16. 婚約発表の式典
婚約発表の式典当日。
やたら張り切っているらしい王妃に朝から呼び出されたリヴェラは、王宮に着くや否や想像もしていなかった地獄を見るハメになっていた。到着した瞬間に王妃お抱えのメイドたちによってどこぞへと連行されたのが悲劇の始まりであった。
「ああ、やっぱりわたくしの目に狂いはなかったわ! 素敵よリヴェラ! 完璧よリヴェラ! よく似合っているわリヴェラ!」
「…………ありがとうございます、王妃様…………」
あれからリヴェラは着ていたものを追い剥がれ、風呂に突っ込まれ、香油を擦り込まれ、用意されていたドレスに袖を通し、複雑に結い上げられた髪が後頭部でどうなっているのかサッパリ分からないまま王妃の前へと引き出され、今はただ相槌を打つだけの人形と化している。
重ねて言うが、今日は婚約発表の式典である。決して結婚式当日ではない。だというのに、王妃のこの気合いの入りようは一体なんなのだ。
今からこうなら、結婚式当日はどんな目に遭わされるのだろうか。リヴェラは心底ゾッとしたが、考えたくないことはそれ以上考えないのが一番である。そんなわけで相槌人形のまま無の境地でいたら、控え室の扉を叩く音がした。
「母上、やけにリヴェラの準備に時間をかけ……」
すでに準備を終えたギルバートが入って来たかと思えば、リヴェラの姿を一目見た瞬間、なぜか扉に手をかけたまま固まった。そんな息子の様子に王妃は楽しげな笑い声を上げる。
「うふふふ、びっくりした? こんなに可愛い子が婚約者だなんて、我が息子ながら羨ましいわ〜」
母がなにかを言っているが、ギルバートの耳には入らない。すべての意識が目の前の婚約者に集中しているからだ。
以前はともかく、今のリヴェラは自分の外見にあまり頓着しないことをギルバートは知っていた。そんなことに時間を割くよりも、リリスを生かすために全力で粉骨砕身するのが彼女である。
だからこそ、ここまで本気で着飾ったリヴェラの姿を見るのは付き合いの長いギルバートといえど実に久しぶりのことであった。なお本気だったのはリヴェラではなく王妃であったが、そのへんの詳細はわりとどうでもいいことだ。
「すっごく綺麗だ……」
掠れた声でぽつりと大袈裟な感想を漏らすギルバート。しかしそれを聞いたリヴェラは照れるどころか遠い目をした。
あまりにもお洒落から遠ざかった人生を送ってきたので、彼の反応は大袈裟ではあっても間違ってはいなかった。むしろお洒落をしただけでここまで感動されるとは、ギルバートによるリヴェラへの期待度の低さと理解度の高さの両方が垣間見えて涙が出そうだ。
なんかごめん、とリヴェラは心の中だけで謝った。王太子の婚約者なのだから、これからはもう少し女子力を気にして生きていこう。ギルバートに恥をかかせるわけにもいくまい。
「殿下、もう時間ですか?」
「あ、いや。もう少し猶予はあるが、オスカー殿が待ちかねているようだ。そろそろ行ったほうがいいだろう」
本日のオスカーはリヴェラと一緒に入場、のち国王陛下とギルバートに娘を引き渡して下がる、というだけの簡単なお仕事をすることになっている。なにかを喋るわけでもないので緊張する要素など微塵もないはずなのだが、なんでか父は朝から挙動不審で、何度も泣きそうな顔で縋りつかれた。ついには母とリリスから「お父様は私たちがなんとかするから早く逃げて!」と言われて家を逐われたのが今朝の出来事である。
婚約発表の時点でこうなのだから、結婚式当日は以下同文。そんなことを悶々と考えながらギルバートと連れ立って入場する扉の前まで来てみれば、そこには相変わらず挙動不審な父と、そんな父を宥める国王陛下の姿があった。
「とにかく深呼吸だ、ルアンリ侯爵。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」
「すーはー……すーはー……」
重要な式典の前に自分たちは一体なにを見せられているのだろうか……。リヴェラとギルバートは胡乱な目で父親たちのやり取りを遠巻きに見守る。ちなみに物理的にちょっと距離が離れているのは、父親たちへの心の距離と比例していた。
「そうだ、いい感じだぞ。少しは落ち着いたかね侯爵」
「は、ありがとうございます陛下。おかげさまで血管が切れることはなさそうで……おおお、リヴェラ! 我が娘よ!」
父のテンションがおかしい。無意味に絡まれることを避けるため、リヴェラは咄嗟にギルバートの後ろに隠れた。そんな娘の反応にオスカーがショックを受けた顔をする。
「む、娘よ、なぜそんな拒絶反応を……まさか今になって反抗期が……」
「いえ、オスカー殿。たぶん違います……」
リヴェラを背後に庇いながらギルバートも微妙な顔で言葉を濁す。彼自身もオスカーの言動に引いてはいるが、父親としてのその心境は分からなくもないため板挟みの境地らしい。
ギルバートの背中越しにリヴェラが慎重に顔を出した。できればこのまま隠れていたいが、残念ながら父と入場することになっている以上は隠れたままでもいられない。
「お父様、なにやらご乱心のようですが、私はまだ結婚するわけではありません。この式典が終わればちゃんと家に帰りますし……」
しかし父を宥めようとして言ったその言葉に「えっ」と反応したのはなぜか国王陛下であった。
「そ、そんなリヴェラ嬢、結婚するわけじゃないだなんて……しかも実家に帰る決断が早すぎないか!?」
「はい?」
「なに血迷ってるんですか父上。迷惑なのでさっさと行きますよ」
うんざりした顔で父サイラスを引きずりながら、ギルバートは「じゃあ式典で」と言い残してその場から速やかに立ち去った。彼が血迷ったサイラスを引き取ってくれたので、挙動不審なオスカーを引き取るのはリヴェラの役目だ。面倒だったが仕方がない。
「行きましょう、お父様。王太子殿下の婚約者としての初舞台、エスコートしてくださいますか?」
「……ああ! ああ、もちろんだとも! お父様に任せなさい!」
ちょろい。とはいえ助かった。上機嫌の父にリヴェラは内心安堵する。これならば定刻通りに無事入場することができるだろう。
というわけで、婚約発表の式典の始まりだ。
両開きの扉をくぐって入場すれば、途端に会場中の耳目がこちらへと集中した。好奇やら敵意やらが綯い交ぜになった視線が全方向から突き刺さる。
しかしリヴェラは微笑んだ。そして痛いほどの注目をまるきり無視して、前方の、ただ一点を見つめる。
そこには凛とした表情を繕いつつも、こちらを心配げに見ているギルバートがリヴェラのことを待っていた。
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――あれが、リヴェラ・ルアンリ。王太子殿下の婚約者。
スチュアート伯爵家のご令嬢フレデリカは、静かな靴音を響かせながらまっすぐ歩いていくリヴェラの姿に目が釘付けになっていた。
扉が開いたあの瞬間、会場内はまだそれなりに騒然としていた。特に自分の娘や孫娘を王太子妃にと狙っていた貴族たちは不満たらたらで、不敬にも国王陛下が決めたという未来の王太子妃を値踏みする気満々であるようだった。
しかしそれも、式典が始まるまでのこと。閉ざされていた扉が開き、父であるルアンリ侯爵にエスコートされて会場内へと足を踏み入れたそのご令嬢は、様々な思惑を含んだ貴族たちの鋭い視線を一身に受けて。
本当に、目を奪われるほど鮮やかに微笑んでみせたのだった。
その瞬間、騒然としていた会場内が嘘のように静まり返った。それは式典が始まったからという以上に、誰もなにも言えないほどの圧倒的な雰囲気に呑まれてのことだった。
空気が変わる。静かなのに、身動ぎも許さぬほどの存在感。
リヴェラの動きに合わせて、彼女が着ているドレスの裾が揺れた。上質のサテン生地が惜しげもなく使われているためか、スモーキーカラーでありながら実に華やかなドレスだ。上品な印象ではあるものの、腰から流れるリボンが可愛らしさも強調している。端的に言って、彼女によく似合っていた。
綺麗なレディシュの髪がさらさらと流れ、チョコレートを嵌め込んだような瞳はまっすぐ前を見据えている。
皆が見守る中、リヴェラが王太子のもとへと辿り着く。エスコートしていたルアンリ侯爵はその場から離れ、近くで見守っていた夫人ともう一人の娘のそばへと戻っていった。ここからは家族といえどフレデリカたちと同じ一出席者に過ぎないのだ。
それまで玉座に腰かけていた国王陛下が立ち上がる。そして王太子ギルバートと合流したリヴェラに笑顔を向けた。
「よくぞ参った、リヴェラ・ルアンリ。そなたを正式に王太子ギルバートの婚約者として余が認めていることを、この場に出席している全員の前で宣言しよう」
朗々としたその宣言と共に、すでにサイン済みの婚約誓約書がその場で読み上げられる。それから最も強力な立会人として国王が皆の前でサインをし、これにより二人の婚約がより強固なものとして公になった。
婚約発表の式典というよりも婚約式に近い行事だが、これはクーデルカ独自の文化らしく、他国ではここまで大々的に婚約することはあまりないようだ。そのためか他国よりも婚約が解消される確率や離婚率が非常に低い国として地味に有名だったりもする。
そのまま特に問題なく式典は進行していき、記念品の交換、王太子による挨拶なども滞りなく進んでいった。最後に国王がもう一度前へと進み出て、主役だった二人は一旦後ろへと下がる。
「では、これにて形式通りの式典は終了とする。このあとはささやかだが立食パーティーへと移行しよう。みな存分に楽しみ、王太子ギルバートと、間もなく王太子妃となるリヴェラ嬢の婚約を祝福してもらいたい」
王宮で働く使用人たちの手腕のおかげで、厳かな雰囲気だった式典の場はあっという間に華やかな立食パーティーの会場へと様変わりした。周囲の貴族たちがぞろぞろと動き始めたところでフレデリカはようやく詰めていた息を吐き出す。どうやら思っていた以上に緊張して参加していたらしい。
「おや、フレデリカ。緊張していたのかい?」
「ええ、お父様。緊張というか、場の雰囲気に呑まれたというか……でも参加できて良かったわ。お母様とコンラッドも出席したら良かったのに」
式典の参加は任意であったため、全員で行く必要はないだろうと母と弟は出席を見送ったわけだが、正直もったいなかったとフレデリカは思う。
そこにいるだけで、その場の空気を変えてしまった未来の王太子妃。母と弟があの劇的な場面に居合わせていなかったのが残念だ。
「せっかくだしご挨拶に行きたいところだが、さすがにまだ混んで……おっと、エレット王国のブレンダン王子とソフィア王女までいらっしゃったのか」
立食パーティーそっちのけでギルバートとリヴェラのもとへ殺到している貴族たち。なにやら祝福しているように見せかけて、自分の娘や孫娘をギルバートに推しているのが遠目からでもわかった。あまり見ていて気持ちのいいものではない。そこへブレンダンも加わって、ソフィアを紹介しているようだった。
なお、そんな状況下でも終始笑顔を保っているリヴェラはさすがとしか言いようがない。対応が完全に大人のそれである。
ちなみにスチュアート伯爵家はフレデリカを王太子妃にと推す気などまったくなく、フレデリカ自身もそういうことには興味がない。そのため今あの輪の中に加わって誤解されても嫌なので、大人しくケーキでも食べながら順番を待つことにした。
「こちらにおられましたか、スチュアート伯爵」
「ん? おお、これはルアンリ侯爵。この度はおめでとうございます」
若干くたびれた感じのルアンリ侯爵がフレデリカたちを見つけてやってきた。どうも王太子妃の実家として権力を持つことになるであろうルアンリ家と繋ぎを取ろうとして、こちらにも貴族たちが殺到していたようだ。
「いやはや、それは大変でしたなあ」
「王家の親族といっても、そこまで影響力は持たないはずなのですがね。まあ、今だけの辛抱と思えば」
苦笑しつつもこうなることは想定済みだったというルアンリ侯爵は、式典終了と同時に妻と次女を速やかに屋敷へと帰したらしい。確かにこの渦中に留まり続けるのはあまり得策ではなさそうだ。
父と話していたルアンリ侯爵が、ふとそばにいたフレデリカにも目を留める。
「フレデリカ嬢、確かリヴェラと同じくらいの歳だったね。今後もし機会があれば、リヴェラと仲良くしてもらえると嬉しい。同年代の友人は貴重な存在だ。もちろん君さえ良ければの話だが」
「光栄です。私などでよければ、ぜひ」
そんなことを話していると、徐々にだがギルバートたちを取り巻く人の数が減ってきた。挨拶に行くなら今だろう。スチュアート親子はルアンリ侯爵と別れて、ギルバートとリヴェラがいる場所へと向かうことにしたのだった。




