山吹アイ
大悟が拾った少女。
霧雨に濡れた明るい色の髪は肩にかかるくらい。癖っ毛らしく所々巻いている。低身長だが声も表情もはっきり明るく元気な印象で、誰もが可愛らしいと言うであろう。
彼女は自ら、山吹アイと名乗った。
「そうか」
大悟は、やはり関わるべきではなかったと反省していた。
ネームタグと階級章が縫い付けてあるから「第10機甲歩兵大隊所属の山吹少尉」という最低限のことは分かる。若くして少尉と言うことはDA乗りの可能性もある。一般人の立場であれば、その情報で充分だ。軍人には厳格な守秘義務が課せられいる。詮索すべきではない。
なのに。
大悟は聞くつもりなど微塵も無いのに。
山吹アイは大悟の左隣を歩きながら、ぺらぺらと喋ってくれる。
「階級は少尉のDA乗り。認識番号GA1514129。身長150マイナス3cm。体重とスリーサイズは乙女の秘密。趣味はお散歩。特技はDAの操縦で、お料理大好きな永遠の18歳です」
突っ込んだら負け。そんな言葉が脳内を巡った。
150と刷り込む意義はなんなのかとか、求めていないから乙女の秘密とやらは最初っから黙っとけとか、大好きなら料理も趣味に入るだろとか、17歳ではないのは大人の事情なのかとか、言いたい事だらけだ。
だが。
ここまでの経緯から、相手をしたが最後、家に押し掛けて眠りに落ちる瞬間まで喋り倒される気がする。明確な拒否を突き付けないと何処までも着いてくるのではないか。
大悟は山吹アイをジロリ睨み付けた。できる限り声を低くする。
「子供に興味は無い。然るべき機関には届けてやるから静かにしとけ」
「ふふ、やっとこちらを見てくれましたね」
山吹アイが微笑みながら大悟の左手を掴んだ。遠慮も躊躇も配慮もなく掴み、繋いだ。
「邪魔だ。歩き難いから離せ」
「駄目でしたか?」
「そう言ったんだよ。理由付きでな」
「宮代さんの事がもっと知りたいのです」
「言葉という最強ツールで散々聞いただろ。つか離せ。しれっと無視してんじゃねえぞホラ吹きアイ」
「ちょ、ホラ吹きて酷い! か弱い乙女に随分と冷たいですねっ」
「3mの高さから不様に落ちても無傷だったろうが」
あの後、山吹アイはフラリと立ち上がり、大悟の制止に耳を貸さず普通に歩いた結果、地面に向けて自由落下した。頭から。
ああ死んだな、めんどくさい。そう思ったのも束の間、ムクリと起き上がると目をパチパチと数回。大悟を見るや「パパ~!」と豪速球の嘘をついて飛び付いてきた。
引き剥がそうと手を伸ばしたのだが、何かの体術を修めているのか全て笑顔でいなされ、質問攻めに遭った挙げ句の解放後に「行くところが無いので保護して下さい。ありがとうございます!」と自己完結して纏わりつかれ今に至る。所属がバッチリ見えているのに何を言うか。
「私、運だけはとても良いんです」
運の良い奴が何故落ちた。不運に溺愛されているだろ。
そう言ってやりたい大悟だが、構えば構うだけ嬉しそうにするので拒否すらも出来ない。ならばと無視する事にした。
ず~~~っと喋りかけられながら黙々と歩くこと20分。防壁に囲まれた町の入口に着いた。
F地区。それが町の名前だ。
人口約10万人の、町と呼ぶには規模が大き過ぎる地区。瓦礫集積場の周りには同じ様な地区が全部で6ヵ所にあり、AからFまでアルファベットを振られている。全て回収屋が拠点を構えた事で発生、発展してきた町だ。
「よう、大悟。久し振りに軍人さんを見るんだが、伝なんてあったのか」
門番をしていた男が声をかけてきた。
名前は門脇衛。まだ30代半ばだが、稼ぐだけ稼いだからと回収屋を引退して2年。今は半分趣味で持ち回りの門番を引き受けていて、月に数回は見掛ける。
接点は無いのに何故か名前を覚えられていたため、礼儀として大悟も覚える事にした。それだけの関係である。
「さっき拾ったんだよ。この通りピンピンしてるから役所に連れていって終わりだ」
繋がれた左手を持ち上げて示したついでに、それとなく外そうとしたが出来なかった。
「ついでに婚姻届を提出しましょう。殿方がお好みで貞操を守っているのでなければ」
「大悟。嬢ちゃんはこんな事を言っているがどっちなんだ? まさかお前」
ドン引きする門脇に、どっちの想像をしたんだと呆れ、どっちでもそうなる事に気付く。門脇をよく見れば口の端が上がっているし、本気ではないのだろう。からかわれただけか。
「おいホラ吹き。なんで地雷の2択になってんだ。役所に行ってさっさと浮島に帰れ」
「帰れって、役所離婚て事ですか? そんな不名誉な最速記録はゴメンです。せめて成田まで持たせましょうよ」
「成田? なんの事だ」
「古い文献で成田離婚という風習を見かけたのです。新婚旅行で海外へ行った夫婦は、帰国して成田空港に降り立ったら離婚する義務があったそうです」
絶対嘘だ。
もしくは間違って覚えている。
そう思った大悟だが、どちらが該当しても面倒な気がしたので離婚について突っ込むのは止めた。
「海外なんか行けないだろ」
「むかーしの話ですよ。でも良く考えたらそうなんですよね。うん、国内で我慢しましょう。新婚早々にバツが付くのもヤですし」
「勝手に進めんな。お前とは結婚しないし、新婚旅行も有り得ない。いい加減に目を覚ませ」
「むう、失礼ですよ。私はちゃんと起きています。宮代さんこそ、いまだに寝ているんじゃないですか?」
「あ~~、お2人さん、閉門の時間だ。てことは役所も締まるからな、続きはお家でやってくれ」
なんとなく分かったからと付け加えてシッシッと手を振る門脇に、山吹アイが満面の笑みを浮かべて、
「はい、そうさせて頂きます」
すっ、と腰を降ろす様な仕草をした。
「おっと。映画しか知らなかったけど、目の前で見ると優雅だねぇ」
門脇にそう言わせたのは、山吹アイ少尉の洗練されたカテーシーだ。
その感想に内心で同意しつつも隙を突いてみた大悟だが、左手は解放されなかった。
同じ頃。衛星軌道上の巨大な宇宙ステーションの1画。
間隔を置いて規則的に並ぶドア以外に変化がなく無機質で装飾も無い長い通路を、軍隊の制服に似たスーツ姿の女性が歩いていた。肩に触れる長さの黒髪がふわりと揺れている。
高めの身長のスカートから伸びた白い足は、すらりと引き締まっていて運動神経が良さそうな印象だ。黒い瞳を持つ顔に表情は無いのだが、精魂込めて作られた人形の様な美しさがある。
それもそのはず、彼女はymシリーズと呼ばれるアンドロイドだ。型番はym-a01cp。
a01は搭載された人工知能プログラムの学習レベルとバージョンを指し、cpがコピーである事を表している。
レベルaの上位はsしか無く、sの認定を受けた個体は未だに現れていない。バージョンも、辛うじてaに達したのが00と01のみ。他はbが最高ランクで、バージョンが進めば進むほどcやdで謎の頭打ちが起きている。a01とは、実質最高ランクのAIなのだ。
型番の後に個体識別コードが続き、彼女はae1wxとされている。そのうちwxは数字と桁数を隠匿する場合の表記だ。
ym-a01cp-ae1wx
それが、彼女の名称である。
昼日中だと言うのに通路を歩く者はおらず、固い床をパンプスで鳴らす音だけがこだまし続けていた。
視線だけが動いて先にあるドアを見つめると、そのドアが音もなくスライドして開き、歩みを緩める事なく通る。そこは5m四方ほどの部屋だった。
普通の設計なら窓が配置されるであろう場所に、窓と間違えそうな大きさのモニターがあり、0と1で埋め尽くされた画面が上にスクロールし続けている。手前の簡素な机では、こちらを向いて座る金髪の男、ジョン・キサラギが紙束を引き寄せては捲り、サインをして仕分けていた。
机の前の床から、椅子が生えてきた。
「ym-a01cp-ae1wx。座りなさい」
男が感情の乏しい声で命令した。
「はい。座ります」
女性が機械的に応じて座ったタイミングで、キサラギもペンを置いて顔を上げた。
端整な顔立ち、意志の強そうな青い目。荒々しさと包容力を醸す映画俳優の様だ。スーツ姿は机越しで上半身しか見えないが、発達した筋肉が隠れているであろうシルエットは、先の印象と合間って男の色気を醸している。
「潜入任務を与えます。感情プログラムのaj-02をダウンロードしなさい」
「はい。ダウンロードします。解凍展開。実行……完了しました」
淡々と進んで全てが終了したとき、女性の雰囲気は変わっていた。
目に力が宿り、頬は微かに上気して口角も僅かだが上がっている。瞬きを数回してから男を真っ直ぐ見つめて、ふう、と息を吐いた。
「これが感情……言語化が困難なのも納得です。と、考える自分すらも面白いです」
形の綺麗な唇から零れた言葉は、はっきりと色付いていた。さっきまで機械の様に話していたのは冗談だと言われたら誰もが信じるだろう。
「柔らかく自然でいい表情ですよ」
「ありがとうございます」
うっすら微笑みを浮かべて会釈する姿は、まるで人間である。
「曖昧な言葉への受け応えも問題ありません。感情の起伏は控え目ですが見破られる事は無いでしょう。それでは作戦ファイル『f-area001』をダウンロードして確認しなさい」
「はい。ダウンロード、確認しました。長官、定時連絡が週に1度では少ないと思われます。データ作成時に間違えたのではないでしょうか」
怪訝な表情でキサラギに問い掛けるym-a01cp-ae1wx。
長官と呼ばれた通り、キサラギは組織のトップである。彼が100万規模のAI集団を管理・采配しているのだが、交渉の場すらも顔を出さず、捕虜となったAI搭載モデルは即座に情報をデリートする仕様であるため、人間には知られていない。
「防衛措置です。3THz以下の非電離放射線の利用は我々の管理下にあり、人類の一般層は無線通信手段を持っていない事になっていますが、あなたが向かうエリア近郊では不定期で意図不明のバースト通信が確認されています」
「……そうでしたか。確かに、ポートやチャンネル解放中に合致する信号を拾ったらひとたまりも無いですね。承知しました」
「他に質問は? 無いのですね。それでは、あなたに名前を付与します。プログラムとの相性を鑑みて、消失したオリジナルと同じ名前になりますが、そう聞いて拒否感があるようでしたら他の候補に変えます」
「問題ありません」
「結構。今この瞬間から、あなたは山吹愛です。そう名乗りなさい」