夜会①
やっと夜会です。引っ張りすぎましたね
とうとうこの日が来てしまった。そして、この時が来てしまった。
いよいよ今夜は王族主催の夜会だ。
(ふ~気が重い。ちゃっちゃと陛下やお偉方に挨拶して帰ろう)
アレンは、少しでも短い参加ですむように作戦を練り始める。夜会は王宮で行われる。さすがに夜会への出席に徒歩というわけにはいかないので、ロムが馬車をレンタルしてくれていた。
一応、アインベルク家には馬車も馬もいない。貴族としてそれでいいのか?と言われそうだが、馬を飼えば当然、世話をする必要がある。馬の世話は実質、ロムがする事になるだろう。アレンは馬の世話で余計な苦労をさせたくないと馬を飼うことをしていなかった。
いつも、夜会に出席するときには、ロムが調達した馬車で王宮に向かうことになっていた。
ロム、キャサリンに見送られて、アレンは王宮に向けて出発する。
今夜のアレンの服装は、黒を基調とした礼服だ。その黒も淡い感じの黒であり、圧迫感を与えるものではなかった。良く言えばシンプル、悪く言えば地味な格好のアレンであるが、別に夜会に出会いを求める心づもりが全くないために、自然装いも地味になるのだ。 ただ、地味とは言っても、アレンの均整のとれた体格に黒を基調とした礼服は、精悍な印象を与え、よく似合っているのも事実であった。
アレンを乗せた馬車は、王宮に到着する。
雇った御者に礼をいい。馬車を降り会場へ歩み出した。
(はぁ・・・)
アレンは、夜会の会場に入ると、周囲を見回す。当然だが、アレンの親しい人は見当たらない。それは分かっているが、今一この夜会のコンセプトを理解していないアレンとしては状況を判断する必要があったために周囲を見渡したのだ。
(ふむふむ・・・立食形式、中央はダンスフロアとなっている。そして、楽団が配置されていると事を見るとダンスを披露する場面もあるというわけだな・・・)
ちゃんと紹介状や前情報を仕入れていれば、当日になってこんな情報収集を行う必要はなかったのだが、アレンはどうすれば夜会に出なくてもすむかという反対のベクトルに意識を集中させていたので、ついおざなりになってしまっていたのだ。
またどうやら、アレンが会場に入る時間も少しばかり早かったらしい。まだ、王族の方々も会場に現れていなかったのだ。
(失敗した、あともう少し、出るのを遅らせれば良かった)
どこまでも後ろ向きなアレンであった。
そんなアレンの周囲でヒソヒソという声が聞こえてくる。アレンは「もう始まったか」とうんざりした気分である。
「ふん、墓守風情が・・・」
「相変わらずみすぼらしい格好だな」
「このような華やかな席に喪服で来るとはな」
今まで、何度もつぶやかれた言葉だ。気にしてもしょうがないとは思うが不愉快さはどうしても消えない。
ただ今は耐えるしかない。百回という縛りがあるからだ。
陰口を叩くような奴らはまだ良い、面倒くさいのは直接絡んでくる輩だ。そういう奴に限り爵位が微妙なのだ。もしくは高位の爵位の取り巻きとかそんなのだ。
そんな事を考えていると、若い貴族のグループが近づいてくる。顔はニヤニヤと意地の悪いというよりも卑しい笑顔を浮かべている。鏡があれば自分の醜さを少しは自覚させることが出来るかもしれないが、あいにくアレンは鏡を持っていない。
ニヤニヤとした顔をした貴族の一人がアレンに近づく。アレンはこのバカが何をしようとしているか理解した。どうせこの知性のかけらもないアホ貴族がやれる嫌がらせと言えば肩をぶつけて因縁をふっかけるとかその程度のものだ。
案の定、その貴族はアレンに肩をぶつけてきた。だが、転んだのは肩をぶつけてきた貴族の方だった。しばし呆然としていた貴族が怒りを持ってアレンにくってかかろうとした矢先に、アレンから謝罪が発せられる。
「これは申し訳ありませんでした。よそ見をしていたもので」
にっこりと微笑み、アレンが右手を差し出す。少なくともこれで周囲には謝罪を行ったのはアレンであり、それを受け入れないのは器の小ささを周囲に知らせる行為であり、面子を重んじる貴族としてはそれは許されないだろう。
その事に気付いたのだろう。転んだ貴族は忌々しげにアレンをにらみ、立ち上がる。
「いや、こちらこそ失礼した」
顔中に『不愉快!!』という表情が浮かんでいるが、アレンが謝罪しているので、これ以上は言えなくなってしまう。
その様子を見ていた、他の貴族がアレンに向けて声をかける。年の頃はアレンと同じか一つ下かという所だろう。
「卿の名は?」
「アレンティス=アインベルクと申します」
「ほう、貴殿が『あの』アインベルク卿か」
わざとらしく『あの』にアクセント置いたところを見ると、どうやら侮辱しているらしい。周りの貴族達の卑しい笑いでその事を察する。
「はい、以後よろしくお願いします」
アレンは一礼すると、その場を離れようと歩き出そうとしたが、別の貴族が行く手を阻む。
「何か?」
あからさまな悪意に対して、アレンの声がわずかに低くなる。
行く手を阻んだ貴族は、少し恐怖を感じたが、最初に声をかけた貴族がアレンに声をかける。
「そう慌てなくても良いではないか。アインベルク卿、卿には伝えて起きたいことがあるのだ」
「伝えたいこと?」
「そうだ、王女殿下とのことだ」
(アディラとのこと?このアホは一体何を言ってるんだ?)
「王女殿下がどうされました?」
「ふん、アインベルク卿、卿の爵位はたかだか男爵。王女殿下とは身分が釣り合わぬ」
「はぁ?(何言ってんだ?このアホは?お前如きに教えてもらわんでも身分差があることぐらい百も承知だよ)」
「貴殿は、王女殿下の社交界へのお披露目に男爵でありながら、王女殿下のダンスの相手をするとは」
「はぁ・・・」
「増しては貴様は卑しい墓守、墓守如きはおとなしく墓を見回っておれば良いのだ」
「・・・」
要するにこのアホは、俺がアディラと踊ったことが気にくわないというわけか。まぁ、なんというか・・・惨めな奴だ。名前も知らないが基本こういう奴は自分に自信がない奴が多い。自分に自信がないから他者を攻撃し陥れる。典型的な小物だ。まともな意識があれば自分がいかに惨めか判りそうなものだが、この様子では気付いていないのだろう。
こういうアホは基本、無視するに限る。こういう脳みそが足りない奴は勘違いさせておこうとアレンは思う。
「なんだ? まさか貴様は、このシーグボルド公爵家の嫡男レオン=ルイ=シーグボルドに文句があるのか? アインベルクなど片手でひねり潰せるのだぞ」
「いえ、そんなつもりでは」
アレンは凡庸を装い、公爵家の家名に恐怖する演技を行う。それに気を良くしたのかレオンは露骨に蔑みの視線を向け、ニヤリと笑う。
瞬間的に不愉快を刺激されたからであろうか、『つい』殺気が洩れた。その殺気に反応したのはレオンと取り巻き達ではなく、警護に当たっていた騎士達である。
騎士達は一瞬生じた殺気に、うろたえ周囲を警戒する。それを視界のはじに捉えたアレンは、一瞬で殺気を隠した。
騎士達の技量の高さに感嘆知ると同時に、レオンとその取り巻きの技量の稚拙さにむしろアレンは同情してしまう。
「ふん、まったく貴様のような墓守がこの夜会に出席すること自体おかしいのだ」
「まったくです。アインベルクのような墓守がこの場にいることは王族主催の夜会の格を下げることになりますな」
「そういえば、先代のユーノス卿も墓守などというつまらぬ仕事しか出来なかったらしいですな」
「まぁアインベルク家には墓守ぐらいしか、務まりますまい」
「代々そろって墓守以外は務まりませんな」
カウントダウンなんかやめて皆殺しにするか?とアレンは本気で思った。
(もういいかな?カウントダウンが終わりましたとウソをついて暴れよう。うん、そうしよう。思えば、俺は貴族なんて向いていないし、まったく楽しくない。こんな貴族の生活なんかもともと、惜しくも何ともない。よし、明日には国を出よう)
ローエンシアを出ることを本気で決めたアレンは、もはや、すがすがしい気持ちで一杯だった。この不愉快な生物たちの醜く、知性のかけらも感じられない声ももはや気にならない。
だって、もう明日にはローエンシアを出るんだからという思いがアレンに余裕を持たせる。人間、心の持ちようで余裕が生まれるのだ。
声も出さずに静かにしているアレンに対し、レオンとその取り巻き達は屈辱に耐えていると思ったのだろう。さらにアレンに侮辱の声を投げかけようとした。
「その辺にしてはどうだ」
アレンへの侮辱の声に対し、制止の声がかかる。レオン達は生意気なと声の主をにらみつけようとして、驚愕する。
声の主は王国宰相エルマイン公爵だったからだ。
「反論もしない者を責め立てるのが、果たして貴族としてあるべき姿かね?」
エルマイン公の言葉に、レオン達は声をのむ。エルマイン公は王国宰相、文官の最高位にあり、国王の信頼厚い大貴族だ。
たとえ、レオンの家が同じ公爵家であっても、相手取るには恐ろしすぎる相手であった。
「し・・・失礼しました」
レオンとその取り巻き達はそそくさとアレンから離れていく。
「・・・ありがとうございました」
アレンの謝意にエルマイン公は苦笑しながら、アレンに言った。
「不満そうだな?」
「ソンナコトナイデスヨ」
「ふむ、まぁ良い。アインベルク卿確認したいことがある」
「何でしょう?」
「あと何回だ?」
当然、エルマイン公の聞いているのはカウントダウンの事だ。アレンはもう国を出るつもりだったのでさらりと嘘をつくことにする。もはや、時期が早いか遅いかの違いがあるだけで、結果的に国をでることに違いないのだから問題ないだろう。
「先ほどの侮辱によって見事に100回に到達しました」
アレンはさわやかな表情で答える。それに対してエルマイン公は無言でアレンを見つめる。まるで射殺すような眼光だ。
30秒ほど射殺すような視線を受けて、アレンは動揺し始める。
(まさか、バレてる?いや、そんな事はないだろう?)
冷や汗がアレンの頬を滑り落ち始めた。すさまじい重圧を受け声も出せなくなったアレンである。この膠着状態を破ったのは、エルマイン公であった。
「で、本当は?」
「・・・すみません。本当はあと36回です」
あまりの重圧にアレンは本当の回数を言ってしまう。王国宰相の射殺すような視線を30秒以上耐えたのだから、アレンとしては褒めてもらいたいぐらいだった。だが、当然アレンを褒めてくれる者はこの場にはいない。
エルマイン公はアレンの告白を受けて、容赦ない追求を行う。
「つまり、君は嘘をついたのだな」
「・・・はい」
「そうか、ならば嘘をつくことは良いことか?悪い事か?」
「基本、悪い事です」
「ふむ、確かに相手のことを思った嘘は悪いとは言えないな。では君の先ほどの嘘は私を思っての嘘かね?もしそうだというのなら、その嘘のどのへんが私を思っての嘘になるのかね?」
立て続けに問われ、アレンはタジタジになった。どう考えても分が悪すぎた。
「え~と・・・その」
「つまり、私の事を思っての嘘ではなく、私を欺そうとした嘘というわけだな?」
「・・・はい」
「なるほど、では君は悪い嘘をついたわけだ」
「・・・はい」
「やはり、何らかのペナルティが必要ではないか?」
「ペナルティですか?」
「そうだな、カウントダウンに対しての嘘だったのだから、カウントダウンの数を増やそう」
「え?」
「そうだな、キリの良いところであと50回にするか」
「え?そ・・・そんな・・・」
「不服かね?君は36回も嘘をついたのだから、無くそうとした36回増やして72回にまでと考えたのだが、それはあんまりだとキリの良い50にしたのだ。この温情をいらないというのなら仕方ないな」
「いえ!!宰相閣下のご温情ありがとうございます!!」
「うむ、分かればよろしい」
エルマイン公は満足気に頷くと、アレンから離れていく。
アレンは、回数が50回に増えたことに落胆を隠すことは出来なかった。
(嘘つかなきゃ良かった・・・)
アレンにとって苦痛の時間は始まったばかりであった。




