7.二人の時間
私とレイモンドの婚約は、何の問題もなく無事に成立した。
父は泣いて喜び、母は小躍りして浮かれていた。侍女のサラも上機嫌でいつも以上に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
婚約でこの調子なら、結婚する時には大変な騒ぎになりそうだ。多少心配な気もするが、皆が喜んでくれる事はとても嬉しかった。
それにしても、今日はとても暑い。
私の庭ではひまわりが咲き始め、畑ではとうもろこしがもうすぐ収穫できそうだ。
「ソフィー」
レイモンドの声が聞こえる。
「ソフィー、会いたかった」
レイモンドにギュッと抱きしめられると、体にビリビリっという軽い電流が走る。
昨日も……っというか毎日会っているのに、まるで久しぶりに会うかのようなこの態度。相変わらずレイモンドは甘々で照れてしまう。
「今日はソフィーにお土産を持ってきたんだ」
レイモンドは大きな箱を私にくれた。
何かしら?
ワクワクしながら開けてみる。
「あら、これって……」
「ソフィーが大好きみたいだからね。我が家の料理人に頼んでたくさん作ってもらって来たんだ」
箱の中にはくるみパンが入っていた。焼き立てなのか、箱からは甘さを含んだ香ばしい香りがたちのぼってくる。
サラにお茶の準備をしてもらって、パンをパクリ。
「ん~、美味しい」
外はカリッと香ばしく、中はしっとり甘くてふわふわだ。大きなくるみがゴロゴロ入ってるのもいい。あっという間に、ペロリと一つ平らげてしまった。
「夢中で食べてるソフィーもかわいいね」
レイモンドがニコニコしながら「もう一つどうぞ」と、私の皿にパンをのせた。
どうしよう……美味しいから食べてしまいたい。でも……
「これはお昼に食べようかな」
「えっ!? ソフィー、具合でも悪いのかい?」
レイモンドがものすごく心配そうな顔で私の顔をのぞきこんでくる。
少食だと心配されるって……
めちゃくちゃ食い意地はってると思われてるみたいだ。思わず苦笑してしまう。
「元気だから大丈夫よ。ただ少し食べる量を減らそうかと思って……」
そう!! レイモンドとの婚約を機に、私はダイエットすると決めたのだ。
「なんで痩せようなんて思うだい? ソフィーはそのままで世界一かわいいのに」
いやいや、世界一は言い過ぎだろっとは思うが、褒められて悪い気はしない。
「結婚式でどんなドレスでも着れるようにしておきたくて…… 」
これが全てではないが、これも本心だ。
一番の理由は、普段は超優秀な補正下着によって隠されているお腹の贅肉を、結婚前に少しでも落としておきたいからだ。
結婚したらレイモンドに裸を見られちゃう事もあるんだもの。できるだけ綺麗になっておきたいのが女心だ。もちろんこんな理由、レイモンドには言えやしない。
私から結婚という言葉が出たからか、レイモンドは上機嫌だ。
「結婚するのが待ちきれないよ」
そう言って私の手を優しく握る。
結婚はいつになるのだろう?
手続きがあるから少し時間がかかるのだろうか?
半年くらいあれば……
贅肉ともおさらばできるのではないかと期待している。
「そう言えば……アルフレッド様が求婚されたと聞いたんだけど、結婚するのかな?」
アルフレッドは、先日の夜会に国賓として来ていたジョアンナ王女に一目惚れされたらしい。
「まだ詳しくは決まってないみたいだよ。ジョアンナ王女と結婚するとあちらの国へ行かなくてはいけないからね。色々決めかねてるみたいだ」
アルフレッドは王立騎士団の第一団長だ。ただの団長ではなく、レイモンド達のような小団長のトップでもある。簡単に他国に出ていける立場ではない。
「気になるのかい?」
レイモンドが探るような目で私を見た。
「ええ。もちろん気になるわ」
「ふ~ん……気になるんだ……」
なんとなくレイモンドの様子が変だ。
あれ? もしかして……またやきもち?
「だってアルフレッド様はレイのお兄様じゃない。私達が結婚したら、いずれ私のお義兄様にもなるわけだし……」
レイモンドにヤキモチをやかれるのは、正直悪い気はしない。だってそれだけ私が愛されてるって事だし。
でも相手がアルフレッドだと話は別だ。やはり兄弟は仲良くあってほしいし、私とアルフレッドの間には何もあるわけがないことを信じてほしい。
「お義兄様か……」
レイモンドがポツリと呟いた。
「そうだね。私達が結婚したらそうなるんだね」
何となくほっとしたような声でレイモンドが言った。
よかった。何とかやきもちは回避できたみたいだ。
でもなぜアルフレッドに対してそんなにやきもちを妬く必要があるのだろう?
「レイは私とアルフレッド様が仲良くするのは嫌なの?」
今後のために聞いてみる。
「……」
レイモンドはしばし無言で、何やら考えているようだ。
「やっぱり嫌だな」
少しの沈黙の後、はっきりとそう言った。
やっぱり嫌なのか……
「呆れてるかい?」
弱々しく笑いながら聞かれると、返事に困ってしまう。
「ソフィーも知っての通り、兄はあんな感じだから……いつかソフィーも兄の方がよかったと思うんじゃないかと心配なんだ……」
向かいあって座っていたレイモンドが立ち上がり、私の横に移動した。私の左手にレイモンドの右手が重なる。
「……ごめんね」
レイモンドの声からは、悲しみが伝わってくる。
なんだそれ。私のレイモンドへの気持ちはそんなに簡単に変わったりしないのに……
そう思いながらも、相手があのアルフレッドならば、レイモンドが心配するのも無理はないような気持ちにもなる。完璧すぎる兄を持つ、レイモンドならではの悩みもあるのかもしれない。
仕方ないなぁ……
いつもより弱々しいレイモンドがたまらなく愛おしい。
「大丈夫よ。私はレイが大好きなんだから」
夕方になり涼しい風が吹き始めた。2人で手を繋いで私の庭を散歩する。レイモンドと過ごす、こんな穏やかな時間が私はとても好きだ。
「本当はね……ソフィーは兄と婚約するはずだったんだよ」
ゆっくりと歩きながら、レイモンドは私とアルフレッドの関係を異常に気にする理由を語り始めた。
アルフレッドと婚約か……ずいぶん懐かしい話だ。
「知っていたのかい?」
驚かない私を見て、レイモンドの方が驚いたようだ。
ええ、知っていたわ。
もう10年も前のことだけれど、はっきりと覚えている。なんてったって、アルフレッドから私とは結婚したくないって言われたんだから……
アルフレッドと婚約する。
その話を聞いたのはアルフレッド本人からだった。
「ソフィアの方から断ってほしい」
自分からは断れないからと、アルフレッドはそう言ってきた。
ずいぶん勝手なことを言ってくれるものだ。私だって断れるはずがないのに。
父が決め、王が承認してしまえば、いくら私が嫌だと言っても決定は覆ることはない。
しかも相手は数多くの女性から言い寄られているアルフレッドだ。そのアルフレッドを私の方から断ったなんて皆に知られたら。世間で何と言われるか分かったものではない。悔しいけれど、私の方からアルフレッドは嫌だと言える立場にはない。
「私と婚約できない理由を聞いてもいいですか?」
アルフレッドのことが特別好きではなかったが、断られるのは悔しかった。断られる理由くらい聞かせてもらってもいいはずだ。
「ソフィアがダメなのではなく、今は誰とも結婚したくないだけだよ」
「アルフレッド様のお立場でしたら、結婚は避けられないのでは?」
「……そうかもしれないね……」
困った様な顔でアルフレッドは笑った。
「結婚が避けられないのは、私も同じです。それなら私でもよくありませんか?」
「それはそうだけど……ソフィアとだけは、結婚したくないんだ」
こうもきっぱりと拒絶されると、特別好きではなくともやっぱり傷ついてしまう。
「まぁ。私はずいぶん嫌われてるんですね」
「決して嫌いではないんだが……」
少しトゲのある言い方をしたせいか、アルフレッドは慌てている。普段女性達に囲まれている時とは大違いだ。
「では、アルフレッド様には誰かお好きな方がいらっしゃるのですか?」
当たりか……
答えはなくとも顔を見れば一発で分かる。
「その方と婚約したいとおっしゃればいいのに……」
そうすれば何の問題もなくこの婚約話はなくなるに違いない。アルフレッドならばどの令嬢だって選び放題だ。
「それはできない」
さっきまでの焦った態度とは違い、はっきりと言い切った。
「なぜですか?」
「……自分はそれを言える立場にはないから……」
私を見つめるアルフレッドの表情は切なかった。
そっか……そういう事なのね……
それは難しいかもしれない。
私はアルフレッドに何も言えなかった。
「兄の想い人がイザベラ王女!?」
私の思い出話を聞いていたレイモンドが驚いた声を出した。
「私はそう思ってるわ」
アルフレッドが簡単に求婚できない相手なんて他に思い浮かばない。
「そのことイザベラ王女には?」
「アルフレッド様が大切に隠している気持ちを、私が勝手に伝える事なんてできないわ」
「そうだね……」
レイモンドが納得したように頷いた。
「イザベラ王女の気持ちは分からないけど、私はあの二人が仲良くなってくれたら嬉しいと思ってるのよ」
だからレイモンドが私とアルフレッドの関係を気にする必要なんてないのだ。
先程まで普通に繋がれていたレイモンドの手が緩み、指が絡まってくる。ギュッと程よい力で手を握られてドキッとする。
「私とアルフレッド様の婚約がなくなって本当によかった。これもきっと10年前、レイが私を好きになってくれたおかげね」
「……やっぱりソフィーには敵わないな……」
強い風がヒューと吹き抜け、レイモンドの呟きがうまく聞き取れなかった。
「今何か……んっ……」
言わなかった? っと聞く前に唇をふさがれてしまう。
瞳を閉じてレイモンドの熱いキスを受け入れる。私を抱きしめる大きな腕の中で、レイモンドの溢れるほどの愛情を感じるのだった。




