隠者Ⅱ⑦
「さ~て、終わった」
転移を終えたエルヴィンは息を吐き出す。エルヴィンはイルゼム達との戦いで終始、余裕を見せていたのだが、演技でありそれほど余裕のあったわけではないのだ。エルヴィンが余裕があるように見せていたのは、人間への報復を躊躇わせるのが一つの目的であった。すなわち、エルヴィンのような強者が人間の中にも存在する事を見せつけることで魔族の行動を抑制しようと考えたのだ。
「あの爺さんならこっちの目的を察するだろうけど、そうじゃない奴等は当然、報復に来るよな」
エルヴィンは独りごちる。何しろ、ベルゼイン帝国の皇城に乗り込み、皇帝に害を与え、多数の近衛騎士達を惨殺し、皇子達を痛めつけたのだ。国の面子、皇帝の面子を潰されたと報復を主張するものがいても間違いない。
特にエルヴィンの実力を見ていない者程、声高に報復を主張することだろう。そうなった場合にイルゼムがどのように出るか。エルヴィンにとってかなり興味があった。
「あの爺さんが俺を利用して目障りな連中を消しに来るか……」
エルヴィンの言葉には呆れるほど戸惑いというものがない。エルヴィンにとって魔族は警戒に値する敵ではあったが、恐怖の対象というわけではないのだ。
「いっその事……一つ二つ貴族を潰した方が良いかな……」
エルヴィンの言葉にクルノスがビクリと体を震わせる。エルヴィンが皇城に侵入した間、クルノスはこの場所に控えていたのだ。クルノスが逃げ出さなかった理由は、エルヴィンに呪いをかけられたからである。フィアーネ達が敵対行動をとらせないように行動制限の術をかけるが、エルヴィンのそれはフィアーネ達よりも質が悪かった。
その呪いが発動すれば、エルヴィンの埋め込んだ魔力の塊が、蛭のような魔物となり、埋め込まれた者の体を内側から食い破る事になる。エルヴィンは皇城に潜入する際にクルノスに仕掛けたのだ。
「冗談だよ……本気にするな」
エルヴィンがクルノスに笑いかけるが、クルノスの顔は凍ったままだ。冗談めかしていたがやろうと思えばエルヴィンは苦もなくやってしまう事をクルノスは知っていたのだ。
「さて……お前のかけた呪いも解いておくか」
「え?」
「当然だろ。俺が皇城に潜入した間にちょろちょろ動かれると厄介だったから鎖を付けたんだ。その仕事が終わった以上、鎖でお前を縛る必要はない」
クルノスはゴクリと喉を鳴らす。エルヴィンの言葉はクルノスに俺の邪魔を出来るつもりならやってみろと宣言したに他ならない。ある意味、クルノスにとって耐えがたいほどの侮辱のはずだったが、クルノスの心にあったのはひたすら命拾いしたという安堵の感情だった。
「さて……」
エルヴィンはクルノスの額に手を当てると術式を展開する。エルヴィンが手を額から離すとそれに従い、直径5㎝程の魔力の塊がクルノスの頭から取り出された。
「あ、ありがとうございます」
クルノスは自身の中からエルヴィンの魔力が消えた事に安堵の感情がさらに湧き起こった。
「さて、クルノス君……」
「はい」
「これで君は自由だが、いつでも報復に来て良いよ」
「え?」
「魔族がこのまま大人しくするはずがないからね。魔族がとる手段は、どっかの地位が高い奴を脅して国内に混乱をもたらすとか無辜の民、戦う術のない者達を殺して恐怖を煽るとかの手段をとるだろうね」
「……」
エルヴィンの言葉にクルノスは沈黙する。エルヴィンの言葉は決して的外れで無い事はクルノスも認めざるを得ない。
「魔族がそのような卑劣な手段に出るのは当然解ってるさ。なら対処も容易だと言う事だよね?」
「そ、それは……?」
「それを教えるほど俺は甘くないよ。魔族がゲスという俺の意見が的外れかどうかは、魔族の次の一手を見ればわかるさ」
「……」
「俺とすれば魔族が敬意を持つに値する敵であることを望むな。だが、そうでなかった場合はどのような不幸がこのベルゼイン帝国に訪れるか非常に楽しみだ」
エルヴィンは目を細めて言い放った。クルノスはこの時、エルヴィンの心情を察した。もし、魔族が無辜の民、戦う術のない者を害した場合、報復することを示唆しているのだ。当然、その報復に容赦という言葉を期待することが出来ないのは確実だった。
「無辜の民を傷つけるような事をして、これ以上我々が黙っていると期待するのは止めておいた方が良いと思わないかね?」
エルヴィンの言葉にクルノスは何度も首を縦に振る。
「ふふ……他の魔族の方々も君のように賢い方達ばかりだと助かるよ」
エルヴィンの言葉にもはやクルノスは首を縦に振るしか出来なかった。
「あ、そうそう、俺のつくっておいた拠点だけど全部潰そうと思わない事だよ。すでに君の知らない拠点は数多く設けてある。当然、それらはきちんと隠匿してあるから探すのは骨が折れると思うよ?」
「もちろん、探すような真似はしません」
「ああ、君はこれから自由になるから、俺の情報を訴えるなら訴えるで別に構わないよ」
「え?」
「むしろ、俺の情報を帝国に伝えてくれると助かるな」
「そ、それはどういう……?」
エルヴィンの言葉の意味がクルノスには理解できない。ベルゼイン帝国にエルヴィンの情報が漏れるという事は必然的にベルゼイン帝国とローエンシア王国の争いにまで発展するという事だからだ。
「それぐらい自分で考えてくれ。それじゃあ」
エルヴィンはそう言うと転移魔術を発動させフッと消える。残されたクルノスはエルヴィンの言葉の意図について考えるのであった。
* * *
ローエンシア王国の王城にあるジュラス王の執務室にエルヴィンが転移してきたのは、ジュラス王がちょうど執務を一区切りした時であった。転移してきたエルヴィンに向かって護衛の近衛騎士達が一斉に抜剣する。
一度、国王の執務室に魔族の侵入を許した事で近衛騎士達は警護をより一層厚くしていたのだ。
「エルヴィンご苦労だった」
ジュラスの言葉に転移してきたのがエルヴィンである事に気付いた近衛騎士達は剣を収めると一歩後ろに控える。
「ああ、ベルゼイン帝国の皇帝と皇子達に会ってきたぞ」
エルヴィンの言葉にジュラスは頷く。
「それは重畳というやつだな。それでどうだった?」
「皇帝の名はイルゼムというのだが、俺と互角といったところだな。皇子達はそれなりの実力だが、俺の相手をするには実力不足もいいところだな。だが、皇女とその供回りはかなりの実力だったな」
「そうか。それで報復の意図はきちんと伝えてくれたか?」
「ああ、よほどのアホでない限りは間違えないだろ」
エルヴィンの言葉にジュラスはニヤリと嗤う。悪魔ですらこれほどの嗤いを浮かべることは出来ないというレベルの悪い嗤顔である。
「そうか、お前がベルゼイン帝国で遊んでいる間に準備は進めている」
ジュラスの言葉に今度はエルヴィンが嗤う。これまた悪魔が震えるほどの悪い笑顔だ。
「そうか、そうか。その時はジュラスも手伝ってもらうぞ」
「ああ、任せろ。お前こそ俺を忘れて一人でやるなよ」
「くくく、楽しくなってきたな」
「ああ、ここに来て遊び相手が見つかったのは僥倖というやつだな」
近衛騎士達は敬愛する国王とその友人の言葉と放つ雰囲気に身を震わせていた。近衛騎士達が震えている事など露知らず二人は悪い嗤顔を浮かべていた。
今回で『隠者Ⅱ』編は終了です。この1週間まったく主人公が出てこなかったですね。明日は出てくるはずです。




