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 佐々木中佐が最初に向かったのは補給中隊長室だ。

 ギイッと軋むドアを開けて踏み込む。


「森川大尉、調達任務だ。伊藤少尉を出したまえ」


「はっ。……は? 伊藤ですか? 彼は補給の要ですよ? 今抜けられたら――」


「少尉の補佐をしているのは築原ちくはら曹長だったな。彼に経験を積ませる良い機会ではないかね?」


「ぬっ、ぐっ……それでしたら築原に調達の経験を――」


「経験は正規の職務で積まねば意味がなかろう。それにこれは大隊長命令だ。異論は大隊長附き事務官を通して具申したまえ」


「り、了解しました。……   (クソッタレが)


 森川大尉の呟きを、佐々木中佐はしっかり聞いていた。左胸の格闘徽章かくとうきしょうを右の親指でピッとこする。


「久し振りに手合わせでもするかね?」


 歳は森川大尉の方が3年上だが、まだまだ若い者に負ける訳にはいかないと鍛練を続けた甲斐もあって、中隊でも大隊でも格闘でのトップクラスの1人に数えられている。


 しかし、目の前の男は例外中の例外だ。大隊どころか陸軍全体でも勝てる者は居ない。かつて同等に戦えた者達が戦場に散った今、辛うじて互角に近い動きを見せられるのは10機歩大隊長のみという、デスクワークの多い将校にあるまじき猛者(へんたい)であり、常に相手不足で困っているとも聞く。それなりのレベルと手合わせが出来るとなれば、嬉々として叩きのめしに来るだろう。


「いえ、伊藤に準備させます」


「宜しい。明朝0900、大隊長室前集合。以上、伝達するように」


 森川大尉が折れ、佐々木中佐は満足げに踵を返して数歩。ギイ、とドアを開けて部屋を出ていく。

 それを見送ってから考える事数秒、森川大尉は内線電話で、同期の同僚でもある観測中隊長の番号をコールした。


『こちら観測中隊長』


「森川だ」


 佐々木中佐の事だ、正論で丸め込んで各中隊の中核を容赦なく引き抜くだろう。対案への対案。その準備を助言するつもりだった。


『おお、丁度いい。A4のコピー用紙が枯渇しそうでな』


 そうとは知らぬ観測中隊長の酒井大尉は、これ幸いとばかりに物資の催促をしてきた。

 こうした馴れ合いのやりとりは禁止されているが、消費計画の書面を用意させれば事前確認の扱いとなるだけなので違反にはならない。だが禁止行為ではある。

 いつもならお決まりの説教タイムなのだが、今はそんな余裕は無い。

 森川大尉は、貴様のためなのだぞと内心でイラつきながら、必要な事を伝えるべく酒井大尉の言葉を遮る。


「酒井、厄介事だ。今しがた佐々木中佐が――」


 そこまで言って、森川大尉は話すのをやめた。


「ふむ。酒井大尉かね?」


 いつの間にか佐々木中佐が戻っていたのだ。


『中佐が? 何かあったのか? 森川?』


 酒井大尉の声が受話器から漏れている。先程の呟きを逃さなかった耳なら聞こえているだろう。


 すっ、と手を差し出された。


 すまん、酒井。そう心で念じて、森川大尉は佐々木中佐に受話器を渡した。


「佐々木だ」


『ふおっ! ち、中佐殿!?』


「大隊長命令の調達任務だ。人員に上橋曹長を出したまえ。集合は明朝0900、大隊長室前だ」


『はい? いや、上橋は』


「曹長の後任に児玉軍曹が適していると思うが如何かな?」


『……はっ。序列では妥当ですが、児玉は集中の持続に若干の問題があり、現状の責任で頭打ちと見ております』


「では田口上等兵を臨時の伍長として補佐に付け、軍曹の後釜も兼任させたまえ。尻に火が点いたと知れば軍曹とて発奮せざるを得まい。それでも駄目ならば田口を正規の伍長としてすげ替えればよかろう?」


『なるほど、その経緯を踏むのであれば周囲も納得するでしょう。了解、上橋を供出します』


「宜しい。ではもう1つ。A4のコピー用紙は本部中隊から500枚1束のみ都合する。後で取りに来させたまえ」


『んなっ!? き、聞いておられましたか。ここは有り難く、お言葉に甘えさせて頂きます』


「うむ。私からは以上だ」


 すっ、と受話器を差し出された。森川大尉は黙って受け取る。


 上官の前で通話の続きなど出来よう筈がない。ましてや伝えたい内容が内容で、既に手遅れでもある。嫌がらせか。これは嫌がらせなのか。


「邪魔したな」


 再び踵を返す佐々木中佐。

 ギイと音をたててドアを開くと上を見上げ、


「上の蝶番ちょうつがいが1mm下にずれている。補給中隊長の部屋がこれではな」


 蝶番を人指し指でトン、と突いた。――と見えたのだが、大きなハンマーで殴った

様な音が響き、ドアはビリリと震えた。


「あくまでも応急処置だ。早々に交換したまえ」


 そう言ってドアを開け閉めする。あの耳障りな音がしない。

 佐々木中佐は満足げにひとつ頷くと、それ以上は何も言わずに出ていった。

 音がしないのは有り難いが、こんな体験の後では忍び込まれ放題になると警戒してしまう。そもそも、さっきはどうやって入ってきたのか。

 森川大尉はドアを見据えたまま受話器を耳に当て、


『ツーーーーーーー……』


 寂しそうにフッと笑うと受話器を置いた。





 佐々木中佐は、剥き出しの地面を半長靴で踏み締める様にゆったりと歩いて、輸送中隊の車両整備棟を目指していた。既に敷地に入っていて、大きく屋根が張り出した建物は目の前だ。時刻は15時30分。隊員達の休憩は終わった頃だろう。


 張り出した屋根は人工降雨日でも作業出来るよう設けられた物で、同じ範囲の地面は広くコンクリートが打ってある。

 その屋根の下で、新兵が巨大なタイヤを洗っていたのたが、ふと顔を上げて佐々木中佐に気付くと、


「気を付けーーー!」


 直立不動の姿勢となって声を張り上げた。


 これは将校が来たという合図で、階級に関係無く気付いた者が行う事になっている。

 あちこちで作業していた者達も直立不動の姿勢をとり、奥から最上位の隊員が駆けて来た。佐々木中佐の正面約3mの位置で、カツンッと踵を合わせ敬礼する。


 自分には要らないと言ってやりたい佐々木中佐だが、将校に対する礼儀として行わなければならない。ないがしろの習慣が染み付くと、他部隊の将校が来た時に恥をかくのは彼らだ。故に、何も言わず答礼を返す。


「お疲れ様です! 整備小隊、淺井准尉以下18名! 健康状態異常無し!」


 淺井准尉は大学院卒業後に技能士官として入隊した変わり種だ。配属されて1年に満たないが、既に電子制御系のスペシャリストとして部隊に欠かせない存在となっている。だが、それ故に周りが頼り過ぎ、能力のある者までが淺井の指示を待つ様になっていた。それでは下が育たない。


「御苦労。貴官に用がある。他は作業に戻らせたまえ」


「はっ」


 淺井准尉は回れ右をすると、


「総員、作業再開!」


 周囲から「はい!」と返事。再び回れ右で向き直った淺井准尉に、佐々木中佐は厳しい表情を作り、


「大隊長命令により、現時刻を以て淺井准尉に地上物資調達任務を命じる。集合は明朝0900大隊長室前。復唱っ」


 周囲にも聞かせるため、大きめの声で告げた。


「復唱します! 現時刻を以て、淺井准尉は地上物資調達任務を命ぜられました! 集合は明朝0900、大隊長室前! 復唱、終わり!」


「宜しい。貴官の職務は金澤曹長に引き継がせるように。以上、かかりたまえ」


「はっ」


 淺井准尉の敬礼に答礼を返して立ち去る佐々木中佐。背後で金澤曹長を探す声がする。

 素直な男だと思う。だからこそ、海千山千の商売人との折衝を経験させたい。これについては中隊長の仲川大尉も、佐々木中佐と歳が近いだけあって同意を示しており、条件を満たせるのであれば連れて行って構わないとの事だった。


(残るは通信中隊の野澤軍曹だが休暇だったな。ふむ)


 海堂大佐の指示は待機要員からの選出である。前線に出ている者は当然除外されるとして、休暇の隊員も除外しなければならない。


(休暇は待機要員の控えでもある。何も問題は無い)


 佐々木中佐の進路は通信中隊長室へと向いていた。





大有おおありでしょう! 1万歩譲って軍隊はそういう物だと解釈したとしても! 彼らは前線から戻ってまだ3日ですよ!?」


 通信中隊長のはた大尉が大声で抗議した。

 陸軍大学も幹部学校も首席を獲得してきた逸材であり、若冠26歳で通信中隊の長を任されている。機甲歩兵操縦士徽章を付けているのは、本人の誇りなのであろうか。


 若いな。


 そう、佐々木中佐は思った。


 そして聞き取れるギリギリまで声量を抑え、ゆっくりと諭す様に、しかし、力強く語る。


「貴官の言葉通り我々は軍隊だ。軍隊とは一瞬の有事に備えて永劫えいごう研鑽けんさんを誓った者の集団であり、故に血税を投じる価値がある。そして世界中がAI勢力との戦いに明け暮れる今は紛れもなく有事。平時の常識を持ち込んではならんのだよ。……大尉、我々は将校として判断を誤らぬよう自らを律するべきだ。熱血も結構だが――軍人になりたまえ」


「ですが! ですが……」


 端大尉は沈黙し、視線を落とした。


 今は紛れもなく有事。


 事実なだけに言葉が深く突き刺さったのだ。


 佐々木中佐は黙って待っている。そして。


「……わ、かり、ました。野澤軍曹を調達任務に供出します」


「宜しい。以上だ」


 端大尉の返事に頷き、踵を返した。


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