01「悪魔の囁き」
「これで良いかな、ジャクリーヌお嬢さん」
「わ~い。大切にしますね、ヴィクターさん!」
ソファーに座るオオカミ耳の青年が、独特なハスキーボイスでサインを書いた色紙を渡すと、受け取ったジャッキーは、ピョンピョンと跳ね回り、デタラメな喜びの舞を披露した。
「厚かましく、落ち着きのない奴だな。依頼のために、わざわざニット帽とサングラスで変装して来たというのに」
「まぁまぁ。あの年頃でミーハーなのは、結構なことじゃない。――嬉しい気持ちは伝わったから、そろそろ席に座りましょうね、ジャッキー」
「あっ、はい!」
メアリーがやんわりと注意すると、ジャッキーはラッセルに勝ち誇った様子で得意満面の笑みを見せつつ、自席に戻る。
オリバーは、ジャッキーが落ち着いたのを見計らってから、小さく咳払いをして話を切り出す。
「すみませんね、騒々しくて」
「いえいえ。活気があって良いですよ。それに、ファンサービスは有名税のうちですから」
「ハハッ。そうですか。――さて。今日は、どういった依頼で来たのかな、絶対零度の貴公子くん」
「やめてくださいよ、オリバーさん。今日は、アイドル歌手として来たわけじゃないんですから」
オリバーの軽口を営業スマイルで軽く受け流すと、ヴィクター青年は、スッと真面目な顔つきになって話しはじめる。
「最近、芸能界に黒い噂が蔓延ってましてね」
「タレコミなら、保安署の知人を紹介してやるけど?」
「いえ。それが、裏で保安官が一枚噛んでるから見逃されてるという話もありまして」
「ほぉ。そいつは、穏便じゃないな」
「えぇ。なので、出来れば内密にお調べいただきたくて」
「なるほどな」
オリバーは、腕を組んでソファーの背に持たれ、グラスの水をひと口飲みながら思案を巡らせると、ひと呼吸置いてから腕を解いて話を促す。
「その噂、詳しく聞かせてもらえるかな?」
「はい。これは、芸能界や歌謡界に限った話ではないと思うんですけど、人気の座には限りがありますから、日夜、その小さなパイを巡って、明に暗に熾烈な競争が繰り広げられてるんです」
「華やかなにみえる世界にも、その舞台裏ではドロドロとした血腥い攻防が行われてるってわけだな?」
「そうです。世紀の大スターが、たった一つのゴシップで失墜して姿を消すことも珍しいことではありません。けど、最近、その陰に白い薬の存在があるとの噂が、まことしやかに流れてまして」
「黒い噂に、白い薬?」
「えぇ」
ヴィクターは、そこで一旦区切ってグラスの水を口に含むと、充分に喉を潤してから話を続ける。
「なんでも、その薬を服用すると、信じられないほどの幸福が舞い込んでくるとか何とか」
「引き換えに魂を持って行かれそうなくらい、きな臭い話だな」
「まぁ、僕も含めて、たいていの歌手は怪しがってますよ。でも、落ち目の歌手の中には、血眼になって手に入れようとしてる人も居るらしくて」
「わからなくもないな。それで、その薬についての情報は、ただ白いというだけなのか?」
「あっ、いえ。見た目は風邪薬と同じような錠剤で、水無しで噛んで服用するそうです」
「ふ~ん。どこで売ってるとか、どんな人が売ってるとかいう情報は?」
「そこまでは、何とも。ただ、心から欲しいと強く念じていると、自然と入手することが出来るという話です。これ以上は、僕は何も知りません」
「どうも。それにしても、いよいよオカルトじみてきたな」
オリバーが顎に手を当て、人差し指で下唇をなぞっていると、ラッセルが口を挟む。
「そんな雲を掴むような依頼、引き受けて大丈夫ですか?」
「他に依頼も無いんだ。答えは決まってるだろう。――引き受けるから、安心しろ」
「ありがとうございます」
「フフッ。面白くなってきましたね」
「そうね、ジャッキー」
背後で、ラッセルがやれやれとばかりにため息を吐き、ジャッキーとメアリーが微笑み合っている中で、ヴィクターとオリバーは立ち上がり、商談成立の握手を交わした。