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13話:屋上カミングアウト


 

 配信後、俺は香椎さんに連れられるまま建物の屋上に来ていた。「大事な電話がある」と言ったオカマは部屋に残っている。つまり、俺は夜の屋上で香椎さんと二人きりだった。


「お疲れさまー」

 

 香椎さんが差し出した缶ジュースを無言で受け取る。彼女のもう片方の手には差し出された物と同じやつが握られていた。冷蔵庫から出して少し経った缶は結露で濡れ、しっかり掴んでおかないと滑り落としそうだ。


「……お疲れ」


 そう答えて、屋上から見える景色を見渡す。


 素っ気ない風景だった。俺がいる建物は向かいにある背の高いマンションや他のビルに埋もれるようにして存在する、小さいビルだった。目の前には必然的に、壁のようにそびえ立つマンションの廊下や、雑居ビルの暗い窓ぐらいしか見えない。よくTVや映画で見る煌びやかな夜景なんかとは比べものにならないだろう。


 だけど、夜風は気持ちよかった。一仕事終えたからか、真夏の風呂上がりみたいに心地良い。


「んじゃ、カンパーイ」


「おー」


 互いに蓋をあけ、タプタプの缶をゆっくりと突き合わせた。アルミ缶同士がくわんとぶつかる感触が手に伝わる。


「ここは……どのあたりだろう」


「赤坂駅の近くだよー」

 

「あ、そうなの」


 何となく言った言葉に香椎さんが答えた。まさか答えるとは思わなかったので、肩の力が抜けて、変な声で返してしまった。

 

 っていうか俺が捕まったところからほとんど離れてないな!? 車どころか徒歩五分の距離だ。


 ……そういえば、結局あの女の人はどうなったんだろう。 

 今なら、その質問にも香椎さんはあっさり答えてくれそうだ。

 

 目の前に立つ、香椎さんに視線を戻す。

 彼女は変わらず学ラン姿のままだ。よほど気に入っているんだろうか。もしかして普段着代わり? 


 だが、そんなことを考える俺も女装姿のままだった。男装少女と女装野郎が二人で夜の屋上。冷静に考えると意味が分からないなこのシチュ。


「……飲まないの?」


「え、あぁ、飲むよ、飲む飲む、メッチャ飲む」


 実際、とても喉が渇いていた。へとへとの喉にジュースを一気に流し込む。


「ごっふ!!」

  

 むせた。


「うわ、すごい!」


 なんか感心された。


「見てよ和白さん!」

 

 咳き込む俺に、香椎さんが手にしたスマホの画面を見せてくる。どうやら香椎さんの関心は俺では無かったらしい。

 

 Twitterのトレンド欄に、『チナさま』そして『柚須かふり』というワードが躍り出ていた。

 

「YouTubeの登録者数も三万以上いってる!! 大成功だよ!」


 まるで自分の事のように大喜びする彼女を見ると、自分のやったことがようやく実感として湧き上がってきた。思わず、缶を持つ手に力が入る。


 登録者数三万人。初配信でこれは大快挙だ。俺が初めて配信したときなんて十人にも満たなかったのに……。数字だけ見ると確かにふわふわと心が躍った。


 だけど、この数字は俺が披露した声真似の力だけじゃない。もちろん香椎さんやオカマの協力も助けになった。しかし、それ以上に『くじごじ』、チナ様という大手の宣伝力と看板が持つブランド力、それらの影響は計り知れない。


 結局、『くじごじ』という事務所に助けて貰ったようなものだった。あれだけ大口を叩いて、結局は人頼りか。


 ……情けねぇ!

 力を込めすぎてアルミ缶がベコリとへこむ。


 それに、登録者五十万を目指すには、ここからが大変だと俺は身をもって知っている。どうやって登録者を伸ばすか……次は、それを考えないと、今度こそ俺の命は無いかも知れない。重い考えが脳内をかき混ぜ、頭がもたげてくる。

 

「……どうしたの?」


 かけられた声にはっとして顔をあげた。不安げな顔の香椎さんが俺の目を覗き込んでいた。


「……何でもないよ」


 不恰好にへこんだ缶を香椎さんから隠すように持ち替える。一瞬だけ、彼女の視線が缶に向いた。


「そっかー」


 だが、まるで何事もなかったかのように香椎さんは続ける。明らかに見ないふりをしていた。だから、俺も見られなかったふりをする。


「ねぇねぇ、和白さん。次はどんな配信しようかゲーム実況? 雑談?」


「そうだなー、やっぱゲーム実況かな定番だし。TPSやりたい」


「いいねー、何する?」


 和気藹々と、取り繕った会話に花を咲かせる。下校中、寄り道したマックでダベってるときのような同級生同士の他愛ない話。二人で、氷の彫刻を作るようにしてそれを削り出す。


「最近出たバトロワ系のやつとかどうかな、俺の幼馴染がよく話しててVの間で大会やってるって」


「あーね、和白さん、TPS得意なの?」


「いや、そこまで、でも上手さは大事じゃないし」


「だねー」


「……」


「……」


 会話の糸が、ハサミで切られたみたいに途切れる。最初だけきちんと作ろうとしていた平凡なコミュニケーションは、あっけなく溶けて消えた。お互いに感じていたのだろう。今、話すのはもっと違うことだと。


「ねぇ」

「あのさ」


 ほぼ同時に声が出て、二人で顔を見合わせる。


「わ、和白さんからどうぞ」

「いや、香椎さんから……」


 コントみたいに何度も主導権を押し付けあい、埒があかなかったので結局ジャンケンで話す順番を決めた。


「じゃあ、私が先攻ね」

 俺は後攻だった。会話の先攻ってなんだ?


「……あのさ……和白さん」 


 スイッチを切り替えたみたいに、神妙な面持ちで香椎さんが話を切り出す。  

 釣られて思わず俺も緊張してしまう。何だろう、何を話されるんだろう。

 

 さっきのことだろうか。……いや、待て。そういえばオカマあの時「最悪、後でで消せば」とか言ってたな。それに今なんか大事な電話してるとか。……今のジュース飲んで大丈夫なやつだった?


「こんなこと……今更言うのも変だと思うけどさ……」


 あ、これダメだわ、死んだわ。なんだか体がちょっと痺れてきた気配すらある。


「香椎さ」


「ごめんなさいっっっ!!!」

 夜のビル街に残響を残すほどの叫び声と共に香椎さんが勢いよく頭を下げた。 


「……へ?」


「こんなことに巻き込んじゃって……本当にごめん、まさかオッサンがいかり屋さん呼ぶなんて思わなくて」


「ま、待ってよ香椎さんが謝ることじゃないでしょ」


「だって、和白さんをここまで連れてきたのは私だし」


「いや、それはそうだけど、でも元はと言えば俺が勝手に後を追いかけたからで」


「え? そうなの?」


「そ、そうそう。香椎さん、時計落としてたでしょ、それ届けに行ったんだよ」

 

 一瞬、香椎さんが呆気にとられたような顔をするが、すぐに言葉の意味を察したのか目を見開く。


「……あぁ、なるほど! ……って、それでもなぁ……」


 納得はしてくれたみたいだが、今度はうんうんと頭を揺らすように唸り始めた。表情が忙しそうにころころと変わる。俺はそれが微笑ましくて、ろくに考えずに次の言葉を出す。


「それに、配信はさ、声真似がたまたま上手くいっただけで、俺の力なんかじゃ……」


「そんなことない」


 こぼれたゆるい本音は、見逃されることなく綺麗に打ち返された。

  

 香椎さんの瞳が真っ直ぐ俺を捉えていた。

 彼女の濡れ羽色の髪が風でたなびき、夜の闇に溶けていく。綺麗だ。素直に、そう思った。

 

「そんなことないよ」

 

 そう続けて、香椎さんは両手で俺の手を取る。まだ残っている缶の中身がとぷんと揺れる感覚が俺の手に伝わる。そして、顔が近い。いやほんとに顔が近い!! 思わず後ずさるが、動いた分だけ香椎さんが近づいてくる。なに!? やめて!? 顔が良いんだけどやめて!

 

「さっきの配信だってすごかった。……声真似のことじゃないよ。本当に可愛かった。ガワじゃなくて中身が、私の理想の女の子だった。可憐で、たおやかで……。気づいてた? 配信中、『可愛い』ってコメント一秒だって途切れなかったよ」


 一言一言、体温が込められたような声で、香椎さんはゆっくりと語る。言葉が紡がれるたび、彼女の吐息と両手のぬくもりが、俺の心をほろほろにしていった。


「なんで……そんなに」

 

 俺のことを見てくれていたのだろう。


「だって私、和白さんなら、『すわん』なら絶対に成功するって思ってたから」


 その言葉を聞いた瞬間、あえて目を背けていた違和感が記憶の底からぞわっと這い上がった。

 

 昨日まで演技ができていたのに突然できなくなった香椎さん。

 「和白さんならうまくできるっていいたげだね」という好アシスト。

 そして、オカマの「あんたに限って」という言葉。

 

 導き出される答えはシンプルだ。


 香椎さんは、俺が女装配信者の『すわん』だと、最初から知っていた。

 知った上でずっと黙っていた。

 最初に会った時も、俺が男装を見破った時も、捕まった時も、ずっと。


 そして、いかり屋が来ると知り、緊急事態ゆえに俺に配信をやらせるように仕向けた。

 ……なぜ、どうして知っている?


「香椎さん……君は……何者……?」


「私は……その……」


 目を伏せ、躊躇うように香椎さんは言葉を切る。なおも顔が近いので、目の動きがよく見えた。キョロキョロ動かしたかと思ったら、今度はぎゅっと閉じたり忙しない。

 そして数秒後、ゆっくりと目を開いて、彼女は言った。

 

「……私は」

 

 聞きたくないと、思った。彼女の醜い部分が見えてしまいそうな予感が――。


「『すわん』の大ファンなんだよ!!」


「え」


 チナ様の声を披露した時に見た喜色満面の笑みが再び眼前に広がる。

 思い出した。どこでこの顔を見たのか。この顔は、露子がいつもチナ様を、推しを見る時の顔だ。


「最初に会った時から気づいてたんだけどね!  推しだし! でも気づいても騒ぐのってダメじゃん! もうまともに目を合わせられなくて平静装うのに必死で! だって可愛すぎるし! 何そのワンピース! めっちゃフリフリだし、しかも超似合ってるじゃん! メイクも全く違和感ないし、何より顔が好きすぎる!!!」


 納得した。俺と見つめあった時の反応、写真を撮った時のリアクション、思わず手を取った時に漏れた声。要するにあれは、溢れてしまった推しへの愛情表現だったのだ。


「だから、その、サインください!」


「え、あ、はい」


「やったああああああああああああ!!」


 サインが貰えると聞いて感極まったのか、香椎さんは諸手を挙げて喜ぶ。夜空を仰ぐように身体をのけぞらせるその姿は、数時間前、地べたに横たわり礼拝していた露子と重なって見えた。


「和白さん!」


「は、はいっ」


「次も、一緒に配信頑張ろうね!」


「……………………はい」


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