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エリオットはその日のうちに顔を出した。
夕方を過ぎ、夜という時間を幾分か過ぎてもほとんどの職員が退勤せず、昼と変わらずばたばたと皆が忙しなく動く回っている中、
「アルタさん!エリオット様が来てますよ」
そう同僚に声をかけられ顔をあげると昼間暴言を吐いた相手が部屋の入り口にぽつんと立っていた。
めずらしく騎士団の制服ではなく、ここ数ヶ月は見ることがなかった私服姿だ。
「あんたもう3日も帰ってないんだから今日は帰ったらー?」
それを見てコーデリアが何を思ったか人のかばんを手に取ると押し付けて来る。
それを聞いた室長も「おー帰れ帰れー流石に3日も同じ服着てるのは女としてどうかと思うぞー」と助け舟なのかなんなのかこちらを見ずに書類に凄い速さで文字を書きながらもう片方で追い払うように手をふる。
この男なんて失礼なの。
「ちゃんとシャワーも浴びてますし着替えてます!」
とんだ風評被害を受けながら大きな声で訂正するとコーデリアからひったくるように鞄を奪い、上着をきる。
自分こそ鳥の巣のようにボサボサの頭をしながらなんてことを言うのだ。
「室長こそ2日はシャワー浴びてないの知ってますよ。親父臭がします」
「えー室長きたなーい。加齢臭〜」
「なっ!身体は洗ってる!臭くない!」
後ろで何か言っている室長を無視してふんっと入り口へと顔を向けると大きな身体を心なしか縮こまらせていつもより所在なさげに立っているエリオットは自分の身体を1人ふんふんと嗅いでいた。
「…何してんの」
「えっ?いや、俺は昨日ちゃんとシャワー浴びたからな!」
「私だって浴びてるわよ!」
まったくなんだというのだ。どいつもこいつも。
エリオットを置いてどすどすと先に歩き出すと後ろから「違う!室長のことだ!」と言い訳をしながら慌ててついてきた。
いつもは隣を歩くくせに今日は半歩後ろでもじもじしているエリオットをくるりと振り向くと、アルタはなるべくいつも通りの声音を努めてエリオットに声をかける。
「ちょっと行きたいところがあるんだけど」
そう言ってやってきたのは王宮を出て街を抜け、歩いて30分ほどの丘の上だ。
馬や馬車を使うほど遠くもなく、街を見下ろす位置にあるこの場所は昼間は家族連れやカップルの人気スポットだがもう夕食の時間が過ぎ夜も遅くなると一気に人気がなくなる。
特にこれから冬に向かう今の季節ではこの時間は肌寒いから余計だろう。
「はぁ、はぁはぁ…ちょっと、ここ、こんなに、坂きつかった…?」
「おまえ…完全に運動不足だな。おぶってやろうか?」
「くぅ…!」
普段から肉体労働の筆頭職業である筋肉だるまと一緒にしないで頂きたい。こちらは7年デスクワーク漬けなのだ。徹夜する体力はついても筋肉は正直だった。アルタは10代の頃を思い出し、20代になってからというもの自分がいかに不健康な生活をしてたか今、全身で思い知っているところだ。さらにいえばここ数日まともな睡眠をとっていないのもあるだろう。いやそのせいなはずだ。
本気でおぶろうとしているのか周りをうろちょろしながら覗き込んでくるエリオットをなんとか退け、なけなしのプライドを総動員させてやっと1番上まで辿り着くとベンチにべたーと寝そべる。大人としておんぶを回避出来たのはいいがアルタの体力は限界であった。
「もう少し運動した方がいいと思うぞ。健康のために」
「うっ…普段はここまでじゃないのよ…」
魔物のことが活発になる前は王都にあるマーテス家の別邸で乗馬をよくさせてもらっていたが、侯爵がまったく王都へ帰ってこれなくなり、オルガランが都を立ってからというものそれどころではなくなってしまった。
アルタ自身の仕事も忙しくなり、さらに忙しくしているエリオットともなかなか休みが被ることがなくなった。王都の邸宅にはエリオットの母と侯爵を継ぐ予定の弟とその奥さんがいるのでお互い時間が合えば夕食に顔を出してるがどうしても仕事終わりになるので乗馬は出来ない。
ただそろそろそうも言っていられない。
エリオットはアルタが寝転がっている隣のベンチに座りガサゴソ途中で買ってきたハンバーガーや、ポテト、エールを次々に出していく。
アルタもそれを見てガバッと起き上がると目を輝かせた。
「何から食べる?」
「ふっ愚問だな。これに決まってるだろう!」
そうして高く掲げたのは袋に入った串焼きだ。
「最高ー!世界一の男前!センスの塊だわ!」
ぱちぱちと手を鳴らしながらエリオットを褒めまくると鼻の下を擦りながらへへっと照れたエリオットは大きなポットに入れてもらったエールをカップに注いでくれる。
「それじゃおつかれー!かんぱーい」
簡易的なコップに入ったエールを軽く合わせて一気に喉に流し込む。外気は寒いけれどここまで歩いてきて温まった体には冷えたエールがちょうどよかった。
「うまいな。ここのエールは初めてだが飲みやすい」
一気に飲み干して空になったコップを見ながらなにやら感心しているエリオットを横目に、アルタも全部を飲み干した。
エリオットは意を決したように深呼吸するとコップを脇に置き、アルタへと向き直る。アルタが言葉を発するよりも前にエリオットはがばっと勢いよく頭を下げると口を開いた。
「討伐隊のこと、黙っててすまん!」
「なんで言ってくれなかったの?」
「別に隠しているわけじゃなかったが、その、タイミングが掴めず…」
顔を上げ、頭の後ろを掻きながらもごもごと話すエリオットにアルタは思わずムッと口を尖らす。
「毎日顔合わせてたんだからいくらでも言う機会あったでしょう」
「そんな世間話のついでのような流れじゃなくて、改めて時間を作って話そうと思ってたんだ。兄上の代わりに行くのだからきっと長期になる。数ヶ月やそこらじゃ帰らないと思う」
そう言ってアルタを見る目がまっすぐすぎて思わず目を逸らしてしまった。手元の空のコップを見ながら自分の幼稚さが改めて恥ずかしくなった。
わかっていた。エリオットが薄情なはずはない。毎日毎日自分も忙しいのに人の心配をして時間をつくってはアルタの様子を見に来る男だ。まぁ、それでも出発2週間前までアルタが知らないと思っていたのはポンコツすぎるが。
「王都の家は兄上が帰ってくるから問題はないと思う。しばらく騎士団には復帰出来ないみたいだけどまったく動けないわけじゃないみたいだ。
おそらく兄上が回復しても戦況が大幅に悪くならない限りは俺が向こうにいると思う。…たぶん父上や兄上みたいによほどのことがない限り俺が王都に戻ってくるのが難しくなる」
「うん」
「まぁ騎士団自体はたかだか小隊長の俺がいるより副団長の兄上が王都にいる方がいいしな」
エリオットの顔が見れず、ただじっとコップを持つ手を見つめていた。自分はこんなに臆病だっただろうかとエリオットの声を聞きながらアルタは考えていた。
エリオットに出会って20年。ずっと一緒にいた訳でもない。そもそも年にひと月しか会わない間柄であったし、2年会わなかった時期もある。頻度でいうなら領地で一緒に育った子供達の方がよほど過ごした時間は長かった。
それが王都に来てからは気づけば仕事以外のほとんどをエリオットと過ごしている気がする。
いつからだろうか。友人のうちの1人から特別になったのは。
いつからだろうか、こんなに近くにいたのは。
コップをもつアルタの手をひと回りも二回りも大きな両手が包んだ。毛穴も見当たらないつるつるな顔と違ってごつごつして沢山の傷跡がある、剣を持つ手だ。人を、守るための手だ。
その暖かさに釣られる様に顔を上げた。
きらきらきらきら
翡翠のような鮮やかな緑の瞳の中を街から漏れ出る灯りが反射して溢れ出しそうだ。まだたきもせず、その瞳に吸い寄せられるように目が離せない。
エリオットは一瞬、迷うようにその宝石を彷徨わせたと思うとアルタの手を握る手に力を込めた。
「帰ってきたら俺と結婚して欲しい」
「え…?」
「え?」
…え?帰ってきたら?
至近距離でお互い顔を見合わせたまま首を傾げる。エリオットも釣られて首を傾げた。
「帰ってきたらって、魔物を討伐して帰ってきたらってこと?」
「え、うん。流石にそんな危険な場所にお前を連れてけないだろ?母上だって弟達だってこっちにいるし。王都の方が安全だ」
「あんたさっき何年かかるかわからないって言ってなかった?しかも頻繁に帰って来れないって」
「それはそうだろう。おれは一応騎士団代表としていく訳だからそう頻繁に王都に帰ってきたら示しがつかないだろ?」
「それを、私に待ってろってこと?いつ帰って来るかもわからないあんたを何年も?1人王都で?」
「…?」
何を言われているかわかっていないのか疑問符を頭に飛ばしながら首を傾げるエリオットから勢いよく手を引き抜く。
「な、なんだ!」
握っていた手を引っこ抜かれ、昼間のデジャブのように勢いよく立ち上がったアルタを気圧されながら見上げるエリオットの横に置いてあるポットをガッと掴んだ。
そのまま蓋をあけると中に残っていたエールをコップに移し替えることなくそのままあおり、ごっごっごっと喉を鳴らしながら止まることなく飲み干した。その間も動かずその暴挙を見ていたエリオットはプルプルと心なしか震えている。
「エリー!エリオット・マーテス!」
「はいっ」
ポットを置き、目の座ったアルタはエリオットの顔を勢いよく両手で包むとまるで号令をとるかのような勇ましさでエリオットを呼ぶ。
「あなたが私を好きだっていうなら今すぐ!私と!結婚しなさい!」
「はいっ!…え?」
ぽかんと見上げるエリオットの顔を見下ろしながらアルタはふふっと笑った。
「私は1人王都で何年も待つのなんてやだ。絶対やだ」
「いや、でも、あっちは魔物だって出るし…」
顔を真っ赤にしながらしどろもどろになるエリオットが愉快でどうしても笑いが漏れてしまう。おそらくこれは酔っ払っているのだと自分で自覚しながらエリオットの額に自分の額を当てた。
「ねぇ、私が最近なんの研究してるか知ってる?」
「も、森で発見された、ま、魔道具の…」
きらきらきらきら
羞恥で涙目になっているエリオットの瞳を間近で覗き込む。アルタの顔が近すぎて街の明かりは先ほどよりも入り込まないけれどカーテンのように2人の顔を覆ったアルタの赤毛の隙間から漏れる光が涙に反射する。
真っ赤なエリオットの耳をするりと撫でるとびくりと跳ねるエリーが愉快で愉快で仕方ない!
「そうよ。あのね、私は守られるだけじゃやなの。私にも守らせてよ、エリー」
そう言って、エリオットの形のいい唇に自分の唇を押し当てたところでアルタの意識はブラックアウトした。