山吹愛
野澤が居なくなり、山吹愛は軍人達を注視した。
避難誘導の時と比較して、今日の対応は明確な違いがある。伊藤も上橋も、自分への視線を外しても視界には捉えたままなのだ。窓の外を見ている淺井ですら、ここから瞳の端が見えている。
ライブラリにある軍人の情報によると、後方で尋問をする兵も見張りの兵も対象を視界から外す習性があり、捕虜となった人型戦闘AIなどはgmからgtまでの全てのシリーズが幾度も脱走帰還に成功している。
だが、日本の軍人は視界から外すという報告が無い。人道的な返還はあるものの脱走の成功例も無く、日本に関しては公報レベルの内容しか得られていない。情報と呼べる物が無いのだ。
山吹愛は情報を得るべく行動した。
まず、横に崩していた足を逆に流してみる。誰にも変化は無い。それなら立ってみるか。
「上橋曹長、僕はアイスを取ってくるから任せるよ」
伊藤が指示を伝えながら立ち上がった。
山吹愛の上体がわずかに前へと傾いたタイミングで。
この反応速度。
やはり、この者達は他国の軍人とは少々違う様だと山吹愛は警戒する。
「少尉が戻るまで了解です(丸投げはさせません)」
上橋はいつもの笑顔で答えた。
山吹愛の部屋は2階の西端、伊藤の部屋は北隣の棟の2階東端である。たいした距離ではないとは言え、今でなくてもいいはずだ。
「配給から持ってくるだけだけど、不測の事態が起きるかもしれないよ?(そんな事を言ってると君の配給からアイスが消えるよ?)」
「了解です。少尉が戻るまで、で(アイス1つで釣れると思わない事です)」
「経験を積むのは大切だと思うけどね(いいから君が進めちゃって)」
「そのためにも今は勉強させて頂きたく思います(諦めてご自身が進めて下さい)」
「あ、そう。とにかく行ってくる(間が持たないんだよ)」
「報告書は自分が作成しますので(中佐にタレ込みます)」
「いや、手を借りるまでも無いよ。じゃ、後で(話し合おう)」
伊藤がリビングのドアを開けて出ていった。
山吹愛は入力された音声に不自然な響きを観測していた。おそらくだが、彼らは捕虜同然の自分に分からないよう、符丁や隠語を使っているのだろう。
1人が席を外したとしても残るのは屈強な男2に対してか弱い女が1だ。自分に勝ち目がないことくらい分かっているだろうに決して油断しないとは。このシビアさが日本軍の強さの秘密なのかもしれないと山吹愛は思考する。
ライブラリにファイリング。共有領域にもコピーファイルを展開。これで次回の定期定時連絡の際にはym-a01シリーズの共有情報としてアップロードされます。関東に居る同型も得ていない情報は、きっと何かの役に立つはずです。
だが。
実は伊藤が立ったのは会話に困っての行動であり、完璧なタイミングも単なる偶然である。
その後も上橋との間で責任の投げ合いをしたに過ぎないのだが、2人とも言葉通りではない思惑を乗せているため、山吹愛が収集した音声には嘘を示すパラメータの数値が大きく現れてしまった。
感情プログラムは音声にも感情を乗せる。
基本周波数を元に音圧やトーンはもちろん、知覚出来ない震えや湿り気、温度感にキレなど、他にも様々なパラメータが存在し、その数値の変化で音声出力をコントロールしている。そして、出力で出来ることは入力でも出来る。
だが、感情という物は複雑な要素が絡むだけでなく、人が変われば意味まで変わったりするため、特定の数値を観測したからといって安易にそれと決めつける事はできない。故に、AI群の場合は「自然ではない」と認識するにとどまる。その方がより人間に近い思考結果を返すためだ。
ただしこれは、正常であれば、の話である。
山吹愛は大泣きする事で重複するストレス解消要求のログファイルを削除しただけで、「なぜ自分だけが酷い目に遭っているのか」に起因するストレス変数は加算され続けている。これの開放も減算も望めず拠り所としてロックオンした野澤が側に居ない今は、自己防衛のために最悪の事態を想定し続けてしまう状態であった。つまりは、疑心暗鬼になっていた。
そこに来て不自然な音声を収集したとあっては、何を入力されても言葉通りに受け止めて処理するなど出来るはずがない。
「という訳で質問が中断しましたが、山吹さんは何か要望などありますか?」
上橋がふわりと笑い、山吹愛はビクッと跳ねた。
いま私の目の前にサイコパスがいます。さっきまで2人居て最も警戒すべき1人は席を外しましたが、今居る者はきっと、私達を機能停止させるときも笑顔です。恐いです。誰か側に居て欲しいです。いいえ、誰かじゃだめです。そう。
「野澤さんじゃないと」
拠り所を求めた思考結果が、つい音声となって出力されてしまった。
「野澤軍曹? ……ああ。なんなら外を見てみますか?」
上橋の言葉に山吹愛が悲しそうな表情を見せる。
「辞世の句を求められる程の事をした覚えは……」
「何を考えてそうなったのか何となく分かるので明確に否定しておきますが、違います。そこの窓から野澤軍曹の活動が見えるはずなんですよ」
上橋に示されて窓を見ると、淺井が頷き、東にずれて場所を開けてくれた。
「え? 野澤さんが?
あ、そ、そうですか。 」
チョロいAIである。
山吹愛は、どこからか鏡を取り出して髪と胸元をチェックすると、ワンピースの裾を直しながらそそくさと立ち上がって窓際に移動した。
淺井が上橋を見た。上橋は頷く。
コレは本当にAIなのか?
アレと良く似たAIです。
その割りに恋する乙女だぞ?
アレも恋する乙女でしたよ。
「マジっすか」
「信じられないと書いてマジと読ませる方の、マジです」
淺井は目を丸くして山吹愛を眺める。
淺井自身、察しの良い方ではないと自覚している。鈍感と言い切ってもいい。だというのに、目の前のAIが野澤に好意を持っていると分かるのだ。そして上橋が肯定した。
「……マジかぁ。でも野澤軍曹は、なあ」
「否定的でしたね。自分でもAIを飼っているのに」
「あ、それ。前に聞いたら『ただの機械学習です』と言ってたな。だからAIではないんだとさ」
「彼らしい拘りですね。機械学習とか論理プログラミングとか使い分けてて、安易にAIと呼びたくないと言う本音があるそうです」
「でもAIだよな」
「AIですよね」
2人の会話を聞きながら、山吹愛は窓を開けた。
敷地を囲うフェンスに沿って東西に生活道路が走り、部屋の正面から少し西寄りに、南へと延びる生活道路がある。その先で、ダークブルーのDAを目にした。
(あれはDA? そういえば、さっき――)
上着に隠れて気付かなかったが、野澤の左腰で振動していたのはDA乗りのポーチかもしれない。緊急時にモールス信号を使うという情報はある。直接観測したのは初めてではないだろうか。
(緩急区分の緊急を3回、本文、ダイ3を3回。第3種非常呼集ですね――でも、そういえば)
自分の任務は人の世に紛れ込む事ではなかったか。
キサラギ長官は確実さを善しとする。然程重要とも思えない軍事情報をアップロードしよう物なら、任務を勘違いして余計な事をするなと多少どころではない小言がありそうだ。
定期定時連絡ではフルアクセスで情報を抜かれる。となると、まずいのでは。
(700のディレクトリに置きましょう)
山吹愛は、自分のみが閲覧可能なパーミッションのファイル群を選択し、情報を収めた。
固定した視線の先には、ダークブルーのDAがいる。何故だろう。ストレス値が下がっている気がする。
この「気がする」という曖昧な概念は、感情プログラムが返したものだ。AIと言えどもパラーメータの数値を直接見られる訳ではなく、人間の様な反応を生み出すため、数値化も言語化もしていない。
そして、良いときも悪いときも意図的に感情プログラムを暴走させる事で、本体にも理解出来ないという状態を引き起こす。今は、本体の都合などお構いなしに表情筋を動かして笑顔を作っていた。
「深い海の色。包容力のある野澤さんにピッタリかもですね」
何処がだよ! と言いたい気持ちを押さえて淺井が目を剥く。視線の先は上橋だ。
上橋が首を横に振り、縦にも振る。
同じ言語ですが意思は通じません。政治的判断が必要です。
上橋の目がそう語っているのを感じ取った淺井は、頭の上に「!」と浮かんだ様な表情となり、窓の外に夢中な山吹愛を目で捉えると3回頷いて。
「コラテラルダメージ……かな?」
政治的な決断は既になされていて、更に濃密であるよう犠牲を強いる事になりそうだ。気の毒だが多数決なら4対1だろう。自分でなくて良かった。
淺井は野澤に同情した。
オッサンですが、突然「eyes on me」を歌いたくなって練習してました。更新の後れはこれが原因です。