Chapter8 私は米農家、今から証明する
名無しはトラクターを睨む。側面を狙える機関銃3台全てが名無しに狙いを定めた。名無しは逃げなかった。逃げたってどうしようもないからか。否、まだ勝てると信じていたからだ。いいや、ただそう信じたいだけだからだ。
名無しはリボルバーを抜いた。トラクターの燃料タンクを狙った。しかし全て弾かれてしまった。名無しは死を覚悟した。
まさにその瞬間、左から誰かが走ってきた。
「破壊力が足りんぞ! 米農家!」
走りながら銃を連射する。あの破壊音、間違いなくデザートイーグルだ。タイヤを破ることはできなくとも、その貫通力と破壊力は凄まじく、機関銃は3台とも銃身が曲がったり、粉々になったりして使い物にならなくなった。
ブレッドガイは走りながらダイナマイトに火をつける。すぐには投げない。名無しが叫ぶ。
「はやく投げろ!」
トラクターは前輪を動かし、なんとか方向転換しようとする。ブレッドガイはトラクターにできるだけ近づき、目を見開いてダイナマイトを勢いよく投げた。パン屋の剛力炸裂。ダイナマイトは7,8メートルもの高さまで飛び、丁度燃料タンクと接触すると同時に爆発した。ブレッドガイは空中でタイミングよく爆発するよう狙ったのだ。
爆発は燃料タンクを巻き込み、大爆発を引き起こした。爆炎はトラクターを貫通し、焼き尽くした。
燃えるトラクターを背後に、米農家とパン屋は肩を並べた。米農家はパン屋に聞いた。
「よく無事だったな。ブレッドガイ」
ブレッドガイは軽く頷きながら笑う。
「ハッハッハッ。裏口から逃げただけだ」
「それにしても良い肩だ。よく狙えたな」
「パン屋だからな。正確に大胆にがモットーだ」
名無しは辺りを見渡す。
「そういやパッチは無事か? 撃たれちまったんだ。診てやんねえと死ぬぞ」
「そうだな。急いで手当てしよう。近くに医者がいたはずだ……生きていればの話だが」
「とにかく急ごう」
名無しはダーティーパッチの元へ走り出した。ブレッドガイも後に続く。
シュパーーン!
「うぐっ!」
名無しが勢いよく倒れた。何者かに撃たれたのだ。ブレッドガイは辺りを見渡す。
「動くな! 裏切り者!」
ブレッドガイは立ち止まり、声の主の方に目を向ける。そこにいたのは、腹部から大量の血を流した女だった。ブレッドガイは目を細める。
「その声はヨネか! 生きていたんだな」
ヨネはリボルバーをブレッドガイに向けながら歩み寄る。完璧な殺意がブレッドガイの脳内に流れ込む。
「四の五の言わずに私と決闘しな! 私を紛い物と呼んだこと。後悔させてやる! ゲホッゲホッ……私が……ハァハァ……私が本物だって証明してやる!」
ブレッドガイは黙って体をヨネの方に向けた。
ヨネはリボルバーをガンホルダーにしまう。
2人はゆっくりと歩み寄った。近づけば近づくほど決着がはやまる。間合いに入ると2人は立ち止まった。間合いと言ってもその境界は2人の感覚でしかない。
ヨネは鋭い目つきでブレッドガイを睨みつけた。本気の目だ。その目を見たブレッドガイは感化され、彼女の気持ちに本気で応えようと思った。
腹部からの出血は止まらない。それでもヨネは集中力を保っていた。決して相手から目を離さず、手を伸ばす。ブレッドガイは至って落ち着いている。
先にヨネがしかけた。リボルバーに触れる。その瞬間、ガドォン! と凄まじい破壊音。ヨネがリボルバーに触れる頃、既にブレッドガイは引き金を引いていた。速い。速すぎる。デザートイーグルはヨネの右腕を吹き飛ばした。切断面から信じられない量の血が噴き出した。まるで噴水だ。
しかし、ヨネは叫ばなかった。倒れなかった。渾身の力で歯を食いしばる。その力で歯がボロボロに折れて血を流しながら落ちていく。ヨネは残った左手で無理矢理リボルバーを抜いた。凄まじい速度でブレッドガイの胸に照準を合わせた。ブレッドガイも急いで引き金に指をかける。
次の瞬間、ブレッドガイの目にヨネの姿が焼きついた。彼女の姿に見惚れたのだ。あまりにも勇ましかった。あまりにも美しかった。ブレッドガイの目から涙が溢れた。
銃声、そして銃弾が胸に食い込んだ。ブレッドガイは血を吐きながら倒れた。傷口から血が溢れ、水溜りのように広がっていく。
ヨネは震えながら空を見上げた。美しい。なんていい天気なのだろうか。ヨネは勝った。間違いなく勝ったのだ。彼女は紛い物じゃない。証明した。彼女は証明したのだ!
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
「……………………………………」
「………………………………」
「……………………」
「…………」
「……」
「…」
「」
「じいさん。様子はどうだ?」
聞き覚えのある声だ。誰だ?
「ひどい怪我ではありますが、致命傷とまではいかないでしょう」
年配の男の声だ。
「いつ目を覚ます?」
「出血多量で死亡する寸前でしたからね。すぐに目を覚ますとは思えません」
「もう1人は?」
「左手を貫通。腹部からも出血が見られます。酷いものです」
「まあ、あれだけ大勢を相手にしたんだ。これくらいの怪我で済んだのが不思議でならん」
「ごもっとも。それにしても外の死体。誰が片付けるんです?」
「うーん。沼田家の連中かな? もしくは、我々がやる仕事なのかもしれん。最悪この3人にやらせればいい」
「病み上がりにしては重労働すぎるかと」
年配の男がクスリと笑うのが聞こえる。
「ウゴアァァァァァァァア!!」
下品な叫び声。奴だな。
「おっと。もう目を覚まされたのですか。驚きです」
「ふん。悪運だけは強いやつだ」
「ここはどこだ! 俺のリボルバーはどこだ!」
「ちゃんと預かってますから。大人しく寝ててください。あなたは死んでてもおかしくなかったんですよ」
「おい。あんたら誰だ?」
もう1人の声。ああ。お前も起きたのか。
なら、俺もそろそろ起きねえとな。
「久しぶりだなお巡りさん。わざわざ見舞いに来てくれたのか」
「賞金稼ぎ! もう目が覚めたのか!」
「俺のことはブレッドガイと呼んでくれ」
あれだけの傷を負いながらも、3人は目を覚ました。目の前には年配の医者と警官がいた。あの後、警官が3人を医者の元まで運んだらしい。外は沼田家による捜索が行われているらしく、いずれここも危なくなるという。
まず名無しが質問した。
「あれからどれくらい経った?」
医者は呆れた顔で答える。
「2時間も経っていません」
「普通、映画とかだと2,3日後に目が覚める展開なんじゃないのか?」
「そうそう。目覚めた頃には世界が滅亡してたり、重要人物が死んでたりするんだよな。ガハハハハ!」
ダーティーパッチが爆笑する。2人も続けて笑い出した。先程まで死にかけていた人物だとは思えない。
笑いを遮って警官が話し始める。
「ま、まあ、お前達が元気なようで安心した。後1時間もしたら出発しよう」
「出発だと?」
ブレッドガイが首をかしげる。
「そうだ。俺のパトカーが外にある。いつでも走れる。さっさとこの村から出るんだ。いくら沼田家でもパトカーを襲う真似はしないはずだ」
ブレッドガイは首を横に振る。
「おいおいお巡りさんや。俺は沼田を殺しに来た賞金稼ぎだ。帰るはずねえだろ。俺を残して2人を連れて行け」
「待て待て待て」
名無しが右手を上げ話し始めた。
「俺も残る。俺だって沼田を殺すためにこの村に来たんだ。連れてくのはパッチだけにしろ」
ダーティーパッチも慌てて話し始める。
「待ちやがれ! 俺はこの村にずっと住んできた。大勢に嫌われたが、それでも俺はこの村に居続けた。今更他所に行けるか。それに、沼田にはたくさん貸しがある。奴を倒さねえとむしゃくしゃする!」
3人揃ってこの村に残ると主張した。
警官は呆れた。
「お前達、もう十分じゃないか……お前達は良くやった。なにせあの黒の米農家達を壊滅させ、あの悪名高き農業トラクターまで破壊したんだ。賞金はたんまり出る。3人で分け合っても余るくらいだ。この村から出れば、お前達は大金が手に入る! 一生不自由なく暮らしていけるだろう。家族でも作って、家を建て、のんびりと暮らせ。それでいいんだ。無理することはない。命を張る必要はもうない」
正論だ。警官の言うことは間違ってない。誰かに頼まれたわけでもない。そもそもこの村のことなんて気にする必要はない。警察だって、この村の米農家には手を出さないんだ。それくらいの相手に、たった3人でここまでやったのだ。立派だ。表彰されてもいい。それくらいのことを彼らはしたのだ。
だが、そんなことで満足する3人ではなかった。
「お前の言うことは何もかも間違っている」
名無しはそう言ってベッドから降りた。包帯を取って、左手にぐるぐると巻きつける。医者は慌てふためいた。
「何を考えているんです? あなた、大怪我をしてらっしゃるんですよ! 今すぐこの村から出て、大きな病院で診てもらうべきです!」
「馬鹿野郎!」
名無しは左肘で医者の顔面を小突いてから蹴り飛ばした。
「なんてことをするんだ!」
警官は警棒を取り出し振りかぶる。
ブレッドガイがベッドから飛び起き、警棒を握る手を止め、警官の顔をぶん殴った。
「グハァ!」
警官は転がっていき、壁にぶつかった。彼はブレッドガイを見つめてこう言った。
「お前らの熱意……よく分かったよ。俺が間違っていた。無粋なことをしてしまった。すまんかった」
ブレッドガイは微笑んだ。
「そうさ。分かればいいんだ。お前はいい奴だ。分かってくれると思ってたんだ」
3人は服を着替え、出発の準備をした。名無しは包帯を巻きつけた左手で撃鉄を押す。カチッと音が鳴った。次に右手で引き金を引く。弾はもちろん抜いてある。これを交互に繰り返す。早撃ちの予行演習だ。左手を怪我していても問題はないようだ。
3人が外に出ようと玄関の扉を開けた時、警官は敬礼して言った。
「俺はお前達を尊敬する。必ず勝ってこい!」
医者が続けて言った。
「お前達なんて大嫌いだ! さっさと出て行け!」
3人は苦笑して外に出た。
2人を止め、ブレッドガイは柱に寄りかかった。
「お前ら、少し話をしよう」
名無しは玄関前の段差に腰を下ろす。ダーティーパッチは扉の隣に置かれた椅子に座り、足を組んだ。
ブレッドガイが続けた。
「お前、いわゆる名無しの米農家、あんたに聞きたいことが山程ある。あんたの名は? なぜこの村に来た? なぜ沼田と戦う?」
名無しは煙草を吸い始めた。
「おい、答えてくれ。お前のことが知りたい」
ダーティーパッチも頷く。
「最初からお前は謎だった。賞金稼ぎでもないし、この村の人間でもない。誰なんだ? お前は?」
名無しは煙を吐く。
「沼田を倒すまで、俺は名無しの米農家だ」
「答えになってないぞ」
「…………」
「焦らすな。教えてくれや」
名無しは煙草をくるくると回す。
「今は答えられない」
「そうか……」
名無しはブレッドガイの顔を見て言った。
「ただ……確実に言えることは、俺はお前らの味方ということだ。今はそれで勘弁してくれ」
ブレッドガイは渋々納得することにした。
「分かったよ。問い詰めて悪かったな」
会話を聞いて、ダーティーパッチが口を開いた。
「おいおい、なにが味方だ? お前は一度この俺を裏切ってるんだぞ! 信用なんてできるか!」
「そりゃそうだな」
名無しは頷き、再び煙草を吸う。
気まずい沈黙が続いた。
名無しは黙々と煙草を吸い続ける。
沈黙を破って、ブレッドガイが口を開いた。
「俺は最初、お前ら2人を利用することしか考えていなかった。沼田の懐に潜り込み、お前らを暴れさせて隙を作ろうと思った。そうすれば奴を楽に殺せると思ったんだ。けどよ、黒の米農家達と殺り合っている時、思ったんだ」
ブレッドガイは一呼吸置いて言った。
「俺達3人は、協力した方がいいんじゃないかって」
ブレッドガイの言葉を聞いた2人の目が動く。
ブレッドガイは続けた。
「だからお前らに謝ろうと思う。米農家は嫌いだが、日本人としての礼儀は重んじたい。それに、お前らと一緒にいる時、少し楽しかったんだ」
2人はどういう顔をすればいいのか分からなかった。
「名無し!」
名無しはビクッとした。
「なんて呼べばいいか分からねえお前だが。お前に謝らなければならないことがある」
名無しは無言で煙草を吸う。
「お前を沼田に売った。本当に悪かったと思う。すまなかった」
名無しは煙を吐いて答える。
「お、おれこそ……お前のことを馬鹿にした。きれいな手を持たないパン屋だと馬鹿にした。けど、お前の射撃は見事だ。すまなかった」
ブレッドガイは無言で頷く。次はダーティーパッチの方を向いてこう言った。
「パッチマン! 俺はお前を巻き込んだ。地下牢に向かわせ、暴れさせた……すまなかった」
ダーティーパッチは笑った。
「ハッハッハッ! 俺は金を貰ったから手伝ったまでだ。気にすんな」
ダーティーパッチは続けて言う。
「クソ農家! 煙草吸ってねえでこっち向け!」
名無しは顔を向ける。煙草は捨てない。
「お前のことを鞭で打った。ぶっ殺そうとした。お前のことは嫌いだが、やりすぎたと思う……悪かった」
「俺こそ。わざわざ地下牢から助けてもらったのに、お前を囮に俺は逃げた……すまないと思ってる」
ダーティーパッチは笑った。続けてブレッドガイも笑う。名無しは煙草を捨てた。息を大きく吸って、大声で笑い始めた。
3人は笑い続けた。
玄関から医者が飛んで来た。
「うるさいぞ! お前達本当に…………」
3人は笑みを浮かべながら立ち上がった。3人揃って道の真ん中を闊歩し始めた。
向こうに見えるのは沼田家だ。
太陽に照らされながら3人は向かう。
最後の闘いへ……