1、木坂真帆
学校は社会の縮図のようだ。
権力の強い者、人気者、そんな彼らでも抗えない、規則というもの。
そして、いつの間にか他人によって作り込まれた人格。
それやこれやを守り抜きながら、彼ら彼女らは今日も仮面を被って生活している。
「あっ、ごめーん」
思い切り肩にぶつかられてよろける。その拍子に壁に身体がぶつかり、ゴンッと鈍い音を立てる。
ケラケラと笑いながら去っていく当事者。もし謝らないようだったら……まぁ争うなんて時間の無駄なので、どうだっていいが。
自分の身長より少し高いくらいの入口をくぐりぬけ、自分の席へと向かう。
向かったはずだった。
「……」
誠が座るはずだった机は、知らない何者かによって占拠されていた。
席替えをしてから毎朝こうだ。隣の席の相手が悪かった。
名前は確か、青桐。本人曰く地毛らしいが目立つ茶髪。耳にはピアスが付いている。校則違反を体現したようなやつ。
その桐島の周りにはいつも人がいて、昼休みや放課後には女子生徒が絶えず呼び出しに来る。恋愛面も奔放で、彼女を取っかえ引っ変えしているとか何とか。
そして授業中は寝ている。何をしに学校に来ているのだろう。
しかし成績は中の上で、成績に関しては教師らもあまり文句を言えない状況にある。
つまり誠とは、正反対の人間というわけだ。
「……なに」
席に座れず佇んでいると、その青桐と目が合う。その一言で、青桐の周りにいた数人生徒がいっせいにこちらを振り返った。
当の青桐は、邪魔とでも言いたそうな目でこちらを見つめている。
席は譲ってもらえなさそうだ。譲も何も自分の席なのだが。
何個もの目がこちらを見ているのでどうも居心地が悪くなって、目を逸らしてその場を立ち去る。
まぁ、このまま教室にいてもうるさいだけだしな。
再度聞こえてきた笑い声に辟易しながら、鞄を持ったまま教室を後にした。
「青桐〜……は、またか」
5限の授業が始まったあたり、教師の言葉で隣を見やると、確かに空席になっている。
青桐は授業中寝るだけでなく、時折こうして授業自体に現れなくなる。
噂では、保健室から出てきたのを見た、だとか保健室の影野先生と親しそうにしていただとか言われていて、もしかして影野と青桐はただならぬ関係なんじゃないかなどと言われている。学生はそういう噂の類が大好きだ。
本当に馬鹿らしい。どちらにせよサボりに変わりはない。
一番後ろの窓際の席。窓から見える景色は新入生を祝福する桜が可憐に散りゆき、いつしか緑が立ち並ぶなんとも目に優しい光景になっていた。
こんな、教師の視線を上手く交わせそうな席になってしまったがために、そして人気者の隣の席になってしまったがために、席替え当初は羨望と恨みの目で見られて大変居心地が悪かったものだが、こうして移りゆく景色を見ることができるのは最高かもしれない。
出欠を取り終わり、授業開始の号令がかかる。満腹感で眠りそうだが、まぁ乗り切るしかあるまい。そう決められているのだから。
とりあえず何事もなく平穏に学問と部活に励んで、友人も程々につくり、何事もなく卒業できたらいい。あとは自分の愛してやまない読書の時間だけ確保できるのなら、それで構わない。
そんな野望は、席替えして2週間だった頃に打ち砕かれる。
図書室で予約していた本がようやく貸し出せると連絡が来た。柄にもなく浮き足立つ足で借りに行って、机にそれを置いたまま昼食を買いに行ってしまった。
何とか弁当をゲットし教室に戻ると、いつもの下品な笑い声が聞こえてくる。
笑いの標的になっていたのは、先程自分が借りてきた本だった。
「あ、ごめーん借りてるわ」
取り巻きのひとりがそう言い、机の上にあった本を持ち上げひらひらと振る。
「てかお前こんなん読んでんの?」
それは、最近中高生の間で話題沸騰のラブストーリーだった。
「へーお前もこういうの興味あるんだ?」
「こーいうのって?」
「レンアイだよレンアイ!! 恋とか愛とか興味無いって顔してるのに、もしかしてほんとはむっつりとか?」
にやにやと気味悪く笑う中心には勿論青桐がいて、それを聞いた途端
「ね、ウケる!」
そう言って共に笑い始めた。
低俗な笑い声が自分の席を包み込んでいく。誠はそれをただ冷ややかな目線で眺めた。
まぁ、確かに愛だの恋だのに興味はない。興味があるのは、目の前の本だ。
こいつらは知らないだろうが、この本の作者は詩人として活躍しており、今作で小説に初挑戦したのだ。想像力豊かで靱やかな言葉で紡がれる文章たちに、詩人のファンのみならず様々な層の読書好き、さらには本を嫌煙する若者まで虜にしてしまった。
そして、誠はその詩人のファンだった。たまたま出費がかさんで金欠で、買える兆しが見えなかったから、ようやく借りることができたものだった。
こうして馬鹿にされてしまうと、たとえ豚に真珠だと分かっていても、どんなに欲しくて手に入れたものでもただの価値無きガラクタに思えてきてしまう。
「……興味があるならどうぞ。俺読まないから」
早口でまくし立て、弁当を引っ掴んでその場を去る。なんだあいつ! と馬鹿にするような笑い声を背後に聴きながら、馬鹿の巣窟みたいな箱を抜け出した。
昼休み終了を告げるチャイムがなり、重い足とイラつく心を引きずりながら教室に戻る。
そして、机の上を見て愕然とした。
ない。
借りてきたはずの本が、忽然と姿を消している。
急いで駆け寄り、机の中、鞄の中、とにかく思い当たるところを探したが……見つからない。
焦りすぎて机の引き出しに頭をぶつけたところで、思い出した。
……あの野郎、あいつらだ。
青桐の取り巻きの奴らのうちの誰かが持っている。
机の下から這い出て見渡しても、クラスの人間はこちらに見向きもしない。
だが取り巻きの奴らはこちらを盗み見て、にやにやと笑っているのが見えた。
「チャイム鳴ってるよー席着きなさい」
騒がしくドアを開けて教師が入ってくる。今は授業どころじゃない。楽しみにしていた云々より、借り物をなくしているのだ。
決して買えない値段ではないが、月の小遣い5000円、バイトもしていない誠にとっては相当の痛手だ。
「藤宮くん? どうしたの早く座りなさい」
呆然と突っ立っていると、教師を始めクラスメイトの視線が全て、誠に集中していた。
すみません、と呟き、渋々椅子に座る。読むの楽しみにしてたのに、という落胆と、弁償しなきゃかなぁ……という焦燥が頭を渦巻いて、授業の内容は何も分からなかった。
その日の放課後、どんなに教室を探し回っても、鞄やゴミ箱まで引っくり返しても本は見つからなかった。
「……どうしよう…」
隠されたのか、盗まれたのか。あいつらが仮に犯人だとして、返せと言って素直に返すだろうか。またゲラゲラと笑われて終わりだ。
「……帰るか」
落胆のため息が漏れる。もう弁償するしか道は無いのかもしれない。
散らばった鞄の中身を入れ直し、教室を後にする。
重い足取りで昇降口に向かう途中、離れたところにある保健室の窓が視界に入る。
目立つ茶髪の髪と、髪をひとつに結んで化粧けのない女が親密そうに話しているのが見える。青桐と影野だ。
影野は生徒からも人気の養護教諭で、常に微笑を湛えており、太陽のように柔和な笑顔で生徒たちを優しく包み込む。まさに保健室の先生のお手本とも言える存在だった。
影野はその暖かな笑顔で青桐に微笑みかけている。青桐はその笑みを受け、見たことの無いような穏やかな表情を浮かべていた。
噂では、保健室の影野は青桐とデキている。
馬鹿らしいと思っていたが、もしかしたら本当なのかもしれない。
誠はそれを静かに見つめていたが、外の暗闇が深くなったのに気が付き、昇降口へ歩を進めた。
暗くなって照明が落とされた廊下は、幽霊の類を信じていない誠にとってもあまりにも気味が悪い。
背筋に走る寒気をかき消すように、イヤホンを取り出して耳に突っ込む。携帯の再生ボタンを押してご機嫌な音楽を流せば、恐怖心と沈んだ気持ちが幾分か和らいだ気がした。
携帯を鞄に入れ歩き出した途端、何かに強く右肩をぶつける。そのままどしん、と何かが落ちる音がして、慌ててイヤホンを取れば、人が廊下に尻もちをついていた。
「え、うわ! すみません! 怪我は……」
急いでしゃがみこみ、目線を合わせる。
「……あ、大丈夫、」
突然の状況を飲み込めなかったのか、戸惑ったように震えた声が届く。
その声を聞いた瞬間ハッとし、目の前にいる人物をの顔をよく覗き込む。
校則違反の茶髪に、覗くピアス。
そして床についた手には。
「おい」
地を這うような低い声が、静かな廊下に響き渡る。
青桐は驚いたのか形のいい目を少し見開き、こちらを凝視したあと、目線を手元に移しあっと小さく声を上げた。
青桐の手首を乱暴に掴みあげる。その手には教室のどこを探し回っても見つからなかったあの本が握られていた。
「巫山戯んなよ」
睨みつけながら捻り潰すように手首を強く握る。
それに一瞬顔を歪ませたあと、いつものように人を馬鹿にするニヒルな表情でこちらを見つめ返した。
「返せ」
「……そんな必死になっちゃって、かっこわる」
「借りた本なんだよ当たり前だろ!」
掴んでいない片方の手で本を奪い取る。その間にも青桐は腹が立つようににやりと笑ってこちらを見つめていた。
「はぁ、よかった……ん?」
本が傷ついていないか、パラパラとページをめくって確認していると。
「……あのさ、青桐」
先程と打って変わって静かな声で尋ねられた青桐は、開かれた本を見つめたあと、しまったとでも言ったように血相を変えた。
「もしかして、ちょっと読んだ?」
開いていたページを青桐に示す。文庫本に付いている紐の栞は、借りた時は本の真ん中に挟まっていた。
それが今開いた時、序盤、第一章が始まって2ページ目のところに挟まっていたのだ。
青桐はそれを見て首を横に振った。
「い、いやいやまさか、ほら、どんなかなーってちょっとちらっとめくった、」
明らかに動揺し、立ち上がる。
すると、肩にかけていた何も入っていないような薄っぺらい鞄から、中身がガラガラと崩れるように出てきた。
「……あ、やば、」
慌てて拾い集めるあくたもくたの中に、見覚えのあるものがひとつ。
それを持ち主より早く拾い上げると、言葉を失ったままこちらを見つめ返していた。
「青桐も読むんだ、木坂真帆」
少し端がそじた文庫本。そこに書かれていたのは、話題の恋愛小説を書いた作家、木坂真帆-誠が好きな詩人の名前があった。
はじめまして。二司と申します。今日の夕飯は唐揚げでした。
こちらのサイトに登録してから2年の月日がたち、全く更新しておりませんでした。やっと書けました。
続くかは分かりませんが、途中まで考えています。私の気力と体力が続く限りは続けたいと思います。
もし気に入って頂けた方は、続きを気長にお待ちください。
お気に召していただけたら幸いです。