第35話 根っからの…
「た、大変だ~~!」
朝、ヒスイがドタバタと階段を降りていった。
その先にはソファでコーヒーの飲みながら寛ぐ、ペンザ枢機卿・クリストハルトがいた。
「どうしたんだ、ヒスイ? 朝っぱらから騒々しいぞ。」
クリストハルトがコーヒーをテーブルに置いた。
「リディ、リディがいないんだ!」
「何だと…?」
少し遅れてリシャールが降りてきた。
表情が硬い。
「ふむ、リディ殿がいないと言うのは本当の様だな。ディートリヒ殿。」
「何だい?」
ディートリヒが箱の中からぴょこんと顔を出した。
「貴殿は何かを感じたかね? リディ殿は昨夜まではいた筈だから、いなくなったとしたら夜中か早朝だろう。」
「うーん、残念ながら感じなかったね。あー、リディやヒスイ達が羽織っているマントってそう言うものだろ?」
「ああ、私達の外套はある程度の魔力を遮断する。もしリディが自分の魔力を押し殺しながら出て行ったとすれば、余程注意していない限り分からないだろうな。」
リシャールが硬い表情で答えた。
「フム。そうすればリディ殿は自らの意志でどこかに行ったか…」
「もしくは完全に気を失った状態で連れ去られたか、だね。」
「だがリディ殿ほどの者が、簡単に連れ去られるとは思えぬ。しかもこの屋敷には我々もいるしな。…とりあえず外の兵に聞いてみるとしよう。」
「枢機卿猊下、宜しいでしょうか?」
ドアの外から兵士の声が聞こえた。
「しばし待て。(君達、顔を隠してくれ。)」
クリストハルトに促され、ヒスイとリシャールは顔を隠した。
ディートリヒも箱に中に戻った。
「よし、入れ。」
「失礼します。」
兵士が中に入ってきて一礼した。
「どうした?」
「は。外にお客様がいらしています。」
「客だと? 何者だ?」
「はい。神殿魔術師副団長のエイブラハム殿です。お会いになりますか?」
「神殿魔術師だと…?」
クリストハルトは腕を組んだ。
(ディートリヒ殿、どう思う?)
クリストハルトはヒスイやリシャールにも聞こえる様に念話を使った。
(怪しいね。神殿騎士団と良い、神殿魔術師と良い、きな臭い感じしかしないね。)
(そうだな。神殿騎士団と神殿魔術師は同じように教会直属であるが、両者の関係はあまり良くなかったはずだ。)
「あ、あの猊下…?」
兵士が困ったような表情になった。
「あ、ああ。会おう。通してくれ。」
「畏まりました。では失礼致します。」
兵士が一礼して外に出て行った。
少しして先程の兵士に連れられ、神殿魔術師副団長・エイブラハムが館に入って来た。
「これはクリストハルト枢機卿猊下、お目通り頂き恐悦至極に御座います。」
エイブラハムが恭しく一礼した。
「堅苦しい挨拶は良い。此度は用向きは何かな?」
クリストハルトはソファに深く腰掛けたまま問い掛けた。
「は。この度はご報告が御座います。実は緊急事態が起きておりましてな。」
「緊急事態…だと? 申せ。」
「は…。実は数日前から教皇猊下・アンナマリー様が行方不明になられています。枢機卿猊下はここに来られた時、神殿騎士団が活動しているのを耳にされましたか?」
「神殿騎士団か。そうだな、ここの村長殿から聞いておる。」
「神殿騎士団はアンナマリー様をお探し申し上げる、と言う触れ込みを持ってこの村周辺で活動しているようです。」
「なるほどな。だが神殿騎士団は教会直属の騎士団故、教皇猊下をお探し申し上げるのは当然の事では無いかな?」
「その通りです。ですが我々、神殿魔術師が掴んだ情報に寄りますと、神殿騎士団団長のアリーナ殿も行方不明とか。神殿騎士団の駐屯地を確認し、姿が見えないのが確認できました。」
「ほう、あの女傑がか? 信じられんな。」
クリストハルトがエイブラハムを睨んだ。
それを見たエイブラハムはピクリと眉を動かしたが、話を続けた。
「はい。また他の目撃情報ですが、アリーナ殿が魔族と共に居たのを見たと言う話も聞いております。」
「俄かには信じられん事だ。エイブラハム、つまり君はどう考えているのかね?」
「は。私も信じられないのですが話を総合すると、アリーナ殿とその魔族はこの度のアンナマリー様行方不明の件に何等かの関わりを持っているのでは無いかと…」
「つまり、君は神殿騎士団団長アリーナはその魔族と共謀し、教皇猊下を連れ去った疑いがあると言いたいのだな?」
「信じ難い事ではありますか…。ですがもしそうなら、神殿騎士団も信用し難く…」
エイブラハムが視線を下げた。
「教皇猊下が居られないのであれば、次席の枢機卿である儂が何とかせねばなるまい。君は神殿魔術師を率い、この件を調査せよ。速やかに教皇猊下をお探しするのだ。」
「は! 畏まりました。」
エイブラハムが膝をついて一礼した。
その表情は不気味な笑みを浮かべていた。
箱の中のディートリヒはその顔を隙間から見ていた。
「それと…」
クリストハルトは手を上げた。
すぐに兵の一人が駆け寄った。
「神殿騎士団に伝えよ。速やかにこの館まで出頭せよ、とな。」
「畏まりました。」
兵が一礼し、小走りで駆け出していった。
「枢機卿猊下、今のご命令は…?」
エイブラハムがクリストハルトを見上げた。
「何、神殿騎士団に不審な所があるのであれば儂自らの監視下に置こうと言うのだ。…それとも何か問題でもあるのかな?」
「い、いえ…! それでは私はこちらで失礼し、速やかに調査を進めて参ります。」
「ウム。期待しておるぞ。」
「は!」
エイブラハムは再び一礼すると足早に館を出て行った。
クリストハルトはその背中を見送ると、部下の兵に呼ぶまで姿を見せるなと厳命した。
「さて、諸君等はどう思うかね?」
「何かさっきのおじさん嫌な感じ…」
「あのエイブラハムと言う魔術師が言う魔族ってもしかして…?」
リシャールがクリストハルトを見た。
「ああ、リディ殿の事を言っているのか知れないな。もしかしたら儂がリディ殿や君達を連れてきたのまで掴んでいたのかも知れぬ。…ディートリヒ殿はどう見る?」
「僕は考えられる事は全てあると思った方が良いと思ってるよ。」
「その通りだ。神殿騎士団を儂の下に来いと言ったのもそのためだ。」
「どういうことなの?」
ヒスイがきょとんとした顔で聞いた。
「エイブラハム…、先程の男は自らの目的の為に、これからも何かをするのだろう。であれば、この先神殿魔術師とコトを構えるかも知れん。」
「クリストハルト様は、神殿騎士団を味方に付けようと…」
リシャールが口を挟んだ。
「そう言う事だ。一刻も早く教皇猊下やリディ達を見つけ出さない事には話が先に進まぬ。だが体裁上、神殿魔術師にも調査権を与えた。奴等より先に見つけ出す必要がある。」
「どうして先程の神殿魔術師の男にその様な事を言ったのですか?」
「そのまま追い返しても奴はボロを出さないだろう。調査権を与えれば何かしら探すフリでもしよう。その隙間に何かしらの綻びを見せるかも知れぬ。あらゆる可能性は捨てないでおかないとな。さて…」
クリストハルトはすくっと立ち上がった。
「これから忙しくなるぞ、絶望のディートリヒ。」
「僕は忙しくなりたくないけどね、希望のクリストハルト。」
ディートリヒはちらりと旧友の顔を見た。
その表情は何故か生き生きとしているように見えた。
「はぁ…。君の根っこはあの時と同じ、冒険者なんだな。」
ディートリヒは深くため息をついた。




