治療
シエルの案内で、アイリーンたちは森の中を進む。怪我人の様子を気にかけながら雪道を歩くのは思うよりも時間を要したが、幸い大して距離を歩くことはなかった。
「みなさん、そこでお待ちください。すぐ戻りますので」
シエルはアイリーンたちをその場に残し道を外れて森の中をどんどん進んでいく。シエルの姿はあっという間に木々に隠れアイリーンたちからすぐに見えなくなった。
――時折、風が強く吹きつけ舞い上げた雪が、視界を塞ぐ。まだそれほど時間は経っていなかったが吹雪の前の薄暗い空を見上げ、ガルムは厳しい表情を浮かべる。
ガルムがシエルを追うか迷っていると森が柔らかい光に照らされる。
「お待たせしました。どうぞこちらにいらしてください」
シエルは、手に持ったカンテラを揺らしてここまで来るように彼女たちを促す。アイリーンたちは誘われるまま森の中へと進む。そして目に映る光景に言葉を失くした――
道に置かれたカンテラの明かりが綺麗に敷き詰められた石畳を照らしている。明かりに照らされた場所には雪はなく、落葉するはずの草木が緑濃く生い茂り、側を流れる小川は凍ることなく小魚が生き生きと泳いでいる。
あまりの寒さに感覚がおかしくなったのか春の様に暖かくさえ感じる。瞳に映る幻想的な景色に思考が止まってしまう。
「工房はあちらですので、石畳の上を進んでください」
「――アイリーン様、参りましょう」
「そう……ですね」
いつまでも動こうとしないアイリーンたちをシエルが促す。まだ驚きで動けない彼女にガルムが声をかけた。その声でようやくアイリーンは返事を返すことができた。
シエルは、その二人の様子を不思議そうに眺めながら工房へ案内した。
案内された工房は、白を基調とした木造平屋建ての洒落た建物だった。建物自体は古いが、手入れが行き届いており清潔感がある。工房というより診療所といった印象だ。
シエルは大きなガラスが填めらたドアを開けると、カランカランとドアベルが鳴った。
「まず、そちらの二人を隣の部屋の診察台に寝かせてください」
「分かった。――連れて行ってやれ」
シエルは、怪我人を運ぶのを手伝うように依頼した。その依頼にガルムは指示を出し、最初に指名された二人を隣の部屋に運ぶ。
「セシア様とリーナ様もこちらに来てください」
『はい、承知しました』
セシアとリーナは、シエルが指定した診察台に自ら歩いていくと横になった。
「ありがとうございます。皆さんは、そちらの部屋でお待ちください。一応言っておきますけど、その部屋から出ないでください。危険な薬品も多いですから」
シエルは、ガルムの部下たちにソファーに座って待つように伝えた。ついでに、部屋から出るなと笑顔で補足した。ガルムの部下たちは一瞬怯えた表情を浮かべたが、シエルは気にせず治療を始めた――
☆
アイリーンとガルムは治療に立ち会うつもりで部屋にいる。シエルは特に気にする様子もない。
「これから診察と治療を始めます。まずは、彼らから……」
そう言うと、ベッドに横たわるガルムの部下に視線を落とし静かに目を閉じる。瞑想するようにシエルが集中を高めると、応えるように銀の光がシエルに集まる。
(魔力の光?こんな強い魔力をどうやって……)
銀色に輝く眩い光は魔法の兆候だとアイリーンとリーナは気が付いた。そして、今から起こる事を見逃すまいとシエルに眼差しを向ける。
銀光が収まり、シエルはゆっくりと目を開く。その瞳は美しい金色に染まっていた。瞳に神々しい光を宿したままシエルは両手を翳し、傷の具合を探るように横たわる患者の体を調べていく。
「ナイフでの刺し傷が深い。うまく手当しているけど内臓の修復が十分ではないようですね」
診察の結果を小さく声に出しながらシエルは治療を続ける。シエルの右手に集まる金色の光が輝き、まだ血が滲む切り傷に光が吸い込まれていく。その光景にアイリーンは息を飲む。
(これは、魔法なの!?こんな魔法、私は見たことない……)
アイリーンの知らない魔法が傷口を完全に塞ぎ癒していく。患者が時折見せた苦悶の表情は消え、今は穏やかに寝息を立てている。優しく、力強く、美しい魔法に彼女たちは魅入られていた。
シエルは続けてもう一人の部下の治療も素早く終え、セシアの元に向かう。
「シエル殿――」
セシアは、何か言おうとしたが、シエルはそれを手で制した。
「治療の後で話は伺います。――あなたの傷は後遺症が残る程に深かったんですよ」
金色に輝く瞳を向け、そう言って傷口に右手を翳して治療していく。セシアの傷は、全身に及んでおり、肩の切り傷は相当深く、治療が遅ければ危なかったかもしれない。シエルは金色の光を纏い治療を進めていく。
後遺症が残らないようシエルが今できる事をすべてセシアに施した。治療が終わり、セシアは緊張の糸が切れたのかそのまま眠ってしまった。
セシアの治療が終わると、リーナに話し掛ける。
「お待たせしました。彼女たちの治療は終わりましたので、もう魔法を続けなくて大丈夫ですよ」
「……シエルさんは、気が付いていたのね」
「はい、見事な【神聖魔法】ですね。でも、念の為、診させていただきます」
「……ありがとうございます」
リーナに外傷はなかったが、魔力が枯渇して衰弱していた。
重傷者の命を繋ぐために継続する回復魔法【再生】を使い続けた反動だ。傷を癒す魔法は精神と体力の消耗が激しく、長時間使い続けたリーナはとても危険な状態だった。
リーナの診察を終えて彼女の為にシエルは飲み薬の調合を始める。この薬の効き目については折り紙付きだが、ちょっとした問題があった。
「リーナ様、今から飲み薬を調合します。ただ、その薬なんですが……」
「……なんでしょうか?」
「とても、苦いんですよ。きっと吃驚しますよ」
「……」
リーナに合わせた薬を調合する為に、薬品棚にあった試験管を取り出す。その試験管の青い液体にシエルはゆっくりと魔力を込めていく。銀色の光は青い液体に集束して、やがて淡く銀光を放つ無色の液体になった。
「アイリーン様、お手伝いお願いします」
シエルがアイリーンに声をかけた時には、すでにリーナの体を起こし左腕をしっかりと固定していた。
「アイリーン様!?それにガルム様まで!!」
ガルムもそっと右腕を抑えている。二人は優しい笑顔をリーナに向けているが、明らかに楽しんでいる。アイリーンは、裏切られた者に共通する台詞と絶望の表情を浮かべている。
「大丈夫、苦いのは一瞬ですよ……」
「何ですか、シエルさんも笑顔が怖いですよ!」
「さぁ、一気に飲んでください」
「いやぁああああ!!」
リーナの絶叫が空しく響いた工房。そこに満足そうにやり切った表情を浮かべた三人の姿があった。