第36話 最期の獣化
“教皇”アンナマリーの行方不明が発覚し地上が俄かにざわつき始めた頃、ボク達は洞穴の奥深くに居た。
暗がりの中、ボク達は数多くの魔物に遭遇した。
大きな蜥蜴の様なもの。
蝙蝠の様なもの。
謎の不定形生物。
そして特に目立ったのは生ける屍や骸骨戦士等と言った不死系モンスターである。
不死系モンスターは個体差もあるが、生前の特徴を残した者も存在する。
ある者は冒険者風であったり魔術師風の者、そして神殿騎士が不死系モンスターに変化してしまった者もいた。
これはかつてこの洞穴に人の出入りがあったことを物語っていた。
「ウウム、かつて人であった者、そして神殿騎士であった者を斬るのは心苦しいものだな。」
神殿騎士団団長・アリーナはそう言いながらも次々と魔物を退けていった。
彼女の長剣は元より聖属性の加護が与えられているらしく、不死系には相性が良さそうだ。
ボクはと言えば、特に戦闘には参加していない。
背中にアンナマリーを背負っているためだ。
アンナマリーはボクの背中でスヤスヤと寝息を立てていた。
ボクの背中はそんなに居心地が良いのだろうか?
「アリーナさん、この辺りは魔物がいないみたいだ。少し休もう。」
「ふむ。貴殿の魔眼がそう判断したのならそうなのだろうな。では、休むとしようか。」
アリーナはそう言いながら剣を鞘に納めた。
ボクはアンナマリーを静かに降ろした。
どうやらうっすらと目が覚めた様だ。
「むにゃむにゃ…、お休みするのー?」
「そうだよ。ここは安全みたいだからね。」
「は~い…」
アンナマリーはあくびをしながら体を起こした。
今までボクの背中で十分休息してたじゃないか、と言う野暮な質問はナシだ。
「アリーナ、そこに座ってー。」
「はい。」
アリーナがアンナマリーの前に膝をついた。
アンナマリーはそんなアリーナに向けて手を翳した。
「・・・」
アンナマリーはもごもごと何かを唱えているようだ。
「お、おお…。何か力が漲ってくるような…」
「でもわたしのこの力じゃ、ケガは治らないからねぇ。」
アンナマリーのこの力。
対象の者の体力を回復させる魔法だ。
死んでいない限り、体力を全回復させることが出来るようだ。
即効性もあるが、ケガを治すことが出来ないと言う制約があった。
「うーん。リディの体力も回復させてあげたいんだけど、リディには効果が無いみたい。」
残念ながら魔族には効果が無いようだ。
「大丈夫だよ。戦ってるのはほとんどアリーナさんだからね。」
実際、ボクの体力はほとんど減少していない。
打撲の影響で所々が痛むが、特段問題はない。
「ごめんね。ふぁ~、また眠くなっちゃった。むにゃ…」
アンナマリーは再び横になるとすぐに眠ってしまった。
魔法を使用した影響もあるのかもしれない。
「こうして見ると、アンナマリー様も普通の少女だな…」
アリーナが目を細めながら呟いた。
そしてすぐに我に返る様にハッと顔を上げた。
「わ、私としたことが何と不遜な…」
「良いじゃないか、別に誰かが見ている訳じゃないんだし。」
「そ、そうかな。」
アリーナが顔を赤らめた。
「アリーナさんって本当は女性っぽいんだね。仏頂面の、怖いだけの人だと思ってたよ。」
「な、し、失礼な!?」
「ふーん、いきなり剣を向けてた人がそんなこと言う?」
「う…む、それはそうだな…」
アリーナは頭を掻いた。
これ以上突っつくのはやめておこう。
「ああ…、揶揄ってすまなかったね。ボクの仲間にも同じようなのがいるもんで、ついね。」
この人はタイプ的にはリシャールに似ている。
「ところでリディ殿、聞いても良いだろうか?」
「ん、何だい?」
ボクはアリーナの顔を見た。
「エイブラハムが、君の事を魔王の子、と言っていた。これはどういうことだ?」
「あ、あれね…。知りたいかい?」
「ああ、話せる範囲内で構わんが…」
ボクはアリーナに自分の事を話した。
“二人の魔王”との関係からここまでの事。
隠す必要が無い事は全部話したつもりだ。
「・・・」
ボクの話を聞いたアリーナの表情が硬くなった。
「どうだい? エルヴェシウス教会が誇る神殿騎士団団長のアリーナさんはボクを討伐するかい?」
「い、いや。そうじゃなくて…」
アリーナが何故か畏まったような格好になった。
「リ、リディ殿。い、今までのご無礼平にご容赦を…」
「な、何でそうなるのー?」
「私、あの魔王ウイユヴェールの子孫に何たること…」
どうやらボクが本当に魔王の子孫だと分かってビビってしまったらしい。
「あのねえ、アリーナさん。貴女は凄い手練れなんだからそんなにビビらなくても良いじゃないか。」
「そ、そうだろうか…?」
「うんうん、そうだよそうだよ。」
全く、フォローするのも楽じゃない…
その後、ボク達は他愛のない話をした。
暫く話をしていた、その時である。
「ん…?!」
ボクは嫌な予感を感じ、暗闇の方を凝視した。
「リディ殿、どうしたのだ?」
ボクの顔を見て只ならない空気を感じたのか、アリーナが顔を強張らせた。
「嫌な予感がする…」
ボクは魔眼を発動させた。
視線の先はボク達がここまで歩いてきた方角だ。
意識を集中させると、何やらその方向で何かが高まっているのを感じた。
そしてそれはボク達の方に…。
これはマズイ。
「アリーナ、右へ跳べ!」
ボクはそう叫ぶと、傍らのアンナマリーを担ぎ右へ跳躍した。
ゴァァァァ!!!
その瞬間、焼けつくようなモノが近くを通り過ぎるのを感じた。
「な、何だこれは…!?」
アリーナの声だ。
彼女も無事に避けられたらしい。
「何でも良い、逃げるぞ…」
「あ、ああ…!」
ボク達はすぐにその場を離れ、駆け出した。
アンナマリーも目を覚ましたが、何も話せずにいた。
「リディ殿、これは何なのだ?」
「喋ってる暇はないぞ、とにかく走るんだ。」
喋ってる暇などない。
後方からは禍々しい何かが近づいてきているのだ。
ボク達は走った。
そして明るく開けた空間に出た。
上を見ると空が見える。
「くそ! 行き止まりだ!」
ボク達の前には道は無かった。
上はぽっかりを開いているから、この壁を登れるのなら外へ逃れられるだろう。
だが、それは叶いそうにない。
そして…、“それ”はやってきた。
「リ、リディ殿。あれは…何なのだ…?」
“それ”を見たアリーナが強張った表情で呟いた。
「…アンピプテラ」
アンピプテラ。
それは言わば翼の生えた蛇である。
龍の一種とされており、通常は3メートル程と言われている。
だがあれはその3倍はありそうだ。
「エイブラハムが言っていた魔物とはあれのことだったのか…? しかしあれは不死化しているようだな。」
アリーナはそう言うと剣を手に取った。
その手は小刻みに震えていた。
それはそうだろう。
聖属性の加護を受けているアリーナの剣であればダメージを与えられるかもしれない。
だが目の前にいる魔物は見るからに強大だ。
「これはもう…どうしようもないか。」
ボクはボソッと呟いた。
「アリーナさん、剣を収めて。アンナマリーを頼むよ。」
ボクはアリーナにアンナマリーを渡した。
「リディ殿…?」
「良いかい? ここはボクが時間を稼ぐ。君達はここから逃げるんだ。」
「し、しかし…!?」
「アリーナ。神殿騎士団が駐屯していた場所の近くに村に、クリストハルト様がいる。クリストハルト様なら力になってくれるだろう。」
そして全身に力を込めた。
「グ、グググ…!」
苦しい。
だが力が膨れ上がるのが分かる。
目は獣のそれの様に変化し、爪が鋭く変化した。
髪の毛は逆立ち、増幅した魔力が外に漏れだしていた。
「リディ、殿…」
アリーナは呆気にとられたような表情だ。
ボクはそんなアリーナ達に近付き、左腕で抱え込んだ。
「な、何を…!?」
「うがぁぁぁ!」
ボクは大きく咆哮しながら二人を上に放り投げた。
「き、きゃあぁぁぁ!?」
アンナマリーが叫び声を上げた。
二人の体は大きく宙を飛び、穴の上まで到達することが出来た様だ。
それを確認するとボクはアンピプテラの方を見た。
“力”を解放したボクなら、目の前の強大な化け物ともそれなりに戦うことが出来るだろう。
そう、ボクの“最期の獣化”なら。




