1.求婚は突然に
「ソフィア様、ずっとあなたをお慕いしていました。私と結婚してくれませんか?」
チョコレート色の美しい瞳が熱を帯びて私を見つめている。あまりに急なプロポーズだった。
どういうこと?本当に急すぎて、うれしいと言うより何故? という気持ちで私の頭の中は軽いパニック状態だ。
冷静になろうと周りを見ると、両親が手を取り合って喜んでいる。その横では侍女のサラが涙をぬぐいながら同様に喜んでいる。
どうして誰も不思議に思わないの?
どう見ても彼と私はつりあわない!
「ソフィア様?」
何も言えずに固まってしまった私を見て、目の前の男性が優しく声をかける。
目が離せなくなるほど魅力的な笑顔をむけられると、無意識にYESと言ってしまいそうだった。
彼の名前は、レイモンド ブルースター。
ひきこまれるような澄んだチョコレート色の瞳は上品で美しく、短く刈られた漆黒の髪は、日に焼けた肌にとてもよく似合う。
マリスティール王国第五騎士団の団長を任されている彼は、すらっと細身なのに肩幅が広くてたくましい。
これだけの容姿に加え能力もあるレイモンドだ。彼に憧れる女性は多く、たくさんの名家から娘の相手にと申し入れがあったはずだ。
それなのになぜ私に求婚を? 確かに私は侯爵家の娘で容姿もそこそこ良い方だと自覚してるけど……
私じゃ絶対、彼につりあわない。
だって彼は若すぎるもの。
レイモンドは18歳。この年で騎士団の団長まで登りつめた者は今までにいない。このことが彼の人気を一層すごいものにしていた。
一方私、ソフィア キャロットリーは24歳。レイモンドよりも6つ年上だ。家柄はいいが、この年まで結婚も婚約もしていないため、何か問題があるのでは? と世間で噂されている。
「ありがとうございます。ただあまりに急なお話なので……」
どの様に断るのが自然なのか分からない。求愛された経験のない私にはこれだけ言うのが精一杯だ。
何となくその気持ちが伝わったのだろう。レイモンドは淋しそうに笑った。
「急すぎたかもしれませんね。では2人きりでお話するところから始めませんか?」
まずは自分のことを知ってほしいとレイモンドは言った。話くらいならと快くオッケーする。
二人でゆっくり話せる様にと、サラが私のお気に入りのガーデンにお茶の支度をしてくれる。
「とても気持ちの良い日ですね」
「本当に。爽やかな風が心地よいですわ」
二人で向かいあい、温かい紅茶を飲む。
「そうだ。これ、お土産に持って来たんでした」
レイモンドはそう言って小さな箱を出した。
「ありがとうございます。あけてもいいですか?」
「もちろんです」
中には白と茶色の、かわいいハート型のクッキーが入っていた。
「ナッツの入ったお菓子が好きだとお聞きしたので、街で人気の店に寄ってきました」
「おいしい」
細かく砕いたクルミやピーナッツがたくさん入って、ザクザク感がたまらない。
もう一枚。
今度は茶色のクッキーにも手を伸ばして口に入れる。うん。このココア味もめちゃくちゃおいしい。
もう一枚食べようかと思っていると、嬉しそうに笑っているレイモンドと目があった。
「やっと笑顔が見れましたね」
「えっ?」
「さっきまで難しそうな顔してたから」
レイモンドが目を細めて柔らかく笑った。
「考えこんでいる顔もかわいかったですけど、やっぱり私はあなたの笑顔が好きですね」
かわいい!?
かわいいなんて、初めて男性に言われちゃった。顔がかっと赤くなるのを感じ、慌ててうつむいた。
「あの……レイモンド様?」
「何ですか?」
「レイモンド様はどうしてわたくしのことを……」
「好きなのですか?」っと、はっきり口に出すのは恥ずかしくて言い淀んでしまう。
レイモンドはお茶を飲む手をとめた。
「少し歩きませんか?」
紫陽花の綺麗なレンガ路を二人で並んで歩く。
「私があなたに初めて会ったのは10年前です」
「10年前?」
ということは、私が14歳の時か。当時のことを思い出してみるが、レイモンドに会った記憶は全くなかった。
「ごめんなさい。思い出せなくて……」
正直に言うとレイモンドはふっと笑った。
「仕方ないことです」
「どこでお会いしたのでしょうか?」
「王立学園で。私は10年前、あなたと剣の手合わせをして負けました」
剣の手合わせ……
そんなこと侯爵令嬢の私がするはずが……あっ!!
すっと血の気がひくのを感じた。
そんな私の様子を見て、レイモンドがクスクス笑っている。
「思い……出しました」
そう……たった一度、たった一度だけ剣を持ったことがある。確かあれは10年前。私の中にもう一つの記憶が復活した時だ。
もう一つの記憶というのが正しい言い方なのかどうかは分からない。けれど私にはソフィアとしての記憶以外に、日本人として生きた記憶もある。
記憶が突然戻ったのは10年前の14歳、入浴中にうたた寝をして軽く溺れてしまった後で、侍女のサラにくどい程注意されている時だった。
「それにしても、あなたがあの時の少年だったなんて……」
紫陽花の小径を抜け、ラベンダー畑まで来ていた。花畑の中にあるベンチに二人並んで腰掛ける。濃い紫が一面に広がっていてとても美しい。
「私が素敵になっていたんで驚きましたか?」
レイモンドがイタズラっぽい顔で私の顔を覗き込んだ。
今までよりも近い距離で見つめられて、胸がトクンと大きな音をたてる。顔が赤くなっているのを悟られたくなくてそっと視線をはずす。
「ほ、本当に驚きましたわ。その年で団長になったんですもの。ものすごく努力をされたのでしょうね」
「ご褒美にあなたが手に入るのなら、これくらいの努力は当然のことです」
熱を帯びたレイモンドの瞳が私を見つめている。
「……ご褒美ですか?」
「国王、それにあなたのご両親と約束していたのです。あなたにふさわしくなったと皆を納得させることができたら、あなたとの結婚を認めてくれると」
いつの間にそんな約束をしていたのか。全く気がつかなかった。レイモンドの求婚を急だと思ったのは私だけだったようだ。
だからあんなに喜んでいたのね。
手をとりあっていた両親を思い出す。
「驚きましたわ。いつそんなお約束をしたのですか?」
「10年前です。私があなたを好きだと知られてしまった時に、私からお願いしました」
そんなに昔から私の事を想ってくれていたなんて驚きだ。好きになってもらえる要素が思い付かないので不思議でたまらない。
「今まであなたに求婚してくる者が誰一人いないことを疑問に思いませんでしたか?」
「それは……」
あまりに誰からも言い寄られないので、侯爵令嬢という肩書きにつられてくる男性がいてもいいのに……と思ったことはある。
それでも誰からも求められないのは、前世の記憶のせいで普通の令嬢と少し感覚がずれているからだろう。そう思っていた。
「私があなたのご両親に頼んだんです。私があなたにふさわしくなる前に、他の男に奪われてしまってはたまらない」
この10年間、他の方から私への婚約の申し込みは数多くあったとレイモンドは教えてくれた。それを私に知らせず父は断っていたのだ。
なんだ。私って、全然モテないわけじゃなかったんだ。
よかったと非常に安心した。24歳にもなって、男性を引きつける色気も出てこないのかと、密かに心配していたのだ。
「皆に認められるまで10年もかかってしまいました」
楽しそうに話すレイモンドは何て素敵なのだろう。初めての求婚者がこれではレベルが高すぎる。
私だけ何も知らなかったのは腹立たしいが、この10年、レイモンドが私のために頑張ってきたのだと思うと胸がいっぱいになる。
「あなたの隣に立つために頑張ってきました。どうか私を受け入れてくださいませんか?」
レイモンドは熱く燃えるような瞳で私を見て、私の髪にそっと口づけた。