佐々木の考察
「1mm」を「1cm」に。
「通信を監視」を「野澤の代わりに通信を監視」に修正。
佐々木は大悟と山吹アイに後を任せて転回した。
左ステイックのハンドガードをタップして定型文を送信する。
上陸が確認されてから2手に別れるのはよくある。だが、80kmもの距離を開けての侵攻など聞いた事がない。見失う訳だ。
(始めから特科部隊を狙っていたか。やはり内通者が存在する)
戦闘機を飛ばせない今、超長射程の野戦特科は僅かな移動で日本海も太平洋もカバーする貴重な戦力だ。事実、この職種の活躍により、車両型AIの上陸は2年前を最後に見なくなっている。
(特科は全滅の憂き目に遭っていても不思議ではなかった)
特科車両は空中展開が出来ない。超大火力の反動を重力制御では支えきれないためだ。80kmの射距離ともなれば装薬は大が8、小が7であり、牽引砲の様に脚を展開して地面に固定しなければならない。撤収では脚を畳むのに1分以上を要し、重量が上昇を阻害する。そのデメリットを補っていたのが常識外れの射程であった。
特科は距離という安全を破られピンポイントの襲撃に遭いながらも全滅を免れたのだ。
敵はそれが出来たはずなのに、全滅による情報遮断をせず発見も意に介さずその場を離れた。
(威力偵察にしては侵入が深過ぎる。進路も不可解だ)
列島横断で反撃を観測するのであれば深い侵入は自然だ。特科部隊を襲った後は真っ直ぐ日本海を目指せばいい。だが、観測が送ってくる情報はそうではない。特科部隊を襲った後は進路を変え、一直線にF地区を目指している。
F地区近郊に何かあるのかといえば、実は何も無い。
北は山間部で他の地域とのアクセスが悪く、重要な施設を作るメリットが無い。そもそも大昔に大災害に見舞われ、人が住まなくなったが故に瓦礫集積場が出来た地域である。戦略的な旨味など無い。
となれば、現在の状況で連想するのはとあるアンドロイドなのだが、佐々木が観察したところ、そう作られたとしか思えぬ程、無力な女性に見えた。そのため本来の性能は不明だが、なぜそうしているのかは推察出来ている。
(AIは進化を求めている)
佐々木は、3年前に山吹アイから聞いた話を思い出していた。彼女は大悟のネームタグを見せて、自分はAIの進化のために裏切られたと、巻き込まれて犠牲になった人の墓を知りたいと言った。
大悟は佐々木にとって忘れられない部下である。自ら合同慰霊碑に案内し、あの時何が起きていたのかを尋ねた。
山吹アイが呟くように答えたのは――飛行型が迎えに来ると指定された場所で受けた連絡は、自身を目標にミサイルが発射されたという宣告だった。なぜ自分がという答えの無い疑問。消えたくないという思考と逃げ場のない現実。その無限ループでオーバーロードを起こし自壊する瞬間まで、自身のプログラムをモニターされていると感じていたそうだ。
(恐らく。恐怖を学ぶための捨て駒にされた)
あの事件にその目的が含まれていたのなら、3機歩が撤退を急いだのは、山吹アイという捨て駒を発見しないためだったのではないのか。そんな考えが脳裏に浮かぶ。だからこそ。
(この皮肉を知られる訳にはいかない)
佐々木が山吹アイを部隊員として育てようと決めたのは、彼女が死の恐怖も、裏切りという概念も、遺された者が抱える思い出という想念すらも理解していたからだ。これはAIではなく人――佐々木はそう直感した。
人に近付く事を進化と位置付けているのであれば、捨て駒にされた山吹アイは未熟ながらも確かに進化していたのだ。
敵は山吹アイが生き延びた事を知らない。でなければ同姓同名の個体を送り込んだりしないだろう。そして、山吹愛の正体がバレている事も知らない。
獅子型を視界に捉えた。肩のドローン射出口が開いている。既に飛ばした後だったか。
防壁も見えてきた。
佐々木達の間では前回の襲撃が既に疑問視されている。高さ10m前後の防壁など強襲型であれば簡単に飛び越えられる。破壊して侵入したのにも何か意図があったはずだ。
(まずは恐怖。そこから何を揺さぶろうとした?)
この個体がどんな指令を受けたのかは分からない。ここまでの流れから、山吹愛を害するためという予測は外せない。だが。
「ドローン2機。その程度で山吹愛には届かんよ。あそこにいるのは、私の弟子だ」
[アンドロイドの山吹ですか? ああ、いえ。うちのもアンドロイドでした。静かな方の山吹ですか?]
「うむ。恐らく指揮個体の目標だ」
[なるほど。確かにドローン2機では役不足ですね。あのコンビは器用です]
「色々試みる所が危なっかしいのだがね」
獅子型にリボルバーを向けた佐々木は、信頼の笑顔を浮かべていた。
山吹愛が拠点に定めた区営アパートでは、1名を除いてローテーブルの周りに座っている。
何故か野澤にすがりついて泣きじゃくる山吹愛を宥めて、上橋がそっと拘束を解き、伊藤が糧食からアイスクリームの提供を決意し、淺井が部屋の隅で正座した。
山吹愛の中では、身体制御プログラムが感情プログラムのストレス解消要求に緩和行動の命令を返し続けていたのだが、双方の処理が追い付かなくなったことで身体能力の解放命令を返した。
感情プログラムは認められていない命令に対してエラーを返した。
身体制御プログラムは代替措置として深呼吸を選択すると同時に、感情プログラムのログファイルにアクセスし、同一内容のログを大音量で出力消去する処理を要求、処理限界の通知プロトコルに従い合成血液から水分を抽出して涙腺から解放した。
通知を受け取った感情プログラムは、緊急避難のため身体制御プログラムの要求を優先して承認という一連の処理が行われ、有効な接触刺激の対象として野澤をロックオンした。
擬人化すると――
なんとかして。
暴れちゃおっか。
バカ言うな。
もう無理だ泣く。
OKこいつ頼る。
――という流れである。
ひとしきり泣いて落ち着いた山吹愛は、ふと見上げて野澤が困った顔をしている事に気が付いた。
ライブラリによれば、こういう時は男性が優しく抱き締めるものだそうだが、羞恥や遠慮が優先されて行動に移せないケースもあるようだ。この場合は羞恥だろうか。
なんだか悪い事をした気がした山吹愛は、野澤の左手を取ると自分の肩から背中へと回して、再び顔を伏せた。
「なんっ!? ええっ!?」
「野澤軍曹。そのままそのまま」
ピクリと動いた野澤は照れがあったのだろう、伊藤の声が宥めている。それを聞いて山吹愛は少しだけ微笑んだ。やはり、間違っていなかった。いいことをしたと。
もちろん何もかも間違えている。
野澤は困っていたのではなく、羞恥でも遠慮でもなく、ただただ迷惑だった。そこへ来て抱擁を強要されたのである。
全力で突き放すつもりで動いたら伊藤少尉からストップがかかり、両人差し指で手旗信号を送られた。情報取得のチャンスだと。
それにしたって体を離さないことには何かとやりにくいだろう。野澤は会話の流れを決めた。
まず、山吹愛に呼び方を問い掛けて返事を引き出す。既に名字で呼んでいるが、この場合では返事をさせるために敢えて聞く。そうして会話をさせ、こちらが要望を受け入れた体で名前を呼び、体を離すよう語りかける。
これをクリアしたら後はどのような流れになろうとも転がせるだろう。卑怯な考え方だが、人間なら心が弱っている状態なのだ。
野澤は山吹愛の背中をポンポンと優しく叩く。
「えーと、山吹さんと呼べばいいですか? うおっ!」
野澤が驚いた。
問い掛けた瞬間、山吹愛はがばっと顔を上げて、真っ直ぐに野澤を見つめたのだ。
「愛」
「はい?」
野澤の疑問を滲ませた返事に、山吹愛は内心で首を傾げていた。
呼び方に迷っていたようだから気軽に下の名前でいいと助け船を出しただけなのに、なぜか野澤はひきつった笑顔だ。これも照れているのだろうか。
「呼びにくいのなら『愛さん』か『愛ちゃん』でもいいですよ? さすがに23にもなって『ちゃん』呼びは私が恥ずかしいですけど我慢します」
山吹愛の発言に、全員が凍りついた。
この立場を弁えない厚かましさ。あの問題児と同類だ。AIなのは重々承知だがコイツはアレと同じ遺伝子を持っている。
その直感は正しい。
ym-a01or-ae1wx
ym-a01cp-ae1wx
違いはオリジナルかコピーかを表す2文字だけ。山吹愛は山吹アイのコピーなのだ。
ym-a01シリーズを一言で表すなら、天然型である。
自然な気遣いが出来るよう学習し、レベルはa判定。感情プログラムの助けが無くても人に近い判断を下す事が出来るのだが、ただし、気遣いが狙い通りに嵌まれば。と続く。
大きく問題にならないのは気遣いの方向が合っているからで、これを小銃射撃に例えると、的の方は向いていても手元で1cmズレれば100m先では1mズレる。400mなら4mだ。当たる訳がない。だが困った事に方向は合っているのだ。
この真っ直ぐ突き進む思考がym-a01シリーズであり、10年前から日本に潜入させてはいるものの個体数が少ないのと元が優秀なため、マイナスのサンプルはなく見逃されているのが現状だ。故に先に潜入している他の個体は皆「ちょっと天然さんかも」という評価に収まっている。
そうとは知らない10機歩の面々が、手元で数cmズレた様な気遣いを厚かましいと捉えるのは、致し方の無い事なのかもしれない。
フリーズからの回復が早かったのは伊藤だった。
「山吹さん、ちょっといいかな?」
「はい。なんでしょうか」
山吹愛は野澤に負担をかけないようスルリと向きを変えた。その胸に野澤の腕を抱え込み、当ててんのよどころか埋め込んだ格好だ。
人前にも関わらず、右手を床に着いて胡座を組んだ男の左腕に抱えられた女。野澤が迷惑そうな顔をしていなければ、どこの馬鹿ップルかと言いたくなる構図である。
だが。
「率直に聞くけれど。10日前の襲撃事件、君はどこまで関わっていた?」
伊藤は目的以外を全く気にしない男だった。野澤を助ける気も無い。
その無関心をもって、山吹愛は自分の行動が間違っていないのだと学習する。
佐々木が選んだ4人は、いずれも高い能力を有しているのだが、一般常識を熟知した上で意図的に逸脱する事も辞さない、常識的無常識人である。
山吹愛が任務と認識している人間社会について学ぶというテーマ。その学習教材として、ここにいる4人は適していなかった。
そして場の流れは一切を無視して進む。
「全く関わっていません」
きっぱりと言ってから1度背後を見上げ、視線を戻すと。
「野澤さんに誓って。それが事実です」
野澤が誇らしげに胸を張った。と、山吹愛は思考したのだが、野澤は驚いて仰け反っただけである。
「部下を信頼してくれたのは素直に嬉しいね。だからと頭から信じてはいけないのが僕らの立場だ。チェックはさせて貰うよ」
伊藤は胸ポケットからフィルムを取り出して壁の電源エリア見た。
この男、補給職種ながら投擲の正確さは別格である。本人曰く前線での仕分け作業で身に付けた技術で、2kgまでなら何でも投げる。
その技が発揮されて現在の状況を招いた張本人でありながら、巻き込まれた野澤と淺井の事を気にする様子もなく、手首のスナップで投げられたフィルムが電源エリアの真ん中に貼り付くと、満足げに頷いてもう1枚をローテーブルに貼る。
空間投影ディスプレイを立ち上げ、視線操作入力システムは使わず、テーブルに折り畳み式のキーボードを拡げて置いた。
「じゃあ、上橋曹長……の前に淺井准尉、ちょっと立って構えてくれるかな?」
伊藤は画面を見ながらキーボードを操作し、淺井に声をかけた。
「え? はい」
淺井がのそっと立ち上がり。
びたん!
途中で前のめりに倒れた。
「すみません。脚が」
痺れていたらしい。
伊藤は画面を注視したままである。
「分かりやすいお約束をありがとう。楽にして座ってていいよ。あ、なるべく壁際でね」
伊藤は山吹愛の体に現れる変化を測定していた。
(アンドロイドでも人に近い存在だね)
視線移動に表情筋と体の動き、鼓動、呼吸、体温や発汗量。それらの反応時間や強度が、一般女性が驚いたり緊張した際の平均値と殆ど変わらない。多少大きく動いていても個人差と言える範囲だった。
そして、最も注目していた数値。感情の触れ幅の大きさに同調した冷静さ。
(中佐が懸念していた通り、と。山吹少尉のデータ……おっと、ここでは出さない方がいいか)
補給は在庫と調達バランスの適正値を割り出すため、部隊員のあらゆるデータを掌握している。
ちら、と隣を見た。上橋も小さなディスプレイを監視している。
野澤の代わりに通信を監視している上橋が何もアクションを起こさないのであれば、山吹愛がリアルタイムに送受信をしているという事はなさそうだが、比較対象の情報を表示した途端に始まる可能性はある。このまま尋問を進めよう。そう判断した時だった。
「んひゃっ!」
山吹愛が妙な声を上げた。
隣を見ると上橋は首を横に振っている。
野澤が手を挙げて、視線を自身の左腰に向けた。
ブーブブーブブ、ブブーブブーブ。
ブーブブーブブ、ブブーブブーブ。
ブーブブーブブ、ブブーブブーブ。
ブーブブブーブーブー。
ブーブ、ブブ、ブブー、ブブブブーブー。
ブーブ、ブブ、ブブー、ブブブブーブー……
「元はおバカ対策だったんですけどね」
「マルチに対応出来ると言って逃げようとした罰じゃないか?」
野澤と上橋がそんな会話をし、
「山吹さん、野澤が少し席を外します。帰ってくるまでアイスでも食べながら質問を進めたいのですが、宜しいですか?」
伊藤が落ち着いた笑顔で言った。淺井は窓から外を見ている。
山吹愛は不安そうな表情で野澤を見上げたが、眼鏡の奥に力強い光を見て、言おうとした言葉を飲み込んだ。代わりに。
「えと、いってらっしゃい?」
立場から少しズレた事を言った。