流した涙は炎となりて、です。
地面が揺れている。
マナは目を覚まし、真っ先に思ったのはそんな事だった
記憶は何故だかぼんやりとしている
確か自分はチヒロという名の水を操る自分よか滅法強い魔法使い相手に喧嘩をけしかけていたはずだけど…………あれ、そもそもなんで喧嘩なんてしてたんだっけ
「ん、起きたのか……おはよう、マナ」
「おはよ、パパ……」
目は覚めているのに何故か不自然な程に釈然としない。見渡すと自分は今いつもの荷台にこれまたいつも通り敷かれた毛布に横になっていたらしい。隣では未だサシャが穏やかな寝顔で眠りについていた。もちろん毛布を必要以上にくるまって
父も、マスターも黙っている。いやまぁマスターは馬なので喋らない方が普通ならしいけど。にしても不自然だと思わず疑ってしまうくらいにはその黙り具合不自然だった
それに何だか「少ない」気がする
何が?と聞かれると困るのだが、何故かそんな気がするのだ。眠りにつくまではこの荷台の中がもう少し狭く感じていたはず、本当に、何でだろう
そうだ
「ねぇパパ」
「どうした?」
「なにかさ、すくなくない?わかんないけど…………ねぇ、パパ?なんでかな」
────────、返事が返ってこない。何でだろう、何時もなら間髪入れずに答えてくれるか、それが無くても考えるために頭を悩ます仕草くらい見せてくれるはずなのに。今日は何も無い、これで疑わない方がおかしいだろう
マナは立ち上がり、剥いだ毛布をサシャへ被せてやってから荷台の頭に腰掛けて依然前を向く父の隣へ寄りかかるように座り込む。それに父は多少驚いた様子を見せるがすぐに元通りの無表情へと戻る
これは案外手強いかもしれない
(だったら……!)
マナは咄嗟に視線を前方へと移した。そこに居るのはこれまた黙りこくって静かに前へと歩を進めるマスターの後ろ姿がある。父は無理でも優しいお馬さんならワンチャンスあるかもしれない
「ねぇーおうまさーん?」
「俺は何も知らねぇ。し、知らねぇぞ」
うん、嘘が下手すぎる。絶対何か知ってるし何かあったんだ、マナは確信した。そして彼女は一度気になるときちんと最後まで追求しないと仕様がなくなるタチなので、少し言葉を選ぶために一度口を閉ざした
(ふつーにきいてもしらんぷりされるだろうし……あっ、じゃあ「アレ」をしてみよう)
「ねぇパパ、おうまさん。ききたいんだけど……なんで「ひとり」すくないの?」
ビクリ。それはもう、目を瞑って気配だけでも感づけそうなくらい一人と一頭は狼狽して肩を竦ませた。一瞬にして寒空の元額に冷や汗を噴き出させているその姿は自分の確信全てが全て当たっていた事の裏付けになる
マナは咄嗟に思いついた「カマかけ」が上手い事いって思わず得意げに笑ってしまった
対照的にアレフは微妙な表情を浮かべたままマスターを繋ぐ手網をギュッと握り締めた。その手に嫌な汗がじっとりと浮かんでいた事は最早当人すら気付く事が出来ない状況にあった
それほどまでに彼は動揺し、逡巡していたのだ。まさか起き抜けの娘にここまで弄ばれるとは思ってもいなかった
というか「記憶」はどうなっている?
チヒロは確かに記憶を消したと言っていた……ミスったのか?また?もしくは嘘をつかれた?だとしたらそれを見抜けないこっちが悪いのだが、仮にも(元)泥棒足る自分がそれに気付かないとは思えない。何せ特技の一つに目で他人の感情を読み取る事を人前で自負しているのだからそれ相応に自信もある
そこもまた魔法なのだろうか?だとしたら言い訳も出来るが……そもそも嘘をつかれたとは決まってもない。必要以上に事を疑うと事実が見えなくなるというのは先人の言葉だがよく言ったものだと心から思う
さて、一頻り関係ない物思いに耽り気の済むまで現実から逃避していたアレフは、自分の横に可愛らしく座るこの自慢の娘が向ける期待の視線を受けて現実に帰る。その上、回答すらせがまれている気がして居た堪れない気持ちでいっぱいになる
何せこの事実を伝えたらこの子は間違いなく傷付く。いや、或いは記憶から完全に消えていて例え今説明しても何一つ理解できない、という線も無くはない
(…………仕方ない、か)
比較的大きめの溜め息を一つ、アレフは腹を括って口を開いた
「リリが帰ったんだ。自分の世界に」
少女の感情の機微は時に忙しなく、そしてそれは顔によく表れる。この時のマナもまた例に漏れずそれまでの楽しげな笑みから一転、呆気に取られて口をあんぐりと開けてそのまま固まってしまった
「あーあ、やっちゃったー」
というマスターの言葉すらも誰一人返事は無く、冬の夜に見合った冷たい空気に溶けて消えていった。そんな中現在アレフは頬を掻いて不味ったかと内心後悔していた
チヒロはマナとサシャを水の魔法の一つである水蒸気を使って瞬間的に窒息させ、体に害が出ないように意識を失わせた後、実に気持ち良さげに眠る二人の頭から先ずリリに関する「記憶」を引っこ抜いた。文字通り記憶を手に掴める個体として頭部から引っ張り抜いたのだ
そしてそれを霧散させ、記憶の消滅は完遂という訳だ。これは水の魔法とはまた違う特殊なものらしい、知識に関してはそこらの魔法使いよか上のサシャに感づかれないよう無駄に複雑な工程を踏んでの事らしいが、傍から見ている分にはとても簡単そうに見えた。
そして、それからゆっくりとリリを元の世界へと戻す為の転移を進めていった。チヒロ曰く今日は団子屋の主人と女将に直接許可を貰って一日休暇にしてもらっているらしく、存分に時間を使って工程を進めた
その間、リリは実に落ち着いていた。
事ある事にドジを踏み、驚き、慌てていたあの一見情けなさ気の少女はこの別れ際になってまた新しい表情を見せてきた。三角座りで魔法陣上に座り込み、何度かアレフ相手に暇潰しがてら話しかけるぐらいで後は黙って木々に阻まれる青空を見上げていた
その空気感に耐えきれなかったアレフが遂に自分から口を開いてしまった。
「なぁリリ、その……寂しくは……ないのか?」
「あははっ、なにそれ!寂しいに決まってるでしょーがー!」
顔と言葉が一致してないぞ?という言葉をアレフはすんでの所で飲み込んだ
あまりにもこの場に相応しくない言葉選びに思えて、頬を掻く事で何とか誤魔化した。その代わり咄嗟に口から出たのは
「だったら……居たら良いじゃないか」
なんて、幼稚で無茶な要求だった。自覚もしている。この言葉が決して叶う事の無いものだという事も、どれだけ彼女を困らせるモノなのかも
アレフの予想通り、そんな言葉を受けた彼女は俯き、曖昧な笑みを浮かべ
少し間を開けて彼に言った
「出来るなら、そうしたいですよ」
とうとう、アレフはその言葉に気の利いたモノを返す事が出来なかった
▶▶▶
チヒロの言う「空の裂け目」とは即ち時空の歪みが目に見える状態に入っている、という事を表しているらしく
それを放置していたらいずれ空は完全に裂け、そこから異形の魔物が現れてこの世の全てを一息に飲み込んで時空の向こう側へ去っていく……と、そんな伝説が残っている、らしい
もしこれがそこらの道行く吟遊詩人の言葉だったら、なんだその戯れ言。酒のツマミにも成りやしない、と笑い飛ばせただろうが……残念ながら相手は3000年この世を生き永らえた大魔法使い
嘘っぽい話をさせたら右に出る者は居ないんじゃないかと思える程に彼女の話しぶりは信ぴょう性抜群だった
チヒロは言った
「元はと言えば私のミスで起きた事ですし、後処理はこっちで何とかします。けど…………記憶というのは案外何かの拍子に戻ってきてしまうモノです。充分注意して下さい、それがきっとお互いの為になりますから」
そう真面目くさった表情でこれまた真面目くさった事を言うあの大魔法使いは恐らくこの時からある程度察していたのだろう。きっと、眠ったこの子達のどっちかは簡単に思い出すだろうと
居なくなった家族の事を、別れの言葉すらなく大切な人が居なくなる寂しさを
そして、チヒロはその予想を見事当てた。
見る見るうちにマナの目に涙が浮かんでくる。それはすぐに流れ落ちるのでは無く、段々と溜まっていく。思わずアレフは身構えてしまった、が彼が自らの耳を塞ぐより早く、マナの哀しみが……爆発した
その日、冬の夜空に珍しい「下から上への」炎の流星群が沢山流れ、見る者の心を存分に魅了した。それがある一人の少女が放った、悲壮の炎だとは誰一人として考えもしなかった、とさ
続く




