジャックの顔を見ると微かに瞳が潤んでいる。何かゴミが入ったか、欠伸をしたのか、あるいは――
「泣いていたの?」
「……いや」
「娘さんのことかしら」
キャサリンが話すとジャックは警戒した目で二人を見た。まず彼が言う言葉はこうだ。「なぜ知っている」。それに答える言葉はなく、ただ微笑むキャサリンが居るだけ。
「私なら貴方の恨みを晴らせるわ」
そういうとジャックの不信感は更に増した。数日で何度も通報のあった怪しい男女。自分の過去と結びつく事柄を知っていて、それを何とかできると言ってくる。
疑わずしてなんになろう。
「信じられないね」
「じゃあ事細かに話しましょうか?」
数年前に起こった事件。
複数人の旅行者と地元の少女が強姦殺人にあったこと。
片田舎であったことと、ちゃんとした捜査網が敷かれなかったせいで事件は有耶無耶になり結局犯人は野放しのまま。
犯人の目星はついたものの、ちゃんとした証拠が出ずに時だけが経過した。唯一の地元の犠牲者の身内――父であるジャックが執念深く監視を続けている程度だ。
犯人が町で一番の金持ちの息子であるが故に、この程度の事件をもみ消すなぞ造作もないことだった。
報復を恐れ、町民は口を閉ざし事件に触れようとしない。
キャサリン達がしばしば通報にあったのも、その事件のことがあったからだ。実際の犯人は何となくみな知っているものの、それでも通報をしていた。
「でも残念ね。私のやり方じゃ法廷で裁けないの」
「…………」
「人が来たみたい。もう行くわ。宿に居るから、いい返事待ってるわね」
キャサリン達が去ると、同僚が顔を出した。「何してた?」と怪訝そうな顔で覗き込んで来たが、適当にはぐらかした。
*
深夜。ダニエルが眠ったのを確認すると、キャサリンは一人静かな町へ出た。片田舎の深夜。点灯する街灯は限られていて、薄暗く町中を照らしている。
初めてこの町に来た時、まるで故郷に戻ってきたような感覚があった。住んでる人間はほとんどが心の汚い人間ばかりで、大抵の人間が犯罪歴があった。
公になっていないことを含めても、誰もが何かしらの悪事に手を染めていることが分かった。
理由としてはこの町が他の地域から切り離されているからだ。車で1時間以上掛かる隣町では、出発前に何度も「間違いないか」と聞かれた。
死者が出る恐怖の町として警戒され、都市伝説化しているのだ。
毎年夏に肝試しと称してやって来た若い男女が帰らなくなるのもザラだと言うのだから、それは警告するだろう。
この二人には関係の無いことなのだが。
「……っきゃ!?」
夜中の町中をブラブラと歩いていたキャサリンは、突然後ろから口を覆われる。そのまま持ち上げられれば、背の低い彼女は足をばたつかせる以外抵抗のすべが無くなった。
ゴン、と鈍い音がして倒れ込んだのは、彼女を襲った男の方だった。
キャサリンは倒れた男の腕の中から這い出て、背後を確認する。そこには宿に置いてきたはずのダニエルが立っていた。手には男の血で染まったハンマーが握られている。
「………」
「一人で大丈夫よ?」
「………!! ………!!!!」
「そんなに怒らないで、ごめんなさい。じゃあ一緒に行きましょう?」
こんな隔離された町は、二人にとって好都合。正義と言えば聞こえはいいが、結局二人もやっていることは同じ。汚い人間を殺す報復をするだけ。
依頼を受けてる訳じゃないし、ただ彼らがやりたいだけだ。
ダニエルは伸びている男の足を持って引きずって、近くの茂みに放り投げた。男が「うぅ……」と唸るものだから、まだ息があると気付いた。
生かしておく理由はない。ダニエルはハンマーで頭を何度も殴った。「フー、フーッ」とダニエルからは鼻息が荒く漏れている。
顔面が判別のつかないほど変形してから、キャサリンが言った。
「もう死んでるわよ」
キョトンとした顔でキャサリンを見つめるダニエルはまるで子供だ。
その不気味にただれた顔で、満面の笑みを見せる。
それが無邪気で可愛いものだから、キャサリンも小さな手を伸ばしてダニエルを撫でた。
「それに今日の用事はそれじゃないわよ」
「……」
ダニエルは何度も頷くと、そのまま茂みに鈍器を置いてキャサリンの方へと歩み寄る。
街灯に照らされた彼は返り血で服が濡れ、顔まで血まみれになっていたことに気付く。
キャサリンがダニエルの胸に手を置くと、付着している血液が這うようにして手のひらに集まっていく。暫くすればすっかり綺麗になったダニエルがそこに居た。
キャサリンの手のひらは血まみれだったが、じわじわと血液が肌に染み込んで、最終的には傷一つのない綺麗な白い手に戻っていた。
「行きましょ」
キャサリンはニコリと微笑んでダニエルの手を引いた。キャサリンに触れられたことで、ダニエルはまた満面の笑みを見せる。そのまま彼女を強く引っ張って自分に抱き寄せた。
ペットを抱き上げるがごとく持ち上げれば、ヤレヤレとキャサリンが嘆息した。
ダニエルの中ではキャサリンの移動方法は自分だと言う認識があるのかもしれない。
何度も言うがホラー映画よろしくこの町には馬鹿な若者たちが未だにやって来る。隣町で何度も忠告されようがお構い無しだ。
若さというものは、危険と反抗で出来ているのかもしれないとキャサリンは思った。
「あ、そこは右よ」
「……?」
「それは植物で作ったカーテンで、カモフラージュなの。先に小道があって小屋に出るわ」
「♪」
ちょっと目を凝らせば分かりそうなものだが、丁寧に説明するのは、キャサリンもキャサリンでダニエルが可愛いからなのだ。
植物カーテンをくぐり抜けると、遠くに小屋が見える。周りの草木が当たらぬように、腕でカバーしながらキャサリンを抱き抱えるダニエル。
この程度の草木などキャサリンにかかれば何ともないのだが、彼女の境遇からすれば守られることはとても嬉しいのだ。故に何もせずただ抱えられていた。
「いやあぁあぁあ!!」
小屋から若い女の悲鳴が聞こえる。ダニエルが小走りで小屋へと向かった。
ドアノブに触れて回すが、ガチャガチャと言うだけで開くことは無い。中から鍵が掛かっているようで、開けるのは困難だろう。
「下ろしてくれる?」
キャサリンが頼むとダニエルはキャサリンを優しく地面へ下ろした。そこでようやく、地面がぬかるんでいることに気付いた。別段雨が降ったということも無い。
薄暗くてよく視認できないが、地面は赤黒く染まっていた。キャサリンの可愛らしい女児用の小さな靴は、汚く染ってしまった。
液体――血液は、家の中から漏れていた。
既に始まっていたのだろう。鼻を利かせれば鉄分の臭いがほのかに香る。
「開けてちょうだい」
キャサリンが言うと、ダニエルはドアに思い切り体当たりをした。2mの巨体の体当たりで無事なはずがなく、呆気なくドアは壊れた。
ドアを壊すと一気に死の匂いが強まった。中には二人ほどの男が死体になって積み上がっており、おそらくこの町に興味本位でやって来た馬鹿な若者だろう。
「私はこっちを見るわ。ダニエルは反対側からね。生きてる人がいたら外に出て守っててあげてね」
「……♪」
見た目通り狭かったが、人がいる気配がなかった。この小屋はカモフラージュで、実際は地下に広くエリアが存在するのだ。
キャサリンが歩いていると、案の定床に扉を見つけた。これが地下に繋がらないというならとんだインテリアだ。
耳をすませば風の通る音が聞こえる。下には何かしら部屋があるのだ。
扉はキャサリンでも簡単に開けられた。こんな安易なものがわかりやすい小屋にあるというのに、未だに住民には知られてないあたり、この町はおかしいのだろう。
「やめてぇえぇえ!!!」
扉を開けると叫び声がより一層届く。キャサリンはダニエルを呼んで下に降りることにした。
地下室は薄暗く、そして酷く臭う。血液だけではない、何かが入り交じった様々な嫌悪感のある臭いだ。
ここの家主は相当な常習犯なのだろう。観光客につけ入り、何度もここへやって来た。
長く続く通路の脇には小さな部屋が設けられていて、まるで拷問部屋と言わんばかりの器具が並んでいる。
飛び散った血、散乱する肉。ここで行われたおぞましい行為を想像して、キャサリンは嫌気がさす。
「あら」
歩いているとひとつの部屋で動いているものがあった。片腕片足が切断され、死にかけているものの、何とか生きている。
昼間にダイナーで見かけた若者だった。おそらく今襲われている彼女の友人だろう。
「だ、す、げ…」
キャサリン達に気付いたのか、うぞうぞと動きながら声を上げる。




