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11. エレット王国からの脱出


『お前の同期が失敗した。このままだと疑わしきは全員捕縛だ。一刻も早くクーデルカに帰ってこい』



 短いが、緊急感が伝わってくる文面だった。ギルバートの筆跡に違いないが、若干乱れた文字からは彼の焦りが感じられる。


 念のため使ったと思われる『同期』という曖昧な表現は、恐らくリヴェラと同時期にエレット王国へと潜入した密偵たちのことを指しているのだろう。つまり、そのうち誰かが失敗したのだ。

 きつく口元を引き結ぶ。密偵失敗というのは非常に深刻な事態だ。リヴェラはすぐさま荷物をまとめ、寮の自室から飛び出した。


 いつもならば父の手紙と一緒に送られてくるはずのギルバートからの手紙。けれど今回に限って彼は堂々と『ギルバート・レオカディオ・クーデルカ』の名前を使って手紙を送ってきたのだ。

 理由は簡単。送り主が王族で、なおかつ速達指定された手紙だった場合、それはあらゆる手順をすっ飛ばして最速で相手の元まで届けることが規定されているのだ。


 ある意味、禁断の手法である。しかしその手段を使うほどに事態は緊迫しているのだろう。リヴェラは荷物を持ったまま第一研究室の扉を蹴破った。



「所長!」


「どうした、リヴェラ。今日はまだ」


「申し訳ありませんが、父が危篤との連絡が入りましたので今すぐ帰国いたしますッ! では!」


「は? ちょ、大丈」



 突然のことに目を丸くするハリエットに構わず、ほとんど言い逃げのようにそう告げたリヴェラはその足でダランベールから脱出した。

 走りながら、ふと『前回』のことを思い出した。そういえば、あの時もギルバートからの連絡を受けて急遽帰国したのだった。だが今はあの時よりも切羽詰まった状況である。なにせ、今回は妹ではなくリヴェラ自身の身に危険が迫っているのだから。


 休憩抜きで馬車を乗り継ぎ、ほぼ最短の距離で国境に近い町まで辿り着けば、そこはすでになんとなく物々しい雰囲気が漂っていた。目に見える変化は特にない。ただ、どことなく空気がぴりぴりしているように感じられる。

 しかし堂々と入国した身の上だ。出国する時だけコソコソしていたら余計に怪しい。悩んだ末、リヴェラはごく普通の顔で国境を抜けることにした。



「次の方、身分証明書を」



 大人しく並んでいるうちに順番が来て、リヴェラは「はい」と何の変哲もない身分証明書を検問官に差し出した。そこにクーデルカ王国発行の文字を見つけて検問官が眉を寄せる。



「……失礼ですが、クーデルカの方ですか?」


「はい。生まれも育ちもクーデルカです」


「そうですか。エレット王国へは観光で?」


「いえ、留学です。ダランベール学術研究機関で古代錬金術の研究をしておりますが、それがなにか」



 素知らぬ顔で答えるリヴェラに、検問官は探るような眼差しを向けてくる。



「こちらに入国されたのはいつ頃ですか?」


「二、三ヶ月ほど前です。正確な日付はダランベールに問い合せていただければ分かるかと」



 淡々と答えるリヴェラと、次々と質問を重ねてくる検閲官。

 もしかして、今のタイミングでエレット王国から出ようとするクーデルカの人間は、全員ここで足止めするようにとか命じられているのだろうか。リヴェラは内心で舌打ちをした。そうだとしたら厄介だ。



「今回はなぜ帰国を? まだ休暇の時期ではありませんよね?」


「父が……」



 危篤状態で、と答えかけたリヴェラだが、寸前のところで思い留まった。ハリエットには通じたであろうこの文言が、目の前の検問官には通じないかもしれないということに気がついたのだ。


 もしも本当に父が危篤であるのなら、こんなところで冷静に押し問答などするはずがない。もっと取り乱して、感情的になって、早く通せと泣き喚いたっておかしくはないのだ。

 だが、今のリヴェラは変に冷静すぎた。この状態で父が危篤だとか言っても真実味など皆無だろう。



「どうしましたか。答えられないのですか?」



 検問官が畳み掛けてくる。どうする。どう答えるのが自然だろうか。悩むリヴェラの腕を検問官が掴んだ。



「え」


「申し訳ないのですが、こちらへ。上からの命令でして、クーデルカ王国の人間で少しでも不審なところがある人物は別室に……」



 このままではまずい。非常にまずい。

 連行されかけたリヴェラは覚悟を決めるしかなかった。自分の腕を無遠慮に掴んでくる検問官に向かって、掴まれているほうとは逆の腕を伸ばす。そして。



「リヴェラ!」



 思いがけず名前を呼ばれて、リヴェラはびくりと動きを止めた。この、声は。



「ギルバート殿下……?」



 国境の向こう側からリヴェラを呼んだのは、馬に乗って駆けつけてきたらしきギルバートであった。

 殿下、という言葉が聞こえたのか、国境付近がざわつく。リヴェラの腕を掴んだままの検問官は目を白黒させながらリヴェラとギルバートを交互に見た。王族とはいえ、あくまで隣国の王族だ。ギルバートの顔を知らない以上、検問官にはその真偽を確かめる術はない。


 予想外の闖入者の登場によってその場には動揺が走ったが、リヴェラの胸の内には動揺や疑問ではなく安堵が広がっていた。どうしてここに彼がと思うよりも早く、もう大丈夫だという安心感が込み上げる。

 ギルバートが軽やかに馬から降りた。そして咎めるような眼差しを検問官へと向ける。



「なにやら思い違いがあるようだが、彼女の身元はクーデルカ王国の王太子であるこのわたしが保証する。それでなにか、彼女に問題でも?」


「は、い、いえ……しかしその、上からの命令に従わないわけには……」


「上からのということは、上官からの命令か? それとも国からの命令か?」


「あ、く、国からです」



 そうか、とギルバートは頷いた。頷いて、リヴェラの腕を掴んでいた検問官の手を叩き落とす。



「っ!」


「だが悪いな。彼女は我が国有数の侯爵家のご令嬢で、我々クーデルカ王国の庇護下にある人物だ。もしも彼女を見逃したことで上から責められると言うのであれば、わたしが彼女を連れ去ったとでも言えばいい」



 責任はすべて被ると言い切ったギルバートは、呆然とする検問官を無視してリヴェラの肩をぐいと引いた。それにハッとしたリヴェラは慌てて一緒に歩き出す。

 導かれるままに国境を越えた。そしてクーデルカ王国の地に足を踏み入れた瞬間、いきなりギルバートに抱き上げられる。



「なっ……」


「すまない。少し飛ばすぞ。しっかり捕まっていろ」



 なにが起きているのかも把握できないまま、リヴェラはギルバートによって馬の上へと押し上げられた。そしてギルバートもすぐさまリヴェラの後ろに飛び乗って、二人を乗せた馬は間髪入れずに走り出す。



「ね、ねえ、どうしてあなたが」


「いい機会だから前に言っていた借りを返しただけだ。……とにかく今は黙っていろ。舌を噛むぞ」



 借り。言われた通り大人しく口を噤みながら、リヴェラはすっかり忘れていた裏庭園でのやり取りを思い出した。



『だとしても、俺はお前に感謝している。礼の言葉くらいは受け取ってくれないか』


『そこまで言うなら貸しにしておくけど。いつか返してちょうだいね』



 正直、あの言葉に深い意味などなかったし、今の今まで忘れていたくらいだ。あの時はただ、居心地の悪い話題を終わらせたくてそう言っただけだったので。

 でもその言葉を、ギルバートはちゃんと覚えていた。そのことが妙にむず痒い。

 リヴェラは肩の力を抜いてギルバートに寄りかかった。彼女の思いがけない行動にぴくりと反応したギルバートだが、文句を言わずにそのまま凭れかけさせてくれる。


 しかしまあ、絶妙なタイミングで現れてくれたものだ。まるで見計らっていたかのような彼の登場を思い出してリヴェラはしみじみする。もしあと数秒遅れていたら、あの検問官の顎を外してしまうところであった。


 その後もギルバートはしばらく馬を飛ばし続け、ようやく一息つけたのは国境から十分離れた街に到着してからだった。ここまで頑張ってくれた馬を休ませてから、リヴェラは軽く変装したギルバートと一緒に食事を調達する。それからようやく適当なベンチに腰を落ち着けることができた。



「お疲れ様。言い損なっていたけど、迎えに来てくれて本当にありがとう」


「大したことじゃない。お前が無事で良かった」



 うっすらと笑みを浮かべるギルバートだが、リヴェラの目は誤魔化せなかった。

 じっとギルバートを見つめる。笑っているのに、どうしてか彼の眉間には皺が寄っていた。



「……ねえ、もしかして頭痛いんじゃないの?」



 頭痛持ちのギルバート。回帰が始まる前からずっと、この体質は変わらない。

 リヴェラの指摘に彼は「まさか」と言って誤魔化そうとした。しかし浅からぬ付き合いである彼女の物言いたげな視線に屈したのか、ギルバートは諦めたように溜め息をついた。



「……確かに頭痛はするが、本当に大したことじゃない。心配するな」


「こんな時に強がってもダメよ。私のせいで相当無理をしたんでしょう。ここから王都までは私が馬を走らせるから、あなたは私にしがみついてるといいわ」



 ひどく疲れた時や、精神的に強い負荷がかかった時、きつい匂いを嗅いだ時や天気の変化、さらには寒い日などに耳を冷やしたりすると、ギルバートは頭が痛くなるようだった。早めに薬を飲めばそれほど悪化せずに済むのだが、飲み損なってしまうと目が開けられないほど痛みがひどくなるらしい。


 あくまでギルバートを思いやってのリヴェラの提案に、けれどギルバートはムッとしたような表情を浮かべた。



「問題ない。むしろお前が俺にしがみついていろ」


「馬鹿なこと言わないでちょうだい。薬は飲んだの?」



 リヴェラの問いにギルバートは黙り込んだ。飲んでいないらしい。まったく手のかかる奴である。



「はい」


「…………」


「そんなに警戒しなくても。あなたがいつも飲んでいるのと同じ鎮痛剤よ」



 リヴェラがまだギルバートに恋をしていた頃、頭痛持ちの彼のためによくそれを持ち歩いてはいつでも差し出せるよう準備していた。結局それを使ったことはほとんどなかったが、効果はお墨付きであるため今では自分用に持ち歩いているリヴェラである。


 差し出された鎮痛剤をギルバートはしばらく嫌そうに眺めていたが、さすがに痛みを無視しきれなくなったのだろう。辛抱強く差し出し続けていたリヴェラの手からそれを受け取り、観念したかのようにそれを自分の口に含んだ。そして水の入ったコップに手を伸ばす。

 だがギルバートのコップはすでに空になっていた。そのためリヴェラは素早く自分のコップをギルバートのものとすり替える。飲みかけだがギルバートも気づいていないだろうし、別に構わないだろう。



「……ありがとう、リヴェラ」


「ううん」



 飲むタイミングを逸しているだろうから効くまでに時間がかかるかもしれないが、そこは仕方あるまい。飲まないよりはマシなはずだ。



「できれば氷かなにかで頭を冷やせたらもう少し楽になると思うんだけど……」


「いや、これで十分だ。それよりも先を急ごう」



 ベンチから立ち上がり、ギルバートはリヴェラに手を差し伸べた。その手を借りながらリヴェラも立ち上がり、使用済みのコップを店に返して、それから近くで休ませていた馬を迎えに行く。その途中でギルバートは自分のコップとリヴェラのコップが入れ替わっていたことに気づいたようだが、特に苦言を呈さなかったので問題ないということだろう。


 どちらが馬を操るかで少し揉めた。リヴェラもギルバートも一歩も譲らず、最終的にはギルバートが必殺『王太子命令』を発動したことでリヴェラが屈服する形になった。



「おい、むくれるな。頬をつつくぞ」


「つついたら噛みつくわよ」


「どこの猛獣だお前は……」



 そんな応酬を繰り広げつつ、二人は無事に王宮まで辿り着いた。そこで国王と王妃に秘密裏ながら盛大に迎えられたわけだが。



「リヴェラ! ああ、無事で本当に良かったわ……!」



 特に王妃の歓待が非常に激しく、全身全霊で抱きしめられたリヴェラは本気で白目を剥きかける。そのため国王と王太子が二人がかりでリヴェラを救出するハメになった。

 そしてその場面は娘を迎えに来たオスカーにより目撃されることになったものの、それ以外の誰にも見られなかったというのは不幸中の幸いだったとリヴェラはのちに語った。


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