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14. 解決の糸口


 王宮の裏庭園にて、リヴェラはぐったりとガーデンテーブルに突っ伏していた。



「びっくりするほどやる気が出ない」


「そうか。ところでこのチョコレート美味しいぞ。ほら」



 ギルバートが餌付けよろしくリヴェラの口元にチョコレートを差し出すと、彼女は緩慢な動作で極薄に仕上げられたそれをパキペキと咀嚼する。雛鳥みたいでちょっと可愛い。でも頭を撫でたら即座に叩き落とされそうなので、代わりに彼女の顎を指先で軽く(くすぐ)ってみた。すると叩き落とされはしなかったが「ぐにゅにゅにゅ」という謎の文句が飛んできた。意味不明すぎてやっぱり可愛い。



「……ねえ、アビゲイル様って記憶保持者じゃないわよね?」


「ああ」



 ギルバートは頷いた。これだけ何度も回帰しているのだ。自分の両親の記憶の有無くらいは毎度必ず確認するようにしている。



「じゃあなんで前回に続いて今世でも私はアビゲイル様のお胸攻撃を受けているのかしら」


「前回も今回もあの人に気に入られているからだろ。こればかりはどうしようもできん。諦めろ」



 テーブルの上で平たく潰れていたリヴェラは深く溜め息をついてそのまま黙り込んでしまった。どうやら諦めたらしい。

 そんな彼女の口元にもう一枚チョコレートを持っていけば、またもや無言でパキペキ食べる。微妙に口元が緩んでいるので、どうやら気に入ったようだ。ギルバートは自分の指先についた溶けたチョコレートを舐め取りながら、頬杖をついて己の婚約者の頭頂部を眺めた。そして呟く。



「母上に付き合わされて疲れただろう。よく耐えたな、リヴェラ」


「……労わってくれてありがとう、ギルバート」



 侯爵令嬢としてすでに十分な教育を受けているリヴェラは、次期王妃としての特別な教育を受ける必要など特にない。しかし今日はアビゲイル妃から「婚約発表の式典に備えて一緒にドレスを選びましょう」と呼び出されたため登城していたのだ。

 そうしてメイドたちがゾロゾロと周りを固めるなか始まったドレス選びだが、なんとそれは三時間に及んだ。しまいには「あなたが義娘になってくれる日が本当に楽しみだわ!」と抱きしめられて、あわやお胸で窒息死するところであった。



「結局ドレスは決まったのか?」


「なんとかね……あ、そうだ、あなたに会ったら見せようと思っていたものがあるのよ」



 何かを思い出してむくりと起き上がったリヴェラが一通の封書を手渡してきた。そこに記されている差出人の名前を見てギルバートは目を丸くする。



「ハリエット・スタッセン? ……まさか、ダランベールでお前の上司だったとかいう」


「そう。私たちと同じ記憶保持者よ」



 どうやら記憶がある者同士、回帰後に連絡を取り合っていたようだ。読んでもいいと言うのでギルバートは文面にサッと目を通す。そして書かれていたあまりの内容に絶句した。



「…………」


「さすがに衝撃的な内容だけど、理屈としては筋が通っているわ。これからは回帰の度に戦々恐々とするハメになりそうだけどね」



 そこに書かれていたのは、記憶保持者である研究員のうち数名が死亡した、という報告であったのだ。その死についての仮説も手紙の続く部分に書かれている。



『……知っての通り、錬金術は無から有を作り出す技術ではない。錬成には相応の対価が必要だ。

 その理論からいけば、時間を巻き戻すという行為にも対価が必要になってくる。それも膨大なエネルギーが必要なはずだ。そのエネルギーはどこから来るのだろうと長く疑問に思っていたわけだが、今回の件ではっきりした。


 恐らく記憶保持者――つまり、多少なりとも錬金術の才能を持つ人間の命を対価にして、世界は時間を巻き戻していたんだろう。


 前回の終盤で起きた戦争では多くの人が亡くなったが、彼らの死は今回の回帰によって無効になった。死んだという事実そのものがなくなったんだ。

 だけど、回帰の際に死んだ研究員たちは生き返らなかった。それどころか存在そのものが抹消されてしまっている。彼らについての記録や痕跡がどこにも残っていないんだ。……彼らの頭蓋が吹き飛ぶ様を、私はこの目で見ていたのにね。


 でもそれで確信したよ。対価となった人間は回帰しても戻ってこない。存在そのものが消滅したかのように思えるけれど、彼らは死ぬことすら叶わない現状において、正しく『死んだ』人間だ。不謹慎な言い方になってしまうが、死にたい時は対価として選ばれることを願うしかなさそうだ』



 読み終わったギルバートは手紙をリヴェラに返し、それから両手で顔を覆った。思わぬ反応にリヴェラが慌てて「どうしたの?」と訊いてくるが、ギルバートは大した反応も返してやれなかった。そのくらい動揺していた。

 リヴェラの言う通り、理屈としては納得できる。しかしその対価とやらに選ばれる基準が不確定なだけに、別の心配事ができてしまったのだ。



「……いつか、俺やお前も世界に対価として選ばれて、使い潰される日が来るかもしれないってことか」


「そうね。今まで選ばれなかったことが不思議なくらいね」



 静かな声に、ギルバートは顔から手を離してリヴェラを見つめた。ワイン色の髪が風に揺れ、チョコレートのような瞳と視線が絡む。

 彼女を失いたくなかった。気が狂いそうだと何度も思ったこの繰り返しの中で、彼女だけがギルバートと同じ時間を共有してくれていた。リヴェラがいてくれないと、もう呼吸すらうまくできないであろう自分がいる。



「……ギルバート?」



 訝しげなリヴェラに構わず、ギルバートは過去を思い出す。

 以前はお互いに分かり合えず、一方的な感情をぶつけ合い、でもある時を境にお互いが記憶保持者であることを知り、協力し合うようになった。

 そして一切取り繕わずに素の自分で接していくうちに、それまでは見ようとしていなかった彼女のことがよく見えるようになってきて、次第にどうしようもなく惹かれていった。


 一方で、いかに自分がリリスのことを表面的にしか見ていなかったかを痛感した。

 確かにリリスは可愛い。女の子らしくて、人のことを思いやれて、控えめだが自分の意見を持っている子だ。そんな彼女のことがギルバートは好きだったし、今でもそれは彼女の長所だと認めている。

 ただ、それだけでは到底足りなかった。その程度では、王太子ギルバートの隣に立つには全然足りない。



「ギルバートってば。ちょっと、そんなにじっと見つめられたら顔に穴があきそうなんだけど」


「ああ、すまない。でも好きだなって思ったから」


「は?」



 恋はいずれ愛に変わる。でも、愛にはならない恋もある。

 ギルバートにとっては後者がリリスで、前者がリヴェラだった。そのことに気がついたのは、はて、いつの頃だっただろうか。



「このまま順調にいけば、俺たちは結婚することになる」


「そうね。沈みにくい泥舟を目指しましょうね」


「泥舟なのは確定か……いや、そうじゃなくてだな」



 ギルバートはがっくりする。いや、知っていた。知ってはいたけども。そして彼女らしい反応だけれども。

 始まる前から泥舟だと確定している結婚生活というのもこれいかに。



「で、なにが好きなの?」


「今の流れでその話題を蒸し返すな」



 なおも怪訝そうな様子のリヴェラにギルバートは苦く笑った。というか、笑うしかなかった。

 本当に、これっぽっちも、彼女は自分が好かれているだなんて思ってもいないのだ。過去の因縁を考えるとリヴェラの反応は当たり前でしかないのだが、それでもやっぱり寂しかった。


 自嘲するような笑みを浮かべていたギルバートの手を、リヴェラが取った。予想だにしなかった彼女の行動にギルバートの心臓がおかしな鼓動を打つ。



「ギルバート」


「な、なんだ?」


「……本当に、今世こそ回帰が終わるといいわね。次に目が覚めた時にあなたが犠牲になっていたら、たぶん私は耐えられないわ」



 リヴェラにとって身近な記憶保持者はギルバートだけなのだ。もしも次の回帰のときに彼が世界に使い潰されて消えてしまっていたら――そんなこと、正直考えたくもない。

 わずかに震えるリヴェラの手を、ギルバートは握り返した。冷たい彼女の指先を温めるようにぎゅっと強く握りしめる。



「そうだな。俺もお前がいない世界なんて想像したくもないさ」


「…………」


「この回帰を終わらせたい。それが叶わないなら、せめて世界に使い潰される時に一緒に死にたいな」



 一緒に。驚きのあまり一瞬固まったリヴェラだったが、チョコレートの双眸が緩やかに溶けていく様をギルバートは確かに認めた。まるで指先から伝わった彼の体温が、リヴェラの手だけではなく心も一緒に温めたかのようだった。



「そう……そうね。その時は一緒がいいわね」



 いつ誰が犠牲になるかなんて、誰にも分からないことだけど。それでも一緒がいいと願うことだけは自由だった。叶うかどうかは別として。それはともかく。



「とりあえずは婚約発表の式典か」


「ふっ……三時間かけて選んだドレスであなたと他の出席者たちの度肝を抜いてやるわ」


「ヤケになるな。お前にとっては災難でしかなかったようだが、母上が選んだドレスなんだろう。あれでもセンスはいいんだ。式典当日が楽しみ……」



 ふとギルバートは言葉を切った。……婚約発表の式典……?



「――――」



 なにかを思い出しそうだった。なにを? わからない。でも、とても重要な何かを忘れているような気がしてならない。



「ギルバート? どうしたの?」


「すまん、今ちょっと話しかけないでくれ。なにかを思い出しそうな気がするんだ。なにか……あれは、一番最初の婚約発表の時か……?」



 テーブルに両肘をついて掌を額に押し当てる。真剣に考え込むギルバートの姿に、リヴェラは神妙な顔をしながらも彼の様子を見守るしかない。

 ギルバートは一番最初の婚約発表の式典を思い出した。一番最初ということは、相手はリヴェラではなくリリスということだ。……あの時、リリスはなにを()()()()()


 記憶のどこかで、なにかが派手に壊れる音が響いた。

 それに慌てるリリスの声と、彼女を宥める自分の声もぼんやりと蘇る。壊れた『それ』と飛び散った部品を集めるリリスの指には、ギルバートが贈ったばかりの婚約指輪が輝いていた。



「そうだ……懐中時計だ」



 ようやく思い出した。ギルバートは勢いよく顔を上げる。

 婚約する際、男性は女性に婚約指輪を、そして女性は男性に懐中時計を贈るのが一般的だ。通常はそれぞれがお互いのために用意するのだが、王家の婚約の場合は少し勝手が違った。


 男性側が贈る婚約指輪は毎回相手に合わせて新たに用意されるのだが、女性側が贈る懐中時計は王家で代々受け継がれている由緒正しいものを使うのだ。


 そのため式典では、ギルバートがリリスのために新たに用意した婚約指輪と、リリスが王族の一人として受け継いでいくことになる由緒正しき懐中時計が皆の前で交換された。歴代の王や王太子たちが経験した式典とまったく同じ流れである。

 そうして式典自体は順調に進んだのだが、すべてが終わったあと、二人きりになった時にリリスが思い切りやらかしてしまったのだ。

 その由緒正しい懐中時計を床に落として、盛大に壊してしまったのである。それを聞いたリヴェラが首を傾げた。



「え? でも壊したところで回帰したら元通りになるでしょ? 私たちが結婚した一回目の回帰の時にも、ちゃんと式典前に渡されたし。間違いなく壊れてなかったわよ」


「あれはリリスが壊したものとは別の懐中時計だ。……不思議ではあったんだ。回帰のせいですべてが『なかったこと』になっているのに、どうしてあの懐中時計だけは壊れたままなんだろうって」



 リリスのやらかし直後、ギルバートは壊れたそれを自分の部屋の引き出しの中で厳重に保管していた。代々受け継がれている大切なものとはいえ、婚約期間中は宝物庫には戻さずに、贈られた男性側が個人で保管することになっている。そのためなんとかバレる前に複製を用意するつもりだったのだが……。


 初めての回帰のあと、ギルバートはすべてが『元通り』になっているのを見て、確認のために引き出しを開けてみたのだ。これで懐中時計が引き出しに入っておらず、無傷の状態で宝物庫に戻っていれば、リリスのやらかしはなかったことになるのだから。


 しかし期待とは裏腹に、引き出しの中には()()()()()()懐中時計が変わることなく保管されていたのだ。それを見てギルバートは焦るよりも先に疑問に思った。

 亡くなったはずの人間の死すらなかったことになっているのに、どうしてこの懐中時計だけは壊れたままなのだろうか。いや、そんなことよりも早く複製を用意しなければならない。



「だが、おかしなことが起きていた。俺が宝物庫に確認しに行ってみたら、そこにはちゃんと()()()()()()()()んだ。俺の引き出しに入っているものと、まったく同じ懐中時計がな」



 まるで壊れたという事実などなかったかのような顔をして、そこには()()()()()()懐中時計が、いつもの場所に鎮座していたのだ。けれどギルバートの机の引き出しの中にも、間違いなく壊れた懐中時計がある。

 同じものが、二つ。ありえない。まるで強引に辻褄を合わせたかのような不可解な状況に、しかしギルバートはまず安堵してしまっていた。良かった。これで複製品を用意する手間が省けた。貴重な品をリリスが壊したという事実もなかったことにできる。

 あまりにもホッとしたせいで、今の今までそのことを思い出さなかった自分にギルバートは腹が立った。しかしそんな彼の告白を聞いても、リヴェラは別に怒ったりはしなかった。



「確かに不思議な話ね……ちなみにその壊れた懐中時計って、なにか謂れでもあったの?」



 ギルバートは頷いた。今この時に至るまでまったく気に留めていなかったが、あの懐中時計は――。



「あれはな、とうの昔に失われた高度な錬成技術を駆使して作られた、錬金術の傑作だったらしいんだ」



 錬金術。リヴェラは目を見開いた。

 なにやらここに来て、いろんなことが徐々に繋がりを見せ始めていた。


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