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【ココロの勉強日誌】  作者: ココロ・ニーマフート/作者 字
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2 冷たい嘴と温かい翼

 今日はこの大きな鳥の元で勉強させていただく。

 地上から頭まで50mほど。大きな鷲の嘴と爪と指、水鳥のように長い脚部。真っ白い羽毛に包まれていて、体格はシラサギによく似ている。頭には畳まれた冠羽が後ろに垂れていて、尾羽は孔雀の羽のように煌びやかで大きいものが垂れ下がっていた。オナガドリに似た尾羽もある。とても強そうで美しい鳥だ。

 私を見下ろしていた鳥が羽を広げる。100m以上はありそうだ。強い風が吹いて、鴻の羽が風に飛ばされていく。そして視界が見えないほど舞う羽毛の中から要が姿を現した。

「何用?」

「赫々云々でお勉強する。宝器に伝えた」

 要は手に持つ宝器の如意棒・六覚棍棒を見つめた。

「僕の宝器にまだ聖霊は宿ってないんだけど」

 そうだったのか。

「まぁいいよ。で、何するの?」

「観察」

「それだけ?」

 頷くと、要は大きなため息をついて、

「勝手にして」

 どこかへ歩き出してしまった。急いで後を追いかける。

 要は湖のほとりに来ると、何をするでもなく、地べたに腰を下ろしてただじっと湖を見つめていた。

 そして急に立ち上がったかと思うと、ズボンのすそをまくり上げ、靴を脱ぎ、宝器を持って湖の中へざぶざぶと入って行った。裾が付かない程度の深いところまで行くと、宝器を構えてじっと動かなくなった。瞬きもせず、じっと何かを待っていた。

 数時間は経った頃だろうか。気が付いたら私は眠りかけていて、上空を飛ぶトンビの陰に起こされた。要はどうなっただろう。あれから変化はほとんど見られない。と、次の瞬間。

 余りに一瞬の事で頭が理解に追いついていなかった。気が付けば宝器に串刺しにされた魚が2匹、要に取り上げられるのが見えた。要が魚を持ってやって来る。一体何が起きた?

「ハイ、今日の飯」

 要が魚の一匹を渡す。

「何をしたんですか?」

「魚を待ってただけ」

 要はそう言って靴を履き、右手に宝器、左手に魚を持って歩き出した。まだ腕の中で暴れる生きの良い魚を抱きしめて後を追う。

 要は森の中を抜けるのに邪魔な草を宝器で薙ぎ払いながら進む。その際、振り回した宝器が長く伸びているように見えるのは、目の錯覚か?

「宝器が何?」

 要が横顔を向けて私に話しかけた。

「宝器、振ると長さが変わる……」

「変わるよ、如意棒だから」

 そう言って要は宝器を見せる。宝器の石は少し光ったかと思うと、見る見るうちに細く小さなり、針よりかは太い大きさになってしまった。

「インダストリアル」

「いん……?」

「軟骨ピアスだよ」

 そう言って宝器を耳のピアス穴に刺した。痛くは……無いのだと思う。

 しばらく歩き、森の向こうにトロッコが見えてくる。要は宝器を耳から外し、本来の大きさに戻すとトロッコに接続した。私がトロッコの荷台に乗って出発を待っていると、どこからか要を呼ぶ若い女の声が聞こえた。

 腰まであるようなツインテールをなびかせながらやって来たのは、ノートによると美友だ。

「要さん、お昼は食べましたかっ?」

 美友は要の腕に抱き着きながら訪ねた。

「いや、まだだよ」

 要はにこやかに答える。

「なら、これから一緒にどうですか? 私、グラタンの作り方覚えて……!」

「ごめん、僕、これからお昼だから」

 要が笑顔で言うと、美友は豆鉄砲を食らったような顔をし、

「いや、だから、お昼……」

「それじゃ、コテージに戻るから」

 固まった美友の手を笑顔で腕から外し、要はトロッコを動かして颯爽とその場を離れていく。遠くなっていく美友の姿を、私は荷台からこっそり見つめた。

「冷たい」

 男声のくせに冷たすぎる。

「僕、誰かと食事って嫌いなんだよね。食事中は話しかけられたくないし、見られるのも嫌だし」

 要は背を向けたまま言った。

 トロッコに揺られ小一時間、森は白い雪に包まれ始め、空気が凍り始める。襟巻でも持ってくればよかったかも。トロッコから降りる際、要が手を貸してくれた。その際に首に巻かれたスカーフに目が留まる。温かそうだな……。

「ちゃんと付いて来てね。はぐれても探したくないから」

 冷たい。

 一面とにかく真っ白で、遠くの方に黒い森の頭が見えるだけ。はぐれたら、どうなるんだろう。ふと、雪の向こうに煙が立ち上っているのが見えた。徐々に煙の下の煙突が頭を覗かせ、屋根も見えてきた。ここまで30分は歩いたのか。目の前に大きなコテージが立ちはだかる。窓の数から4階まであるのだろうか、屋上らしき部分も見受ける。

「ねぇ、早く入ってよ」

 要がコテージの玄関を開けたまま呼ぶ。

「家の中が冷えるじゃん」

 私は急いでコテージに入る。途端、凍るほど冷えていた肌に家内の温かさが触れ、氷が解けていく気がした。玄関で靴を脱いでスリッパを履く。

「僕の住処、仮だけど。来客用に何部屋かあるから、好きに使って。その他は僕かアイツに聞いて」

 そう言って要が指さすソファーを見ると、黒髪の大男が顔の上に本を置いて横になっていた。何者……。

「七罪の聖霊・怠惰の額学護」

 要はコートを脱ぎながら言った。実態を持つ聖霊は始めて見たかも。禊からもらったノートには、彼はロシア出身と書いてある。ロシア人……にしては、日本人臭い顔立ち。ただ背がとても高い。189㎝、大きい。

「ねぇ、リクエストは?」

 後ろから要の声がして振り返る。リクエスト?

「お昼ご飯、食べたいものとかある?」

 料理の知識はほとんど無いから、何を答えればいいのかわからない……。

「じゃあ何でもいいね」

 そう言うと要は護肩を揺すり起こした。

「ねぇ、お腹空いた。ご飯まだ?」

「うぅ~……やめろ、現実に連れ戻すなァ……」

 護は手を振り払って寝返りを打つ。

「いいから、ねぇ早く!」

 護の頭を叩く。

「わぁあぁ、分かったから! もう……」

 護は手で顔を覆いながらゆっくり起き上がると、けだるそうに背中を丸めてどこかへ行った。

「できたら呼ぶから、好きにして」

 要はそう言うと、スカーフを外しながらどこかへ行ってしまった。

 とりあえず、ここはロビーと言ったところだろうか。玄関から入って目の前に大きな暖炉があって、その周りにいくつかソファーが置かれている。ロビーの端に階段があり、そこから螺旋状に上へ上がっていける。上の階は個室が並んでいて、一部屋一部屋が大きい。全部ダブルベッドだ。一番上の4階に行くと、吹き抜けになっていてロビーが見下ろせられた。その反対側から屋上に出て、辺り一面の雪景色が一望できる。氷を含んだ空気とコテージの木の香りが肺の中を満たす。

「ねぇー、窓開けないでよ」

 下のロビーから要の声がして、窓を閉めて下に降りる。ふと、ハーブとガーリックの香ばしい香りが漂ってきた。要の顔を見ると、目くばせで奥の部屋を示す。匂いをたどってロビーの向こうの廊下を進むと、食堂がドアを開けて待っていた。甘くて香ばしい香りがより一層強くなる。

 食堂に長い机が一つ置いてあって、隅に椅子が重ねて何個も置かれていた。要が椅子を2つ持って来る。

「ハイ、座って」

 促されるままお尻を落とす。食堂の奥からエプロン姿の護が現れ、大きめのプレートを一つ目の前に置いた。

「えーっと、とりあえずある物だけで作ったけど、レシピだとムニエルだって」

 魚の白い身に薄い衣が着せられており、朱い実が散らばるバジルのソースがかかっていた。

「切り分けようか?」

 護がナイフを持って私を見る。頷くと、ゆっくりとした動作なのに手際よく料理を食べやすいように切り分けてくれた。

 料理を持った要が私の前に座る。すると横に護も現れ、それぞれ勝手に食事を始めた。私も皿の横に置かれたフォークを持ち、

「いただきます」

 切り分けられたムニエルの一切れにフォークを刺した。出来立てで熱々のムニエルは口の中を素早く温め、むしろ火傷しそうなほどだった。それでも味わいたくて口の中に空気を送り込みながら噛んでいく。何の魚かはわからないけど、大きな魚だった。皮は分厚いけれど、鱗が剥がされた皮は分厚い分歯ごたえがあってもちもちしていた。身は柔らかくしっかりと重い筋肉をしていた。何より、鼻の奥まで広がるバジルの風味が良い。焦がしガーリックが食欲をそそる。

 気が付けばあっという間にムニエルが皿から消えていた。物足りない。

「パン、あるから。ソースをつけながら食べな」

 護がテーブル上のバスケットからロールパンを渡した。護の動作を真似るようにパンをちぎって、皿のソースを拭うように食べていく。パンの甘味とソースの相性がより優しい味わいを引き出す。

 一通り食べ終わり、未だムニエルを食べている要を観察する。白くて長いまつ毛を伏せて、一言もしゃべらず食事をする。随分食べるのが遅い、口に合わなかったのだろうか。一口が意外にも小さい。だが咀嚼の回数が少なく、すぐ飲み込んでしまう。消化不良を起こさないのだろうか。

「……だから嫌だって言ったの」

 要はフォークとナイフを置いて私を見た。そして空になった皿を護に差し出し、

「おかわり」

「もう無ぇよ……」

「じゃ別の出して」

 護は迷惑そうな顔をするが、要に睨まれて渋々台所へ消えていく。しばらくすると瓶詰を抱えて持ってきた。中には漬物が詰まっていて、要は頬杖をついてピクルスをかじる。ポリポリと軽い音が続く。

 ピクルスの何個かを食べ終わると、要はフォークを置いて席を立った。どこへ行くんだろう。

 要は着ていた服を脱ぎ、下着一枚になり、屋上へ上がっていき、屋上に出ていく。寒くないの? そしてしばらく空を見つめていると、急に両手を広げた。そしてあっという間に鴻に姿を変え、空の向こうに飛んで行ってしまった。ほんの数秒の出来事で、追いかける事も掴まることも出来なかった。大きな羽が上から数枚舞い落ちるのを眺める事しかできなかった。

 することも無く暇だから、護と毛皮を作ったりして時間を潰した。ウサギの毛皮を剥いだり、捌いたりもした。

 丁度ロビーの柱時計が6回ほど鳴った頃、玄関の音がした。ロビーの方に行くと、全身雪塗れで羽に包まれた要が立っていた。駆け寄ると、手に持っていた十数羽の鳥を渡された。鳥はどれもぐったりしていて動かない。

「血抜きしてあるから」

 要はそう言って速足で風呂場の方に向かった。

「今日は鳥鍋だな」

 頭上から護の声がして見上げる。抱えていた鳥を両手でつかみ、護は台所に消えていった。

 床に落ちて溶けた雪を拭いたり、廊下に落ちてる羽を拾っているうちに、夕食ができたと呼ばれて食堂の方へ走って行った。

 テーブルの真ん中に土鍋が置かれ、昼と同じように席について鍋を覗く。磯の香りがする。

「出汁、禊が作ったやつだよ」

 護は少し嬉しそうにそう言い、お椀に具をよそって私の前に置いた。側に置いてあったフォークで、薄黄色のスープに浸った鶏肉を刺して、少し息を吹きかけて冷ましてから口に入れる。柔らかくてほろほろの鶏肉が口の中で崩れる。何より、出汁の優しい味と奥深い味わいが味覚の奥まで染み渡る。

「……おいひい……」

 口からあふれるため息まで美味しく感じる。

「ネギも食べるんだよ」

 護がぶつ切りのネギをお椀に入れてくれた。ネギの甘味が口の中にとろける。美味しい。護は料理上手だ。これはどこかの郷土料理なのか?

「これは、ロシアの料理なの?」

「いや、日本のだよ」

 護が鍋をつつきながら言った。

「出汁は日本特有の味付け。禊が一番得意」

 護は料理の話をするとき、眉間のしわが薄くなる。

 一通り食事も終わり、ロビーでくつろいでいると、要に風呂に入るように言われた。とりあえず持ってきた着替えの下着を持って風呂場に向かう。壁も湯船も木でできていて、不思議なハーブのような、でも少し違う香りが漂っていた。大きな風呂場は、一人で入るには少し寒い気がした。

 風呂から上がり部屋に戻ると、吸い寄せられるようにベッドに倒れた。ふかふかのベッドが私を包む。いい香り。ゆっくりと微睡の中に引き込まれていく。ゆっくり、ゆっくりと眠りの海へ沈んでいく。

 ――どれくらい時間が経ったのか、はたまたほんの数分の事だったんだろうか。体が冷たくて目が覚めた。けれど瞼は重く開く気配がない。寒い。寂しい。

 ふと、骨まで冷たくなっていた肩が、じんわりと温かくなっていくのが分かった。誰かが毛布を掛けてくれたのだろうか。朝になったら礼を言わなくちゃ。

 私の速い鼓動とは別に、ゆっくりとした鼓動と深い吐息が聞こえた。誰かいるの? 瞼は軽く、一切の重みを感じず開いた。何だろう、布団が重い。でもこの柔らかい触り心地、どこかで触ったことある。それと、寝る前と別の匂いがする。ラベンダー?

 手を伸ばして探ってみる。何だろう、温かくてゆっくり動く何かがある。硬い部分もある。とにかく目の前に何かがあるせいで、これが何なのかわからない。距離を置くためにそれを押して離れ、ようやく何なのか判断できた。

 腕だけ矛盾化させ、羽で私を包んでいた要。

 でも何でこんなところにいるんだ。他人に対してとても冷たい態度をとる人なのに、なんで私を抱きしめて寝ているんだろう。寂しかったのか?

 冷えた部屋の空気が私の背中を撫でる。心の中に吹いて、酷く体の内側が空っぽになったような寂しさを感じた。寒い。また元居た通りに要の腕の中に入ると、その温かさが心の中を満たした。

 お母さんって、こんな感じなのかな。

 ふと、そんな考えが頭の中をよぎった。気にしなければよかったものの、つい気になってその事について考えてしまった。考えなければよかった。何でこんなに、胸が苦しいんだろう。体の中が空っぽになって、心が握りしめられるように小さく小さく圧縮されていく。どうして私だけ、どうして。涙が止まらなかった。悲しいって感情はまだわからないけど、きっとこれが寂しいって感情なんだと思う。私に親はいない。家族はいない。独りぼっちだ。

「――随分、わがままだね……」

 空っぽの体の中に低い声が響いた。小さな声だったけど、今の私にはとても響いて聞こえた。

「僕がここにいても、君は独りぼっちだって言うの?」

 要の翼爪が私の頭をくすぐるように撫でた。

「随分贅沢な奴だな」

 冷たい。けれど、その冷たさは妙に心地よかった。


 軽い瞼は跳ねるように開いた。何のしがらみも無かったように、朝日を目に映した。昨晩のような温かさはもう無く、私の体温だけがベッドに残っていた。ふと、手に握られていた羽に気付いた。

「よくある夢だよ」

 ロビーでお茶を飲む要に昨晩の話をしたが、そう言われて畳まれてしまった。

「女の子は大変だね」

 私の頭を軽く叩くように撫で、コートを着てコテージを出て行った。

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