隠者Ⅱ④
死者の覇王……。
凄まじい力を持つアンデッドであり、超一流の戦士の膂力と技術と魔術師の魔力を兼ね備えた最高レベルのアンデッドである。
死者の覇王が相手ではたとえ上位魔族であっても勝利するのは難しい。
その事をイルゼムが知らないはずはないのだが、イルゼムは余裕ある態度を崩さなかった。その態度にエルヴィンもまた余裕ある態度でイルゼムを見る。
近衛騎士の中にはカタカタと震えている者がいることに、エルヴィンは気付く。
(さて、脅しとしては十分すぎるほど成功だな。皇帝には通じないようだが、流石はベルゼイン帝国の皇帝と褒めるべきだな)
「クシュナム、お前の相手はあの偉そうなじいさまだ」
エルヴィンの言葉に死者の覇王は口を開く。
「承知……あの者を殺せば良いのだな?」
死者の覇王の返答に周囲の近衛騎士達は驚く。エルヴィンが死者の覇王を“クシュナム”と呼んだことに対してまったく触れなかったのだ。召喚主が名を呼ぶというのは完全に支配下に入った事を意味していたのだ。もし、名を呼ばなかったならば、それは雇用関係と言うべきものであり条件次第で寝返らせることも可能なのに、支配下に入っている場合はそれを期待することも出来ない。
つまり、死者の覇王を斃すしか道はないのだ。そして、それを従えるエルヴィンは死者の覇王を上回る実力を持っていると言う事になる。
「我が名はクシュナム、魔族よ。名乗られよ」
クシュナムの言葉にイルゼムは口を開く。
「我が名はイルゼム=コーツ=ヴェルゼイル、死者の王よ。相手をしてやろう」
イルゼムの言葉には一切の恐れはない。ベルゼイン帝国の絶対者としての侵しがたい威厳というものが感じられる。
クシュナムは突然、瘴気の塊をイルゼムに向けて放つ。凄まじい速度で飛んでいく瘴気弾であったが、イルゼムが持っていた錫杖を振るうと瘴気弾は粉々に砕け散る。
「やるな……」
クシュナムはイルゼムの技量に満足したのか右手に瘴気を集め始める。集められた瘴気の塊は全長2メートル50㎝程の長さの巨大な両刃斧であり、斧の部分は40㎝程もある。
クシュナムはその場で両刃斧を振るう。すると両刃斧から瘴気の斬撃がイルゼムに飛んだ。
「ふん……!!」
イルゼムは気合いを入れると周囲に防御陣を張り巡らし、瘴気の斬撃から身を守る。自防御陣の範囲外の斬撃はそのまま背後の壁に直撃すると壁を大きく斬り裂いた。
その威力に近衛騎士達は呆然としていた。この執務室の壁は魔力による防御陣が組み込まれているために滅多な事では傷一つ付ける事は出来ないはずなのにクシュナムの一撃はあっさりと壁を斬り裂いたのだ。
クシュナムは突進するとイルゼムに上段から両刃斧を振り下ろした。
ギャギィギィィィン!!
イルゼムが錫杖で両刃斧を受けると形容しがたい金属同士をぶつける音が響く。そしてそれを皮切りに両者は激戦を展開する。
クシュナムが両刃斧を横薙ぎに振るうとイルゼムは前進し、錫杖で柄の部分を受けると同時に【魔衝】をクシュナムに向けて放つ。
魔衝は高等魔術でも何でもなく、むしろ初級の魔術だ。それでもイルゼムのような実力者が放てば必殺の一撃となり得るのだ。
イルゼムの放った魔衝は放射状に広がり、クシュナムの防御陣に阻まれダメージを与える事は出来ない。だが、イルゼムは魔衝を放つと同時に掌に魔力で形成した杭をそのまま放った。
ギュキュイィィィィン!!
はなたれた杭はクシュナムの防御陣に突き刺さった。長さ10㎝程の杭の先っぽ3㎝程が防御陣に突き刺さっている。だが、それで終わりではないイルゼムはそのまま第二、第三の杭を続けて放った。
「ち……」
イルゼムの放った杭はクシュナムの防御陣を突き破るとクシュナムの右肩に突き刺さった。クシュナムは後ろに跳び一端間合いをとると、イルゼムを睨みつけた。
執務室にいる者の視線がイルゼムとクシュナムに注がれている。それを見てエルヴィンは動く。動いた先には近衛騎士達がいた。本来であれば守るべきイルゼムの間に割り込むべきなのだが、あまりにも高度な戦いが展開された事によりつい見惚れてしまったのだ。
「な……」
エルヴィンの接近に気付いた近衛騎士が驚愕の表情を浮かべた瞬間とエルヴィンの拳がめり込むのはほぼ同時だった。拳がめり込んだ近衛騎士は吹き飛ばされ壁に激突する。
そのまま、エルヴィンは室内にいた近衛騎士達を蹂躙する。拳、肘、膝、蹴りで容赦なく近衛騎士達の戦闘力が失われていく。何体かの近衛騎士達の中にはエルヴィンの拳を受けた腕が砕かれ反対側から骨が突き出ている者もいた。
エルヴィンが近衛騎士達をなぎ倒している間に、クシュナムとイルゼムの戦いは再開されている。
クシュナムとイルゼムがそれぞれの武器を打ち合わせるとその衝撃に部屋がまるで地震のように揺れている。
(そろそろ……来る頃なんだがな……)
エルヴィンはクシュナムとイルゼムの戦いを見ながら心の中で呟く。ベルゼイン帝国の最高権力者の元に刺客が入り込み、そこで皇帝と激戦を展開している。そのような状況でお家騒動の真っ最中である皇位継承者達がイルゼムの元に馳せ参じないはずはない。
当然、ターゲットのエルグドも駆けつけるだろう。もしここで駆けつけなければ後継者争いから大きく後れを取ることは間違いない。
(それじゃあ、もう少し藪をつついてみるか)
エルヴィンはそう決断するとクシュナムとイルゼムとの戦いに躊躇なく飛び込んでいく。クシュナムとイルゼムの間には錫杖と両刃斧が無数の火花を散らしている。
エルヴィンは火花の散るポイントを確認してからイルゼムの間合いに入ると、拳を突き込む。エルヴィンの動きは気配を極力殺したものであり、イルゼムもクシュナムとの戦いに意識を奪われていたため、エルヴィンの拳を躱す事は出来なかった。
「ぐぅ……」
エルヴィンの拳を顔面に受けてイルゼムはよろける。そこにクシュナムが両刃斧を振るった。イルゼムは錫杖で受け止めるが、体勢を崩していたため完全に受け止める事は出来ずに弾き飛ばされ、床を転がった。すぐさま立ち上がり間合いをとり、殺気を放ちエルヴィンとクシュナムを牽制する。
その牽制が聞いたかどうかはイルゼムには判断が付かなかったが、とにかく一息つくことに成功したのだ。
(まずいの……1対1なら……ともかく……)
イルゼムは心の中で現状を分析すると状況が刻一刻と悪くなって言っている事を察する。
ところがここで思わぬ事が起きる。イルゼムの前に魔法陣が突然現れたのだ。エルヴィンは一瞬浮かんだイルゼムの驚きの表情からこの魔法陣がイルゼムの手によるものでないことがわかった。
魔法陣から5つの人影が現れる。
魔法陣から現れたのは、アルティリーゼ、イリム達だった。




