雨鈴零棘
雨は全ての音をかき消していった。
顔中を雨の雫が打ちつけていき、身にまとったくたびれたトレンチコートは雨に濡れてまだらに濃くなっている。
ただ、思いは一つ。その思いを成し遂げるためだけに鞘は歩いていた。
雨はいつから降っていたのだろうか、鞘が気がついた頃にはびしょ濡れになっていた。
「晴れていたはずなのになぁ」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
おぼろげに見た今朝のニュースでの予報は晴れであった。予報にもない突然の雨。ぼうっとしていたら、巻き込まれびしょ濡れで、誰一人表には出ていない。
雨には微量の毒が含まれていた。
多くの人はこの毒を恐れて雨が触れば即座に家の中へと閉じこもり、出来ることなら雨の届かない地下へと潜る。
雨に毒があるとはいえ、その毒はあくまで数日、数週間にわたって浴び続けた場合に致死性があるわけで、ほんの少し浴びた程度では何も体調に変化が起こるわけでもない。数時間に渡ってもそれは同じことだ。
ただ、噂が蔓延した結果、誰一人として雨の中で出歩こうと思うものはいなくなった。
鞘にとってはむしろ都合が良かった。
冷めたような熱い感覚にホテルを出た時から支配されており、熱を冷ましていくかのようであった。
文字通り、雨がなにもかもをかき消していき、この道を歩くのはただ一人だけ。
思いはただ一つ劍をこの手で殺す。そのことだけを考えて歩いていた。
部屋の中に電気はなかった、壊れたブラインドの隙間から差し込む太陽の光だけが部屋の中を照らしていた。朽ちた床板は踏む場所を間違えれば簡単に穴があき、部屋には使われることのないバーカウンターと、使われない客席が置いてあり、所々拾ってきたクローゼットだの本棚などが客席があっただろう場所に置かれている。
鞘は破れたソファーに寝そべりながら、漫然と本を読んでいた。その辺のゴミ捨て場から拾ってきた本だ。内容は小説だったが、あまりにも内容が退屈すぎて頭になにも入ってこなかったが、時折差し込まれる意味のない濡れ場をどこか楽しみにしながら本をめくっていた。
「閥、今日はどこに行くんだ?」
鞘は閥に聞いた。
閥は鼻歌交じりに身支度を整えていく。
念入りに鏡を見ては前髪の位置を右や左に動かしては、あーでもないこうでもないとぶつぶつ独り言をつぶやいている。
「今日はね、美玲さんのところに行くんだ。あ、晩ご飯は要らないよ! ごちそうになってくるからね」
「そら、ご丁寧にドーモ。劍と二人でジャガイモペーストでも食ってますよエエ」
「何かおみやげとかもらえそうだったら貰ってくるね」
「肉が良い。ホエイブロックも飽きたし、肉が良い。出来れば大豆の合成じゃなくてちゃんとした肉!」
鞘達が生まれる数十年前大きな戦争があったらしい。
その当時の人口の半分が死に絶え、土地は枯れ果てた。ごく一部の人間は再開発された人工島に住み、多くの負け組は破壊去れ尽くされた旧市街に住んでいる。
鞘達にとって重要なことは、栄養価が見込めるエッセンシャルフードを食べていれば生きていくことが出来るが、とにかくこれが不味い。そして、滅多に食べることは出来ない天然ものを使った料理はとてつもなくうまいということだった。
「分かったー」
髪の毛の収まりの良い位置を見つけたのか、閥は歯を見せて屈託の無い笑顔で笑った。
ふわふわとした柔らかな黒髪に、子犬のようなつぶらな瞳、肌は透き通るように透明で、体の線は細く、手足はとても華奢だった。
閥の笑顔は、見るもの全ての心を動かす力があった。
魔性と言っても良いのかも知れない。閥の笑顔に魅了をされた女性が代わる代わる彼のことを愛している。意外なことに誰ともまだ肉体関係を結んではいなかったようだった。何人もの大人の女性が彼を生存させようと施し、愛を与え、閥はそれに応じる。閥にこれといったやましい気持ちはなく、ただ好意を全力で受け取っているそういうものだった。
「なあ、閥?」
「なに?」
「なんで、俺とか劍とかと一緒にこんなところに住んでるんだよ。望めばお前はどこにでも行けるだろうに」
「やだよ」
「なんで」
「そうしたら、僕は誰かのものになっちゃうだろ? そうなっちゃいけないんだ。それに、僕にとっては鞘と劍がいる場所が僕の帰ってくる場所なんだ」
「そーかい」
「そーだよ」
気がつけば、自然と笑顔になっていたような気がする。
鞘にしても、劍にしても、閥にしても、それぞれ出自が違うとは言え身寄りのない子供だった。
鞘は孤児院で先生に犯されそうになったところで、その先生をボコボコにして逃げ出した。
劍は爺さんと二人暮らしをしていたが、ある日爺さんが強盗に殺された。
閥には母親がいたが、母親の彼氏に毎度殴られ続けるのが辛くて逃げた。
三人は近いところで、物乞いをしたり、盗みを働いたりして暮らしていた。縄張りを巡って争ったりもしたが、協力していく方が生きていきやすいということが分かって三人で生きていくようになった。
数十年前に放棄された朽ち果てたカフェ、電源も水道も無く、ただ雨風をしのぐだけの場所。この場所で暮らし初めてそろそろ七年が経つのだった。
「じゃあ、行ってくるね鞘」
「ただいまー」
紙袋を抱えて劍が入ってきた。
劍は薄汚れたベージュの外套に身を纏い、所々すり切れたネルシャツとジーンズをはいていた。およそ高級な傷一つない衣服に身を包んでいる閥とはとても同じ場所で暮らしている人間とは思えない落差があった。
紙袋の中身はおそらくいくつかの日用品とまずいエッセンシャルフードがたくさん入っているのだろう。
「お帰り劍、じゃ、僕は出かけてきます!」
「閥、待て、おまえ今日どこ行くんだ?」
「? 美玲さんのとこだけど」
「美玲さん今日会えないって言ってたよ? だから今日は三人でこのくそ不味いジャガイモのエッセンシャルフードでも食おうぜ」
「嘘だー。だって会えないなら、会えないでこの端末に連絡くるはずだもん」
といって、閥は懐から手のひら大の情報端末を取り出した。
鞘と劍はその端末を、目をまん丸くして、見ていた。
情報端末を契約することには市民IDを持っていなければなず、IDを持っていない人間が持つとするなら法外な契約料を請求される。いわばこの世界である程度以上の権力があると認められたものしか持つことが出来ないのだ。
「わ、悪い。お前がそういうものを渡されているとは知らずに、嘘をついちまって……」
劍はバツが悪そうに顔を伏せた。
「だけど、美玲さんに会うのは止めてくれ。今日は、今日は家に居てくれ……」
劍の様子は切実だった。ただ、会って欲しくないという訳でもなく、何かどうしようもなくマズいことが背後に隠れているのではないかと。
「劍……心配してくれるのは分かるけど、美玲さんとの約束を違える訳にはいかないんだ……」
劍は何かを言いかけて、それで止めた。
そうして、ニッコリと微笑むと。
「閥、お前はそういうやつだったな。約束は絶対に破らないそういう男だったな」
「そうだよ。だから、僕は劍に約束するよ。何があっても帰ってくるって」
それじゃあ行ってきますと行って、閥は出掛けていった。
「劍、美玲さんのところ何かあるのか?」
「いや、大した話じゃない。いつも通りやばいところに突っ込んでて、その関係者がシメようみたいなそんな話を聞いただけさ」
「なんだ、いつものことじゃないか」
閥は度々金持ちや、マフィアの女を魅了してしまい数回デートをしたのち痛めつけられかけたりする。しかし、閥自身に悪意もなければ詐欺を働こうという気も無いため、これまでトラブルがあったとしても閥が何の怪我を負うことも無く解決されていった。逆に痛めつけにきた人々さえも魅了して、かわいがられるということでさえ閥にとっては珍しいことでもない。
だから、鞘はその話を聞いたときに全く心配にならなかった。
「そうだと良いんだけどな」
劍の顔色は優れなかった。
何か彼自身の直感を揺るがすようなことが起こっているのだろう。こういう場合はだいたいの場合劍の杞憂に終わる。
「俺も出掛ける。ちょっと仕事でな。明日の朝には帰ってくるさ」
「ああ、分かったよ。ここで待っている」
しばらくして、鞘も出掛けた。
仕事を終えて帰ってくると、誰もいなかった。劍も、閥も。
何日待っても彼らは帰ってこなかった。
それでも、何となく暮らしていた。ある日、風の噂で聞いた。
劍が閥を殺し、マフィアになった。と
「殺して欲しい奴がいる」
と、少女は言った。
まだ十歳にもならない娘だった。
鞘が手を伸ばせばいとも簡単に殺せてしまいそうな、あまりにも儚い存在だった。
「どうして、俺に?」
「あんたが、一番の殺し屋と聞いたからだ」
「何故殺す?」
「家族をあいつらが殺したから」
「そうか」
そう言って、鞘は少女を睨め付けた。
少女は鞘の殺気にやや気圧されたようだったが、殺したい相手に対しての殺意は明確なものであったように思う。
「報酬は?」
「私の全財産、いいえ私の全てをあなたにあげる。だから必ず殺して」
「全てをとはまた、大げさだな。いったい誰を殺すというのだ」
ー馴染みのある名前を聞いた。
劍。
その後誰かから聞いた話だが、劍は閥を殺してマフィアになり出世を重ねてボスになったということだった。一方の鞘は殺し屋になった。才能がたまたまあったからそうなったのだろう。何故なったのか、来るべき日のための備えだったのかも知れない。
「分かった」
そう言って引き受けた。
「自己紹介が遅れたわね、私は華」
「鞘だ。よろしく」
とは言え、おそらく生きて帰ってくるつもりなど無かった。
過去に決着をつけて、死ぬ。それだけのためにこの少女を利用したまでだった。
雨の中でその建物は魔城のように黒く輝いていた。
ガラス張りの建物。ただ、その建物だけがそこにそびえ立ち、辺りはならされたかのように何もなかった。
歩きつつ、コートの中から、一振りの刀を取り出す。
電磁刀・MURAMASA弐
誰もいない広場のような敷地を歩いて、入り口のような扉の前へとやってくる。歓迎されている様子はなく、扉は固く閉ざされている。
ガラス張りとはいえ、硬質なプラスチックはそう簡単に砕けるようなものではない。
鞘は、刀の鞘を握り込み鯉口を切る。扉の前へと来ると。中腰に構えた。
歯の隙間から漏れる呼吸音、そのタイミングと同時に刀を抜刀し、振り抜く。
刀を振り抜いて即座に刀を納刀する。
遅れて、入り口の扉のガラスが粉々に砕け散った。
素人が見た場合、一瞬何かが閃いたと思ったあとでガラスが割れて、まるで超能力を使ったかのような光景を見ることだろう。ただ、鞘の早業によってのみなされた光景である。
けたたましく警報が鳴り響いた。それもそのはずで、このビルは招かれない限り正面から入ることなど出来ないのだ。
広い敷地を歩いているうちに、大量の防犯カメラの目を通過していたため、入った瞬間には警備の兵隊に取り囲まれている。
ずらりと並んだスーツ姿の兵隊たちは鞘の姿を見つけると警告もなしに一斉に射撃を始めた。
アサルトライフルからのフルオートの轟音が数十秒鳴り響く。
「やったか」
打ち終えて誰かが言った。
「それは死にゆくもののセリフだな」
「な、バカな!」
鞘は何もなかったかのように突っ立っており、傷一つ負った様子も無い。
電磁抜刀術、天津式。
戦後、刀を使った近接戦闘術式が流行るようになった。
電磁を纏った電磁刀は強烈な磁力を放ち、近づいてきた銃弾を一定数反らす効力があった。
ただ、万能では無いため、フルオートで放たれる数百発に及ぶ銃弾に対応するには、一時的に生じる磁力を全身に纏わせるようにして振り続けなければならなかった。
鞘は刀を抜いたまま正面に立った男へと斬りかかる。
男が反応できた頃には、鞘の刀はその男の肩を半分ほど断ち切ってしまっていた。
ごく一部の達人が現れては銃弾をかいくぐり斬りふせるということが起こっていた。
銃を持っている集団と戦う時、一人目を斬り殺すのが一番むずかしい。
しかし、一度でも接近できてしまえば一時的にはこちらが圧倒的に有利になる。
最初の一人を真っ二つにして、群の中へと突っ込んでいく。
同士討ちを恐れて、銃を向けるものの引き金を引くことができない。躊躇っているうちに、そのあたりにいる二、三人を斬り殺していく。
そのまま、真っ直ぐに進んで鞘は反撃の手段をこまねいている敵を一呼吸のうちに三人程度刻んで行った。
同士討ちをする相手が軒並み鞘に斬り殺されたので、背後で銃を構えた連中が躊躇わずにぶっ放して来た。
納刀。振り返り、抜刀。
天津流で、最初に習う基本の技、一の太刀。
電磁刀が不利抜かれた余波で空間の磁場が歪み、銃弾は上下に逸れていく。
両手へと持ち替えて肩へと担ぎ切り落とす。
銃弾は左右にもそれていくようになる。
鞘は、まだフルオートで撃ちまくっている相手に向かってそのまま突っ込んでいく。
磁場の歪みは可視化はできないものの銃口のすぐ手前まで届いており、銃弾は踏み込むまでは当たらない。
何故という顔をしながら銃を撃ち続ける。
距離がやがてゼロになり、男は死を覚悟し、鞘はその男を真っ二つに斬り伏せた。
振り抜いた勢いで反転し、右手だけに持ち帰ると手を伸ばし、別の男の喉を刺し貫く。
そのまま左手を添わせて、肺まで切り裂いて絶命させる。
刹那背後に一人の男がナイフを振りかぶっていた。
電磁刀の一種。当たれば簡単に骨まで貫かれてしまう。
鞘に振り返って刀を振り返す時間はなく、背を向けたまま足底を相手の脇腹へとめり込ませる。
時として、蹴り技は第三の手足足りうる技であり、今尚研鑽の価値がある。
呼吸が漏れて一瞬隙ができる。
その隙の瞬間に、鞘は己の斬撃を割り込ませて手首を叩き切った。
返す刀で首を刎ねてあっさりと決着した。
辺り一帯で立っているものは鞘だけになった。
納刀して、血だまりの中を歩きつづける。殺菌されたように清潔な白い床は鞘の殺戮によって赤く汚されていた。
何事もなかったかのように歩いて、止まったエスカレーターを歩いて登っていく。
エスカレーターを登った先に高層階行きのエレベーターがあることを知っていた。
エスカレーターを登り終えると、またスーツ姿の小銃を構えた兵隊が待っていた。
一斉射撃。
ただ、鞘は慌てることは無かった。
電磁刀を抜き放ち、刃を舞うように振りながら進んでいく。
天津流で最も基本的であり、最も稽古させられる賛戦の型。
一般的に型稽古なるものは、実践的ではないと言われているが鞘は状況に応じてそのまま使うこともある。
電磁刀による磁場の歪みを全身に纏わせながら、時折姿を消したように移動をして、的をしぼらせない。あっという間に近づくと三人まとめて型の最後の振りで切り伏せた。
死体を踏み越えてエレベーターに乗る。
最上階。静かなモーター音が鳴り響き、ものの数秒で五十階のビルの一番上の階へと到着する。
エレベーターが開くと途端に銃声が歓迎した。
エレベーターの中では刀を振るうことが出来ないため、磁器の歪みを使うことも出来ずに、扉を開いたままコンソールの陰に隠れる他なかった。
「撃て、断続的に撃ち続けてやつを釘付けにしろ」
雨嵐のように打ち込まれる銃弾。
ただ、鞘が持っている武器は刀だけでもなく、コートの中から円柱型のケースを取り出すと、てっぺん
のボタンを押してエレベーターの隙間から押し出した。
ボタンを押して三秒、爆発音が聞こえ、悲鳴がフロア一帯に響き渡った。今転がしたものは爆弾で、中には大量のベアリングが仕込まれており、あたり一面を穴だらけにしていく。人体とてその例外ではない。
鞘はもう一つ取り出すと、ボタンを押してまた転がした。再度爆発。沈黙したことを確認して、鞘は歩き出した。
築きあげた死体の山を越えていく。
通路の奥の曲がり角を曲がろうとしたところで殺気に気がついて振り返ると、血まみれになりながら兵士が残った力を振り絞ってハンドガンをこちらへ向けていた。
鞘もとっさにハンドガンをポケットから取り出して男へと向ける。
同時に撃発。
鞘の放った銃弾は男の眉間に、男の銃弾は鞘の太ももと腹を撃ち抜いた。
激痛、しかし戦えないわけでは無い。倒すべき相手はあと一人。鞘は、足を引きづりながらも通路を歩いて階段を登っていった。
最上階、その上にある部屋。この魔城の支配者が座っている場所だ。
鞘はノックをするでもドアノブをひねるでもなく、電磁刀で扉を真っ二つにした。
「久しぶりだね鞘」
「劍!」
ガラス張りの窓の前で幼馴染は穏やかに笑って、出迎えた。
「俺がここにいる。その意味を分かっているんだろう? なあ、おい」
「報告は聞いている。いつかお前がここにやってくるような気がしていた」
「ああ、俺はいつか必ずここにやってくるような気がしていたよ」
「そうかい」
劍は高そうなスーツを身にまとっていたが、その手には電磁刀・兼定が握られていた。
やることはお互いに決まっていた。
身を低く、刀に手をかけながら走る。
接触の間際に、互いに抜き打ち、鋼は打ち合い、青白い焔を散らす。
電磁刀は鞘に収納する事で刀身に電磁を通し、切れ味を増す。
故に、電磁刀を持っての戦いの始まりとは抜き打ちに他ならない。
一の太刀。
最も基本的な技であるが、実力差の出やすい術式。
実力は同程度。
切り落とし、切り上げ、踏み込んでの突き。
鞘は連続攻撃を仕掛けるも、いなされる。
同様に攻撃を受けるも見切ることは出来る。
しかし、数度斬り合ううちに、劍の技量の方が上回っていることが分かった。
斬撃の隙間に滑り込ませる用に刃で皮膚を切り裂いてくる。
電磁刀そのものは刀と違い、帯電していれば振れただけであらゆるものを破壊していく。
時間を積み重ねるごとに不利になることは明白だった。
鞘は一挙に離れて一度刀を収める。
一の太刀の構え。
劍も同じく一の太刀の構えを取った。そして腰だめに置く、左手の位置を片口まで上げて、さやを担いだ。
「終わりの太刀、残月」
劍はつぶやいた。
天津流、三代目頭首によって編み出された最終奥義。
最新にして最強の居合いの技。
その技は電磁刀ごと真っ二つに切り捨てると言われている。
鞘はこの技にたどり着くことなく修行を終えた。
最強の居合い技は一の太刀以外に知らない。
鞘は走り出し、鯉口を切った。
劍はその場で構え、技を貯める。
鞘は切りかかるとされる一歩手前で、一の太刀を放つ、当然のように当たらないが鞘はそのまま刀を投げた。
なんてことは無く、劍はさやで刀を弾いた。
襲いかかる残月。
それを鞘は持っていたさや受け止めた。
「なに?」
「驚くことじゃない、お前は、外したのさ」
驚きの顔で鞘を見つめる劍。
鞘が刀を投げたことによって、わずかに深く踏み込めたことで、本来真っ二つになっているハズのもので受け止めることができたのだ。
「だが、刀を失ったな!」
「こうするのさ」
鞘が懐から取り出したのは拳銃。
拳銃を劍の体に密着させると、弾倉がなくなるまで撃ちまくった。
電磁刀を持ったものの戦いでは拳銃など、ほぼ何の意味も持たないに等しい。しかし、今のようにゼロ距離で拳を放つように銃弾を叩き込めば話は別だ。
打ち込まれる事に劍のからだは小刻みに跳ね上がり、やがて仰向きで部屋のど真ん中に落ちるように倒れた。
地面に落ちた電磁刀、兼定を拾い劍に突きつける。
劍の後ろには血だまりが広がっていた。
顔は青ざめて、もう何もしなくとも死ぬことだろう。
「死ぬ前に聞くことがある」
「何だ?」
「何故閥を殺した」
「ああ、そのことか……」
劍は懐かしむように笑うと、鞘の目を見て語り始めた。
劍が部屋で一人でいると、閥が帰ってきた。
いろんなお金持ちから買ってもらった洋服はズタズタに切り裂かれ、顔面は所々赤黒く腫れ上がっている。手足の骨は折れていなかったようだが、打撲の跡は全身のいたるところにあり、あばら骨程度の細い骨なら何本か折れてても不思議ではない。
「閥!」
「劍……ごめんよ……」
閥は後ろから弾かれて、部屋の中に転がった。
後ろにいるチンピラに蹴られたのだろう。
チンピラは二人中に入ってきて、その奥から恰幅の良い男が出てきた。その男は、真っ黒のスーツに身をまとい、金のアクセサリーを幾つもの纏っていた。権力があるということをファションで表現したようなやつだった。
「よう、てめぇが劍って奴か?」
「ああ、そうだ」
劍はどこかに打開できる点がないか即座に目を配った。しかし、この立っているチンピラは腕がたちそうな上に武器を持っている。一人を何とかしたところでもう一人に殺されて終わりだろう。
「俺は、劉っていうんだ。昴竜会って組織のいちばーんえらい奴だ」
「その一番偉い奴が何かようか?」
「この閥が俺の女に手を出しやがった」
様子がいつもと違っていた。閥が誰かの女ニ勝手に惚れられてデートをしたとしても、何もしていないのだから基本的には何も起こらないことがほとんどだ。犬とか猫とかそういう存在に近い。だが、劉は烈火のごとく怒っており、今すぐにでも閥の顔面を踏みつけて殺しかねない勢いがあった。
「全部俺のものに出来ないならそいつに用はねぇ。だから美怜は殺した。美怜のことは別にどうでも良いがこの閥ってガキは気になった。こいつは一目見たときに使えるって思った。だからよぉ、痛めつけて俺の物になれって説得したんだが首を縦に振りやがらねぇ」
目的は閥のようだった。
閥は苦しそうに呼吸をしながら首を小刻みに横に振った。
「だから、頭の良い俺は考えた訳だ。こいつの一番大事なものと手前の命を引き換えにすれば俺のもんになるんじゃねーかなーって、そう思ったんだわ」
幸いにも彼らに鞘の存在は知られていなかった。鞘が下手なことをしなければ、彼は生き残るだろう。
「なるほど、俺を殺しに来たわけだな。なら、殺せば良い。それが閥を生き残らせる道になるなら」
「だってよ! 良い友達じゃん?」
そう言うと、劉は閥の髪の毛を掴んで、無理やり立たせて懐から出した拳銃のセーフティーを外して閥に握らせる。
「ほら撃てよ、撃てばお前は生かしておいてやる。てめぇがやらねぇなら、俺たちがこいつぶっ殺してやるからよ!」
閥の顔を見た。
泣いていた。全身を震わせながら立っているのもやっととい感じだった。もちろん痛めつけられてそうなったのもあるんだろうけど、もっと違うもの、劍を撃つことが閥の体を震わせていた。
「僕を……殺してくれ……」
小さく、閥が呟いた。
それで分かった。閥に劍を撃つことは出来ず、この先も生きていくことが出来ないのだと。
「あ? てめぇ、何言ってやがる早くしやがれ!」
劉は苛立っているようすだった。
「例えばの話だけど」
と、唐突に劍が切り出した。
「俺はそこで震えてる奴よりも生きたいと思う。あんたの物になって生きる代わりにこいつを殺したら認めてくれるのか?」
「俺に何の得がある?」
「こいつよりもアンタの役に立つって言ってるんだよ」
劉の目を見た。
親友を殺すと覚悟したのなら、もう何も怖いことは無い。劉にこれから何かをされることがあったとしても、親友を撃つこと以上に怖いことなどなかったのだ。
「良い目してるな。気に入った。俺にはもうどっちでも良いことになった。好きにしろ」
「分かった」
そうして閥から銃を取り上げた。
閥は銃を握ってすらいなかった。ただ両手で支えていたのだ。落とさないように。
外しようも無い距離から閥の心臓を目掛けて照準する。
閥は泣きながら精一杯笑顔を浮かべていた。
閥はこのまま劍を殺して生き残ったとしても生き残ることは出来なかったのだろう。こいつに与えることは出来ても奪うことが出来ないことはよく知っていた。劍を殺したところで生き残れないということだ。閥自身がそのことをよくわかっていた。
だから、閥は笑ったのだ。
「ありがと」
最後まで言い終わる前にありったけ撃った。
聞いてしまえば覚悟が鈍るかもしれないと、怖かったからだ。
閥が倒れると、劉は拍手をした。
「満足か?」
「ああ、大満足だ。こらから頼むぜ? 劍。ただ、てめぇが1ミリでも俺に背けば容赦なく殺す。分かってるな?」
「そのつもりで撃ったつもりだ」
こうして劍はマフィアになった。
刺客としての腕を磨き、商売で財を成し地位を築きあげ、劉の役に立つ男になった。
「ニ年前に俺が昴竜会のボスになって、劉は殺したさ。俺の復讐は終わったんだ」
劍は途切れそうになりながら昔語りをした。
「ここに来る前に華って女の子に頼まれた。何故劍はあんな娘を悲しませるようなことをした」
「華……、ああ、あの子か。悪いことをした。あいつの親父は劉派の人間でな、どうしても劉を殺すために殺さなきゃならなかった。親父だけ殺すつもりだったが、カミさんも親父をかばって死んだ。華、あの子には不自由しないようにいろいろ計らったつもりだったが、そうは見えなかったか……そうか」
劍は遠くを見るようにそう言った。
「しょぼいもんだろ? 俺は閥を殺させた劉をどうしても殺したかった。でも、その為には劉以上の化物になる必要があった。その結果がこれさ。劉と同じ末路をたどってやがる……」
「どうして言ってくれなかったんだ!」
「言えば……、俺はお前まで殺さなきゃいけなかった。それだけは……、嫌だったんだ……」
そう言って劍は笑った。
「……鞘、生きてくれ……。俺たちの代わりに……。俺を殺したのがお前で良かった」
劍は目を閉じると力を失って、笑ったまま事切れたのだった。
鞘はただ義務感に駆られてそのまま帰った。途中で何人か襲いかかってくる敵を斬り殺した気がするが記憶は曖昧なものだった。
「お帰り」
と、華が言った。
変わらない屈託の無い笑顔。
「殺してきた」
「そう……」
華はただそう答えた。
「嬉しくないのか?」
「そうね、あんまり。どこかでそんなバカなことを言ってるうちに、誰かが自分のことを殺してくれるかもしれないとか思ってたのかも」
「俺もだ」
意外に思うことはなかった。
生きていく寄る辺をこの娘も失っていたのだろう。
「仕方ないので生きましょう」
「そうだな」
雨は上がっていた。
窓から差し込む日の光が華の涙を照らして、輝かせていた。
どこで出したか思い出せない原稿です。
男たちの晩歌とか、ガングレイヴとか、カウボーイビバップの最終回やりたかったような気がします。
いいね!と思ったら感想とか☆付けてくれると嬉しいな!