落ちたモノ
西暦2614年7月半ば。
晴れていたら太陽がオレンジ色に変わり始めるであろう時間帯。
霧の様な雨が降る中を、瓦礫満載の巨大な重力ダンプが空中を進んでいく。雨もダンプも、いつもと変わらない光景だ。それを、瓦礫の山の中ほどから見上げているポンチョ姿の男がいた。
男の名前は宮代大悟。身長は170cmと数ミリ。6月半ばで30歳になり、ほぼ1ヶ月が過ぎた。
ふっ、と息を吐いて右隣に視線を落とす。そこには低重力台車と呼ばれる、通常の5倍はありそうなリヤカーが止めてあった。
使用可能な部品や、使えなくても貴金属やレアメタルを回収できるガラクタが満載されている。こうした資源を、直径50kmもの範囲に蓄積された瓦礫の中から探して集める、素材回収《MaterialCollect》業が大悟の仕事だ。一般的に業種のことをMC、従事する者をコレクターと呼び、当事者達は誇らしく「回収屋」を名乗る。
半世紀前に政府の指示で創設された業種だが行政の関わりは買取りのみで、大悟が成人した頃は既に善悪の概念すら稀薄な混沌とした職業となっていた。だからこそ余所者だった大悟でも稼げたと言える。
役場には素材持ち込み専用の大きなMC棟があり、そこで売却すると口座に振り込まれるシステムだ。買取り単価は日々変動しているため、素材を預けて査定だけ済ませ、最大1ヶ月先までの指定した日に決済するという売却日指定制度もある。この制度で一攫千金を狙う者は多く、大悟も一時期利用していた。
だが、大悟は思う。
大昔は誰もが自由に情報を手に入れられたらしい。今は光ファイバーを契約した者だけが情報に触れられ大悟もその1人だが、国が絡めば正しい情報など入ってこない。大抵は意図的に流された物だ。一攫千金の夢は、たまたま誰も持っていない物を保有していた個人を狙い撃ちした結果に過ぎない。行政が、政府が買取りを行っているという事は、そういう事なのだ。
「ま、俺は運が良かっただけだな」
そんな事を呟いて、リヤカーの横に立ったまま右手で持ち手を掴んだ。
回収屋は持ち手の内側に入らない。荷崩れが起きるのは大抵が停める時で、上手く積んでも振動で少しずつズレるのはどうにもならない。怪我したくなければ横に立って引け。回収屋になって最初に教わる事だ。
「ふっ」
軽く息を吐いてリヤカーを引っ張る。
難なく動いた様に見えるが、ポンチョから覗く腕の逞しさから、リヤカーの性能ではなく腕力が発揮された結果なのだと知れる。
一陣の風が吹き抜けて、ポンチョを煽った。
ポンチョの下には――頑丈そうなデニムの作業ズボンが筋肉の発達した下半身を包んでいる。太股は今にもはち切れそうで、骨盤周囲などは左腰につけられたポーチが筋肉に持上げられている程だ。
上半身は、神話に登場する力の神にTシャツと作業ベストを着せたような見た目で、肌というより筋肉に貼り付いたTシャツが、見た者に尋常ではない鍛え方の体だと思わせるだろう。
だが若かりし頃を除けば、特別に鍛えた訳ではない。少しでも稼ぐためにと、同業者が行かないような遠方や高所から、誰よりも多くの資源を持ち帰ってきただけだ。それを10年続けたらこうなった。おそらく今後も変わらない。
瓦礫の谷間を縫うように小1時間歩き、最後の緩いカーブを抜ければ町の防壁が見えてくるという所で、大悟は見慣れた景色に異物が混ざった様な感覚がして首をかしげた。
立ち止まって周囲を観察する。発見まで然程の時間も要らなかった。大悟の目線よりほんの少し上の斜面に、仰向けの状態で人が引っ掛かっていたのだ。
鈍色の濃淡しか無い世界。都市型迷彩の戦闘服で転がっていられたのでは見付けられなくて当然で、大悟が気付けたのは、たまたま色白の美貌が見えたからだ。
「違和感の正体は軍人でしたと。女性というより女の子か? 気の毒っちゃ気の毒だが」
関わらない方が無難だなと言いかけて、止めた。
少女の目が、ばちっ、と開いたのだ。
むくり、と体を起こし、無表情のまま周りをゆっくり見回している。
「………………」
ぼーーーっとしている様に見えるのは寝起きだからか、それとも雨に濡れて体調を崩しているのか、あるいは――既に死にかけているのか。
「……そんときゃ墓くらい作ってやるか」
大悟は溜め息を吐いてリヤカーを停めると、面倒そうに少女の方へと足を向けた。
大悟が少女と接触する数時間前。上空1000mにある、巨大なドームに覆われた浮島。その最南端の軍事施設の1つでは。
「物理ネットも重力ネットも通過するなど有り得んのではなかったか?」
広い部隊長室で、重厚な執務机の椅子に座ったまま野太い声で指摘したのは、パリッとした都市型迷彩の戦闘服に身を包んだ壮年の男だった。
短い黒髪、全身筋肉のような体躯に似つかわしくゴツい顔立ち。襟に縫い付けられた階級章は線が2本と星2つ。
左胸に徽章が4つ。下から月桂樹にダイヤモンドのレンジャー徽章、ウイングにパラシュートの空挺徽章、ウイングに桜の盾の陸軍航空操縦士徽章、月桂樹にロボット頭部の機甲歩兵操縦士徽章と並ぶ。
右胸のネームタグには、第10機甲歩兵大隊の所属を示す「10機歩」と共に、海堂の名が刺繍されていた。
海堂剣三郎大佐、38歳。180cm90kg。陸軍入隊から機甲歩兵科一筋の叩き上げで、現在は第10機甲歩兵大隊の大隊長だ。
海堂大佐の正面には、中肉中背で同じ戦闘服姿の青年が、整列休めの姿勢で立っていた。徽章の種類も数も同じその青年は、野村智宏。168cm、75kgのガッチリ型。機甲歩兵科の生え抜きでもあり、28歳の若さで大尉まで昇ってきた逸材である。表情はあまり変わらないが、実直さを感じさせる風貌だ。
「自分もそう聞いております。物理ネットは現在調査中との事ですが、DAのフル装備に耐えられなかった可能性があります。重力ネットは今回の事故の物も含めて、直径10mの穴が3ヶ所に点在していたようです」
DAとは|Dimension Arms 《ディメンション アームズ》と呼ばれる搭乗兵器の略称であり、操縦者は「DA乗り」と称される。これを拠点制圧に運用するのが機甲歩兵科である。
ひとつの大隊は、本部・観測・通信・補給・輸送、の5中隊で部隊の兵站を担い、ナンバー中隊と呼ばれる1から3の数字を振った武装中隊が前線に立つ。そして、中隊ごとに2機1個小隊が2つ。つまり10機歩大隊には12機のDAがあるのだが、青年――第3武装中隊の中隊長である野村大尉の報告は、所属する1機が事故により落下したという物だ。
海堂大佐は考えた。
本来であれば海堂大佐が言ったように2重のセーフティネットで防止できる。しかし、完璧ではなかったらしい。今後を見据えて全国の浮島で点検調査が行われればいいのだが、AI勢力の侵攻対応に忙しい現状では、おそらく後回しにされる。それは落ちた隊員についても同様だろう。
海堂大佐はインターフォンの受話器を取って隊附き事務官を呼び出す。
「副長を呼べ」
それだけ告げて受話器を置いて野村大尉に視線を戻す。
野村大尉はインターフォンを見つめていた。海堂大佐は、ふ、と頬を緩めて尋ねる。
「貴様も時代遅れだと思うか?」
「いえ。むしろ積極的に活用すべきと考えます。ある程度は無線も已む無しですが、暗号化は気休めでしかありません。傍受対策として後方は有線が望ましいかと。展開の遅れと保守の手間を嫌う向きが多いのは嘆かわしい限りです」
「最前線に放り込んで教訓とは何ぞやと叩き込んでやれりゃ良いのだがな。お、もう1人の理解者が来たな――入れ」
ノックの音に海堂大佐が反応し、他の部屋より少し豪華な自動扉が開いた。
紳士然とした細身の、だがよく鍛えられた雰囲気を醸す壮年の男が立っていた。
「佐々木中佐、入ります」
渋い声でそう発して室内に入ると同時に、野村大尉がキビキビとした動作で場所を開けた。佐々木中佐は真っ直ぐに歩いて来る。
半長靴の踵をカツッと合わせて敬礼を交わす。
「呼集に応じ、参りました」
「うむ。休め」
「はっ」
佐々木中佐が整列休めの姿勢をとった。175cm、72kg。実は海堂大佐とは同年の同期で、徽章も同じ物を着けている。だが、ひとつ多い。それは、金糸の格闘徽章。近接戦闘の教育を受けた中から年度を通して1名のみに贈られる物で、接近戦において右に出る者が居ないことを示している。
佐々木中佐の人物評価をした場合、階級の上下問わず100%「堅物」と返ってくるような男である。組織には絶対必要な纏め役でありながら一定数からは必ず嫌われるタイプだ。実はとても柔軟な思考の持ち主なのだが、普段は隊員の規範となるべく行動しているため、あまり知られていない。
海堂大佐は事故の概要を説明すると、
「地上調達任務だ。兵站中隊の待機要員から各1名抽出して下に向かわせろ」
そう指示してニヤリと笑った。
低予算で済ませられるのであれば、部隊を問わず自由調達が認められている。そもそも軍隊は存在するだけで大量に消費し続ける組織なのだ。予算削減になるなら何であれ歓迎する、それが現政府の方針である。
「ふむ。調達範囲が広くなりそうですな。それなりの責任者を付けねばなりませんが誰を?」
「それも含めて、期間予算など諸々の全てを貴様に任せる」
「了解、復唱します。佐々木中佐の指揮の下、各兵站中隊より1名抽出、地上物資調達を任命。以上、これより実施します。ところで事故を起こした隊員の名を聞いておりませんが?」
「山吹少尉だ」
「ほう。また1歩人間に近付いた証左ですな。史上最高の失敗作と謗る無能共の躾は如何なされますか?」
「表向きは、山吹少尉が身を呈して奴等の怠慢を暴いた事になる。ま、うちの年間予算程度を毟取って手打ちというのが落とし処だな」
大隊の年間予算となれば莫大な額となる。だがセーフティーネットとしてだけでなく、下方からの攻撃を弾く役割もある重力ネットに不備があったなど、国の関係部署としては内外共に知られるわけにはいかない。もし利用されでもすれば大隊予算程度では済まない被害が予想されるのだ。口止めと感謝の両方の意味で、海堂大佐の要求は通るだろう。そして金の流れは記録に残り、その事実が組織政治での武器となる。
「お優しい毒ですな」
佐々木中佐は笑った。
海堂大佐も笑う。
「今後も山吹少尉は何かとやらかすだろう。貸しを作っておいて損は無い」
「今年度の半ばで既に始末書は10部ですからな」
「うむ。野村大尉の胃も心配しなければならん。大尉、調子はどうだ?」
海堂大佐が野村大尉に話を振った。
「はっ。先日生まれてはじめてプランセボなる万能胃腸薬を処方されました。お陰で快調であります」
上官2人が視線を交わして頷く。それは偽薬だと言いたいが黙っておこう。
「各中隊長宛に電子書面を交付しておく。頼むぞ、中佐」
「はっ」
佐々木中佐は、短い返事と敬礼で応え、踵を返した。