02「お弁当どころじゃない」
「自信満々に引き受けるものですから、てっきり、何か秘策でもあるのかと思ったんですけど、いささか所長のことを買いかぶりすぎていたようですね」
「文句を言わないでくれよ、ラッセル。俺だって、シティー内に、これだけの数の製薬メーカーがあるとは思わなかったんだ」
ザラザラした薄い紙に印刷された業界別電話帳を横に置きながら、ラッセルとオリバーは赤いマーカーを片手に、ローテーブルの上に広げたシティーの住宅地図へ点を打っていた。
そこへ、控え目にコンコンと扉をノックする音が聞こえる。すりガラスの向こうには、タヌキ耳の小さな人影が映っている。
「ジャッキーたちでは無いですよね。今日は、アポイントメントは無いはずですけど?」
「俺に訊くなよ。誰か知りたい気持ちは、同じだ。――どうぞ。開いてるよ!」
オリバーが扉に向かって陽気に呼びかけると、ギイッと軋む音を立てながら、どことなくラッセルに似たティーンエイジャーと思しき少女が事務所に入る。そして、ラッセルの姿を認めた少女は、無言のままツカツカと一直線にラッセルへと近付き、手に持ったペイズリー柄のバンダナ包みを押し付けながら不機嫌そうにボソッと言う。
「忘れ物」
「わざわざ届けに来てくれて、どうも。しかし、ロージー。挨拶くらいしたら、どうなんだ?」
「うるさい。受験勉強の手を休めて来てあげただけでも、ありがたがってよね」
「はいはい、ご苦労さま。とっとと帰りなさい」
バンダナ包みを持って自席に移動しながら、ラッセルが冷たく少女をあしらうと、帰ろうとした少女の背中に向かって、オリバーが呼び止める。
「まぁまぁ、そう急ぎなさんな、ロージーちゃん」
ロージーと呼ばれた少女は、足を止めて踵を返すと、オリバーを爪先から耳先までつぶさに観察したあと、ぶっきらぼうに言う。
「私は、ローザ。ローザ・キンバリー。あなたは?」
「あぁ、そっか。この前にラッセルの家に行ったときは、会わなかったんだな。俺は、オリバー。オリバー・オズワルドだ。よろしくな、ローザ」
「……よろしく」
ソファーから立ち上がったオリバーが、爽やかな笑顔で片手を差し出すと、ローザはチラッとラッセルのほうを一瞥してから、訝しげにその手を握った。
オリバーは、その手を握り返して軽くシェイクしてから離すと、ラッセルのほうを見ながら言う。
「同じ妹でも、小太りのスピード狂たちと違って、すいぶん大人しい子だな」
「キャシーなら、ビリーの迎えを頼んでるから来ませんよ。――目の下に隈があるけど、頑張りすぎて試験前に倒れないようにしなさい」
「余計なお世話よ」
「ロージー。僕は、家族として君の体調を心配してだな」
「そこまでにしろよ、ラッセル。気掛かりなのは分かるけど、そう問いつめてやるなって」
再び火花を散らしはじめた兄妹を、オリバーがあいだに立って仲裁しながら言うと、オリバーは、ふと何かを思い付いた様子でローザに訊ねる。
「なぁ、ローザ。学校で、眠気が覚めるとか、頭が冴えるとかいう薬の噂を耳にしたことは無いか?」
オリバーの出し抜けの質問に、ローザは数秒ほど考えたあと、思い当たるフシが見付かった様子で言う。
「あぁ、アレね」
「知ってるのか、ロージー? まさか、買って飲んでるんじゃないだろうな」
そう言いながらローザに詰め寄ろうとするラッセルを、オリバーが片腕を踏切の遮断機のように上げて制止すると、ローザは鬱陶しそうに顔を顰めながら、気だるげに説明を始める。
「これを飲めば勉強が捗るっていう宣伝で、怪しい白い錠剤を売ってる人がいるって噂が流れてるだけよ。だけど、その薬はとっても高価だから、ハイスクール生徒じゃなくてパブリックスクール生徒がターゲットらしいわ。――それじゃあ、今度こそ家に帰るから」
これで満足か、とでも言いたげにローザが話を切り上げて立ち去ると、オリバーとラッセルは顔を見合わせ、どちらからともなく静かに頷いた。