結界⑨
音声がすべて再生され終えた時、ディクトとジーナの視線は絶対零度並の冷気の籠もった視線をボードワン達に向けていた。
「……そ、それは冗談」
ボードワンの言葉は明らかに動揺している。吐いた言葉は限りなく苦しい言い訳であった。
「残念ながら、こいつらがどんな罪を二人になすりつけ殺害しようとしたのかは分からないが、こいつらが二人を害しようとする意思があった事は分かってくれたと思う」
ジュセルは勝ち誇ったかのようにボードワン達に言う。
(まぁ……これでこいつらが恐れ入るはず無いよな)
ジュセルの予想通りボードワン達は恐れ入るような事はなかった。
「ふ、ふん……我々は貴族だ。お前達がそれを後悔したところで実際に事を起こしていない以上、罪に問うことは出来ない」
「そ、そうだ。我々は何もやっていない。そんな音声があっても何にもならんぞ」
「あ、ああその通りだ。我々は平民を侮辱しただけだ。実際に事を起こした……」
ボードワン達の言葉にジュセルは余裕の笑みを浮かべている。その余裕の表情に怪訝な表情を浮かべたボードワン達は訝しがる。
「バカが……その程度の反論に俺が何の対処もしていないと思っていたのか?」
「なんだと?」
「ここにいない鬼尖の連中は今どうしていると思う?」
「え?」
「あいつらは俺の側につくぞ」
「なんだと?」
ジュセルの言葉にボードワン達が怪訝そうな表情を浮かべる。ジュセルの言わんとする事の意図を測りかねていたのだ。
「わからないか? あいつらはお前達の悪行の生き証人の立場にある事を……それがこちらに付く。何が起こるかな?」
「き、汚いぞ!!」
ロッドがジュセルの意図に気付き罵るが、ジュセルは涼しい顔をしていた。ロッドが気付いたのは鬼尖に今回の事を自白させるという事だった。だが、ジュセルの考えはそれを上回る事であることが次のジュセルの言葉から明らかになる。
「汚いのは百も承知だ。だが、ここでお前達を見逃せば必ずディクトとジーナさんに害を及ぼすことは間違いない。だからこそ、鬼尖の連中にはあることないこと証言させるつもりだ。例えばお前達の依頼でアレンティス=アインベルク侯を襲ったと証言させればお前達はアインベルク侯の暗殺未遂の主犯として厳しい取り調べを受ける事になるな。そうなればお前達の一族もただでは済むはずはないよな」
「な……」
「お前達がやろうとしていたことはそういうことだ。当然自分達も反撃を受けることを想定していたはずだ。もししていないのなら想定しなかった自分達が悪い」
ジュセルの理論にディクトが口を挟む。やり過ぎだとディクトには思われたのだ。
「お、おいジュセル、いくらなんでも無茶が過ぎるんじゃ無いか?」
ディクトの言葉は普通の反応である。だが、ジュセルは当たり前の方法では、この二人を守る事は出来ないと考えていた。
「ディクト、こいつらのさっきの音声はお前も聞いただろう。想像して見ろお前の目の前でこいつらはジーナさんを犯し最後にお前達を殺すつもりだったんだ。その時の表情は醜いなどと言うレベルではないはずだ。それを今際の際に見せつけられて目を閉じる事がお前には出来るのか? もし出来ると言うのなら正気を疑うぜ」
「出来るわけ無いだろう!! でも、だからといって罪を捏造するような事をすれば俺達もこいつらと同じになってしまうだろ!!」
「それの何が悪い?」
「え?」
ジュセルの発言にディクトは、いや全員が絶句する。ジュセルは絶句する全員に構うこと無く持論を展開した。
「その論法は下種共をつけ上がらせるだけだ。下種にそんな高尚な論法を理解できる知性もそれを受け止められる品性も持ち合わせているはず無い。ならそんな下種に理解させるためにはわざわざ降りていってやらなければならんだろ」
ジュセルの言葉にディクトは言い辛そうな表情を浮かべるが口を開いた。
「俺は……俺達のために手をお前に手を汚させるような事をして欲しくないんだ」
ディクトの言葉にジュセルは微笑む。それは先程までの苛烈な意思を含んだ嗤みではない。友人に向ける優しい笑みだ。
「俺はディクトもジーナさんも大事な友人と思っている。俺が手を汚してでも助ける価値のある存在だ」
「ジュセル……」
「さて……それじゃあ、ここら辺で話は終わりにしようか」
ジュセルはそう言うとボードワン達に視線を移す。その視線には明らかな険があり、殺意があった。その殺意を感じた時、ボードワン達の恐怖心は一気に高まった。たかが15の少年の放つ殺気に狼狽える事がボードワン達には信じられなかったが、どうしても恐怖心を押さえることができなかったのだ。
ジュセルは死霊術でデスナイトを二体新たに生み出す。新たに二体の異形の騎士が誕生したことにボードワン達の心は完全に折れた。デスナイト一体で苦戦していたのにさらに二体のデスナイトが現れれば勝算は皆無であることは当然だった。
「さ……降参するか? それともここで死ぬか? どちらか選ぶんだな」
ジュセルの言葉にボードワン達は武器を捨てて跪いた。
* * *
「思った以上の利益が出たな」
エルヴィンがホクホク顔でジュセルに言う。その顔を見てジュセルは露骨に顔をしかめている。結局の所エルヴィンの掌の上で転がされた事を聞かされたからだ。
ここは王城の中に設けられているエルヴィンの私室である。あの騒動から2週間達、ボードワン達の処分が出たためにエルヴィンがジュセルに伝えるために呼んだのだった。
エルヴィンは国土全体を覆う結界など初めから張るつもりはなかった。エルヴィンの目的は魔導院での平民出身の魔術師の待遇改善だったのだ。
魔導院の採用試験は身分に関係なく受験資格はあるが、やはり平民よりも魔術の英才教育を受ける機会が圧倒的に多い貴族の方が合格する事が多い。そのため魔導院の中で平民出身の魔術師は非常に数が少なく、主に雑用ばかりやらされているため意欲を無くし辞めていく者も多かったのだ。その事を知ったエルヴィンはジュラスと相談をもちかけ魔導院における平民出身者の待遇改善の計画を練ったのだ。
魔導院は伝統が古く閉鎖的な組織であり、また魔導院の総長はラグヌス=エディオクム侯爵という大貴族であったため、ジュラスであっても容易に介入することは出来なかったのだ。
ボードワンはエディオクム侯爵の腹心と呼んでよい存在であり、その失態はエディオクム侯の大きな傷となった。証拠の音声があり魔導院の内部で平民出身者に対する貴族の傲慢さをジュラスに知らしめてしまったのだ。ジュラス王はこれを使って魔導院に介入するという事だった。
ちなみにボードワンは今回の事で罷免され、領地に引っ込んでしまった。ロッド、ヴァドも同然であり魔導院所属のエリートとしては完全に終わったと見て良い。だが、これで終わりにするつもりなどエルヴィンには一切なく、どこまでも付きまとうつもりであった。
その事を知ったジュセルはさすがにボードワン達に同情する。おそらく彼らの家は僅か数年で完全に没落することになる事が容易に想像できる。自業自得とは言え、石を投げたら隕石が降ってきたというレベルの応報であり、甚だバランスが悪いように思われる。
九凪と鬼尖は、もちろん余罪が追及され多くの殺人、強姦などに関わっていることが明らかとなりミスリルの地位を剥奪され、裁判にかけられた。裁判の結果はアインベルク家の預かりとなった。
国営墓地の見回り、エルゲナー森林地帯へ赴任という事実上の死刑宣告である事は間違いないが、その事を知らない九凪と鬼尖はほくそ笑んでいたが、アインベルク家の初老の家令に新人研修を受けた時に自分達が地獄に送り込まれた事を思い知らされる事になったのだ。
「それにしても良く俺の本当の目的に気付いたな」
エルヴィンが感心したように言う。
「ああ、親父の人柄を知ってればすぐに気付くよ。杭に音声を保存する術式が隠されていればな」
ジュセルの呆れたような声にエルヴィンは満足気に頷く。ジュセルがボードワンに違和感を感じたのはミスリルクラスの冒険者を雇っていることだった。国家的大事業であるはずなのに魔導院の職員を護衛するのは本来は騎士団が出張るはずだ。ところが実際に護衛についたのは冒険者チーム二つというのは明らかに違和感があった。
ディクト、ジーナは魔導院の職員が採集などを行う際に冒険者を雇う事は当たり前だったので気にならなかったらしいが、ジュセルとすれば国家的大事業に騎士団が参加しないというのは違和感があったのだ。
「ボードワンが冒険者を雇った。なぜ騎士団では無いのかと思っていたところに杭の術式……ここまで状況が出来てればボードワンが何かしらやらかすと考えるのは自然だよ」
「うんうん、さすがは我が息子だ」
「ちなみにディクトが参加する事になったのも偶然じゃ無く。親父の差し金だろ?」
「あれ、そこまでバレてたか」
「ああ、おそらくジーナさんとの関係でディクトを入れたんだな」
「そうだ。あのボードワンと腰巾着の二人は徹底した下種野郎でな、音声にあったような事をこれまで何度もやったらしい」
「なんだと?」
エルヴィンの言葉にジュセルはつい声を低める。当然ながらエルヴィンの目にも怒りが込もっている事をジュセルは気付く、あの三人は遠からず没落すると思っていたが、破滅するという事を確信するに十分な熱量が込められていた。
(親父はあの三人を最初から潰すつもりだったんだな……)
ジュセルはボードワン達を潰すために今回の事を計画し、ジュラス王と利害が一致したところで話を持ちかけたのだ。いや、もしくはそれは逆だったのかも知れない。
「俺がボードワンとかのような連中を嫌いなのは知ってるだろ?」
エルヴィンの言葉にジュセルは頷く。
「さて、それじゃあ今回の件は助かったよ。お友達が来たようだ」
エルヴィンがそう言うとジュセルも頷く。すると扉をノックする音がした。ジュセルが扉を開けると魔術師のローブを身につけたディクトとジーナが立っていた。二人とも身だしなみをきちんと整えており、良家の子息、子女に見える。
「それじゃあ、親父行ってくる」
「ああ、行ってこい」
ジュセルの言葉にエルヴィンは頷くと快く三人を送り出した。これからアレンに二人を引き合わせるつもりだったのだ。ディクトとジーナはぺこりと頭を下げると扉を閉める。それを見ながらエルヴィンは微笑んだ。
「魔導院の改革……下種の始末……対魔神のための使い潰す前提の駒の確保……」
エルヴィンは一つ一つ指折りながら数える。
「そして、ジュセルにすばらしい友人が出来た」
最後の項目を数えた時にニンマリという表情がエルヴィンの顔に浮かぶ。自分の想定以上の結果にエルヴィンは満足気だった。
 




