07. 非公式な謁見
すぐにでも戦争が起きるのではないかという懸念をよそに、状況は奇妙な膠着状態を維持していた。とはいえ水面下では様々な思惑が渦巻いており、しがない侯爵令嬢であるリヴェラですらその渦とは無関係ではいられなかった。
急遽中止となった先の謁見。その埋め合わせをしたいと国王陛下に呼び出されて、この日リヴェラは再び登城していた。しかし予定の時刻よりも早く到着したのは、事前にギルバートから「大事な話があるから早めに来られないか」と言われていたからであった。
「リヴェラ嬢」
「ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下」
王宮に足を踏み入れると、待っていたらしきギルバートが片手を挙げて出迎えてくれた。そのまま彼のあとについて行けば、またしても裏庭園へと案内される。
人に聞かれたくない話だからといって、密室でコソコソ話すほうがよほど怪しまれるし、やましい自覚があるぶん無意味にビクビクしてしまう。それなら初めから静かで開放的な場所を選ぶべきだというギルバートの判断は、実に的確なものだとリヴェラは思った。あまり人目がなく、しかし人目につかないわけでもないこの裏庭園は、聞かれたくない話をするにはうってつけの場所といえる。
「時間を取らせてすまないな、リヴェラ」
「今日は謁見以外の予定はなかったから大丈夫よ。それより大事な話ってなに?」
今日も護衛は二人いたが、彼らは前回と同じく離れたところで待機していた。彼らが話し声の聞き取れない距離まで下がったことを確認してから、ギルバートは真剣な面持ちで口を開く。
「いいか、リヴェラ。今回の謁見は非公式のものだ。だから謁見の間ではなくて、人払いされた応接室で行われることになるだろう」
非公式。事前には知らされていなかったその話に、リヴェラは怪訝そうに眉を上げた。
「……もしかして、なにか内密の話でもされるのかしら」
「ああ。内密というよりも機密寄りの話らしいけどな」
「待って、私はなにに巻き込まれようとしているの?」
なんだかとても嫌な予感がする。警戒して身構えるリヴェラに「落ち着け」とか言うギルバートだが、彼の顔色もあまりいいとは言えなかった。
目を閉じて、深呼吸をする。嫌な音を立てていた心臓が、それでわずかに落ち着いた。
「俺もまだ詳しくは聞いていない。でも間違いなくエレット王国に関することだろう」
「……戦争は、起きないわよね?」
一番の懸念はそれなのだ。しかしギルバートは首を横に振った。
「起きない。少なくとも今すぐにはな」
いつかは起きるかもしれないということか。しかしリヴェラは安堵した。今すぐには起きないということが確定しているのなら、ひとまずは余計な心配をしなくていい。他のことを考える余裕もできる。
だが、エレット王国関連のことで戦争の話でないとすれば、他に機密となりそうな話題が思いつかない。ギルバートが難しい顔をして腕を組んだ。
「先の茶会の一件で、父上と母上はお前の能力を買っている。俺はそれが気がかりだ」
リヴェラの能力が正当に評価されること自体は、ギルバートにとっても喜ばしいことだ。しかし今の不穏な状況下での正当な評価は、かえって彼女の身を危険に晒すことに繋がりかねなかった。
もちろん不当な評価のほうがいいというわけではないが、少なくとも普通のご令嬢だと思われていたほうが、余計な任務を与えられないで済むのは確かである。有事の際は特に。
ふとリヴェラの脳裏に、父オスカーの姿がよぎった。再度国王からの呼び出しがあったと知らせに来た父は、見たことがないほど固い表情を浮かべていたのだ。
あの時はてっきりリヴェラの粗相を警戒しているのかと思っていたが、もしかしたら今回の謁見が非公式のものであることを父はすでに知らされていたのかもしれない。そしてリヴェラが余計な不安を抱かないですむように、ギリギリまで黙っていることにしたのだろう。
「このことをお前に伝えるべきかどうか俺も迷った。でも」
「ううん。前もって教えてくれてありがとう、ギルバート。おかげで謁見前に心構えができたわ」
父の心遣いはありがたいが、事前に知っていたほうが対策を立てることも、よく考えてから答えを出すこともできる。人生を何度も繰り返している身とはいえ、突発的な事態にいつでも完璧に対応できるわけではないのだ。いつだって情報はあったほうが有利である。
リヴェラの笑顔に、けれどギルバートは笑顔を返せなかった。返せるわけもない。
彼の表情があまりにも強ばっているので、リヴェラは困ったように首を傾げた。本人以上に深刻になってくれるのはありがたいけれど、彼がそこまで心を痛める必要はないのだ。
「そんな顔しないでちょうだい。大丈夫よ。機密の話って時点で、なんかもういろいろと覚悟はしているから」
まったく、頼んでもいないのに機密情報を聞かせようとするとは何事かと心底思う。相手が国王陛下でなければ約束をすっぽかして『聞かない』という選択もできるのだが、さすがのリヴェラも王族相手にそこまでする勇気はなかった。
こうなったら厄介事に巻き込まれるのを覚悟の上で、できるだけ自分に有利な状況で巻き込まれるしか道はない。
「父上に頼み込んで、俺も謁見に参加できるように取り計らってもらった。場合によっては助けになれるかもしれない」
「ありがとう。でもあなたは王太子として参加するんだから、絶対に私に肩入れしちゃダメよ。客観的に見ておかしいと思った時だけ助けてね」
付き合いの長い二人だが、今世では数回しか顔を合わせていない間柄だ。それなのに王太子であるギルバートが大して親しくもないリヴェラに肩入れしたら、余計な邪推を招いてしまうかもしれない。
たとえ非公式の場でも、身内しかいないということは期待しないほうがいいだろう。最低限の衛兵や、場合によっては記録官がいてもおかしくないのだ。自分の言動には細心の注意を払う必要があった。
そんなことを話していたら、離れたところで待機していたはずの護衛が近づいてきた。見れば裏庭園の入口にオスカーの姿がある。ギルバートと会うため先に登城したリヴェラとは別行動だったのだ。
「時間のようだな。そろそろ行くか」
腰を上げたギルバートが自然な仕草でリヴェラに手を差し伸べた。リヴェラは無意識にその手を取りかけ、寸前で我に返って反射的に引っ込める。しかしその動きを予測していたらしきギルバートの手が追いかけてきて、結局は手を取り合う体勢になってしまった。つい非難がましい目でギルバートを見上げれば、彼は軽く肩を竦めてみせる。
「諦めてくれ。このほうが自然なんだ」
「……わかったわ」
なにが自然なのかは知らないが、詳しく聞くことすら面倒だった。
合流したオスカーは娘が王太子にエスコートされているのを見て目を瞠ったが、すぐに気を取り直して胸に手を当てて礼をする。
「殿下、娘のために時間を割いてくださっていたのですね」
「ああ。リヴェラ嬢と共に過ごすのは楽しいしな。そう恐縮しないで欲しい」
いけしゃあしゃあと言うギルバートに呆れつつ、リヴェラはさりげなく手を離した。
「お父様、本日の謁見には殿下もご臨席なさるそうです」
「……それはそれは、光栄なことですな」
ギルバートが案内してくれると言うので、三人は連れ立って国王陛下が待っているという部屋へと向かう。歩きながら、ふとリヴェラはソフィアのことを思い出した。
どうして彼女は一度も王太子妃にならなかったのだろうと、ずっと不思議に思っていた。でも今世でようやくその理由が判明した。
恐らくは、これまでのどの回帰でもエレット王国とは折り合いが悪かったのだろう。王太子妃候補としてソフィアの名前が挙がっていたのは、両国間の関係改善を意図してのことだったのだろうが、結局それが実現することは一度もなかった。今世もまた。
そんなことを考えているうちに、前を歩いていたギルバートが足を止めた。扉の前で待機していた衛兵に声をかけてから、ギルバートは部屋の中へと声をかける。
「父上、ルアンリ侯爵とリヴェラ嬢をお連れしました」
「入れ」
許可が出たためギルバートを先頭に部屋に入る。
リヴェラにとっては意外なことに、室内には国王であるサイラスしかいなかった。記録官はおろか、衛兵すらいない。
機密。その言葉がリヴェラに重くのしかかってきた。無意識に表情が険しくなる。非公式とはいえ、これはさすがに異様な状況だ。
「ルアンリ侯爵、リヴェラ嬢、急に呼び出してすまなかったな。よく来てくれた。座ってくれ」
国王陛下に椅子を勧められ、オスカーは一瞬躊躇う素振りを見せたものの、言われた通りにすぐ腰を下ろした。ちなみにギルバートはさっさとサイラスの隣に座っている。
「…………」
男三人の目が、未だに立ったままのリヴェラへと注がれた。国王に座れと言われたからには座らねばならない。たとえ腰を落ち着ける気分にはならなかったとしてもだ。リヴェラは密やかに息を吐き出して、大人しく父の隣の椅子へと腰かけた。そうして全員が着席したところでサイラスが改めて口を開く。
「リヴェラ嬢、先日は息子が世話になったようだな。例の茶会でのそなたの手腕は聞き及んでおる」
またその話題かと思いつつ、これが本題ではないと分かっているだけにリヴェラは冷静にそつなく答える。
「いいえ、陛下。あくまで自分にできることをしたまでです。それにその件に関しては、王妃様からも殿下からもすでに十分すぎるほどにお褒めの言葉をいただいております」
だからもうその件には触れないでくれと言外に訴えると、サイラスは興味深そうに目を細めた。
「……そうか。やはり聞いていた通り聡明で謙虚なご令嬢だ。ルアンリ侯爵、娘によき教育を施しておるな」
「もったいないお言葉でございます」
オスカーとしては知らないうちにリヴェラが成長しているため教育もなにもないのだが、そのあたりは当たり障りなく答えておく。
ギルバートは曖昧に微笑むルアンリ父娘に同情のこもった視線を向けた。彼だけはリヴェラの心境もオスカーの心境も、ある程度正確に察することができたので。
サイラスは咳払いをした。そして今度は真剣な眼差しで真正面からリヴェラを見据える。
「リヴェラ嬢。そなたの有能さを見込んで、頼みたいことがある」
きた。リヴェラは冷静になれと自分に言い聞かせてから、静かな目でサイラスを見返した。
相手が国王陛下であるとはいえ、絶対に雰囲気に呑まれてはいけない。慎重に、冷静に、そして客観的に話を聞く必要がある。
一応ギルバートが第三者としてこの場にいるが、場合によってはリヴェラよりもリヴェラを擁護するのが彼である。あまり頼りすぎてもいけないだろう。
「先の騒動とエレット王国の繋がりについては聞き及んでおるか?」
「はい、陛下。ギルバート殿下に毒を盛った下手人の背後にいたのは、エレット王国のソフィア王女殿下である可能性が高い、というお話でしょうか」
サイラスは頷いた。話が早くて助かる。
「そうだ。そのため我がクーデルカ王国とエレット王国は、現在非常に険悪な関係になっている。それこそいつ戦争に発展してもおかしくないくらいにはな」
「はい」
「そこで内々に協議した結果、エレット王国には秘密裏に密偵を数名送り込むことが決まった」
密偵。思わぬ単語にリヴェラは大きく目を見開いた。この流れはちょっと想定していなかったので。
「リヴェラ嬢。どうか密偵のひとりとして、エレット王国に潜入してはくれないだろうか」
非公式な場での、正式な要請だった。そのとんでもない要請にさすがのオスカーも「待ってください!」と悲鳴にも似た声を上げる。
「陛下、いくらなんでもそれは……そもそもなぜリヴェラなのですか」
「ルアンリ侯爵。密偵はな、有能で、口が堅く、機転が利き、なにより密偵だと思われない人物である必要があるのだ」
「それは分かります。ですが……」
当然ながら渋るオスカーをよそに、リヴェラはどんな反応をするべきか決めかねていた。驚くべきか、戸惑うべきか、はたまた嘆くべきか……一瞬の間にいろいろ考えたリヴェラは、結局、苦笑を浮かべることしかできなかった。
「落ち着いてください、お父様。陛下に能力を認めていただけているのは非常に光栄なことなのですよ」
「わかっている。わかっているが……」
突然のことに気持ちの整理ができないオスカーがうなだれてしまう。リヴェラは眉を下げた。本気で心配してくれているのはわかるし、同時にリヴェラに密偵など務まるわけがないと思う父の気持ちもわかる。でも。
「……陛下、できることならお受けしたいのですが、ひとつだけ懸念事項がございます」
リヴェラの言葉にサイラスはわずかに首を傾げた。
「リヴェラ嬢、懸念とは?」
「先ほど陛下は、密偵は密偵だと思われない人物である必要があると仰られました。しかし私では、少なくともソフィア王女殿下に勘づかれる可能性があります」
あのお茶会でのリヴェラの動きをソフィアも見ていたはずだ。次に会った時には警戒されてもおかしくはない。これまでずっと黙って成り行きを見守っていたギルバートも頷いた。
「そうだな。今の不穏な状況下でリヴェラ嬢がエレット王国に行くとなると、何かあると怪しまれてもおかしくはない」
密偵だとまでは思われなくても、下手に怪しまれて監視されては意味がない。要はリヴェラにこの任務は不向きではないかということだ。
それを聞いたオスカーは強ばっていた肩の力を少しだけ抜いた。言われてみれば確かにその通りだ。このまま話が進めば、娘は危険な任務に就かなくて良くなるかもしれない。
「逆だよ、リヴェラ嬢。そなたの場合は逆なのだ」
「逆?」
サイラスの言葉に、リヴェラとギルバートは思わず互いの顔を見合せたのだった。
 




