04. 狙われたギルバート
「あら、あなたたちは姉妹なの? 言われてみれば顔立ちが似ているわね」
ソフィアが興味深そうにこちらの顔を覗き込んでくる。リヴェラは少したじろいだが、リリスは嬉しそうに「本当ですかっ?」と笑顔を浮かべた。
「そう言っていただけて嬉しいです。私は母に似ていて、でもお姉様は父に似ているので、姉妹なのにあまり似てないねって言われることのほうが多いんですよ」
「そうなの。お姉様のことが好きなのね」
「はい、とっても!」
二人の会話をよそに、リヴェラはソフィアの様子をじっくりと観察する。リリスですら王太子妃になれたのに、彼女が一度も選ばれなかった理由がまったく分からなかった。どの回帰の時も、それなりに有力候補だったと思うのだが。あれか、ギルバートに見る目がないのか。
「あなたは王妃様に声をかけられていた方ね。リヴェラ・ルアンリ様でよろしくて?」
「はい、王女殿下。こうしてお会いできて光栄です」
「そう固くならないで。そういえばあなたが王妃様に披露したあの礼は素晴らしかったわ。王族でも咄嗟にあそこまでできる人は限られているでしょうね」
リヴェラは怪訝な顔をした。……礼? 王妃の威厳を前に頭を垂れたあれのことか? 自分でもどんな姿勢になっていたか覚えていない以上、そこを褒められても返答に困るだけである。
「……緊張でよく覚えておりませんが。少なくとも粗相はしていなかったようで安心しました」
「無意識かしら? それはそれですごいわね」
感心したようなソフィアの言葉にはもう返す言葉も見つからない。はっきり言って過大評価だ。素直に受ける気も固辞する気にもなれない中途半端な状況に、リヴェラは話題を変えることでこの場面を切り抜けることにする。
「お二人はもう王妃様や王太子殿下のテーブルには行かれたのですか?」
「王妃様のところへは最初にご挨拶を済ませてきたわ。殿下のところはこれからよ」
「私はもうどっちのテーブルにも行ってきたわ。早いほうがいいと思って」
完全に後回しにしていたリヴェラは微妙に目を逸らしながら「そうですか」とか適当に相槌を打った。いやだって、特にギルバートのテーブルは多めに席が用意されているにも関わらず、競争率がすごいのだ。……などと、言い訳をしてみる。
不意にリリスが頬を染めて溜め息をついてみせた。ギルバートのことでも思い出しているのだろう。そういえば首尾はどうだったのだろうか。
「リリス、殿下と間近でお会いしてどうだった?」
「本当に素敵だったわ……キラキラの金髪と透き通った翠眼が眩しくて。殿下はあまり喋らなかったんだけど、私や他の方のお話によく耳を傾けてくださる方で。すごくドキドキしたんだけど、嬉しかったわ」
夢見るような表情の妹に、リヴェラはただ「良かったわね」としか返せなかった。
自分から積極的に話さない時のギルバートは、相手にあまり関心がない時である……とかいう事実を暴露して水を差すほどリヴェラも人でなしではない。
しかし、ますます状況が分からなくなってきた。そもそもこの婚約者選び自体がリヴェラにとって初めての出来事であるうえ、どうやらギルバートではなく王妃が息子の婚約者候補を見極めているような状況なのだ。
このままでは誰が王太子妃に抜擢されるかなど見当もつかない。見当がつかなければ、この先の流れを予測することも難しくなる。
「そろそろ殿下のところにご挨拶に行こうかしら。少しは空いてきたみたいだし」
ソフィアが会場内を見回しながら次の計画を立て始めた。すでにノルマを果たしたリリスは気楽に残り時間を過ごすのだろうし、気が重いのはリヴェラだけである。
仕方ない。とりあえず王妃のところにちゃっちゃと顔を出しに行こうか。ギルバートのところへ行くのは最後でもいいだろう。うん。
「ああ、移動の時間みたいね」
「そうですね。では、ごきげんよう王女殿下。リリスはまたあとでね」
「はい、お姉様。失礼します、王女殿下」
妹やソフィアと別れ、リヴェラはホッと息を吐き出した。最初はひやひやしたものの、無事に終わって本当に良かった。
しかし次に向かうのは王妃のテーブルだ。混んでいれば良かったのだが、見た感じ席は普通に空いている。……必ず一回は顔を出さねばならないわけだし、そろそろ腹を括るべきだろう。
「失礼いたします。ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか、王妃様」
「まあ、リヴェラ。あなたが来るのを待っていたのよ」
突然の呼び捨てにリヴェラの笑顔は凍りついた。意を決して王妃に近づいた瞬間これである。まさに瞬殺だ。
でもこれは、あれだ、きっと全員に同じことを言っているに違いない。リヴェラはそう思い込むことにして、凍りついた笑顔のままなんとか足だけを動かしてせかせかと席に着いた。とにかくノルマをこなさねば。
「さっきあなたの妹さんが来たわ。お人形さんみたいに可愛らしくて……きっと自慢の妹さんなんでしょうね」
「はい。リリスは家族の宝です」
なのでどうか、今世こそ回帰の終わらせ方を見つけてみせるから、それまで死なずに時間を稼いで欲しいと切に願うばかりである。
前回の回帰の際に留学先で見つけたひとつの可能性。詳しい調査を進める前にふりだしに戻されてしまったが、今世ではその調査を進めたいところだ。そのためには……。
「あら、リヴェラ様。またお会いしましたね」
「フレデリカ様? 先ほどはありがとうございました」
王妃と話しているところへ、一番最初のテーブルで一緒になったフレデリカがやってきた。彼女もまだこのテーブルには来ていなかったようだ。王妃からの集中攻撃はぜひとも回避したいので、風よけも兼ねてリヴェラはフレデリカの同席を歓迎する。
「王妃様、ご機嫌麗しゅうございます」
「ごきげんよう。あなたはスチュアート伯爵令嬢ね。今日は来てくれてありがとう。歓迎するわ」
……どうやら、呼び捨てにするのはリヴェラに対してだけだったらしい。知りたくなかった事実である。
「リヴェラ、楽しんでいるかしら?」
「ええ、とても。お恥ずかしながら私も妹も歳の近いご令嬢たちとの交流が少ないものでして。本日は貴重な経験をさせていただいております」
「あら、そうだったの。でもこれであなたが年齢のわりに落ち着いている理由が分かったわ。同年代よりも年上の方との交流が多いせいなのね」
いえ、人生を何度も繰り返しているせいです。なんて言えるわけもない。
だがまあ、年齢にそぐわない雰囲気というのはリヴェラも自覚していた。肉体年齢に引きずられる時もあるが、度重なる回帰のせいで百年分くらいの人生経験は積んでいるのだ。これで落ち着きがなかったらある意味問題ではなかろうか。
しばらくして、使用人たちがワゴンを押しながらテーブルからテーブルへと回り始めた。どの使用人がどのテーブルに行くかはあらかじめ決められているようで、彼らの動きはじつにスムーズだ。どうやらこれからお菓子が供されるらしい。
王妃はパイを、フレデリカはケーキを選んだので、リヴェラはなんとなくタルトを選んだ。見た目がバラバラのほうがテーブルの上が賑やかになって楽しい。ような気がする。
「フレデリカ様は、ご兄弟はおいでなのですか?」
「ええ、弟が一人。とっても生意気よ。リヴェラ様には妹君がいらっしゃるのよね? 私もどうせなら可愛い妹が欲しかったわ」
唇を尖らせながらフォークでケーキを切り分けるフレデリカにリヴェラはつい笑ってしまった。リヴェラにとってリリスは可愛い妹だが、男兄弟がいる生活も経験してみたかったところだ。どちらにせよ、ないものねだりである。
思いのほか和やかに時間が進んでいた、その時。
「きゃーーーっ!」
「誰か! 王太子殿下がっ!」
突然響き渡ったご令嬢たちの悲鳴に、リヴェラは反射的に立ち上がった。ギルバートがいたテーブルを見ると、彼が椅子から降りて床に膝をついている姿が目に入る。
「ギルバート!? どうしたの、ギルバート!」
王妃が慌てて息子に駆け寄った。そのあとを追いかけながら、リヴェラはその場の状況を把握しようと周囲に視線を走らせる。
苦しげに胸を押さえているギルバートと、倒れて中身が零れているティーカップ。食べかけのスコーンと、乱雑にテーブルに放り出されたフォーク。同じテーブルについていたらしきご令嬢たちは、怯えた顔をしながらギルバートの様子を離れたところから窺っている。
「うっ……」
「ギルバート! しっかりしなさい! 早く、誰か医者を!」
「王妃様、殿下の意識がはっきりしているなら今すぐ吐かせてください!」
「え、は、吐かせるって……」
リヴェラはギルバートのそばに膝をつきながら、目的の人物を探して会場内を見回した。そして風景に溶け込むように壁際に立っていた目当ての人物を発見する。
目が合った。その人物はびくりと肩を震わせて、リヴェラの視線から逃げるためか駆け出そうとした。まずい。このままでは逃げられる。
「ひっ……!?」
今まさに駆け出そうとしていたメイドの喉の奥から悲鳴が漏れた。ひゅん、と風を切る音がして、なにかが目と鼻の先スレスレを通過する。そのまま壁に突き刺さったそれは、王家の紋章入りのナイフとフォークだった。
「誰でもいいです! 今すぐその人を捕縛してください!」
まさかタルトを選んだ際についてきたナイフとフォークがこんなところで活躍するとは。あんなに殺傷力の低いものが壁に刺さるとは投げたリヴェラ自身も思わなかったが、まあいい。これで不審人物の足止めには成功した。
未だに苦しんでいるギルバートの口の中にリヴェラは遠慮なく手を突っ込む。下を向かせて舌の付け根を押してやると、ギルバートがようやく嘔吐き始めた。
「吐いてください、殿下。必要なら水を……」
「うぐ、だ、大丈夫だ……」
なんとか返事ができる程度に意識があるなら、摂取した毒の量はそう多くはないのだろう。しかし安堵している暇はない。リヴェラはちらりと投げ出されていたフォークに目を向ける。銀製のそれは、うっすらと変色していた。
完全に吐き切ろうとする息子の背中を王妃がさする。とりあえずギルバートのことは保護者に任せて、リヴェラは壁際で腰を抜かしていたメイドのもとへと歩み寄った。
「確か王太子殿下のテーブルで給仕をしていたのはあなたですね? この状況に心当たりは?」
「ち、ちが、わたしのせいじゃ……ぜんぶ、めいれいされて……」
「……それはそれは。では誰の差し金ですか?」
衛兵たちに取り押さえられているメイドを問い質しながら、リヴェラはふと「なぜ自分が尋問をしているのだろう……」と疑問に思った。過去の軍人時代ならともかく、今のリヴェラは単なる十五歳の侯爵令嬢である。
「……。ではあとは兵から取り調べを受けてください。言っておきますが、いくら誰かに命令されたこととはいえ、王族に手をかけた罪は重いですよ」
リヴェラが脅したところで効果はないと思うが、とりあえず怯えきっているメイドに念押しする。これだけ怖がっているなら多少は効果があるかもしれない。
案の定、リヴェラに睨まれたメイドは「ひっ」と小さく声を上げた。次いでガクガクと首を縦に振ったので、あとは簡単に自白してくれそうでなによりだ。
役目を終えたリヴェラがギルバートと王妃のところへ戻ろうとした時、ちょうど医師が到着したのが見えた。これならばもう助けは必要ないだろう。リヴェラは呆然と事の成り行きを眺めていたご令嬢たちの中へとまんまと紛れ込んだ。これ以上の関わりは不要である。
「お、お姉様!」
紛れたはずだが妹の目は誤魔化せなかったらしい。リリスが涙目になりながら駆け寄ってきた。どうやらギルバートのことが相当心配だったようだ。想い人が倒れたのだから当然であろう。
「大丈夫よ、リリス。お医者様も到着したし、殿下はきっと助かるわ」
「よ、良かった……。ありがとう、お姉様。お姉様がいなかったら殿下は危なかったかもしれないわ」
それはどうだろうか。リヴェラは苦笑する。あの感じだと、摂取した毒の量はほんの少量だ。もちろん対処は早ければ早いほどいいが、リヴェラが動かなくても別にギルバートは死ななかっただろう。
それにしても、なんだか周囲からの視線が痛い。リヴェラ的にはご令嬢たちの中に紛れたつもりだったが、どうにも隠れきれていなかったようだ。こういう時は早く退散するに限る。
「リリス、私たちはそろそろ帰――」
「ああ、リヴェラ! ギルバートを助けてくれて本当にありがとう……!」
リヴェラの顔面が、王妃の豊満な胸部に容赦なく押しつけられた。悲鳴をあげる隙もなかった。
「あなたは息子の命の恩人よ。感謝してもしきれないわ。どこかで特殊な訓練でも受けたのかしら? とにかく、あとでルアンリ侯爵家にも改めて謝意を……」
「あ、あの、王妃様っ! 姉を、姉を離してあげてくださいませんか……!」
窒息寸前に陥っていたリヴェラを救ったのはリリスであった。やはり持つべきものは妹である。王妃の魔の手ならぬ魔の胸から逃れたリヴェラは、しみじみとそう思うのだった。