さぁ逃げましょう今すぐ逃げましょう。です
「うぃ〜おい姉ちゃん!じゃんじゃん酒持ってきてくれ!アレフから聞いたがここはどれだけ飲み食いしても俺らはタダなんだろ?げへへっ、俺だけでこの店終わらしてやるぜ〜!」
店に響く品の欠片も無い大声、その主は半ば予想通り、我らが駄馬「マスター」だった。元から不細工な面を酒精の過剰摂取によってよりひん曲げ、真っ赤に染め上げて座敷に寝転がっていた
その巨躯っぷりはやはりとんでもない物で、こう横になられるとそれなりに広いはずのこの部屋も四分の一は占められている気がする。そしてそんなマスターの愚行に最も辟易し、且つ迷惑被っていたのは他の誰でも無く店の人間らである。特にシラフでも女癖の悪いマスターは酒が入ってより面倒な悪絡みを店の遊女らにぶちかましていた
厨房の人間は朝夕で入れ替わりなので朝方いつも通り出勤してきた者から以前から言われていた知恵の守護者らがやってきて、事は「開始」された。という事は知っていた。故に遊郭の人間はどうするべきか迷った、こんな馬鹿みたいにデカい馬を捕らえるなんて素人の自分らには難しいだろうし、かと言って見過ごす訳にもいかない……さて、自分らはどうするべきか
結局選ばれたのは、「保留」という物。またの名を他人任せ、である。願いが届いたのかどうやら殿様や知恵の守護者らがここへ向かってきているらしい
実に有難い。これ以上多くは望まないから是非とも早く来てこのクソ馬を引き取って欲しい、さもなくば本当に店の食べ物が根こそぎ持ってかれてしまう
「どうしたぁ!客の言う事が聞けねぇのか、こらぁ!!」
「は、はいただいまぁ!」
おかげで店の中はここ数日忙しなさを極めつつあった。当初こそ馬の所望によりこの店を貸切にしたのは良いとして、「開始」を宣言された今日この日を持ってこの駄馬をもてなす必要は無くなったわけだが、この駄馬どれだけ図太いのか店の、遊女らの雰囲気が剣呑な物になっているのに毛ほども気付かない。おかげで、イマイチ店側も引っ込み付きにくくなってしまった。この駄馬がデカくて強そうというのも加味しているが、根本的に店内で飲み食いする者を客扱いしてしまうのがクセづいてしまっている。良店の弊害と言う奴だろうか
さて、そんな訳で馬一匹にてんやわんやとなった店内、大部屋にいる遊女らはふと、一つの襖が少し開いた事など気付く事は出来なかった。たとえ気付いたとしても、きっと何も見えやしなかっただろう。まさか、今その瞬間大泥棒が部屋に忍び込んだなどとは
夢にも思わなかった事だろう
(どうだマナ、これが潜入って奴だ案外チョロいだろ?)
(す、すっごいドキドキする……!)
以前はオオエドの宝具であり、現在はアレフの所有物である通称「隠れ蓑」。それなりのサイズがあるので大人一人子供一人の計二人が入る事も容易い。
魔法のような代物だが、残念ながらアレフもマナもこれの原理は知らない、何故これを頭から被るだけで姿を消せるのか、その上内側から外が見えるのか……まぁ、その辺はまとめて後にサシャへ問うてみよう。それより今は
(居やがったな駄馬野郎……よりにもよって俺とコーガが飲んだ酒の席かよ。アイツのくせに良いチョイスしてるな)
(ちょっとパパ!それより、どうやっておうまさんをつれてくかでしょ。ちゃんとかんがえてよねー?)
娘に注意されてしまった。これ以上は機嫌を損ねられないので上がったテンションを無理やり腹の底に押し込んでサッサと動かないといけない
どの道、遅かれ早かれコーガらもここへ来るだろう。それまでに何とかデカいハンディキャップを手に入れないと
(と言っても、普通に声を掛けても多分言う事聞かねえだろうしな……仮に俺らの名前を大声で言いやがったらこの隠れ蓑も意味を無くしちまうし……)
(それ、どういうこと……?いみをなくすって、みえちゃうようになるの?)
(あぁいや……うーん、説明が難しいから、それはまた今度にしよう。それよりアイツだ。取り敢えずあそこから動かさないと)
二人はすり足で襖からマスターの背後に忍び寄り、そのデカさを再認識した後今度は東部付近へ回り込んでみる
(……パパ、ちょっとまかせて)
(お、おう)
「おうまさん、おうまさん。きこえますかおうまさん。たすけてください、みんながおうまさんをひつようとしています。どうかはやくたすけにきてください、おねがいします(小声)」
「あぁん!?おい女共、貴様ら何か言ったか?……言ってないのか、じゃあ空耳か。随分と耳に馴染む空耳だった」
そらみみじゃないよ〜!とマナは唇を噛んで地団駄を踏んでいる。いやしかし、確かにマナの声なら俺より幾ばくか素直になってくれるかもしれない。
アレフが目配せすると、マナは二回戦と言わんばかりに気合を入れ、布越しに小さな口をマスターの耳元に近付ける
「みんなおうまさんをひつようとしています。おうまさんがいないとパ……アレフもなにもできないし、サシャもリリもさみしがっているよ。マナだっておうまさんにあいたがってるし、だから。おねがい、このへやからでよ?」
「んぁ?まただ、なんだこれ。偉く聞き覚えのある声じゃねぇか!あ、さてはこれ!空耳じゃなくて神のお告げって奴だな。だから何か助けろとかお願いとか言ってんだな!」
うん、違う。違うけどマスターは勢いよく立ち上がり、近くで怯えたような表情を浮かべている遊女をニンマリ笑顔で目配せし
「ちょっと小便!」
と、一言言って粗暴な振る舞いで襖をぶち破り部屋を後にしてしまった。部屋に残ったのは半端な静寂と、アレフの忍び笑いのみ
(ナ、ナイスだマナ……やっぱマスターは駄馬だな。あそこまで馬鹿な奴はそう居ないだろうよ)
(……はぁ。)
珍しいマナの嘆息にまたアレフは口の中で笑いを噛み殺す。部屋がとたんに静かになってしまったので下手に喋って感づかれても困るので、二人もマスターを追って部屋を後にした
本当に神のお告げだと思っているらしいその馬は、トイレまで行かずその道中、比較的人目の少ない所で静かに佇んでいた。まさか、本当はアレフらに気付いていたというのだろうか
「お、お、おえぇぇぇぇぇえ………た、立ちくらみで吐き気が……おえぇぇ。」
これにはマナも絶句。見慣れているアレフは大して気にした様子も見せないまま、隠れ蓑から体を出してマナを一人残しマスターへと近付いていった
「おい駄馬、帰るぞ。知恵の守護者が来やがった」
「うぇ、え?アレフじゃあねぇか。何の用だこの野郎ぉ……知恵の守護者?」
「そう、知恵の守護者だ。それも「ボス」が。覚えてるだろ」
吐いて少々落ち着いたのか、赤みの薄らいだ顔でマスターは暫し思案する。そして「あぁ〜」と分かりやすく察した素振りを見せた
「そりゃ不味いなぁ、て事はアイツらもここに来るのか?お前が居るって事はよ」
「そうだ、因みにアイツらが来るのはお前がここで暴れてたからだぜ。アレは酷い、逃げる前に一言謝らせたい所だ」
と、その時……遊郭の玄関、アレフらの居る所からそれなりに近い距離にあるそこから突如大きな破壊音が響いた
(噂をすれば何とやら、か)
「邪ァ魔するぞこらァッ!!」
「店の者は居るか、ここにアレフ一派の仲間が居ると聞いたのだがそれは真か」
遂に、いや「やっと」か?やっと来てしまった。知恵の守護者「ボス」、「フーガ」そしてオオエドの主「コーガ」後はえーと……そう忍びの奴だ。名前は忘れた
奴らが来た。ならばサッサと事を済ましてしまわねば、店の者に謝罪をさせたかった所だがそんな猶予も無さそうだ
「んで、どうやって逃げんだ?それに何かさっき神のお告げが聞こえたんだけどよ……」
「アレはマナがやった。あ、マナ、こっちに来ておけ」
アレフはパッと背後を、そしてマナの居る方向を「正確」に当てて指示を出す
そりゃマナが大してそこから動いていなかったと言うのも一因なのかもしれないが、それにしても「見えない」はずのマナの位置、何故それを言い当てれたのか
「あ、隠れ蓑使ってんのか。成程な……んで、逃げ道は?」
「これを使う」
そう言ってアレフが背中の小袋から取り出したのは魔法でサイズを小さく圧縮した「荷台」だった。それをアレフは地面に放り、小さく呪文を唱えてサイズを元に戻す。通路がとても広いのでそれでも余裕がある、が果たしてこれでどうやって逃げるというのか
マスターはそれを素早く察し、無言で荷台の中に駆け込んだ。アレフはマナにも中に入れと手で促す
「え、え?」
「良いから、信じて入れ。その隠れ蓑はちょっとの間大切に持っといてくれよ」
アレフは戸惑うマナを隠れ蓑ごと抱き上げ、荷台の中に立たせる
「後は任せろ」
マナは見た。父のその果敢な笑みを
その後ろ、通路の曲がり口から異様にデカくて怖い「大男」が現れたのを……
▶▶▶
「ねぇリリ、私不思議に思う事があるの。聞いてくれない」
「良いですよ、でも急に歌い出したりはしないで下さいね?」
「もう歌わないわよ〜、それでね、思ったんだけどこの街の人ら、切り替え早くない?」
キョトン、その時リリが浮かべていた表情を一言で表すならそんな感じだろう。しかし構わずサシャは続ける
「だって昨日の今日であんなに目の色変えれる?お金の力って言うのは分かるけど、にしても急すぎると思うのよね
だって十数年前の出来事や恨み辛みなんて人は余っ程じゃない限り覚えてないでしょ?それこそあんまり関係の無い城下町の一般人なんてさ」
「あ、あのつまり、サシャさんは誰かが無理やり動かしてる……と、そう言いたい訳ですね」
半ば無理やり、相槌を打つだけではちゃんと聞いてるのか、と怒られるので適当な質問をしていくのがサシャを相手にする時の正解なのだが、この質問は本当に無理やり捻り出した物だ。だが、偶然にもそれは核心を付いていて
サシャの頬を綻ばせ、より上機嫌にさせる事となってしまうのだった
「集団心理操作、マインドコントロール……いわゆる催眠術、魔法の使えない者達が頭を捻って出した一つの技術
うふふっ、この街面白いわね。私の予想が合ってたらだけど、きっとまだ何か隠し事があるわ」
「隠し事、ですか?」
「えぇ……ま、ここに居る間は関係無いわね。私喋り疲れたしちょっと仮眠するわ。何かあったら起こしてね」
「え、えぇ!?今ですか?」
何処までもひたすらサシャに振り回されるリリは、次第にふつふつと怒りの念が沸き上がってきた。そしてその矛先は眼前でスヤスヤと眠るサシャにではなく、今も何処かを奔走しているであろうアレフへと向けられる
(帰ってきたら何故こんなに遅くなったのか問いたださなくっちゃ……!!)
リリがそう頭の中で思った時、遠くで微かに背筋が寒くなるアレフなのでした。続く




