王子
「クリスティナ・・・相談がある」
公爵家令嬢であるクリスティナ=エルマインを呼び止めたのは、ローエンシア王国王子にて王太子でありクリスティナの婚約者であるアルフィス=ユーノ=ローエンである。
父親であるジュラス王の容姿にそっくりなアルフィスは同年代の貴族令嬢達の視線を一手に引き受けるような優れた容姿をしている。
良く整った秀麗な目鼻立ち、サファイアのような蒼い瞳、淡い金色の髪とまず文句の出ない容姿だ。世の中の少女が思い描くような王子様を体現する存在といって良いだろう。
アルフィスが声をかけたクリスティナもまた美しい少女だった。緩くウェーブのかかった絹のような金色の髪は、女性から見れば憧れ、男性から見れば触れてみたいという欲求を押さえるのに非常に苦労する美しすぎる髪だ。
目鼻立ちも整い、大きな瞳は愛嬌があり、かといって決して気安くない高潔な意思を宿している。
人間誰しも欠点はあるが、クリスティナに関して容姿を欠点にあげる者は皆無だった。
アルフィスとクリスティナが並ぶと見た者から「ほう」とため息が出るのが当たり前の風景だった。
「なんでしょうか殿下?」
クリスティナは例え婚約者であっても人前では殿下という敬称を忘れない。だが、周囲に気の許した者しかいない時は「アル」と愛称で呼ぶ。クリスティナが殿下と呼ぶと言うことはこの場に人目がある事を示している。
実際にこの場所は、ローエンシア王国の国立の学園である『テルノヴィス学園』に設置されているサロンである。そして周囲にはかなりの数の生徒達がいる。そのような場では殿下という呼び名をするのは自然な事である。
『テルノヴィス学園』は貴族専用の学校だ。この学園に入学する条件は貴族であることだった。平民は受験資格すら与えられないが、これは差別的な意味合いというよりも貴族と平民ではその求める授業内容が異なる事が大きな理由だ。
貴族は「王宮での礼儀作法」「領地経営学」「政治学」「外交術」「法律学」「交渉術」「護身術」「魔術」などが求める教育である。
それに対して、平民が求めるのは、「読み書きそろばん」などの初等教育であり、生活に密着した学問が求められた。
貴族と平民では求める教育内容が異なるために自然とテルノヴィス学園に平民の希望者が減っていき、やがて貴族専用の学校となったのだ。
当然、歴代のローエンシア国王は、平民達の教育を施さないという事をよしとせず、平民のための初等教育を行う学校といくつかの専門学校を作った。専門学校の中には「医学」「薬学」「経営学」「農学」「測量学」などがあった。
また、軍の指揮官を養成する士官学校は、厳しい試験があり狭き門であるがその受験資格は貴族、平民問わなかった。
「ああ、実はな・・・アレンの事なんだ」
「アインベルク卿がどうかなさったのですか?」
「まぁとりあえず、こちらに来てくれ」
アルフィスは、クリスティナをサロンの席の一つをすすめる。クリスティナはすすめられるまま席の一つに腰掛ける。
クリスティナはもちろんアレンと面識がある。婚約者であるアルフィスの親友であり、9ヶ月程前に学園を退学した元同級生だ。
「それで、殿下、アインベルク卿がどうされたのです?」
「うん、この間、王族主催の夜会があったのは知ってるよな」
「ええ、私も殿下も都合がどうしてもつかなくて欠席しましたが・・・」
「その夜会でアレンが色々やらかしたらしい」
「え?」
クリスティナは驚きの声を上げる。アレンは非常に忍耐強い男だ。この学園に在籍していたときでも、アインベルク家という理由でいわれの無い嫌がらせを受けていたことは知っている。
ただ、やられっぱなしで無いのがアレンという男で、嫌がらせをする者に対しては容赦ない反撃をくれていた。一見、容赦ない反撃だが、その前の段階で確実に証拠を集め、根回しをし、時には罠にはめて問題が大きくならないようにしていた。
考えていないようで、しっかりと周囲の者に迷惑の掛からないように周到に準備をすすめ反撃をしていた。
そんなアレンが夜会のような場でミスを犯すとはクリスティナには信じられなかった。
「何かの間違いでは無いですか?あのアインベルク卿が夜会のような場所で周囲のものにつけ込まれるような隙を見せるとは思えません」
「確かに、アレンがつけ込まれる隙を見せるのはあり得ない。だがそれはアレンがミスをするという事についてだ」
「どういうことです?」
「アレンがミスでそんな隙をさらすことはまず考えられない。だが、自分で隙を作るのならいくらでもやってみるだろ」
「つまり、その隙はアインベルク卿の罠ということですか?」
「罠というよりも何か目的があってやったんだと思う」
「その目的とは?」
「多分、アレンは爵位の返上を決定的にしたいと思っている」
「あ~ありえますね」
アレンは昔から爵位を邪魔なものとしか考えていない。自分の行動を縛る足枷としか思っていないのだ。だからこそ、大胆な行動をとっており、爵位の返上がかなうように行動をしている。
その事を察している国王、宰相、軍務卿が色々と手を回し、その目的を阻んでいるのだ。
「お父様もアインベルク卿をこの国につなぎ止めるために心を砕いています」
「ああ、俺の親父様もだ」
「でも夜会でやらかしたというわけですね」
「ああ」
「で、どのような事をやったのです?」
「シーグボルド家のレオンとハッシュギル家のゲオルグに喧嘩を売ったらしい。しかも完全に手玉に取ったらしい」
「どれほどのケガを負わせたのですか?そのシーグボルド家とハッシュギル家の方は命があるんですの?」
「いや、アレンは一切暴力を振るわずに口で論破したらしい」
「うわぁ~お気の毒ですね。まだ殴られた方が良かったでしょうね」
「ああ、あいつ怒ると心を折るのに容赦ないからな。アレンがそこまでやるということは余程の事があったんだろうが、それでもちょっと相手に同情している」
クリスティナもアルフィスと同じ気持ちだ。アレンが攻撃するのは基本的に攻撃を受けたための反撃である。ということは相手が悪いのは明らかなのだが、その反撃の苛烈さを思えば相手に同情してしまうのだ。
「それで、殿下はアインベルク卿を守ろうというわけですか?」
答えは分かっているが、あえて誤った答えをいってみる。
「・・・クリスティナ、お前も結構意地悪だよな」
アルフィスの言葉にクリスティナは苦笑する。確かに意地悪な返答であった。
「申し訳ありません殿下、守るのはシーグボルド家とハッシュギル家ですね」
「ああ、あいつらは自分たちが誰に喧嘩を売っているかをまったく理解していない。わざわざ竜の逆鱗に触れなくていいのにな」
「そうですね。わざわざ首を差し出しに行く必要なんかないのに・・・」
「でも、シーグボルド家とハッシュギル家を潰されてしまえば、国内貴族のバランスが崩れるわ。潰すのは今はタイミングが悪いです」
「そうなんだよ。だが、両家の者が権力を使ってアレンを潰そうとすればアレンは間違いなく二つの家を潰すよな。しかも躊躇いなく」
「はい、アインベルク卿なら本当に躊躇いなく潰すでしょうね」
「それだと困るので、アレンがやり過ぎないようにしたいんだ。クリスティナ・・・君のお父上にも動いてもらいたい。シーグボルド家とハッシュギル家がアレンにちょっかい出さないようにして欲しいんだ」
「それは構いませんが・・・」
「何?」
「アインベルク卿はもうすでに動いているかもしれませんよ?」
「・・・だよね。アレンが現段階で何も動いていないはずないよね・・・」
話せば話すだけシーグボルド家とハッシュギル家に残された時間は少ないように思える。
アインベルクに喧嘩を売るとはどういうことかこの国の貴族はもう少し真剣に考えて欲しいものである。
アルフィスはため息をつく。そのため息の意味を察したクリスティナもまたため息をついた。




