第37話 誇りを捨てた神殿騎士
荒野を走る一頭の馬。
その騎上には傷ついた女性騎士と少女。
彼女たちは必死に追ってから逃げていた。
この話の続きを語るには少し前まで遡らなければならない。
「リディ…!」
エルヴェシウス教皇・アンナマリーは穴の中を覗き込んだ。
穴の中では自分たちを助けてくれた魔族の少女が一人戦っていた。
巨大な竜・アンピプテラとの戦いは拮抗しているように見える。
だがそれはいつまで続くのだろうか?
ひとつ何かの切っ掛けがあれば、それは一気に崩れることだろう。
「参りましょう、アンナマリー様。」
神殿騎士団団長・アリーナがアンナマリーに声を掛けた。
「で、でも…!?」
戸惑うアンナマリーに、アリーナは更に言葉を続けた。
「私達にはこれ以上、ここで出来ることはありません。リディ殿は私達にここから離れ、クリストハルト枢機卿猊下を頼れと言いました。私達がその通りに行動するのが、リディ殿の心に応える事になります。」
「う…」
アンナマリーは押し黙った。
確かに自分たちに出来ることは何もない。
あの戦闘に介入しても足手まといになるだけだ。
アンナマリーとアリーナはその場を離れ山を下り始めた。
「私達が飛ばされた洞穴がエルヴェシウス教国北方のモノだとすれば、山を下った先に人里があった筈です。まずはそこを目指しましょう。それで馬でも借りられれば、枢機卿猊下がおられる村に向かえるでしょう。」
二人は山を下り人里を目指した。
アンナマリーは体が強い方ではないが転んだり足を擦りむきながらも、弱音を吐かず山を下り続けた。
2時間ほど歩いただろうか。
視界の先に小さな村が見えてきた。
「…む?」
アリーナは何かに気付いたようだ。
「どうしたの? アリーナ。」
アンナマリーがアリーナを見上げた。
「あの旗を見てください。あの村には神殿魔術師がいるようです。」
「旗…?」
視線の先に村には確かに旗が翻ってきた。
あれは神殿魔術師の軍旗だ。
「神殿魔術師がいるようでは、あの村で馬を借りることなど到底…」
アリーナはそこまで言って腕を組んだ。
そして何かを考えているようだ。
「アンナマリー様。」
アリーナはアンナマリーの前に片膝をついた。
「アリーナ…?」
アンナマリーがきょとんとした顔になった。
「アンナマリー様。私は今まで神殿騎士団団長を拝命してから誇りを持ってその任に就いてきたと思っています。しかし今ここでその誇り、この白銀の鎧を捨てることをお許しください。」
アリーナは自らの鎧を脱ぎ捨て始めた。
「アリーナ、貴女は何をするつもりなの?」
「私はこれよりあの村で馬を奪います。鎧を着たままでは目立ってしまい、神殿魔術師の目を盗むことは出来ませんからね。」
アリーナが苦笑いした。
「良いですか? アンナマリー様は深くフードを被り、顔を隠してください。村の人物などに何か聞かれたときは、私の妹と言う事にしましょう。」
アリーナはそう言うと自らの顔にスカーフを巻きつけた。
そしてアンナマリーの手をぎゅっと握った。
姉妹、と言う事であればこうした方が自然と考えたのだろう。
「・・・」
アンナマリーはアリーナの手の温もりを感じていた。
エルヴェシウス教皇のアリーナは言わば箱入り娘のように育てられてきた。
大事にはされてきたが、皆必要以上に触れようともしてこなかった。
暖かい。
これが人の温もり、と言うものなのだろう。
「アリーナ、いえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんの妹なら、わたしはアンナマリーだから、アニーかな?」
「ふふ、そうだな。アニー。」
しばらく歩いていると、二人は村の入り口まで来ていた。
村の外縁には特に柵等は設けられていないが、神殿魔術師が10名ほど歩いていた。
その中の1名がアンナマリー達に気付いたようだ。
「まて、そこの二人。」
「はい、何でしょうか?」
アリーナが応対した。
「貴様等は何者だ? どこから来た?」
「私達は旅をしている者ですが、妹が怪我をしてしまいました。この村に薬師の方がいないかと思いましてやってきたのですが…」
アリーナはアンナマリーの包帯をしている腕を持ち上げて見せた。
「ふむ…、その様だな。」
この魔術師はどうやら二人の正体に気付いていない様だ。
「そうだ、魔術師様。魔術師様のお仲間で治癒魔法を使える方はいませんか? もし出来れば、妹の治療をお願いしたいのですが…」
「治療か…」
魔術師は少しめんどくさそうな顔をしたが、仕方なしと判断した様だ。
「仲間に聞いてやろう。ついてこい。」
「ありがとうございます。」
アンナマリー達はこの魔術師の数歩後ろを歩いた。
「(良いですか? 彼等は魔術師ですから、近接戦闘は苦手です。彼等の馬に近づいたら一気に行きますよ。)」
アリーナが小声で囁いた。
そして少し歩くと、神殿魔術師が集まる所までやってきた。
傍には馬が数頭見えた。
彼等の馬だろう。
「おい、お前治癒魔法を使えるだろう。この二人が…」
先程の魔術師がそこまで言った時である。
「全員、動くな。」
アリーナが目にもとまらぬ速さで剣を抜き、その魔術師に突き付けた。
他の魔術師達は仲間を人質に取られ身動きが取れない。
「な、き、貴様…?」
「死にたくないだろう? 動くんじゃないぞ。」
アリーナは剣を突き付けながら馬の方に近づいた。
アンナマリーもそのすぐ後ろに続いた。
「アニー、先に馬に乗るんだ。」
「う、うん…!」
アンナマリーが鐙に足を掛け馬に乗った。
「しっかり掴まれ! はっ!」
アリーナは人質に取っていた魔術師を突き飛ばすと、剣の腹で馬の尻を叩いた。
ヒヒヒィィ!
驚いた馬が一気に駆け出した。
アリーナは軽やかにその馬に飛び乗った。
そしてアンナマリーを自分の前に抱えるようにし、手綱を握ったのだ。
アリーナ達は馬を奪うことに成功した。
だがそれ=逃走に成功した、と言う事ではない。
村にいた神殿魔術師達は他にも馬を持っているから、当然追手が掛かった。
彼等は魔術師であるから、当然魔法を唱えることが出来る。
しかも神殿魔術師はエリート集団であるから、乗馬の技術を持っている者も多い。
追いかけながらも騎上で魔法を唱えてきたのだ。
アリーナは巧みな乗馬技術で魔法の直撃こそ避けてきたが、それでも無傷と言う訳にはいかない。
ドォォン!
アリーナの左肩に攻撃魔法がかすめた、
「く…!?」
「アリーナ…、お姉ちゃん!?」
「大丈夫…!」
アリーナはそう言いながらも表情を歪めた。
その後も激しい魔法攻撃がアリーナを襲う。
少し視界もぼやけてきた。
でもここで倒れるわけにはいかない。
だがこのまま攻撃魔法を食らい続けてしまったら…
「お姉ちゃん…、前!!」
アンナマリーの叫び声にアリーナはハッと我に返った。
目の前には十数名の兵がいたのであった。




