03. 王太子殿下の婚約者選び
リヴェラがギルバートとの婚約を断り、妹にその権利を譲ったことで、今世でもお馴染みの流れができつつあった。
この繰り返される悪夢のような回帰を終わらせるためには、今までとは違う道を模索する必要もあるだろう。しかしよく知った流れというのは、これから起きる事態を想定しやすくなるということでもある。
そのためリヴェラは、ここから先の流れも概ね読めていた。毎度多少の誤差は生じるが、なにが起きてもすべて想定の範囲内に収まってくれるはずだ。
だから、完全に油断していたのだ。事態がもっと複雑化する十六歳以降ならともかく、十五歳である今は想定外の事態など起こらないだろうと。
なのに、なぜだ。これは一体どういうことだ。
リヴェラは困惑していた。これまでの回帰で一度も経験したことのない事態に、早くも直面してしまったのだ。
「あ、見て見て、お姉様。あそこにいらっしゃるのって、もしかして隣国の王女様じゃない?」
「そうね。確かお名前は……ソフィア王女殿下だったかしら」
この日、意図が分からぬ謎のお茶会に招待されたリヴェラは、妹のリリスと共に渋々王宮へと足を運んでいた。まったくもって嫌な予感しかしないが、王妃からの招待とあらば応じないわけにもいくまい。
周囲を見回す。集まった顔ぶれには概ね見覚えがあった。他国の王女殿下や、自国の高位貴族のご令嬢たち。正確な年齢までは覚えていないが、恐らく全員が十三歳から十九歳の範囲に収まる年齢だと思われる。
リヴェラの眉が寄った。なんの説明もされていないが、歳の近いご令嬢たちだけが王妃によって王宮に集められたのだ。なんとなくこのお茶会の意図が読めてきた気がする。
脳裏をよぎったのは腐れ縁であるギルバートの姿。リヴェラよりも一つ年上である彼は、現時点で十六歳のはずだ。年齢バランス的には、どのご令嬢も十分許容範囲であると言えるだろう。
これまでの経験から、ギルバートの婚約者はてっきりリリスで決定だと思い込んでいたわけだが、まさか。
「ようこそ、皆様。急な招待になってしまったにも関わらず、こうして集まっていただけて嬉しいわ」
朗々とした声が聞こえて、悶々と考え込んでいたリヴェラは我に返った。ハッとして顔を上げれば、このパーティーの主催者である王妃がにこにこした顔でこの会場へと入って来るところだった。
優しくて、おおらかで、でも威厳に満ちた王妃アビゲイル様。今世でも変わらぬその姿に、思わずリヴェラは深く頭を垂れていた。今も昔も、アビゲイル妃は尊敬に値する本物の淑女である。
「あらまあ、そう畏まらないで。あなたはルアンリ侯爵家のリヴェラ嬢ね」
たまたま目に留まってしまったのか、王妃はリヴェラの前でわざわざ足を止めた。そっと肩に手を置かれた感触にぎょっとして顔を上げれば、間近に王妃の顔があって度肝を抜かれる。ち、近い……。
「ふふ、わたくしを見てここまで顔色が変わらない子は珍しいわね。話に聞いていた通りだわ」
「母上……困っているではありませんか。早く離れてあげてください」
固まっているリヴェラをどこか楽しげな様子で観察していた王妃が、背後からかけられた声に不満そうな顔をして振り返った。
「ギルバートったら無粋だわね。可愛い子がいたら愛でるのは当然のことでしょう?」
「当然ではありませんし、そもそも母上の距離感は非常識なんです。嫌われても知りませんよ」
王妃の後ろから呆れた顔を覗かせたギルバートの姿に、リヴェラは小さく目を見開いた。先ほどまでポカンと王妃を見上げていたリリスが、「王太子殿下!?」とひっくり返った声を上げる。その場にいた令嬢たちも王太子のまさかの登場に次々と黄色い悲鳴を上げ始めた。
「――お静かに!」
鋭い声が響き、騒いでいた令嬢たちが一斉に静まり返る。声を上げたのは隣国の王女であるソフィアだ。
「王妃様と王太子殿下の御前です。みっともなく騒ぐのはおやめなさい」
凛とした声だった。もとから声ひとつ上げていないリヴェラの横でリリスが慌てたように口を噤み、他の令嬢たちの反応も似たようなものだ。しかし数人の令嬢は上から目線の命令だと感じたのか、むっとしたような表情を浮かべている。
リヴェラの肩から王妃の手が離れた。その気配にホッと息を吐き出していると、ギルバートが脇を通り過ぎがてら「すまん、あとで詳しく話す」とボソッと囁いてきたためつい半眼になる。またあとで時間を取って会うなんて、そんな面倒な。
とはいえ、今世でもギルバートは過去の記憶を保持し続けているようだ。王妃と共に前へと進み出る彼の背中を見つめながら、リヴェラは人知れず安堵する。これで記憶保持者が自分だけとかになったら心が折れる自信があった。
「ありがとう、ソフィア王女。おかげで声を張らずにすんだわ」
「滅相もないことでございます。お力になれたのであれば光栄ですわ」
王妃の言葉にソフィアは簡潔に返したが、その返事がまた嫌味に聞こえたのだろう。先ほどむっとしていたご令嬢たちがさらに厳しい目でソフィアを睨みつけていた。
そんな様子に王妃も気がついていただろう。しかし彼女はむしろ楽しげな様子で、パンと軽く手を叩いて皆の注目を自分に集めた。
「さて皆様、ごきげんよう。今日こうして集まっていただいた理由は他でもありません。ここにいるギルバートの婚約者に関してです」
リヴェラの表情が大きく歪んだ。薄々そんな気はしていたが、嫌な予感が的中することほど喜べないこともそうそうない。
この先の未来をある程度把握しているはずのリヴェラですら知らない、『王太子殿下の婚約者選び』という未知の出来事が今から始まろうとしている。
ちらりとギルバートに視線を向ければ、心なしか彼の目が死んでいた。その胸中は察して余りあるとはいえ、助けてやる余裕もなければその気もない。リヴェラだって我が身が可愛いのだ。自らに火の粉が飛ばないよう逃げ回るだけで精一杯である。
「ここにいる皆様すべてが、ギルバートの婚約者候補であると思っていただいて構いません。家柄、教養、年齢、そして王妃としての素質……わたくしから見て及第点に達している、あるいは達するであろうと判断した方だけを集めたのがこの度のお茶会です」
王妃の説明を聴きながら、リヴェラは気が遠くなるのを感じていた。これまでの慣れ親しんだ流れとはあまりにも違う状況に、頭の奥がぐわんぐわんと揺れるほどの衝撃を覚える。
記憶保持者が積極的に物事に介入しない限り、世界の流れはそう大きく変わらないだろうと思い込んでいた。でも全然違ったようだ。
考えてみれば、記憶保持者であるリヴェラがどう動こうと、世界そのものの動きにはほとんど影響しないはずだった。どれだけ頑張ってもリリスが死ぬのを止められないあたりがいい例である。
考えてみれば当たり前だ。個人の力などたかが知れているのだから。
自嘲した。まったく、いつの間に自分の行動は世界を変えると錯覚していたのだろう。たかが妹の死に戻りに巻き込まれているだけの分際で、傲慢にも程がある。
世界はそこまで甘くない。むしろ無慈悲だ。知っていたはずなのに。
「……ま。お姉様ったら!」
「えっ、あ、なに?」
リリスに揺さぶられ、歪んだ笑みを浮かべていたリヴェラは慌てて我に返った。危ない。完全に意識が飛ぶところであった。
「聞いていなかったの? あのね、これからいくつかのテーブルに分かれてお茶会ですって」
「……みんな一緒にじゃなくて、分かれるの?」
「そう。でね、一定の時間が経過したら別のテーブルに移動するの。ここにいる全員が王太子殿下の婚約者候補だから、家柄は関係なく立場は平等。それを念頭に置いてお互いに良い関係を築きなさいって」
なるほど。妹の説明にリヴェラは納得した。このお茶会である程度の適性を見極めて候補者を絞るつもりらしい。つまり、ここで相応しくない態度を取れば向こうが勝手にふるい落としてくれるというわけだ。
「それと、王太子殿下と王妃様は別々のテーブルにおられるわ。どちらのテーブルにも必ず一回だけ顔を出さないといけないの」
どうやらこの二人を回避することはできないようだ。まあ、仕方ない。無難にこなせば、ギルバートはともかく王妃の目には留まらないはずだ。
そもそもリヴェラはすでにギルバートとの縁談を持ちかけられて断っている身である。それなのになぜこの場に呼ばれているのかは不明だが、これだけ候補者がいるのだ。なによりリリスがいる。もう一度リヴェラに縁談が持ちかけられるということもあるまい。だから気楽に臨めばいい。
そんな風に自分を鼓舞していると、妹がきゅっと手を握ってきたため首を傾げた。見下ろせばどこか不安そうな顔のリリスと目が合う。
「リリス?」
「ね、お姉様。一緒にテーブルを回りましょう? 一人だとなんだか緊張しちゃって」
庇護欲をそそる妹のお願いについ絆されそうになったが、リヴェラは心を鬼にしてそっと妹の手を外した。
「お姉様?」
「誘ってくれてありがとう、リリス。でも今日は別行動をしてみましょう? あなただって私抜きで王太子殿下とお話ししたいでしょう?」
先回はリヴェラのわがままでギルバートとリリスをくっつけてしまったわけだが、今世では二人の関係に口出ししないと決めている。
相変わらずギルバートに恋しているリリスと、リリスを見殺しにすることも厭わなくなってきたギルバート。今世では一体どんな関係になるのだろうか。
「もしも会話に詰まったら、私をネタにして話したらいいわ。その場に本人がいないほうが悪口も言いやすいでしょう?」
「やだ、お姉様の悪口なんて言わないわよ! ……でも、うん、わかった。お姉様がそう言うなら、今日は一人で頑張ってみる」
「偉いわ、リリス。頑張ってね」
そんな話をしているうちに、テーブルの準備が整ったらしい。王妃と王太子がそれぞれ別々のテーブルにつくのを見届けてから、お妃候補たちの交流会が幕を開けた。リヴェラとリリスも互いに顔を見合わせて、それから手を振りあってそれぞれ思い思いに動き出すことにする。
適当なテーブルにつきながら、リヴェラは周りの様子を窺った。様々な思惑が渦巻くなか、我先にと王太子のテーブルへと向かって定員オーバーになり喧嘩している一団を発見する。あれはもう脱落ではなかろうかと思いはすれど、王太子への並々ならぬ想いは加点要素な気もして判断に迷うところだ。
そんな中、リリスがちゃっかりギルバートの隣の席に座っているのを発見して感心した。社交界経験が浅いわりに、世渡り上手な妹である。
「はじめまして。こちらの席は空いておりますか?」
「ええ、どうぞ」
「わたくしもご一緒させていただいてよろしいかしら」
「もちろん。お掛けになってください」
リヴェラがいたテーブルにも続々と人が集まってきた。リリスも一人で奮闘していることだし、自分も無難に社交をこなさねば。
「それにしても急なお話でしたわね。まさか王太子殿下の婚約者候補の集まりだなんて」
そう話を切り出したのは、このテーブルでは最年長の十七歳のご令嬢だ。確かスチュアート伯爵家のフレデリカ嬢だったか。この場では身分の上下は関係ないため、年長者として進行役を買って出てくれたらしい。非常にありがたいことである。
「ええ、本当に。王妃様が主宰というあたりに本気を感じますわ」
リヴェラが当たり障りなくフレデリカの話題に乗っかると、他のご令嬢たちもそれぞれの意見をわいわいと話し始めた。
「一体誰が選ばれるのでしょう。殿下が個人的に親しくしていらっしゃるご令嬢がいるという話は聞きませんし、やはり国王陛下と王妃様がお決めになるのでしょうか」
「もしかして、すでに有力な候補がいらっしゃるのでは? ほら、それこそソフィア王女殿下とか……」
ティーカップを傾けながら、リヴェラはふむと考え込む。確かにソフィアに対する王妃の心証は良さそうだ。
だが、なんとなく違う気もする。ソフィアは間違いなく王太子妃としての器を持っている。少なくともリリスよりはよほど。
しかし、繰り返される回帰の中でソフィアは毎回ギルバートの婚約者候補として名前が上がっていたけれど、なぜか一度も選ばれたことがないのだ。不自然なほどに。……それは、一体なぜ?
「でも、それならばリヴェラ様も有力候補なのでは? 王妃様がここへいらした時に、真っ先に目を留められていたでしょう?」
「そうでしたわね! リヴェラ様、そのあたりどうなのですか?」
いきなり話を振られたリヴェラは、引き攣りそうになる頬を無理やり押さえつけて曖昧に微笑んだ。心の中で王妃を恨む。あんな風に声をかけられて注目されないはずがなのに。余計なことをしてくれたものだ。
「たまたま王妃様の目に入ってしまっただけかと思いますわ。あそこにいたのが誰であっても、王妃様はお声をかけられていたでしょう」
「そうかしら。リヴェラ様ってばご謙遜を」
微妙な心境になりながらも、このテーブルでのお茶会はここで終了した。互いにお礼を言い合って、今度は別のテーブルへと移動する。
そして後悔した。次のテーブルは、反ソフィア派が集まる巣窟だったのである。
「さっきの言い草お聞きになりまして?」
「ええ、もちろんですわ。この場では全員が対等だと王妃様が仰っていたのを聞いていなかったのかしらね、あの王女様は」
「単なる候補の一人のくせに、もう王太子妃気分でしてよ。ああ、忌々しい。早く自分の国へお帰りになればいいのに」
どちらの味方にもなるつもりがないリヴェラは、ただひたすら紅茶をがぶ飲みすることに没頭した。時間よ、早く過ぎろ。早く次のテーブルに行かせてくれ。
そうしてやっとの思いで辿り着いた次のテーブルでは、なんとそのソフィアと一緒になってしまったのだった。しかし彼女に罪はない。リヴェラは溜め息を堪えながら席に着く。
「あ、お姉様!」
「リリス? ……ごめんなさいね、気がつかなくて」
ソフィアにばかり気が向いていたが、同じテーブルには妹も座っていたため多少は気分を持ち直す。声をかけられるまで全然気づかなかったのは不覚だった。