4 蟲の花園
熱帯雨林系の森の中を、広く背の高い背中を追いながら進む。
「禊さんの頼みなら、断れないしね……」
優しい声はそう言って耳に下がる瑠璃のピアスを揺らした。
ジャングルの中に似つかわしくない、黒いキューブ型の建物が見えてくる。ベランダなどの出っ張りや、逆のくぼんだ形状も無い、完全なキューブ型の家。
「さ、ついたよ。ようこそ、私の家へ」
そう言って宵彦は私を自宅へ招き入れてくれた。
家の中はカジュアルヴィンテージ風なインテリアとなっていて、けどあまり飾らないシンプルさもあった。天井は木漏れ日を模った透かしが施され、その上のガラスから日が差し込んでいて、床に木漏れ日が映し出されていた。天井を見上げていると、
「この天上、素敵だろう? ニヴェのアイデアなんだ。天井がガラスだから、時々溜まった落ち葉を落とさなきゃいけないけど、まぁ暇だし、問題は無いよ」
そう教えてくれた。
家の中は壁は一切なく、天井を遮らない程度に小さな二階があり、壁伝いに階段がある。トイレや風呂はガラス張りで中が丸見えだが、プライバシーは大丈夫なのだろうか……。
「あぁ、トイレね。このスイッチを押すとスモークガラスになるんだ」
そう言って、実際に見せてくれた。少し透けて見えなくも無いが……まぁ、そうまじまじと見る奴はここにはいないだろう。
「えっと……そうだな、まずは好きに過ごしていいよ。あぁ、でも手は触れないようにね。手に取って見たいものがあったら声をかけてね」
宵彦はそう言い、何か作業を始めた。
家の中を少し探索する。家具は黒を基調としたガラスを使ったものが多く、質もかなり良いものばかり。物の数はあまり多くない。飾り棚の上は部屋の雰囲気から少々浮いており、風変わりな置物や写真が多く置かれていた。中には刀の鍔も飾られている。
キッチンはアイランド型で、壁から換気扇が伸びている。壁に直接収納スペースが設けられていて、そこに食器や食品がしまわれている。
部屋の端に地下室への階段を見つける。降りてみると、10畳ほどの部屋に降り立った。洗濯機や掃除用品が置かれている、倉庫のようだ。
一階に戻り、二階を見てみる。二階は8畳ほどの広さで、ベッドやデスクが置かれていた。壁から階段の板が出ていて、金属の手すりが左右にあるが、隙間が多く下が見えるため、足がすくみそうになる。
二階の真下はウォークインクローゼットのようになっていて、衣服が沢山下げられていた。靴もたくさん置かれている。あんなに履く用事はあるのだろうか。昆虫類だから、やはり一度に三足は必要なのだろうか。鍵のかかる黒い引き出しを開けると、時計や宝飾品がたくさん丁寧にしまわれていた。どれも一般人は手にできないような高価なものばかり。その中に、古い懐中時計を見つけた。触れてみようとして、宵彦の言葉を思い出す。キッチンに立つ宵彦の裾を引いた。
「ん、何か見たいものがあるの?」
クローゼットの方に誘い、懐中時計を指さす。
「あぁ、それね。古いから触らせられないけど、6歳の時に姉と兄からもらったんだ。二人が小遣いを出し合って、小学校入学祝いに私と双子の明彦に贈ってくれたんだ」
そう言って引き出しの中に仕舞われていた手袋を出してはめると、
「蓋の内側に私ら兄弟が彫ってあるんだ」
懐中時計の内側に、確かにまだあどけない兄弟4人が刻まれていた。宵彦は手袋も懐中時計も仕舞うと、飾り棚の方に手招き、
「ほら、この写真。大学生くらいの時に撮った写真なんだ。手前の二人が私と明彦、後ろの二人が兄の和彦と姉の薫子、そしてその後ろの二人が父と母だ」
「どんな人だったの?」
「父は厳しい人だったよ。花京院財閥を引っ張る家長でもあったから、仕方ないっちゃそうなんだけど。母は冷たい人だったよ、父とは家絡みで結婚させられたみたいで子供らを嫌ってた。特に姉さんに対しては、父が他所で作ってきた子供で、それも忌み嫌ってた他所だったもんだから物凄く嫌って、嫌がらせもよくしていた……。そんな姉さんは仏のような優しい人でね、私ら弟をとても可愛がってくれていた。少し不器用な所もあって、祝い事の度にスーツや時計を贈ってくれて、おかげでそれらには一切困らなかったんだ。和彦兄さんは姉弟で一番上で、私と9つ離れていた。私と姉さんは6つ離れているんだ。兄さんはとても頭が良くて、少し冷たいところもあったけど、それでも兄さんなりに優しくしてくれようと、勉強を教えてくれたり、遊びに付き合ってくれたんだ」
「みんな元気?」
「姉さんと明彦だけはね。父さんは私が殺した。母さんは老衰。和彦兄さんは父の仕事の最中に敵マフィアにやられ、全身麻痺になり、最後は衰弱死……。姉さんは私の影響で感染者となり、下半身不随になってしまったけど、ほとんど老いずに若々しいまま明彦の家族と暮らしているよ。明彦は私が過去に殺しかけたせいで、細胞の大半を私のものと置き換えたせいで半矛盾状態になり、今も私と変わらず生きているよ」
「それは、幸せなの、不幸なの?」
「父と母はわからないが……姉さんが言うには、兄さんは最後は幸せだったそうだよ。姉さんも、恋人を父に殺され不幸ではあったけど、今は趣味に勤しみながら、明彦の子供の世話もして暮らしているし、何より今まで以上に笑顔が増えた。明彦も花京院の家を継いで、それなりに充実しているようだし。まぁ、生き残っている人らはみんな幸せかな」
「宵彦は?」
「私? 私は――」
そこへチャイムの音が飛んできた。二人で玄関を開けると、白髪の女性が佇んでいた。
「こんにちは、宵彦さん」
「いらっしゃい、ニヴェさん」
ニヴェは嬉しそうに手に持っていた籠を渡すと、私に気付き、
「あれ、ココロちゃん! 遊びに来たの?」
「勉強しに来た」
「そっか、禊さんが言ってた! 私もお邪魔していいかな?」
「構わない」
「ありがとう」
ニヴェは優しく微笑むと、私の頭を撫でて家の中に入った。ニヴェはアークィヴンシャラの土地を管轄してはいないが、主に植物に関して管轄している。
「ココロちゃん、これからお昼作るけど、一緒に作ってみる?」
ニヴェがそう声をかけてくれたので、全身で返事をした。
「よし、じゃあまず……」
手を洗って、台所に食材を並べる。ニンジン、ブロッコリー、玉ねぎなどの野菜と、挽肉、米、卵、小麦粉。
ニヴェに教えてもらいながら野菜の皮をむき、切っていく。料理の手法は心得ているが、実際に手を動かすのは初めてだ。頭では理解していても、体が思うように言う事を聞かず、皮と一緒に食べる部分まで取ってしまう。
「大丈夫、上手だよ」
ニヴェは子供の扱いが慣れている。だが、ニヴェにはまだ子供がいないと聞いている。
「んー、なんでだろうね。そこまで子供は得意ってわけじゃないけど……」
ニヴェは困ったように首を傾げた。
野菜を軽くソテーする。その間に挽肉と材料を混ぜてハンバーグを作る。これは簡単にできた。
「混ぜるだけなら簡単だよね」
二人でハンバーグの形を作っていく。そして空いたフライパンに置き、加熱していく。調味料と言っても、塩や砂糖はあるが、ソースなどの調合された調味料はほとんどないため、幾つもの香辛料を擦り交ぜて使わなければならない。
「結構これが手間だけど、自給自足なのも悪くないと思うよ」
ニヴェはそう言ってハンバーグのソースを作っていく。
そうこうして、ロコモコ丼が完成した。
三人で食卓に着いて頂く。
目玉焼きは半熟で、スプーンを差し込むと黄身が溶け出してハンバーグの上を流れる。ハンバーグは肉汁が溢れ出て、白いご飯に染み込んでいく。野菜もハンバーグもご飯も卵も、全部このひと匙に入れて、口を大きく開けて押し込む。いろんな味がするが、それがちゃんと一つになって口の中に広がる。
「……おいし」
「本当? よかった!」
ニヴェは嬉しそうに手を叩くと、宵彦と笑顔を合わせながら食べ始める。
ハンバーグのソースがまた食欲をさそうから、次から次へとご飯が進んでしまう。気が付けばあっという間にどんぶりの中が空になっていた。少し目を離した隙に食われたのかと思ったほどだ。
宵彦と並んで食器を洗う。
「さて、腹ごしらえもしたし、夕飯を取りに行くか」
宵彦はそう言って、身支度を始めた。と言っても、宝器と籠を持って行くだけ。
ニヴェに見送られ、2人でジャングルの中に入って行く。
「今日は……豆のカレーでもいいな」
宵彦は夕飯の献立を考えながら進む。途中、宵彦に指示されて豆や花、葉などの植物を摘んでいく。ジャングルをそのまま進んでいると、突然宵彦が立ち止まった。何かと思い睨みつける先を見ると、木の隙間から鹿の頭が見えた。宵彦は腰に携えた刀に手を伸ばし、足を開いて腰を落として構えた。そしてそっと前へ進んでいく。数歩進んだところで刀を握り、目にもとまらぬ速さで刀を振った。鹿とはまだ距離があるのに、こんなんで切れるわけがないと思ったが、やはり宝器、鹿の首が落ちて倒れた。
私は鹿の首を持ち、宵彦は胴体を持って家に戻った。そこへ丁度道草を食いにやって来ていた龍が家から出てきた。
「あ、ココロさんじゃないっすか! こんにちはっす!」
こんにちは。
「今日の晩飯は鹿っすか? いいっすね! あ、何なら捌きましょうか?」
「よろしいのですか?」
「鹿くらい簡単っすよ!」
そう言って龍は、腰に携えた大ぶりのナイフで鹿を捌いていく。無駄のない手さばきで、皮は玉ねぎの皮をむくように剥がされていく。体の部位ごとに分解していき、内臓処理もする。食べない部分はジャングルの奥の方に捨てていく。
「ほい、完成っすよ」
肉の塊となった鹿を差し出される。かなり量が減ったように見える。
「家畜と野生の違いっすね。家畜は食うために品種改良されてるから食う部分が多いけど、野生だと生きるのに必要な部分しか無いから、食う側にとっては家畜と比べると少なく感じるんすよね。でも俺ら矛盾は人であれど人では無いから、そういうのを自然に求めちゃいけないっすよ」
そう言いながら、宵彦の手を借りつつ肉をさらに細かくしていく。
暇になった私はふと、足元のカマキリに気が付いた。お腹がやけに膨れていて、すこしフラフラして見えた。手を伸ばして捕まえる。
肉の処理を終えた宵彦が戻って来る。
「宵彦、ちょっと」
「ん、どうした?」
近くに水たまりを見つけ、2人でしゃがみ込む。
「面白いの、見せる」
カマキリのお腹を水に入れる。
「可哀想だよ」
宵彦はそう言って止めようとする。大丈夫、結局こうなる運命だったんだから。するとカマキリのお尻から黒い針金が出てきた。ハリガネムシだ。宵彦の顔をじっと見つめ、
「宵彦の中、ココロでいっぱい」
そう言うと、宵彦は苦笑いをしながら、
「えげつな……」
そう呟いた。私も、宵彦の中に寄生できるのかな。
「やめてね? 私に寄生しようとか思わないでね?」
だめそうだな。
まだ夕飯まで時間があるため、外にハンモックを設置してニヴェと一緒に横になる。宵彦は家の中でやることがあるようで、窓から私たちを見守りつつ作業をしていた。
ふと、体を揺すられて目が覚めた。まだ寝ぼけている頭の頬をぴしゃりと叩いて、ぼんやりと見える明かりを見つめた。
「おはよう、ココロちゃん」
上から声が降って来て見上げると、ニヴェが私の頭を膝にのせて満足そうにこちらを見つめていた。
「晩御飯を作るんだけど、一緒にどう?」
私は深く頷いた。
宵彦とニヴェが鹿肉、米、いくつかの野菜類など食材を持って来る。外で火を焚き、そのそばで食材を切って、バナナの葉に包んで加熱する。まるでジャングルに住む民族の料理の様だった。
「さ、完成だよ」
バナナの葉が開かれ、熱々の料理が現れる。それらに塩コショウなどのシンプルな味付けを、それぞれお好みで加える。
どれもとてもシンプルではあるが、変に凝ったことをしてないおかげで、食材の上手さが最大限引き出されていた。
あっという間に食事が終わってしまい、葉に着いた米を拾い上げて啄んでいた。するとニヴェが私の頭を撫で、
「一粒も残さないなんて、偉いね。ほら、デザートもあるよ」
ココナッツに穴をあけてストローを刺したものを渡して来た。ココナッツを口にするのは初めてで、少し不安ではあったが、思いっ切って吸い上げて見ると、甘いナッツのミルクのような香りと独特な風味が鼻の奥に広がった。ニヴェと宵彦は私の反応を見て嬉しそうに笑った。宵彦は私に果物をいくつか渡すと、
「どうだい、ジャングルの生活は。なかなか楽しいだろう? まぁ、そこまでそうである生活ではないが、それらしい生活ってのも、現代人の私らには丁度いいものだよ。いいんだよ、極めなくても。それが正しいわけじゃない。いかに時間を充実するかが大事なんだよ」
そう言って、皮をむいたオレンジを口に入れてくれた。
ジャングルなもんだから、幼虫でも口にするかと思っていたが、意外と人間らしいものなんだな。
「ところでココロちゃん、幼虫を食べる気はあるかい?」
そう言う宵彦の指の間に、うごめく丸々と太ったミルク色の幼虫がいた。さすがにもう腹は満たされていたから、首を横に振った。