閑話~ベルゼイン帝国①~
「即刻すべての人間共に報復をするべきだ!!」
一人の魔族が声高に叫ぶ。その魔族の名は、ロアヒム=クジーム=レーケンメイムという。年齢は30代後半で、褐色の肌に黒い髪をオールバックにしている。爵位は侯爵であり、日頃の彼はまるでサーベルのような鋭利な雰囲気を放っているのだが、この時の激高ぶりはまるで無骨な戦槌のようであった。
彼の発言はベルゼイン帝国の皇城にある「魔水晶の間」、御前会議の真っ最中に発せられた言葉であった。
この御前会議は先日、隠者と名乗る人間が単身、皇帝であるイルゼム=コーツ=ヴェルゼイルの執務室に現れ暴虐の限りを尽くした事に対する対処が議題である。隠者の襲撃にイルゼムは幸い無事であったが、皇子であるエルグド、アシュレイ、トルトの三人は隠者に敗れ重症を負い、多くの近衛騎士達が命を落としたのだ。この事はもちろん、箝口令が引かれており市民に対しては漏れることはなかった。
御前会議の流れは、報復すべしという意見で一致している。もちろんベルゼイン帝国の支配者であるイルゼムを襲った者に対して放置しておくという選択肢などあるわけはない。
そのため議題は報復の方法に移っていた。レーケンメイム侯を代表とする報復対象を「すべての人間」にすべきと主張する者達に対するのはあくまでも「隠者」に限定すべしと言うアルティリーゼの主張がぶつかっているという状況であった。
本来であればアルティリーゼにこの御前会議に出席する権限はないのだが、隠者の襲撃の際にアルティリーゼとその供回りの活躍による褒美として出席を認められたのだ。
アルティリーゼの隣にはイリムがいる。背後に護衛として控えているのではなく隣に着席している事はイリムもこの御前会議に出席していることを意味していた。
「お言葉ですが、レーケンメイム侯達の意見はこのベルゼイン帝国にとって何ら益を及ぼすことになりません」
イリムが真っ向からレーケンメイム侯へ意見する。いかに最強の魔剣士と言われているイリムであっても爵位はたかが騎子爵でしかない。侯爵である自分に騎士爵ごときが意見を言う事態許せるものではない。
「ほう……最強の魔剣士と称されるお主がそこまで怯えるとは、リオニクスの名は伊達ではないな」
イリムの父、イグノールは慎重に事を進める男であり彼の実力を妬む者達からしばしば臆病とそしりを受けており、それをレーケンメイム侯は揶揄したのだ。レーケンメイム侯のこの嘲弄は、賛同者達の悪意と相まってイリムに押し寄せてくるが、イリムはまったく動じていない。そこにアルティリーゼが口を開いた。
「レーケンメイム侯に賛同する方々は現状を少しも理解しておられぬのですね」
アルティリーゼの呆れた様な言葉にレーケンメイム侯と賛同者達は不快気に表情を歪める。“小娘如きが何をほざく”という感情が含まれているのをアルティリーゼは当然見抜いているが、まったく容赦はしない。
「隠者は、去り際に警告を発しました。もし、無辜の民を報復対象として虐殺すれば自分も同じ事をすると……」
アルティリーゼの言葉にレーケンメイム侯は鼻で嗤う。人間如きに後れをとる自分でないと言わんばかりの態度であった。
「死者の覇王を支配下に置いている隠者を制する事がどれほどの偉業かわかりませんか?」
死者の覇王という単語に対してもレーケンメイム侯は引くつもりは無いようだ。強大な力を持つ最高位レベルのアンデッドであるという事は当然、レーケンメイムも知識としては持っている。だが、それが実際にどれほどの力を持っているかを実感していなければ恐怖を感じなくて当然だった。
「皇女殿下は隠者の暴挙を無しとされるおつもりか? それでベルゼイン帝国の体面が守れるとお思いか!?」
レーケンメイムの言葉にアルティリーゼは毅然として答える。
「報復は行います。しかし、絶対に無辜の民に手を出してはいけません。もし無辜の民を虐殺すれば隠者も同様にベルゼイン帝国の民を虐殺します。それに今回は皇城に現れましたが、また皇城に現れるという保証がどこにあるのです? もしあなた方の領内に死者の覇王を放たないという根拠は?」
アルティリーゼの言葉に反応したのは兄であるエルグドである。前回、隠者に為す術なく痛めつけられた三人の皇子達は苛烈な報復を主張していたのだ。恥をすすがねば次代の皇帝となるのに大きなマイナスであったのだ。
「確かにアルティリーゼの言うとおり、その危険性はあるだろう。だが、我がベルゼイン帝国への侮辱に対して消極策をとることはありえぬ。隠者が報復するというのなら迎え撃てば良い」
エルグドの発言にレーケンメイム侯達は頷く。続いてアシュレイ、トルトもエルグドと同様の主張を行う。それに対してイリムは口を開く。
「エルグド殿下は何をおっしゃっているんです? 大体迎え撃つなどと言っていますが、隠者がどこに報復として現れるか分かっているのですか? もし根拠があるのならこの場で公開すべきではないですか」
イリムの言葉に周囲の貴族がイリムを窘める。
「リオニクス卿、卿はエルグド殿下へ何という口を利くのだ。身分を弁えよ!!」
「そうだ、貴殿は確かにこの御前会議に出席を許されたかも知れないが何を発言しても良いというわけではない!!」
周囲の貴族の抗議にイリムはニヤリと嗤うと疑問を呈する形で周囲の貴族に返答する。
「アルティリーゼ様は身分に関係なく忌憚なく意見を発言する事に対して寛大な心でお聞き入れていただきましたので、兄上方である三殿下達も当然それほどの器を思いと考えておりましたが、違うと言うのなら先程の発言は撤回させていただきます」
イリムの言葉に抗議の言葉をあげていた貴族達は気まずそうに沈黙する。もしここで、発言を撤回するように発言すればエルグド達の狭量を肯定した事になるのだ。イリムは礼儀正しい好人物である事は間違いないのだが、アルティリーゼに敵対する者ははっきり言って容赦はしない。そして、戦う術のない者を虐殺するような事は決して認めない。加えてその報復としてベルゼイン帝国の無辜の者が犠牲になる可能性があるのなら全力で止めるつもりだったのだ。
「……この場は忌憚ない意見を言う場である以上、身分は問わぬ」
エルグドの言葉は不快という感情が含まれているがイリムの言葉を認めることは出来ない。
この段階でエルグド、いや、レーケンメイム侯達の無差別の報復を主張する者達が心理的に攻めるという意思を一瞬だが失ってしまった。
(ここだわ!!)
アルティリーゼはニヤリと心の中で嗤うと一気にたたみかける事にする。
「リオニクス卿の言うとおりです。隠者は皇城の結界を転移魔術でスルリと抜けました。これが何を意味するか皆様方は分かりますよね?」
隠者は厳重に張られた皇城の結界をまるで意に介さず転移魔術で出入りしているのだ。皇城の結界を転移魔術で出入りできるというのなら隠者は事実上、どこへでも現れる事ができるとう事なのだ。
「ある日、突然あなた方の屋敷に隠者が現れ屋敷にいる者を殺害する。領内の都市に死者の覇王を召喚して暴れさせる。もちろん皇城に再び現れる可能性もありますね」
アルティリーゼの言葉に出席者は沈黙する。沈黙する出席者達を見渡すとアルティリーゼはすぐさま次の言葉を発する。
「そもそも、今回の隠者の行動は報復です」
「報復ですと!?」
「はい、無辜の民を魔族が戯れに殺した事、ローエンシア王国の国王、上位貴族の下に刺客を送り込んだ事に対する報復です」
アルティリーゼの言葉に周囲の貴族達の沈黙はさらに深まる。貴族達の深まる沈黙を無視してアルティリーゼは続ける。
「人間を玩具として扱った尻ぬぐいを我ら皇族が行ったという事です」
「……」
「このような事が明らかであるのに、これ以上無辜の民を標的にしてしまえば、それは皇帝陛下を危険にさらす行為です。もし、この段階で無差別に人間を殺すと言う事は隠者に陛下を弑いさせる目的であると私は考えます」
アルティリーゼは、無差別に人間を襲うことは皇帝への叛意ありとみなすと告げたのだ。出席者の貴族達はこの論法に咄嗟に反応出来ない。それはアルティリーゼの論法を認めた事に他ならない。出席者はベルゼイン帝国という強大な帝国を支える重臣達であるがこの時、アルティリーゼは海千山千の重臣を確かに上回ったのだ。
「陛下」
出席者達が沈黙しているうちにアルティリーゼはイルゼムに向かって訴える。
「なんだ?」
「今回の件を私に任せていただけないでしょうか?」
アルティリーゼの言葉に少しばかりイルゼムは即座に返答する。
「よかろう。この件はアルティリーゼに任せることとする。最もベルゼイン帝国の国益を第一に行動せよ」
「はい、ありがとうございます」
イルゼムの言葉にアルティリーゼは嬉しそうに返答する。この段階で隠者への対応はアルティリーゼが責任者という事になったのだ。
「みな聞いた通りだ。アルティリーゼに任せた以上、今回の件はアルティリーゼの預かりとなった。先程のアルティリーゼの言葉である人間への無差別な行動は一切禁止する。配下の者共にお主らの責任で伝えよ」
「「「「はっ!!」」」」
イルゼムの言葉に出席者達は一斉に一礼する。
「それではこれで会議を終わる」
イルゼムの宣言により、アルティリーゼのみがローエンシア王国への干渉する事が決定されたのだ。




