005 ダニエルとキャサリン 第一話
「汚い町ね」
ダイナーの隅にあるテーブル席で、少女がつぶやいた。ソファーに座れば足がつくかつかないかくらいの少女だ。
まだまだエレメンタリースクールに入っているくらいの年齢だろう。
その手前に座るのは、真逆も真逆。2mをゆうに超える大男だ。
しかし精神年齢は些か低いようで、ミートスパゲティを汚らしく食べているフォークの持ち方すら知らないのか、その持ち方――否、握り方は荒々しい。
男がキョトンとした顔で少女を見つめれば、少女がまた口を開いた。
「……?」
「違うわ、貴方の言うそれは外観のことよ。私は人間が汚いと言ったの。街自体はビックリするくらい綺麗だもの。観光客なんていないのに」
「……、……」
「まぁそれもそうね」
少女はテーブルに備え付けてあるナプキンを取ると、まるで子供のように口の周りがソースだらけの男の顔を拭った。
「見てあれ、気持ち悪」
「ちょっとステイシーやめなよ」
二人を指さして笑うのは、同じく町に観光に来ていた若者だった。この町は田舎町だったが、祭りやある噂でやってくる人間が多い。彼女らも後者だろう。興味本位でやってきて、後悔することとなるというのに。
若者達はキャサリンと目が合うと、そそくさと逃げていった。ダニエルは不快そうに飯を食べている。
キャサリン達二人に一つ、足音が近付いてくる。別にトイレの側の席というわけでもないし、こんな隅っこにわざわざ足を運ぶとなれば、彼らに用があると言うことだった。
「また君らか」
彼はジャック・バンクス。この小さな町の小さな警察で働く警官だ。田舎町のゆるい警官とは違って彼は真面目で、今回も通報を受けてこのダイナーへやって来ていた。
少女達もこの警官に出会うのは三度目だ。この町にやって来て数日と経過していないが、幼い子供を連れた怪しい大柄の男なんて警戒されるだろう。
「流石に三度目となると見過ごせない。IDの提示を」
「はい、どうぞ」
少女はニコニコと愛想笑いをして、ポケットから財布を取り出した。そこに入っていた身分証をそのままジャックへと差し出す。証明書に書いてある事柄も嘘のようには思えないし、貼り付けてある写真も合致する。
男の方は顔を隠しているから分からないが、写真を見れば隠すのも頷ける。証明写真に写っていたその顔は醜くただれ、片目は変色し白くなっている。無事な方の目も皮膚が剥がれてむき出している。
「……キャサリン・ギビンズと、ダニエル・ハマートンJrか」
「ええ」
「その男は君の保護者か?」
「うーん。まぁそういう時もあるし、そうじゃない時もあるわ」
大柄の男――ダニエルは、名前を呼ばれた時にジャックを一瞥したものの、すぐに自分の食べている料理へと顔を戻した。大量にあったミートスパゲティは空になり、両手で大量のフライドポテトを口に運んでいる。
ジャックはそんな様子を見て、実際はこの幼い娘が保護者なのだろうと察した。
手帳に二人のIDをメモし、「四度目はないといいな」といってダイナーを去った。
「彼はこの町の貴重な人種ね」
「………! …………?」
「白人黒人って意味じゃないわよ。真面目で誠実、何より綺麗なのよ」
*
キャサリン・ギビンズはこの町はおろか、この州ではないところで生まれた。良いか悪いかと言われれば最悪だった。
物心付く前には母親が離婚して家から出ていって、残されたのは賭け事と飲酒喫煙ばかりの働かない父親。
聞けばキャサリンは望まれて生まれてきた娘ではなかった。父親の性格から考えれば、無計画に性行為を行ったのも手に取るようにわかった。
母親について詳しく聞いたことはなかったが、ストリッパーだの娼婦だっただのいい話があった覚えもない。
家庭環境が肥溜めのようならば、せめて学校生活は充実していると思いたい。しかしながらそうはいかない。
底辺の家を出て学校に向かえば、彼女をあざ笑う視線が待っている。
ロッカーを開ければズタズタの教科書が溢れているし、たまに虫だのネズミだのの死骸が入っていることもある。人の少ない町の学校だった故に、廊下に設置されたロッカーは少なかった。上下に別の人のロッカーがないことが唯一の救いと言えよう。
キャサリンは学校でこういった目にあうたびに、昔テレビで見た古い映画を思い出す。怖い内容だったはずだけれど、キャサリンにとってはヒーローだった。力に目覚めた少女がいじめっ子に復讐をする。いつか自分も、相手をギャフンと言わせるんだと心に夢見て。
だが現実はそううまく行かない。
どころか地獄へと落ちていった。キャサリンが学校生活に耐えて成長していくと、次第に見た目が母親に似てきたのだ。
クズの父親が放っておくわけもなく、ある日の帰りにキャサリンは父親に無理矢理犯されたのだ。年齢も二桁になったばかりの頃だった。
キャサリンがあまりにも抵抗するものだから、父親は何度か身体を殴った。するとキャサリンはぱたりと抵抗をやめた。
父親が達してから気付いたのは、自分の娘を殺したことだった。だがこのクズの父親のことである。彼は自分の家の庭に彼女の死体を捨て、埋めた。
雷雨の夜だった。
『今日から明日にかけて、激しい雷雨と――』
「チッ……。酒場もやってねえなこりゃ」
窓から外を覗けば、どこかの家の荷物が飛んでいくのが見えた。頭の悪い男だったが、流石にこんな日に酒を飲みに出るほどではない。何より家にも酒はある。幸いテレビはつくようだから、と彼は外出を控えることにした。
雷の光と音の幅が短くなっていく。さほど遠からぬ場所で落雷しているのだろう。ピカリ、ゴロゴロ。その繰り返しだ。
雨足は恐怖を煽るように強くなる。
「まずい……!」
そして雷は、あろうことか庭の――キャサリンの死体が埋めてある場所へと落ちた。周りの草木が燃え、埋めてあった不自然な土の辺りにくぼみが出来る。
それに気付いた父親は急いで庭に飛び出した。――この暴風雨で死体が飛んでいったら。町にはクズ男として知られているが、どうだっていい。だが娘を殺した殺人鬼として知れ渡ったらとんでもないことになる。
頭を覆い強風に耐えながら埋めた場所へと走る。立っているのもやっとな暴風雨の中、土の中を確認するとポッカリと穴だけが空いている。
死体はなかった。
「なんだぁ? 今ので焼けちまったか?」
中をよく覗き込む男。足元はぬかるんでいて、一歩間違えればそのまま落ちてしまいそうな縁から下を見ていた。
すると、ドンと背中を強く押される。深くほった墓穴に男はそのままダイブしていった。
「誰だ!? 何しやがる!」
強い雨の中上を見れば、小さな影がひとつ。土にまみれた、見覚えのある少女が一人。男は震えた。確認したからだ娘――キャサリンが死んだことを。
キャサリンはそのまま父親を生きたまま埋めた。そしてその足で町を血の海へと変えた。雷雨がおさまり、別の町の人間が駆けつけた頃には地獄が残されていた。
キャサリンの姿は、なかった。
キャサリン・ギビンズは一度死んで蘇った。憧れていた映画のようなスーパーパワーを手にして。




