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05. 登城


 例の婚約者選びのお茶会から数日後。リヴェラは自分の所業を思い出しては悶々とする日々を送っていた。

 いくらギルバートを救うためとはいえ、さすがにあれは目立ちすぎだ。もっと上手いやり方が他にもあっただろうにとリヴェラは一人で頭を抱える。

 ナイフとフォークを投擲するわ、王太子の口に手を突っ込んで嘔吐(えず)かせるわ、暗殺未遂の容疑者を尋問するわ……どれもこれも十五歳の侯爵令嬢がすることではない。できるならば今すぐ回帰してやり直したいくらいだが、いくらなんでも妹を殺してまで回帰することなどできはしない。



「……まあでも、ギルバートが無事で良かった」



 それは思う。本当に。

 いつだったか、リヴェラはギルバートを刺客から庇って瀕死の重傷を負ったことがあった。確か四回目の回帰の時だ。あれが彼と結婚した最後の人生である。

 ギルバートとは三回結婚して、三回ともリヴェラが愛されることはなかった。特に最後の結婚では、リヴェラも彼を愛してはいなかった。ただ三回目の回帰の時に、リリスの傾国罪の巻き添えを食らって一族処刑を経験していたので、妹が王太子妃になるよりはマシだと思って死んだ目をしながら自分がギルバートと結婚したのだった。


 だがリヴェラにとってギルバートは初恋の人であり、愛はなくとも情は残っていた。咄嗟に彼を庇ってしまうくらいには。

 今回もそうだ。毒を盛られて苦しむ彼を見捨てたら、きっとリヴェラは永遠に後悔することになっただろう。たとえ次の回帰でまた再会できたとしても、彼への後ろめたさはその後もずっとついて回ったはずだ。


 溜め息が漏れる。自分がまだ人間らしい感情を失っていなかったことに、ここまでがっかりするとは思わなかった。いっそのこと苦しむ誰かを平然と見捨てられるほどの人でなしであれれば、この回帰人生も少しは生きやすいのだろうに。



「失礼します、お嬢様。そろそろお着替えをいたしませんと」


「テレサ……」


「王宮で国王陛下と王妃様に謁見だなんて、本当にすごいことなのですよ? さ、ご準備いたしましょうね」



 そう言われても、気が進まないのだから仕方あるまい。リヴェラは浮かない顔のままテレサが用意してくれたドレスに袖を通した。抵抗するだけ無駄なのであれば、あとは粛々と従い、できるだけ早く終わらせるしか道はない。


 この日、リヴェラは国王夫妻に呼ばれて父と共に登城することになっていた。用件は恐らく先日のお茶会に関することだろう。それ以外に心当たりなどないわけだし。



「ほら、リヴェラ。笑顔笑顔」


「…………」


「うん、すまない。笑顔はやめよう。普通の顔でいこう」



 馬車の中で薄ら笑いを浮かべれば、それを見た父に即座に却下された。分かってくれればそれでいい。リヴェラはスンと真顔に戻って、やる気のない目で馬車の窓から外を眺めた。どう足掻いても笑える心境ではないのだから、もう放っておいて欲しい。

 しばらくは黙って外の景色を眺めていたリヴェラだが、ふと遠くに見知った丘が見えてきて思わず息を止めてしまう。急いで窓から目を離したが、無駄だった。



「リヴェラ? もしかして馬車酔いしたのかい?」


「……いえ、大丈夫です」



 娘の顔色が変わったことに気づいた父が気遣わしげに様子を窺ってくるが、リヴェラはなんでもないと首を横に振った。実際、馬車酔いはしていない。


 ただ、あの丘の上で燃え盛る王宮と色あせた星空を一人で眺めていたことを思い出してしまっただけだ。前回の回帰の終わり。投げやりな気分で我が身を憂いていたら、優しい腕が抱き上げてくれた。

 リラ、と静かに呼んできたギルバートの声が鼓膜の奥で蘇る。別に愛してはいないけど、今となっては誰よりも信頼している人。最後の瞬間にリヴェラを見つけて、一人きりにはしなかった人。


 急に黙り込んでしまった娘を心配げに見つつ、父がこのあとの謁見についての話題を振ってきた。



「リヴェラ、もしかしたら国王陛下は王太子殿下とお前の縁談を、もう一度だけ持ち出してくるかもしれない」


「…………」


「そんな顔をするな。すでに断っているんだから、お前にその気がないことは陛下も承知の上だろう。ただ……」



 少しだけ言い淀む父の様子に、リヴェラは嫌な予感がした。



「王妃様が大層お前のことを気に入っているようでね。そのうえ王太子殿下もお前との婚約の件には特に異論がないようだし、断るならばきっぱりと断らないと押し切られるかもしれん」


「ええー……」



 もともと死にかけていたリヴェラの表情筋が本格的に死亡する。きっぱり断らないと押し切られるとは何事か。

 それにギルバートもギルバートだ。彼との付き合いは地味に長いが、自分の口に手を突っ込んでくる女との婚約に乗り気になるような性癖の持ち主だとは知らなかったぞ。というか、なんで断らないんだ。


 いや待て、とにかく落ち着け、とリヴェラは深呼吸をした。思うことはいろいろあるが、要はきっぱりと断ればいいだけの話である。ここで情に流されて押し切られるわけにはいかないのだ。

 今世では過去の記憶と経験があまり通用しないことはすでに身に沁みて分かっている。婚約者選びのお茶会といい、王妃に興味を持たれていることといい、未知の出来事があまりにも多い。



「……わかりました。王太子殿下をコテンパンにすればいいんですね」


「んん? わたしの話をちゃんと聞いていたかな?」


「ああ、皆まで言わずとも大丈夫です。お任せください。殿下を再起不能にしてご覧に入れましょう」



 リヴェラは決意する。少なくとも舌戦でギルバートに負けるとは思わない。彼がなにを考えているのかは分からないが、こちらまで火の粉が飛んでは堪らない。場合によってはもう二度と余計なことを言えない体にしてやろうと思う。そう、例えば。



「お父様、顎を外すのはアリですか?」


「お前は王太子殿下に一体なにをする気なんだ!?」



 どこまでしてもいいのか確認を取っただけなのに、まるで殺人鬼でも見るような目を父から向けられてイマイチ解せないリヴェラである。

 そんなわけで、非常に不穏な空気のまま謁見の間へと向かうことになったルアンリ親子だったが、ここで想定外のことが起きた。急に謁見が中止となったのだ。

 王宮は緊張感に包まれており、大臣たちも兵士たちもバタバタと慌ただしく廊下を行き交っている。なにが起きたのかと訝しんでいるリヴェラたちのもとへ、顔見知りの伯爵が足早に近づいてきた。



「ルアンリ侯爵!」


「これはスチュアート伯爵。一体なにが起きているんですか?」


「じつは先日の茶会で王太子殿下に毒を……おっと失礼、リヴェラ嬢もいらっしゃいましたか」



 急に言葉を切った伯爵の様子から察するに、どうやら子供には聞かせたくない話らしい。ちなみにこのスチュアート伯爵は、リヴェラが例のお茶会で交友を深めていたフレデリカの父親である。



「ごきげんよう、スチュアート伯爵様。父に話があるのでしたら、私はここで失礼しますね」


「……すまない、気を遣わせてしまったね」


「お気になさらず。ではお父様、どうぞごゆっくり――」



 正直なにが起きているのか興味はあるが、大事であるなら遅かれ早かれ情報が入るだろう。リヴェラが空気を読んで立ち去ろうとした、その時。

 廊下の向こうから、「リヴェラ嬢!」と呼ぶ声が聞こえた。よく知った声だが、今世ではまだほとんど関わりがない声。リヴェラは振り返りたくなかったが、無視するわけにもいかないので仕方なく振り返る。隣にいた父と伯爵が驚いた顔をした。



「王太子殿下。どうされましたかな」


「ルアンリ侯爵とリヴェラ嬢の姿が見えたもので、つい。わざわざ王宮まで足を運んでもらったのに、謁見が中止になってしまい本当に申し訳ない」


「殿下が謝られることではありませんぞ。それにまだ詳しくは聞いておりませんが、火急の事態のようですね」



 リヴェラは限界まで気配を消していたが、さすがに目の前にいるのに誤魔化せるはずがない。父と話していたはずのギルバートと目が合ってしまった段階で、リヴェラは気配を消すのを諦めた。



「……ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下。無事に回復されたようでなによりです。ではお父様、私はこれで」



 無礼だと言われないよう最低限の挨拶だけを一方的に言い連ね、リヴェラは即座に踵を返した。しかし数歩と行かないうちに、ギルバートが引き留めるかのように手を掴んできたためギョッとする。な、なんだ。



「殿下? どうかなさいましたか?」


「あ、いや……その、すまない」



 どうやら咄嗟の行動だったようで、ギルバートも途方に暮れたような顔でリヴェラを見つめてきた。しかしそんな目で見られてもリヴェラだって困る。彼がなにをしたいのかさっぱり分からない。

 沈黙が落ちる。困惑するリヴェラと、固まったままなぜか手を離さないギルバート。そしてこの二人がいる以上、父と伯爵は内密の話をすることができない。

 この奇妙な膠着状態を一番に破ったのは、ある意味この状況を作り出した元凶ともいえるギルバートであった。



「リヴェラ、嬢は……このまま帰るのか?」


「いえ、父とスチュアート伯爵様のお話が終わるまで馬車で待っていようかと思っておりましたが。それがなにか」



 リヴェラの手を掴んでいないほうのギルバートの手が、ぎゅっと小さく拳を握った。



「そうか。なら、少しだけわたしに付き合ってくれないか」


「……はい?」


「一人で馬車で待っていても退屈だろう。ルアンリ侯爵の用事が済むまで、わたしが君と一緒にいよう」



 反射的に「あ、結構です」と言いそうになるのを意志の力で食い止める。……危なかった。気心の知れたギルバートが相手であるとはいえ、彼が王族であることは忘れてはならない。二人きりの時ならともかく、今は父や伯爵を含めその他大勢の目があるのだ。言葉は選ぶ必要があった。



「ですが私事で殿下の貴重なお時間を割かせるわけには参りませんし、いくつか考えたいこともありますので。殿下のそのお心遣いだけで十分です」



 翻訳すると「あ、結構です」になる渾身の断り文句である。やんわりとだが、言いたいことは伝わるであろう。

 しかしギルバートはめげなかった。リヴェラの断り文句を理解した上で、それでもさらに食い下がってきたのだ。



「君の考え事には興味があるな。わたしにも聞かせてくれないか?」


「殿下のお耳に入れるほどのことではございませんよ」


「わたしなら君が知りたい情報を教えてあげられるかもしれないが?」



 どこか必死な様子のギルバートに、リヴェラは溜め息をつきたくなった。だが王宮の廊下のど真ん中でこれ以上の押し問答を続けるのもよろしくない。どちらかが折れるしか道はないが、こうなったギルバートが折れることはまずないと過去の経験からリヴェラはよく知っていた。

 となると、ここはリヴェラが折れるしかないわけだが。馬車の中で父と交わしたやり取りを思い出してリヴェラの目が据わった。きっぱり断らないと押し切られる……。



「リヴェラ」


「なんですか、お父様」



 娘の目が剣呑になったことに気づいた父が、即座に釘を刺してきた。



「顎を外すのは絶対にやめなさい」


「え、ここでその話を持ち出します?」



 真面目な顔でとんでもないことを言い出す父に、リヴェラは思わず真顔で突っ込んだ。顎ってなんだ。最初に言い出したのは自分だけども。

 娘の反応をよそに、父はギルバートに向き直った。そして深々と頭を下げる。



「ありがとうございます、殿下。できるだけ早く終わらせますので、娘をよろしくお願いいたします」



 こうしてリヴェラは父によって半ば強引にギルバート送りの刑に処されたのであった……。


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