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12. 今世の終わり


 やっとのことで王家の皆様から解放されたリヴェラは、父に連れられてようやく久しぶりの我が家へと帰って来ることができた。すると今度は母と妹の大歓迎を受けることになる。



「おかえりなさい、お姉様!」


「おかえりなさい。勉強は上手くいっているの?」



 この二人には密偵任務について伝えていないので、今回の件も留学先からの一時帰国ということになっているらしい。

 リヴェラは嬉しそうな顔でぎゅっと抱きついてきた妹の頭を撫でた。父からの手紙によると、リリスとギルバートの婚約に関しては特に進展がないらしい。やはり王太子の婚約者選びは本格的に中断してしまっているようだ。



「ただいま帰りました。お母様もリリスも元気そうで良かった」


「お姉様、隣国のお話を聞かせて。どんなお勉強をしているの? この国にはない素敵な風景とか、美味しい食べ物とかは見つかった?」


「リリス、話すのは食事の時でもできるでしょう。今日はリヴェラの好きな物ばかり用意したのよ。たくさん食べなさいね」



 笑顔の家族に囲まれて、ようやくリヴェラは一息つける気分だった。エレット王国でのあれこれがまるで嘘のようだ。


 そして翌日。久しぶりの我が家でゆっくり休んで十分に英気を養ったリヴェラは、エレット王国でのことを報告するために再び王宮へと出向いていた。

 本当は帰国したその日のうちに報告できれば良かったのだが、王妃により思いがけずもみくちゃにされたせいで余計な気を回したサイラスが本来の予定を後日に回してしまったのだ。


 そんなわけで、二度目の非公式な謁見である。今回もリヴェラ、オスカー、ギルバート、サイラスというお馴染みの顔ぶれが揃って席に着いている。



「本当に、よくぞ無事に戻ってきてくれたな、リヴェラ嬢」


「とんでもないことでございます。陛下がギルバート殿下を国境まで遣わしてくださらなければ、こうして父の顔を見ることもできなかったでしょう」



 リヴェラは深々と頭を下げた。実際ギルバートが迎えに来てくれていなければ、かなり厄介なことになっていただろう。なお他の密偵たちにも国王の助力はあったらしく、皆すでにエレット王国から脱出済みのようだ。

 そういえばあの時の検問官はどうなったのだろうか。こう言ってはなんだが、無事であればいいと思う。



「さて、リヴェラ嬢。ダランベールでソフィア・エレットと鉢合わせそうになったという件についてだが」



 サイラスに報告を促されてリヴェラは反射的に背筋を伸ばした。そうだ、あれには肝が冷えた。



「はい、陛下。あのとき私は情報収集のためダランベールの中枢区画に足を伸ばしていたのですが……」



 あの日以降、リヴェラはソフィアの動向に注意しながらもダランベール内で探りを入れ続けていた。しかし結果は空振り。結局ソフィアがなにをしにダランベールへ来たのかまでは掴むことができなかった。

 しかしリヴェラの報告は想定内のことだったようで、サイラスは「うむ」と短く相槌を打った。



「それについてだがな、じつは他の密偵たちもソフィア・エレットの姿を各所で目撃しておるのだ」


「え?」


「偶然にしては出来すぎていると思っておったのだが……やはり、警戒されていたと考えるのが妥当か」



 なにやら唸り始めたサイラスに代わってギルバートが補足説明をしてくれる。



「今の不穏な状況下であえて入国してくるクーデルカの人間には、ほぼ例外なく監視がつけられていたようだ。ほとんどの密偵はお前と同じくその監視を上手く切り抜けていたようだが、そのうちの一人がヘマをしたらしくてな」


「……その、ヘマをしたという密偵の方は無事なのですか?」



 任務に失敗した密偵の末路など考えたくもないが、リヴェラは恐る恐る訊いてみた。ギルバートが目を伏せる。



「残念だが、自害して死んだという報告を他の密偵たちから受けている」



 死んだ。分かりきっていた答えだったが、こうして改めて聞かされるとなかなか衝撃的なことだった。



「……そう、ですか」



 それしか言えなかった。声が震えないようにするだけで精一杯だった。とても他人事とは思えない出来事に、リヴェラは膝の上でぎゅっと拳を握る。

 そう、自分だって密偵としてはあんまり上手くやれなかった。だからその失敗したという誰かのように、自害に追い込まれる可能性だってきっとあった。

 今回はたまたま失敗しなかっただけ。特に帰国時は危なかった。ギルバートがいなかったら、果たして無事でいられたかどうか。



「リヴェラ嬢、他に報告することがあればこの場で聞こう」



 サイラスの言葉にリヴェラは俯きかけていた顔を上げた。意識して思考を切り替える。そして自分が知り得た限りのことを些細な点も含めて報告した。

 クーデルカ王国とエレット王国の間に緊張が走っていることは、エレット国民は誰もが知っていたこと。だからこそリヴェラが無事に入国できたことに驚かれたこと。



「クーデルカの人間だからと冷遇されたり嫌な思いをしたりはしませんでしたが、両国の関係について国民がよく知っていることには驚きました」


「そうか。真意は分からぬが、恐らくあえてそのような情報を流しているのだろうな」



 難しい顔をしながらサイラスが腕を組んだ。両国の不仲を周知したり、公務でもないのにソフィアをあちこちに派遣したり……エレット王国の動きは大いにきな臭い。サイラスはちらりとオスカーに目を向けた。



「……オスカー、万が一に備えよ。この先エレット王国との間になにがあっても動揺せぬよう、今から心構えをしておいてくれ」



 リヴェラは目を瞬かせた。以前まで国王はオスカーのことを「ルアンリ侯爵」と呼んでいたはずだが、いつの間に名前で呼ぶほど親しくなったのだろうか。

 娘の疑問を知ってか知らずか、それまでずっと黙って様子を見守っていたオスカーが力強く頷いた。



「命じてくださればいつでも動けるよう準備を進めております。有事の際は多少なりとも陛下のお力になれるかと」


「頼もしい限りだ。ルアンリ家は余の力であり誇りだな。これからもよろしく頼むぞ」


「は。もったいないお言葉でございます」



 自分がエレット王国に行っている間に父と国王の間に一体なにがあったのか。そう思いはすれど、父に訊くべきもっと重要なことがあった。リヴェラは慎重に口を開く。



「お父様、有事とか準備とか、一体なんの話ですか?」



 娘の問いに、オスカーは一度サイラスへと目を向けた。そしてサイラスが「構わぬ」と答えたため再度リヴェラへと視線を戻す。



「……戦争だよ、リヴェラ。こうなってしまった以上、いつ戦いが起きてもおかしくない状況になった。杞憂に終わればそれでいい。でも備えだけはしておくべきだ」



 今までぎりぎり保たれていた均衡も、密偵の存在が露見したことにより崩れたと言ってもいいだろう。エレット王国とてクーデルカ王国に密偵を放っているだろうが、あちらのほうが一枚上手だったと考えざるを得ない。


 懸念していたことが実現するかもしれないという現実に、オスカーは強い危機感を抱いていた。以前スチュアート伯爵とも話していたことだが、自分には従軍経験がない。だから心の準備をしておくことも、覚悟を決めておくことも必要だった。動揺しないようにという言葉は、そういう意味だった。



「リヴェラ、君も心の準備だけはしておきなさい。わたしが戦場に出向くことになったら、お母様とリリスのことは頼んだよ。君にしか頼めないことだ」



 いくらリヴェラが有能でも、さすがに十五歳の侯爵令嬢が徴兵されるとは思えない。しかし同時に、ルアンリ侯爵領だけが戦火を免れるとも思っていない。

 いざという時、家族と領民を守れる人材が必要だった。妻のジョーハンナがいれば大抵のことには対応できるだろうが、やはりリヴェラの存在はかなり大きい。



「……はい、お父様。私にできることなら、なんでもするとお約束します」



 そう言いつつも、リヴェラは顔を歪めた。父から寄せられる信頼は嬉しいし、ぜひとも応えたいと思う。でも本当に戦火に巻き込まれた場合、リリスを確実に守りきれるという自信がなかった。

 たとえ自分が生き残っても、リリスが死ねばすべてが終わる。また回帰するだけの話とはいえ、それでいいのかと訊かれれば答えは否だ。

 リリスだけは生かさねば。そして今度こそ世界の時間を先へと進めるのだ。そのためにも。




 だが、そんなリヴェラの願いも虚しく、事態は坂を転げるように悪い方向へと突き進んでいった。




「被害状況は!」


「王都壊滅! 避難民が続々とルアンリ領に押し寄せてきております!」


「サーキス将軍、及びコルトレーン将軍、戦死!」


「リヴェラお嬢様! もうお逃げください!」



 切羽詰まった声で促されても、鎧姿のリヴェラは首を横に振った。表情は険しく、その眼差しは戦いの最前線を睨みつけている。

 臣下は逃げろと言うが、そんな段階はとうに過ぎていた。そんなことは臣下も分かっているはずだが、それでも言わずにはいられなかったのだろう。なんとも主人思いである。だが、その思いに応えることなどできはしなかった。



「逃げるわけにはいきません。私たちの後ろには、お父様が命懸けで逃がした国王陛下と王妃様、そしてギルバート殿下がいらっしゃいます。お母様も、リリスも、領民も、ボロボロになりながらここまで逃げ延びてきた人たちもいる」



 粘ったところでどうしようもないことは分かっている。でも粘らないわけにもいかないのだ。

 脳裏にいろんな人たちの顔が浮かんだ。彼らを一分でも一秒でも、少しでも長く守らねばならない。特にギルバートがリリスを安全な場所まで逃がすまでの時間を稼ぐ必要があった。



「ここで引くわけにはいきません。絶対に」



 リリスさえ生きていれば、世界には希望がある。前へと進める希望が。

 自分の命など、どうでも良かった。それは強がりでも綺麗事でもなく、本当にそう思う。


 死にたいわけではない。でも生きたいと強く願っているわけでもない。

 時間が巻き戻ったりしない確かな未来が欲しい。でもその未来に自分がいるところは、一度も想像したことがない。


 ただ、今度こそこの回帰を終わらせて、もう永遠に休みたかった。



「――えっ?」



 不意に傾いた視界に驚いて、リヴェラは間抜けな声を出す。

 なにが起きたのか咄嗟には理解できなかった。しかしすぐに馬車酔いにも似たこの感覚の正体を察して天を仰ぐ。嘘だろう。またか。


 世界が揺れる。世界が崩れる。

 妹が死んだ。今度もまた。理由はさすがに分からない。



「ああ、もう、どうしていつもこうなるの」



 呻きながら周りを見渡せば、兵士たちはみな額に手を当てて原因不明の目眩に耐えていたり、耐えきれなくて地面に座り込んでいたりしている。どうやらこの現象による症状には個人差があるらしい。かくいうリヴェラもこの感覚は今でも苦手で、今回は地面に寝転がって耐えることにした。



「…………」



 そういえば、前回はギルバートがそばにいて抱きかかえてくれていたっけ。仰向けに寝転がりながら、リヴェラはそんなどうでもいいことを思い出す。

 今頃ギルバートは何をしているのだろう。リリスの亡骸でも抱えているのだろうか。彼女を救えなかったことを悔いているのだろうか。それとも。……それとも。



「少しは腐れ縁(わたし)のことでも思い出したりするのかしら」



 そうだったらいいと思う。そうすれば多少は気が紛れることだろう。

 しばしの別れ。でも次の回帰の時に、きっとまた会える。会って、前回の終わりでもロクな目に遭わなかったと、互いに文句を言い合える。


 それにしても、回帰してから一年足らずで終わった人生も珍しい。まったく、じつに目まぐるしい今世であった。次回はもう少し粘りたい。


 そこでリヴェラの意識が暗転した。

 そのあとは、またいつも通りの展開だ。


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[一言] これギルバートがリリスを……じゃないのかw
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