第47話 アハ・イシュケの黒い球
ボクは見張り台から目を凝らした。
見える! 見えるぞ!
ボクにも敵が見えるッ!
…
見えませんでした。
そりゃ、前から海賊船の様なモノが来るのなら見えるけどさ…
ちょいーん。
そんな擬音語が欲しい今日この頃であるのだが、それでもボクは前方を凝視した。
そう言えば、“新しい魔眼”は今までと何か変わったのだろうか?
“以前の魔眼”は魔力が込められた罠を見ることが出来た。
少し試してみようか。
ボクは一度瞼を閉じ、魔眼を発動させた。
ボクの目が紅く変化した。
その状態でもう一度目を凝らしてみた。
前方、少し遠い所の海面。
何やら渦を巻いているように見える。
あれが潮の流れ、というやつか?
だがあの渦巻は通常では無いようだ。
「ローズさん! まだ少し遠くだけど渦が見える!」
ボクは下の方にいたローズに向けて叫んだ。
「何ですって!?」
ボクの呼びかけを受け、ローズが少し高い所に上がり双眼鏡を手にした。
ローズがその方向を見た。
「なるほど、少し異常な潮流ですね。潮流を回避する! 面舵!」
ローズの号令で操舵手が舵を左に切った。
その他の船員も警戒態勢に移行する。
ボクは再び渦の方を見た。
船は確かに渦を回避する方向に頭を向けている。
だが遠ざかるどころか、徐々に引き寄せられている感じだ。
「ローズさん! 少しずつ引き寄せられています!」
「その様ですね…」
ローズが表情を曇らせた。
腕を組み考え込んでいるような感じだ。
「あれは…?」
ボクは渦の中心に何やら黒い影を見つけた。
それは馬の頭の様だった。
だが何故そんなものが海の中に?
「馬だ! 渦の中心に馬の様なものが見える!」
「馬ですか!? なるほど、あの渦を生み出しているのはアハ・イシュケの様ですね。」
アハ・イシュケというのは海棲魔獣である。
幻獣に分類される事もある。
通常であれば海岸線や塩水湖の畔に現れ、岸辺の草を食んで近くに人間がやって来るのを待っている。
そして誘いに乗り背中に跨った人間を海中に引きずり込み食べてしまう恐ろしい魔獣である。
それだけでも恐ろしいのだが、あれはその比では無い。
大渦を生み出して往来する船を丸ごと引き込もうと言うのだろうか?
「ふむ、あれは一筋縄では行かなそうです。」
ローズが髪紐を外し、後ろに束ねていた髪(触手?)を解いた。
そしてゆっくりと船首の方に歩いていく。
「総員戦闘配置。海棲兵5名前へ、私を援護しろ。」
ローズの命令を受け、5名の船員が前に出た。
どうやらその5名は人化していた魚人だったらしい。
鋭い銛を手にし、“本来の姿”へ戻って行く。
「リディさん、私達はアハ・イシュケを撃退しに行ってきます。船の操舵については船員に任せておけば大丈夫ですが、念の為見張りの継続をお願いします。」
「えっと、あれ、結構強そうだけど援護しなくても大丈夫ですか?」
アハ・イシュケからはそれなりに強い魔力が感じられた。
ローズ達だけで大丈夫だろうか?
「ご心配には及びません。私達は陸の上ではそれ程強くありませんが、ここは海。私達のフィールドですよ。」
ローズはそう言うと、部下の魚人達を海の中へ飛び込んでいった。
ボクは目でその行方を追った。
なるほど、ローズはその言に違わず海流に負けないほどの速度でアハ・イシュケに接近していった。
バシャァァァ!
渦の中心に近くで水柱が上がった。
ゴェェェェ!
アハ・イシュケの怒声の様な叫び声が響いた。
あれは何だろう?
ローズが攻撃魔法を使えない筈だから、あの水柱は別の効果が付与された何かの能力であるはずだ。
それとも部下の魚人のものだろうか?
いや、彼等は戦闘員っぽい感じだったし…。
魔眼で魔力の流れを見てみたがアハ・イシュケの周りには確か魔力に包まれてはいるようだ。
だがそれ以上の解析は難しそうだ。
アハ・イシュケは自らの周りに纏わりつくローズ達を撃退しようともがき続けている様だ。
だがその攻撃はローズ達を捉えられていない。
対してローズ達は着実にダメージを与えている印象だ。
決着はこのまま着く事だろう。
30分程経っただろうか。
先程まで発生していた大渦は消失し、辺りが静かになった。
少ししてローズ達が戻って来た。
魚人たちは多少の手傷を追っているようだが、ローズは無傷だ。
ボクは見張り台を降り、ローズを出迎えた。
「おかえりさない、ローズさん。」
「リディさん! ありがとうございます。」
ローズが海水を含んだ服を絞りながら嬉しそうに答えた。
「アハ・イシュケは倒せましたか? 渦は消えましたが…」
「いえ、あれでもアハ・イシュケはこの海域に必要な魔獣なんです。この辺りの海流を生み出しているのがアハ・イシュケなのですが、斃してしまうと海流が消失してしまいますからね。生態系が変わってしまう恐れがあります。」
ふむふむ。
ただ斃してしまえば良いものでも無いらしい。
そんな事考えた事も無かったな。
「なので傷を負わせ、海深くまで撃退しました。ただ…、少し気になった事が…」
ローズが自らの服のポケットから黒い球を取り出した。
「これがアハ・イシュケの体にめり込んでいました。禍々しい魔力と言うか、瘴気の様なものを発していたので、アハ・イシュケの体から取り出しておきましたが…。リディさんはこの様なものをみたことがありますか?」
「ちょっと見せて…」
「は、はい…」
ボクはローズから黒い球を受け取った。
確かにまだ少しであるが魔力が出ている様だ。
触るとピリピリをした様な感じがした。
これがめり込んでいたとすれば、アハ・イシュケは相当な痛みを感じていたに違いない。
「もしかして、これがめり込んでいた“苦しみ”であのような大渦を発生させていたのかな?」
「あり得ますね。確かにアハ・イシュケの魔力量は大きいですから渦を作ることは出来るでしょうが、普段はあのような事はしないですし…」
これは何なのだろう?
このようなものを見たことは無いが、この魔力の噴き出し方には見覚えがあった。
そう、エクトルや黒妖犬の魔力の噴き出し方だ。
エクトルなどは自らの血液を沸騰させるようにして、異常な程魔力を増幅させていた。
もしかして何か関係があるのだろうか?
「リディさん?」
ローズがキョトンとしたような顔でボクを呼んだ。
「あ、ああ。こんなの見た事は無いが、ロクなものでは無さそうですね。」
「私もそう思います。今ここで破壊しておきましょう。」
「そうしましょう。」
ボクは黒い球を持つ手に力を込めた。
パキィィ!
黒い球は、結晶が割れるような音を立てて砕け散った。




