書籍発売記念SS『名前』
本日7月15日に『墓守は意外とやることが多い』発売です。よろしければお手にとっていただければと思います。
今回は番外編という事でアレンのお父さんの話です。
深夜のローエンベルク国営墓地に2人の人影が歩いている。
深夜のこの時間にアンデッドが出没するという墓地を歩く……この段階でこの2人がただ者では無い事がわかる。
「だから……お前、もう立場が王太子でなくなるんだから帰れって」
「おいおい、ユーノス……親友の俺を追い返そうなんて寂しすぎるだろう。俺は悲しいぞ、親友に邪険にされる俺の気持ちをもう少しおもんばかってだな」
「鬱陶しい……お前の嘘泣きに今更欺されるわけないだろうが」
2人は不気味な国営墓地である事をまったく感じてないような口調だ。いや、彼らの事情を考えれば国営墓地でこのような余裕のある態度をとるのも当然なのかも知れない。
この2人のうち黒髪、黒眼の青年の名を『ユーノス=アインベルク』、ローエンベルク国営墓地の管理人であり、ローエンシア王国において男爵の爵位を持つ男である。年齢は21歳、既婚者であり、妻のリオメールは妊娠9ヶ月でありもうすぐ父親になる。
もう1人の金髪、碧眼の青年の名は『ジュラス=ローエン』、ローエンシア王国の王太子であり21歳、あと2ヶ月で22歳になると同時に国王に即位することが決まっている。
ちなみにジュラスも既婚者であり、2ヶ月前に王太子妃ベアトリクスとの間にアルフィスをもうけていた。
「大体、お前ベアトリクス様を放っておいていいのか?」
ユーノスの言葉にジュラスはニヤリと笑う。
「ふ……甘いなユーノス、俺がベアトリクスに一言もなくここに来るとでも思っているのか?」
「いや、思ってはないがお前、もう少し立場というものをな……」
「まぁ良いじゃないか。ベアトリクスはニコニコ微笑んで行ってらっしゃいませと言ってくれたぞ」
「まぁ、ベアトリクス様ならそう言うよな」
「それにクレアちゃんにお土産を渡したかったからな」
ジュラスのいうクレアとはアインベルク家の家令であるロム=ロータスとキャサリンの一人娘である。年齢は7歳、キャサリンによく似た笑顔が愛くるしい女の子だ。ジュラスはアインベルク邸に昔からよく遊びにきており顔馴染みだった。
「まったく……うちの可愛い子を懐柔しやがって」
「はっはは」
ユーノスの抗議をアルフィスはさらりと聞き流す。長年の付き合いで何度もくり返されてきたやり取りだった。
「あのさ……話を蒸し返させてもらうが、お前王太子なのにここに来てもしもの事があったらどうするんだよ」
「もしもの事ねぇ……」
ユーノスの言葉にジュラスは考え込む。だが、そんなに長い時間悩むことなくジュラスは口を開く。
「この国営墓地はある意味、ものすごく安全だよ」
「は?」
ユーノスはジュラスの言葉に呆けた声を出す。このローエンベルク国営墓地はアンデッドが恒常的に発生する。しかも発生するアンデッドは他の場所で発生するアンデッドよりも遥かに強力だ。その国営墓地が安全であるという言葉にユーノスは呆れていたのだ。
「確かにお前の実力なら危険はないと言っても良いだろうな」
ジュラスとユーノスは個人レベルで一軍を蹴散らすほどの武力を持っているのは確実だった。その事に思い至った、ユーノスの言葉にジュラスは首を横に振るとユーノスに向けて言う。
「違うさ……」
「ん?」
「お前が俺の側にいる限り安全ってことさ」
ジュラスの言葉はユーノスへの信頼に溢れてる。その言葉を受けてユーノスは恥ずかしかったのかふいと顔を逸らす。
(それは俺も同じさ……ジュラスが隣にいる限り誰が相手でも負ける気はしない)
ユーノスがそう思っていた時にジュラスがユーノスに尋ねる。
「そういえば、ユーノスは生まれてくる子の名前は考えているのか?」
『ぎゃああああああああああ!!!!』
ジュラスの言葉にユーノスが口を開きかけた時、墓地に2人ではない絶叫が響いた。その絶叫に2人は顔を見合わせ互いにため息をつくと声のした方向に向けて走り出した。
(やれやれ……どっかのバカが入り込んでいたのは気付いていたが……)
ユーノスは心の中でため息をついていた。冒険者が勝手に墓地に侵入し、命を失うという事例が何回、いや何十回もあったのだ。その度にユーノスが冒険者の亡骸と遺品を冒険者ギルドに運んでいたのだ。その労力ははっきりってばかにならない。しかも現在の冒険者ギルドのギルドマスターは某伯爵が背後にいると言う事で露骨にユーノスを見下しにかかっていたのだ。
そのため冒険者達の中にはユーノスを舐めきっている者がいるのも事実であった。
ユーノスとジュラスの2人が凄まじい速度で現場に向かって走っていると2人の視線の先に冒険者とアンデッドの戦闘が展開されていた。いや、果たして戦闘と呼んで良いものか実のところ自信がない。
それだけ、アンデッドが一方的に冒険者達に攻撃を仕掛け何とか持ちこたえているという感じだったのだ。すでに2人の冒険者が地面に伏している。両者とも首が斬り落とされていることからすでに絶命していることは間違いなかった。
「デスナイトか……」
ジュラスの口からアンデッドの名が紡ぎ出される。そう冒険者達を蹂躙しているアンデッドはデスナイトという異形の騎士だった。発生が確認されれば軍隊の出動が要請されるレベルのアンデッドだ。
デスナイトは大剣を冒険者の頭に向かって大剣を振り下ろした。狙われた冒険者はかろうじて自分の剣で受け止めるが、デスナイトの斬撃の凄まじさの前にはまったく意味が無い。剣ごと頭部を真っ二つに両断した。
「いやぁぁぁぁっぁぁ!! アドン!!!!」
仲間の冒険者の女性が叫ぶ。服装から魔術師と思われるが仲間達の死に対して動揺しているのだろう。魔術の展開をすることもなくただガタガタと震えているだけに見える。ひょっとしたら今殺された冒険者の恋人だったのかも知れない。
「間に合わない……な」
ユーノスの言葉がジュラスの耳に入る。その声に間に合わないことに対する苦悩はない。ユーノスは何度も冒険者ギルドにローエンベルク国営墓地に立ち入らないようにと要望を出しているのにこのような輩は一向に減らない事に呆れていた。
人の忠告を無視して国営墓地に侵入した結果死ぬというのなら確実に責任はそちらにあると思っていたのだ。その考えがあるためまったく気に病むような事は無かったのだ。
デスナイトの大剣が再び一閃されるとその魔術師は真っ二つに両断され上半身は2メートルほどの距離を飛び地面に落ちる。
最後に残った冒険者は剣を構えるがもはや完全に心が折れている事は明らかだ。ユーノスとジュラスは走りながらその冒険者の体がガタガタと震えている事に気付いていたのだ。
ユーノスとジュラスはそれぞれ剣を抜くとデスナイトに斬りかかった。ユーノスの剣をデスナイトが大剣で受け止めた。だが、ユーノスの剣はデスナイトの大剣をまるで木の棒のように斬り落とすとそのまま胸の辺りを斬りつけた。胸を斬りつけられたデスナイトの胸元から瘴気がまるで鮮血のように舞う。
一瞬後にはユーノスの斬り裂いた傷口は塞がったが、それはデスナイトにとって危機を脱したと言う事にはならない。なぜならジュラスが間髪入れずにデスナイトの左足を左半身を覆う盾ごと斬り裂いたからだ。左足を落とされたデスナイトはバランスを崩すと地面に倒れ込んだ。
大剣をすでに再生させていたデスナイトは倒れ込んだまま大剣を横に薙いだ。ユーノスはそれをあっさりと跳躍して躱すとがら空きとなったデスナイトの上半身に剣を振り下ろした。
ユーノスの剣は右の肩口から入りそのまま心臓の位置にある核を斬り裂く。核を斬り裂かれたデスナイトは体を維持することは出来ずに塵となって消え去った。消え去る瞬間に苦悶の表情を浮かべていたことから自分が敗れた事を悟っていたのかも知れない。アンデッドに自我を持つ者はほとんどないはずなのだが、稀に自我を感じさせるような仕草をル事があるのだ。
デスナイトという危機が去った事で助けられた冒険者はヘナヘナとへたり込んだ。先程まで命の危機に瀕していた所だったのに助かったのだから当然の反応だった。
ユーノスとジュラスは助かった冒険者に対して一言も声をかけない。なぜならば、ほっとして現状を理解したその冒険者が敵意の籠もった目を2人に向けたからだ。命を助けてもらった恩人に向ける目ではないことは確実だった。このような輩は自分の責任を棚に上げて他の者を責めるからだ。
「なぜもっと早く助けてくれなかったんだ!!」
一言も発しないユーノス達に対して冒険者が苛立ったように言う。
(今回はこのパターンか……)
冒険者の発言にユーノスが皮肉気に嗤う。助けられた冒険者がどのような態度をとるか。何度も国営墓地で冒険者を救った事のあるユーノスにとってこのような事を言われるのはさほど珍しいことではなかったのだ。
「大体、あんたはこの墓地の…がぁ」
冒険者がさらにユーノスを責め立てようとしたのだがそれはあっさりと中断される。ユーノスがその冒険者の首を掴むと片手でそのまま持ち上げたからだ。この容赦ない行動に冒険者は目を白黒させ暴れるがユーノスはまったく揺るぐことなく男を一瞥する。
「ゆ、ゆる……し……」
冒険者の口から発せられた言葉がユーノスの耳に入ると手を離した。離された冒険者はそのまま地面に落ちる。冒険者は痛みが気にならないほど動揺し、ユーノスに視線を移した。その視線には明らかに先程までのような責めるような感情はなく恐怖が色濃く滲んでいる。
「頼まれもしないのに勝手に立ち入り禁止の国営墓地に入った阿呆が死んだ。俺の言う事に反論できるか?」
ユーノスの言葉に一切の容赦はない。先程の態度でユーノスは完全にこの冒険者に礼儀を守るつもりはなかったのだ。冒険者はぶんぶんと首を横に振る。この段階でユーノスに逆らう事の愚かさを察するぐらいの判断力はあったようだ。
「ならさっさと仲間の死体を持ってギルドに事の次第を説明しろ」
ユーノスはそれだけ言うと踵を返し歩き出した。ジュラスも同様にユーノスと連れだって歩き出す。
しばらくしてジュラスが口を開く。
「良いのか? あいつギルドに今回の事でかなりお前の事を悪く言う可能性が高いぞ」
「構わないさ。ああいう輩は優しく対応してあげればつけ上がるだけだし、どのみちギルドの報告では俺の事を悪く言うさ」
ユーノスの言葉にジュラスは頷く。親切にしてもしなくても悪く言われるのならしない方が精神衛生上、余程楽だったからだ。助けてもらうにはそれなりの資格が必要であり、あの冒険者にはその資格がなかっただけの事だった。
「まぁ、それもそうだな。そうそうさっきの話の続きだが」
ジュラスの言葉にユーノスは苦笑する。先程の事など無かったかのような話の切り替えだったからだ。
「ああ、もちろん考えてる」
「へぇ~聞かせろよ」
「男の子だったらアレンティス、女の子だったらアディラだ」
「ほぉ、良い名前だな」
ジュラスはユーノスがその名の所以を知っていた。アレンティスはローエンシアの古い言葉で『慶び』という意味があること、アディラは同様に『幸せ』という意味があったのだ。
「だろ? お前ならそう言ってくれると思ってたさ」
ユーノスは誇らしげに言う。親友に褒められてご満悦といった感じだった。
この日から約1ヶ月半後にアインベルク家に元気な赤ん坊が誕生する。その子には『慶び』を意味するアレンティスの名が与えられた。
「お前の誕生は俺達に『慶び』を与えてくれたんだよ」
ユーノスは妻の胸に抱かれる息子アレンティスの頭を優しげに撫でる。アインベルク家に生まれた事は決して平穏とは言えない人生を歩む事は間違いない。だが、その名に込められた両親の思いをいつか話してあげたいとユーノスは思う。
そして……
物語は始まる。
アレンティスが『慶び』、アディラが『幸せ』を意味するというのは『作者の創作』ですので、実際の意味とは『異なります』ので誤解しないように気を付けてください。
明日から本編再開です。




